ゴルフィーライフ(New) ~ 龍と共にあれ

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自分なりのリベラルアーツを

2016年04月22日 | ツールとしての音楽

マーシャルアーツの話ではない。

現代のアメリカの大学では、” 音楽で学ぶ” リベラル・アーツ教育が盛んなのだという。
音楽そのものを学ぶだけではなく、音楽をとおして人間や世界をどう学ぶか。

” 芸術はあいまいさを受け入れ、創造的に考え、問いかけ、また挑戦することを教えてくれます。”

既成概念を打破し、既存の価値観や美意識にあらがいながら、人の感覚や知覚を大きく広げてきた芸術や音楽には、
社会に多様性や創造性をもたらす新しいフレームワークとしての役割が期待されているのだといいます。

”世界の難題に立ち向かうには、科学技術に加え、文化・政治・経済活動を営む人間そのものに対する理解が必要”。

人間が何千年もかけて受け継ぎ培ってきた知や情の集合体であり文化的資源である音楽を、今の私たちにどうやって活かしていくかを工夫する。

古代ギリシアでもっとも重要視されていた教育科目は、健全な肉体と魂を育む体育と音楽だったといいます。

なかでも肉体より魂に価値を置いたギリシア人にとって、音楽を学ぶことは最上であると考えられていた。

「音楽のリズムやハーモニーが魂の内奥まで入り込み、力強く引き締め、優雅さを授け、正しい魂の在り方へ導いてくれる」

現代社会では、科学技術への偏重や、経済的、あるいは社会的活動上の要請から、重視される教育が偏っているのだと思う。

体育と音楽はやっぱり、個々人の向上や覚醒、人間としての基礎や総合力、みたいなものを鍛えるうえでは今も最重要科目なのではあるまいか。

”音楽、文芸と体育とを最もうまく混ぜ合わせて、これを魂に差し向ける人”

ゴルフやピアノだけではない、呼吸法やボイス・トレーニングも併せて、

自分なりのリベラル・アーツに取り組んでみようと思うのです。

ゴルフだって、ピアノだって、誰かに認めてもらえるようなエクセレントなプレイヤーになろうとしているわけではない。

自分なりの修業を続けていたいのです。

“こういうことは誰の本にも書いてない。だから、自分の身体が習い覚えたことを、自分の言葉で語ってゆくほかないのである。”

(大切なのは、まず「身体を割る」ことなのだ。

 

 

東洋経済オンラインに面白い記事があったので引用します。(本物のリベラルアーツを日本人は知らない)

ここでのポイントは、欧米の学問体系は大きく2つに分かれていること。
ひとつは「アート、art」で、もうひとつは「サイエンス、science」である。
アートが日本でいう「文系」で、サイエンスが「理系」と考えてもいいが、その本質はまったく違う。

なぜなら、キリスト教世界に生きている欧米人にとって、
アートは「人間がつくったもの」のことを指し、その科目がアートだからだ。
美術、文学、音楽はもちろん、歴史、哲学もアートだ。

では、サイエンスは何かというと、「神がつくった世界=自然(ネイチャー)」を研究する科目だ。
このうち、化学や物理学を自然科学といい、経済学や心理学などを社会科学という。

ところが、日本では、各学科はこのような体系で分類されていない。
明治期以来、輸入されてきた学科が、文系、理系の違いを深く考えずに、継ぎはぎに されて存在するだけである。
だから「文学部心理学科」のような欧米の伝統的な学問体系に基づいたらありえないことが、日本では起こる。

アート=芸術の指す範囲は意外にも広く、
人が作った世界がアートであり、神が作った世界がサイエンスである、という説明になるほどと思いました。

理系・文系というのは日本独特の分け隔ての仕方らしいのですが、しっくりきません。違和感があります。
サイエンスとアートという分類の方が納得感がある。

『心は数学である』、理系と文系みたいな発想しか持てないようだと意味不明になってしまいますが、

アートとサイエンスの分け方でいくと、
心は、神の世界を掬い上げて表現するサイエンスとしての数学と同じ領域にあるということになります。

これは『心は自分ではない』にも通じる考え方、(★★『心は自分ではない』★★)

自分ではない、ネイチャーとしての心と、自分で選び取ったアートとしての心を分けて考えてみると、
ネイチャーとしての心は、神の領域の出来事であって、混沌(カオス)の状態があたりまえ。
人知でどうにかなるものでもない。そのカオスから何を選択していくかが大切。

さわやかに晴れ渡ったアルファの心の状態であることがたとえ1%であっても、
濁ってぐちょぐちょした曇天なベータの心の状態でいることが99%を占めていようとも、
1%のアルファの方が本来の自分だと捉えてみる。
時間の長さの問題ではない。

自分自身が機能しやすい状態とはどんな状態か、これが本来の自分だったらいいな、の方に信頼を置く。
「心の状態」(コンディション)と、「自分」を明確に区別する。

( ↓ )  サイエンス&アート的 自由七科 リベラルアーツの歌って感じ。

What a wonderful world - James Taylor, Simon & Garfunkel W/ Lyrics

同じアルバム「ウォーターマーク」に入ってたこっちの曲の方が好きだったなぁと探してみたらあった,Someone else。
これからの夏の夕方、ゆっくりした宵に似合いそうな曲。

Art Garfunkel Someone Else 1977

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