ビジネスホテルの旅

5000円以下のビジネスホテルをまわる旅です。

みかんと共に流れた恋 完結編

2007年10月23日 11時29分27秒 | 大曽根の夕日

T八百屋さんからあの話(みかんと共に流れた恋1 みかんと共に流れた恋2)はどうなったのかと言われて
再び書いてみる気になりました。
(食事中の方はご遠慮ください)

下痢はまるでひいては寄せる波のようです。
「もうだめだ!」
あきらめかけた時、スッーと苦しみが引いていきました。
「よし!この時だ」
私は信号を急いで渡りダイエーの中を駆け抜け
地下への階段をくだりました。
トイレが見えました。しかし、信じられない文字も飛び込んできました。

「清掃中」

トイレの前は青いシャツを着たおばちゃん達が忙しそうに掃除をしていました。
「うわ~」
心の中で悲鳴を上げましたが、過去の経験というのは大事です。
東京での数々の下痢歴が私を強くしていました。
「すみませ~ん!!!」
おばちゃん達を強行突破しトイレのドアをバタンと締めました。
「ふっ~う 助かった!」
それからの事は詳しく書くのは止めましょう。
(聞きたい方がおりましたらメールください)
みかんの恐ろしさをいやという程
味わいました。遠慮の無い外のおばちゃん達からは
「臭いよ!早く流せ!!!」
それほどひどい匂いでした。
体中がその匂いに包まれるのを感じました。


すっかり落ち込んだ私は、
隠れるようにトイレを後にし、下原行きのバスに乗りました。
バスに乗るひとは少なく、誰もいない一番後ろの席に座りました。
匂い対策に窓を開け、これなら何とかみんなに気づかれずに帰れそうでした。
バスの発車の時間が近づき何気なく外を見ると
白いコートをひるがえし駆けて来る可愛い女の子がいました。
「Rちゃんだ~」
私の初恋のRちゃんでした。
久しぶりに見るRちゃんは聖子ちゃんカットで決めて
ますます可愛くなっていました。
「まずい、こ、こっちへ来るな~!!!」
飯塚町に住むRちゃんは同じバスなのです。
バスに間に合ったRちゃんは肩で大きく息をし、バスの階段をのぼり
こちらの方を見ました。そして、私を見つけにこっと笑いました。
「来るな~!!!!!!!!!!!!!」
「なんでこんな時に会うんだろう。」
自分の不幸を呪いました。
ニコニコしながら近づいてくるRちゃん。
私との距離が1メートルを程になった時、Rちゃんの表情が曇り
あたりを見廻し、再び私のほうを見たときには
Rちゃんはすべてを悟っておりました。

一番後ろの席に私から1メートルほど離れて座ったRちゃん。
無言の時が流れていきました。
長い長い時間でした。


精米所前で降りた私は、吉田ふとん屋の坂を歩いて行きました。
ふとん屋さんの家に夕日があたりあかく染まっていました。
涙が,次々と頬を伝い流れ落ちて
拭いても拭いてもあふれ出てきました。
KYU二十歳の冬の事でした。

※みかんの食い過ぎには注意しましょう。

 



 


みかんと共に流れた恋 2

2006年12月31日 16時04分20秒 | 大曽根の夕日

みかんと共に流れた恋 2

次の日、起きると手が黄色くなっていました。
鏡の前に行くと顔まで黄色っぽくなっていたのです。
みかんの食べすぎが顔まで変色させたのでしょうか?
「まさか!気のせいでしょう!」
その日は山形駅前東急INの地下のお好み焼き屋でバイトがあったので
気にせず出かけることにしました。

無事バイトも終わり帰りのバスに乗るためにバスの発着所のある
ダイエー山交ビルへと急ぎました。そして
東急INの地下から階段を上りかけたその時
急に腹に痛みを感じました。とんでもない痛みです。
腹の中で何かが暴れ出したみたいにそれはやって来たのです。
なるべく振動しないようにゆっくり階段を上りました。
のぼりつめた頃、潮が引くように痛みが和らぎました。
「よしこれならダイエー地下のトイレまで大丈夫」
小走りで道を急ぎます。
「あ、あの信号を渡ればトイレはもうすぐだ。
するとまた波が押し寄せてきました。
さっきよりすごさを増しています。
「うわ~もうだめだ!」
「人前で脱糞してしまうのか?!!!!!!!!!!」
「き、昨日のみかんだ!!」
脂汗をにじませながらボ~っとする頭で考えました。
人々は早足で交差点を行き交います。
私は進む事さえできず腹をおさえていました。

さらなる悲劇は来年へ GO!


みかんと共に流れた恋

2006年12月27日 23時13分28秒 | 大曽根の夕日

年末から年始にかけて大曽根の夕日シリーズを2つおおくりします。
年末は別のホームページに載せていてあまりの不評に削除した懺悔シリーズの完結編 ゜みかんと共に流れた恋゜ 
年始は大曽根餅つき保存会会長と作った秘密基地での出来事゜秘密基地の夜゜です。



みかんと共に流れた恋 1

毎年、年末が近づくと神奈川の友達T君がみかんを送ってくれます。
そのみかんを食べるたびに思い出すことがあります。

 30年程前のことです。東京の大学へ行っていた私は、冬休みということで山形に帰省していました。貧乏学生でろくな物を食っていなかったので、ここぞとばかりに食べまくる毎日でした。そこへ大学の友人、T君がみかんを送ってきてくれました。T君の家は湯河原でみかん農家をしているのです。
 箱をあけてみると、不恰好ながらおいしそうなみかんがぎっしりと詰まっていました。1つとって食べてみると、新鮮なみかんの果汁が口いっぱいにあふれました。酸味と甘さのバランスが絶妙でした。今まで味わった事の無いおいしさなのです。
「さすが新鮮でうまいなっす!!」
こたつの中でテレビを見ながら、1つ2つ・・・と食べつづけました。何個食べても飽きない味でした。そのために起こる不幸な出来事をまだ知らずに私は食べつづけたのです。
 ドラマを見終わる1時間程の間に箱の半分ほどのみかんはなくなっていました。

とんでもない不幸へと続く

 



 


大曽根の夕日 3 テッパあり 3-4 完結編

2006年04月27日 11時14分24秒 | 大曽根の夕日
3-4 完結編

H君の言葉に驚きました。テッパというのはパッタを振り下ろす時に、間違って手が当たってしまう反則の技なのです。今まで”テッパあり”でパッタをした事などありません。この辺でしたという話も聞いた事がありません。少し躊躇しましたが、なにしろ20枚以上の差があります。少しのハンデをあげてもいいだろうとOKしました。これが間違いでした。

H君のテッパの技はすばらしく(手で出しているだけなのだが)
俺は、またたく間に儲けた分を使い果たし、2階の自分の部屋へパッタをとりに何度も駆け上がりました。

大人になってこれと同じ感覚を何度も味わいました。パチンコとマージャンです。
とくにパチンコはあと千円すれば・・・と
気づいた時には、すっからかんになっています。

5回ほど部屋へ駆け上がり70枚ほどとられた所で
これはかなわないと気づきました。
完敗でした。
H君はあちこちのポケットを膨らませ勝ち誇ったような笑みを浮かべ
帰っていきました。

その夜は、悔しくて悔しくて眠れずどうしたらリベンジ出来るのかと考えました。
「そうだ!反則には反則しかない!50万パを持っていこう!」
50万パとは、直径30㌢もある丸いパッタで
裏には何故か50万と書いてあるのです。
「ようし!取り返してやる」

次の日、H君が主戦場にしている”ずどさま”へかあちゃんの自転車を借り
籠に50万パを入れ、横乗り(注1)して急ぎました。
いました。相変わらず袖口をテカテカにしたH君。昨日の悔しさがよみがえります。
「パッタすっべ!」
俺は気負う自分を抑えながら言いました。
そんな俺を見つけたH君は仲間とパッタを続けながら言いました。
「だいわんパ(注2)禁止!50万パ禁止!!!」
仲間も一緒にはやし立てます。
「だいわんパ禁止!50万パ禁止!!!」

H君の処世術は一枚上手でした。
俺はすごすごと自転車を引いて帰りました。

大曽根の夕日 3 テッパあり 終わり


注1 横乗り・・・小さい子供が大人の婦人車を乗る方法。              パイプとパイプの間に片足を入れ、サドルには腰をかけないでペダル踏みます。 
注2 だいわんパ・・・直径が20㌢以上もある丸いパッタの総称。裏にかい               てある数字によって10万パ、30万パ、50万パなどがある。