からっぽ禅蔵

仏教系大学で禅を学ぶ、元タイ僧侶、今は日本のお坊さんのブログです

追記・2―GIVE ME FIVE !―

2012-03-12 02:42:15 | 日記
(写真は試作中の袈裟行李)

◆『卒業』
2月某日、大学の成績発表があった。
これにより、卒業に必要な単位は総て修得した事がわかり、事実上、大学卒業が確実となった。
これ以後、我が仏教学部4年生で、我々僧籍を有する者の多くは、卒業式を待たずに、次々とそれぞれの僧堂に上山していくのである。
上山先の僧堂では、大学で禅や仏教を学んできたからと言って、優遇される事はない。容赦ない厳しい修行が待っているのである。

◆『不思議なデジャブ?』
「…あれ?これは以前にも体験した事がある…」という感覚は、僕にとって日常だ。子供の頃から現在に至るまで、週に1回程度はある。
それとは別に、僧侶として、通夜・葬儀をお勤めする時、ちょっと不思議な感覚を覚える事がある。
生前にお会いしていないのに、故人様のお顔を拝見して、「あれ!?」と思うのだ。
「こ、この故人様と、どこかで会って、親しくオシャベリした事がある。…あれ〜…、どこで会ったんだっけなぁ〜…多分、最近なんだけどなあ〜。」
だが思い出せない。
勿論、ご親族にはその感覚については話した事はない。
個人的に、僕にとってちょっと不思議な感覚が頻繁に起きる。
このデジャブ系(?)感覚、多分、僕が死ぬまでずっと続くのだろうなぁ。
脳の一部がイカれてんのかなぁww

◆『エピソード・0』
僕は、神社と寺院に挟まれた一般住宅で生まれ育った。そんな僕の、幼い頃の遊び場もまた、その神社と寺院それぞれの境内だった。
すぐ近所のH君は、僕と同じ年で、僕にとって人生最初の友達だった。
H君とは、幼稚園から一緒だったが、彼は小学校1年生の時に病死した。
彼の葬儀は自宅葬だった。
葬儀の日、僕は走って彼の家に行った。子供ながらに、供養のために焼香したかったのだ。
だが、黒い喪服姿の大人たちが驚くほど大勢いて、小学1年生の小さな僕は、その雰囲気に圧倒されて、彼の家の前で暫し立ち尽くしたあと、何も出来ずに再び走って家に帰った。
悲しくて、なんだか恥ずかしかった。
その夜、夢の中に彼が出てきた。
僕「あれ?H君死んだはずじゃないの?」
H君「うん。でも今は大丈夫。一緒に遊ぼう♪」
僕「うん!遊ぼう♪」
しばらく遊んだあと、彼は「…そろそろ行かなくちゃ…。禅蔵くん、バイバイ…。」と言って去っていった。
そこで夢から目覚めた。
今でも鮮明に記憶に残っている夢だった。
H君がこの世からいなくなってから数日後、一緒に遊ぶH君を失った僕は、お寺の境内で1人で遊んでいた。すると、お寺のご住職が、仏教と生死について優しくお話ししてくれた事があった。
のちに、僕が出家して僧侶になったのには、そんなエピソードも1つの背景としてある。

◆『3.11』
昨年の3月11日、東日本大震災が起きた。
震源地に近い東北の太平洋側を中心に、各地で大きな被害を被った。
加えて、東京電力による人災。
しかも、原発事故が未だに何ら解決していないのに、電気料金の値上げを言い出している。
僕は、東京電力以外の、いわゆるPPS(特定規模電気事業者)の発展とご活躍を祈る。
さて、あれから1年。
今年の3月11日、僕はお袈裟を身に付けて、東北の某所の海辺に立っていた。
冷たい風が僕の肌を突き刺し、袈裟はマントのように風になびく。
辺りは1年前の巨大津波の爪跡が生々しく残っている。
泥まみれになった小さな、ぬいぐるみが落ちていて、なんとも言えない気持ちになる。このぬいぐるみで遊んでいた少女が、生存している事を願う。
そして、午後2時46分に黙祷した後、僕はお経をお唱えさせていただいた。
僕がなぜ突然ここへ来たのかと言うと、ある方からお誘いを受けたからである。
僕自身も、上山前に一度は被災地に訪れて供養したいと思っていたので、誘ってくださった方々の車に直ぐに飛び乗った。
この辺りの事について詳しくは、下山後に機会があったら、また改めて触れよう。
尚、今回お唱えしたお経については、誰からもお布施は頂いていない。
誤解を恐れずに、わかりやすく言えば、ノーギャラ、ボランティアである。

さて、そろそろ僕は、厳しい修行のため、某僧堂へ上山する。
これからが本番だ!
行って来ます!!

別に、AKB48のファンじゃないけど、なんとなく、AKBの「GIVE ME FIVE!」を聴きたい気分…w(笑)
「…♪友よ、それぞれの道、進むだけだ、サヨナラを言うな、また、すぐに会える、だから今は、ハイタッチしよう♪…」(Lyrics:秋元康氏)

お・し・ま・い m(__)m

合掌
コメント (3) |  トラックバック (0) | 

追記・1―坐禅堂と修行と追いコン―

2012-02-12 17:18:33 | 日記
拙ブログ「からっぽ禅蔵」最終回後に、未練がましく「おまけの記事」などもアップしましたw

恥ずかしながら、あともう2回、ブログに書きたい事を書く事にしましたww
宜しかったら、ご笑読ください。

◆『坐禅堂と口頭試問』
1月某日、大学にて。
口頭試問に於いて、先生からお誉めのお言葉を賜わった。
「多くの文献を読み、良く考られた論文に仕上がっている。〔某禅者〕の研究に於いて一石を投じたと言えるだろう。」というような有り難いお言葉を頂戴した。素直に嬉しい。
この口頭試問をもって、僕は、ついに我が大学仏教学部禅学科、その4年間の全課程を終了した。
最後に、大学内で一番好きな場所へフラりと立ち寄った。
坐禅堂である。
それは、1度に150人が坐れる立派な坐禅堂だ。
その日、僕が行ってみると、誰もいなくて、ひっそりとしていた。
前門の扉を開くと、聖僧様の額の白毫が光っていた。
たまたま外光を反射していたのだろう。
この坐禅堂で、参禅部の仲間たちと坐禅をし、2年の頃は必修授業としての坐禅授業も、ここで行なわれた。
すべてが昨日の事のように思い出される。
尚、“坐禅”を仏教学部の必修授業としたのは、あの澤木興道老師である。
僕は坐禅堂で合掌し、聖僧様に向かって、いや、坐禅堂内全体に対して、「ありがとうございました」とお礼を言い、その場で三拝をして、大学を去った。

◆『僧侶批判と修行』
「葬式仏教」だの何だのと、偏見と批判の対象にされ、差別的に見られる事も、稀にある我々僧侶だが、2月某日、僧侶に対して不信感を懐いていたある方と、直接会ってお話しする機会があった。
僕が間もなく僧堂に上山し、そこで一体どれほど厳しい修行を、最低でも1年に渡ってするのか、ご説明させていただいた。
するとその方は、驚いて次のように言った。
「現代の日本で、それほどまでに厳しい修行をしているお坊さんたちがいるなんて知らなかった。今後、お坊さんの見方が変わりますよ。そこまで修行をしているお坊さんたちなら信頼できます。」との事だった。
僧侶への誤解が解けて嬉しい。
と同時に、僕は、某寺の方丈様のお言葉を思い出した。
「今の世の中、情報が溢れているんだから、坊さんじゃなくたって、一般の方でも、まぁ2〜3冊、禅の本でも読んだら、誰だって禅について説明するぐらい出来るでしょう。でも肝心なのは説明ではなくて、“どれだけ修行を実践しているか”なんです。“実践実行して体得していく”それ以外にないんです。」
そういえば、道元禅師も『正法眼蔵』「出家功徳」の中で次のように述べている。
「三世十方諸仏、みな一仏としても、在家成仏の諸仏ましまさず。」
要するに、「在家のままで悟った人はいない」と明言してしまっている。
僕個人としては、そこまでは言いたくない。
だが、我々“禅僧”は、在家のままでは全く不可能な、厳しい修行の場に身を置き、自己の全てを仏行に投げ入れる事は確かだ。
我々は、雲水(修行僧)として僧堂生活をする。
その生活は、先輩僧に絶対服従と、団体での共同生活だ。
“自我”を滅するために、これほど有効な修行は他にないだろう。
そして、無我が仏教の根本思想である以上、自我を滅する修行をしていない者を、「僧侶」とか「仏教者」とは呼べないであろう。

いずれにせよ、一般参禅者さんのような、“お客さま”とは全く違う厳しさが、そこにはあるのだ。

尚、ここでは、他宗派の僧侶の修行の有無については言及しない。

◆『追い出しコンパ』
2月某日、渋谷にて。
大学4年間所属した“参禅部”の追いコン(追い出しコンパ=4年生を送り出す卒業祝いの飲み会)があった。
いつも送り出す側だった僕も、とうとう“送り出される側”となった。
今回の「追いコン」の出席者は次のようである。
追い出される(笑)4年生は、僕と、Tさんのみ。
UさんとS君は残念ながら欠席だった。
3年生は、前部長のHさん。
2年生は、現部長のI君。
1年生は、H君、K君、M君が出席してくれた。
1年生のK君、M君、それと、今回欠席だったD君の3人はお坊さんだ。
彼らの、参禅部での今後の活躍に期待したい。

そして、みんな、今までありがとうございました。

「追記・2」へ続く

合掌
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

〔おまけ〕今ここにある“生死”

2012-01-31 16:34:32 | 日記
「俺は、葬式をやるために坊さんになったんじゃない!」
と言っても無駄だ。

嫌でも、我々仏教僧侶が葬儀を司るのは、気が遠くなるほど長い歴史に裏付けられた伝統でもある。

そもそも、葬儀(葬送儀礼)は、生者が死者のために営むという基本構造をなしてはいるが、その社会的機能としては、死者に対していろいろな想いを懐く生者側の、哀しみや恐怖等々さまざまな精神的ストレスの緩和を促す目的が含まれる。

その意味で葬儀は、“生きている人のためのもの”でもあると言える。
死者のためでもあり、生者のためでもあるこの儀式は、もはや、死者と生者というふうに二分して考えるのではなく、ある意味生死を超えた“生死一如”の側面を備えている。

そしてその歴史もハンパじゃない。
最も古い埋葬の痕跡は、人類史上最古の時代である旧石器時代に既にあったという。近年発見されたその遺体には装飾がなされていたそうだ。
どのようなスタイルにせよ、今後も人類史から葬儀という儀式が消滅する事はないであろう。

さて、日本ではなぜ仏教僧が葬儀をお勤めするようになったのか。

まず第一に、仏教開祖釈尊も、道元禅師も、葬儀の導師はやらなかったにせよ、、釈尊は、生老病死の中でも、特に“死”について深くお考えになった。
そこに仏教の芽生えがある。
更に釈尊は、一説に、父スットーダナ王のお棺を自ら担ごうとした。これが仏教式葬儀の機縁であるという説もある。
また、道元禅師も「生を明らめ死を明らむるは仏家一大事の因縁なり」(生死の問題を明らかに会得する事が仏教者の一番の目的だ)と言っている。
これらを踏まえて、某書から次の文を引用したい。

「日本人はきわめて「呪術的」な宗教心を持っており、死者の霊魂が実在し、生者がそれに語りかけることができるという信念が強い。このような呪術的な宗教心は現代の日本人にも、依然として根強いものがある。一般人にとって最も恐ろしいものは病気と死であるが、古来から神道は「死穢シエ」といって、死人をけがれたものと見て、いみきらう。そのために死者の霊魂は神道では救われないのである。[中略]しかし仏教が日本に入ってきたとき、仏教僧は死の穢れケガレや悪霊にふれることを少しも怖れなかった。そしてかかる横死の人びとの死骸をねんごろにとむらい、読経をして悪霊をしずめ、死者の追善供養をなし、日本人の祖霊崇拝の信仰とも結びついて、人びとの不安をしずめたのである。」

こののち江戸時代から始まる檀家制度に至り、こうした経緯によって、日本では仏教式葬儀が一般的になったのだと思われる。

一方で、「葬儀に於いて僧侶が唱えるお経の内容は、死者のためのものではないじゃないか。生きている生者のためのお経ではないか。」というご批判を耳にする事があるが、先に書いた通り、葬儀は死者のためだけのものではない。
故人とともに生者も、葬儀に於いて、お経に触れる事に意義があるのだ。

更に言えば、お経は、生者が生きていくためだけを目的にした内容だとも言い切れない。

生と死を二分に分けた考えを超えたところを説いているお経こそ、信頼に値すると言えるだろう。

いずれにせよ我々の命は、数え切れないほど多くのご先祖さまの存在によって“今ここ”にある。
その事実に“気づき”、今ある命の尊さを実感し感謝する気持ちが少しでも芽生えたなら、葬儀を含めた供養という営みに、正面から向き合っても良いのではないか、と思うのだ。

以上、からっぽ禅蔵最終回後の、蛇足のような記事でしたw(笑)

もしかしたら、あともう1回位「蛇足的な記事」を書くかも(^^;)

合掌
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

―最終回です―

2012-01-04 21:47:37 | 日記
新年おめでとうございます。
皆さまにとって良い年でありますよう願っております。

さて、拙ブログ「からっぽ禅蔵」は、今回をもって終了します。
長い間ありがとうございました。

振り返れば、1年生の終わり頃からこのブログを書き始めて、2年生の夏休み中にタイで上座仏教僧侶として出家しました。
その体験は、2009年9月にブログにも詳しく書きました。
還俗して日本に帰国後、今度は日本の大乗仏教僧侶として出家し、現在に至ります。
大学では禅学の勉強と、伝統ある参禅部での部活動。
一方お寺では、僧侶としてのお勤めを実践的に学ばせていただいてきました。
これら全ては、周囲の方々のご指導、ご協力、お導き等々、様々なご縁によって可能になった事です。
本当に感謝しております。

そんな中で、1つだけ僕なりに恩返しの真似事もしました。
以前にも書きましたが、ある団体を通じて、タイ国の貧しい家の子を、3年間、現地中学校に通わせてあげるため、その学費を僕が全額負担しました。
つまり、学費の面で里親にならせていただいたのです。

いや、僕はお金持ちではありません。
僅かな金額で、現地の学校で勉強させてあげられるのです。

先に書いた通り、僕が最初に出家して僧侶になったのは日本ではなく、タイです。
タイでは現地の方々に大変お世話になりました。
特にチェンマイの村で托鉢した時に、とても生活に余裕などなさそうな村の方々が食べ物をくださって、僕の前に膝まづいて合掌なさっていました。
その信心深いお姿に心打たれました。
あの清らかで美しいお姿は今も眼に焼き付いています。
だから、どうしてもタイの貧しい家の誰かに、恩返しの真似事がしたかったのです。

さて、僕自身は、あと少しで大学を卒業して、僧堂に上山し修行してまいります。

下山後に再びブログを書くかどうかは未定です。

いずれにせよ、今まで拙ブログをお読みくださった方々には、心より感謝申し上げます。

皆さまの、ご多幸をお祈り申し上げ、最後のご挨拶とさせていただきます。

ありがとうございました。

からっぽ禅蔵 合掌


【※尚、特別な連絡事項等々が発生した場合は、今後も、このブログ内で記事の更新も有り得る。】
コメント (0) |  トラックバック (0) | 

仏祖の教え―禅の系譜から辿る―

2011-12-29 19:03:22 | 日記
釈迦牟尼仏
【師は答えた、「子のある者は子について憂い、また牛のある者は牛について憂う。実に人間の憂いは執着するもとのものである。執着するもとのもののない人は、憂うることがない。」(『ブッダのことば―スッタニパータ―』中村元訳)P17】
◆つまり釈尊は「執着を捨てろ」と示されている。悟りやら何やらを求める事に執着するべきではないと見ていい。

―[27代省略]―

菩提達磨(西天28祖、東土初祖)*西天とはインド、東土とは中国の事。
【心に、もし住(とどまる事、執着する事)が有れば即ち縄索(牛や馬が縄で引かれる様子)を免れず。心に所作の処有れば、即ち是れ繋縛(煩悩に束縛されて不自由な様子)なり。(達摩の『二入四行論』より)】
◆要するに“心”と認識した途端に、もうとどまっている。
「心がどうのこうの」というのは、既に不自由な“迷い”にとどまっている事に他ならないのだ。
「坐禅をして“心”が安らいだ」「坐禅をして“心”を高めよう」等々というのは、本来の坐禅とは全く違う事を、達磨が明言してくれている。

―[4代省略]―

大鑑慧能(東土6祖・六祖慧能)
【坐禅は元より心を看ミず、また浄を看ず、また不動を言わず。[中略]心を起こして浄を看れば、かえって“浄”という妄想を生ず。(『六祖壇経』より)】
◆慧能もこのようにハッキリと言っている。作為的にどうこうするのではない。あるがままに手をつけず、ほっとく事である。
また次のようにも言っている。
【一行三昧とは、一切の時中に於いて、行住坐臥(歩く、とどまる、座る、寝る)、常に直心を行ずる、是れなり。(『六祖壇経』より)】
◆つまり、坐禅だけでなく、日常の生活活動の全てに於いて、目的のための手段ではなく、今行なっている事に、全身全霊ぴったりと一致させておく事が肝心だと、慧能も言っているのである。
これは、現在の我が曹洞宗の教義とも一致している。

―[1代省略]―

石頭希遷
【諸聖(諸仏)の解脱(さとり)など求めない。(『景徳伝灯録』より)】

―[2代省略]―

洞山良价(曹洞宗の祖)
【仏向上(つまり仏のさとりに、とどまるべきではないと言っている)(『景徳伝灯録』より)】

そして、更に13代後に、我が永平道元禅師が出現する。
「眼横鼻直」この事実以外に「一毫も仏法なし」なのである。

尚、臨済宗さんの祖、臨済義玄禅師も次のように言っている。
「若モし人、仏を求むれば、是の人は仏を失す。若し人、道を求むれば、是の人は道を失す。若し人、祖を求むれば、是の人は祖を失す。」(『臨済録』入矢義高訳注、岩波文庫P138)

坐禅は、「仏やら、さとりやらを求めるものではない。」という事が、これでハッキリとご理解いただけた事だろう。

合掌

◆からっぽ禅蔵◆
禅 坐禅 仏教 宗教 元タイ上座仏教僧侶、現在日本の僧侶にして大学生の独り言

パンゲアの森
コメント (2) |  トラックバック (0) |