言葉の救はれ・時代と文學

言葉は道具であるなら、もつとそれを使ひこなせるやうに、こちらを磨く必要がある。日常生活の言葉遣ひを吟味し、言葉に学ばう。

信仰と組織

2016年12月28日 14時17分39秒 | 日記

   自分の周りに起きる出来事を自分の意志で解決できるといふ考へを突き詰めると信仰に至る。もちろん、他力といふ信仰もあるから、もう少し丁寧に言へば、自分の周りに起きる出来事を社会の変革に求めないといふ考へを突き詰めるのが信仰といふ営みである。そして、その対極にあるのが左翼思想といふことになる。

  だから、フェミニズムも今話題のポリティカルコレクトネスも左翼思想である。このことを二学期に授業で話したが、それは言ひ過ぎではないかといふ反応であつた。私の説明不足が原因であると信じたい。しつかり話せば、左翼と右翼の違ひも分明になるかも知れない。もちろん、私の考へに変更はない。

  閑話休題。信仰を持つた人たちにはそもそも組織を作る才能がない。その上、その組織を改革することなどさらに出来ない。組織とは、そもそも何かの目的を実現するために人為的に作られる集団である。したがつて、基本的にメンバーもリーダーも交換可能である。しかし、信仰は基本的に交換は出来ない。個人において改宗は可能であつても、それは宗教そのもの性質を変え得るものではない。

  内村鑑三は無教会主義を主張したが、その知見が正しいだらう。ただその無教会が一つの教会となつてしまつたので、今日無教会主義は衰退してゐる。無教会が信仰のあり方にまで成熟すればいいのではないかとかつてに考へてゐる。

   福田恆存はカトリックの無免許運転と自称してゐたが、それは一つの信仰のあり方であらう。あちらの世界に行つてから、福田先生に訊いてみたいことの一つである。「無免許運転で救ひはありましたか?」と。

  

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