鉄ちゃん爺やの 独り言

鉄ちゃん爺やは大阪に住んでますので
画像で隠れた関西の名所も紹介します。

奈良 藤原京跡 & コスモス畑を訪ねて

2016-10-23 19:54:40 | デジカメ散歩
橿原市(かしはらし)の藤原京跡のコスモス畑が
見頃を迎えたとのことで、出かけてきましたで。

橿原市は人口約12万4千人で県の中部に在ります
人口では県庁所在地の奈良市に次ぐ第二の都市でっせ。

橿原市の中央を近畿日本鉄道が交差してますんや。

その交差点になる駅が大和・八木駅と言いますんや。

(近鉄 大和・八木駅前の風景)




JRも走ってまっけど、奈良県は近鉄王国でっしゃろな。

何せ全国で、JRの特急列車が走って無いのは奈良県だけですわ。

勿論、近鉄は大阪市や京都市や名古屋市や伊勢市などを結び
特急電車が頻繁に走っているので、ご安心くださいね。

(近鉄 大和・八木駅 駅名標)


ここはノンストップ特急の名古屋行きを除き
全ての電車が停車する、重要な駅なんですわ。

ここで普通電車に乗り換えて一駅だけ東の方へ。

藤原京跡へ行くのには4つぐらいの駅がおますんやけど
今回は初めての「耳成駅=みみなしえき」にしまひょ。

(近鉄 耳成駅 駅名標)


(大和三山の一つ 耳成山=みみなしやま)(標高140m)


この駅の北西側に大和三山の一つで耳成山がおますんや。

その名前を拝借したようで、鉄ちゃん爺やが下車したのは
今回が初めて、ここから南へ30分ほど歩きまっせ。

(観光案内の標識)


しばらく歩くと視界が開け、次の大和三山が見えてきましたで。

この畝傍山の麓に神武天皇の御陵が在るんですわ。

伝説と考えられますが、九州からやってきた神武天皇が
初めて大和(やまと)の南部を統治したとされてますかな。

そんな訳で、日本建国の都市と称しているのが橿原市でっせ。

(大和三山の一つ 畝傍山=うねびやま)(標高199m)


(神武天皇陵)




畝傍山は大和三山では一番高いけど、それでも200m足らず
数千万年前には、海だった奈良盆地の海底火山が噴火して出来た
現在では死火山だとの説が有力のようでんな。

大和三山の最後の一つ、香久山(かぐやま)も紹介しまひょ。

(大和三山の一つ 香久山=かぐやま) (標高152m)




(橿原市の 観光地図)


大和三山に囲まれた香久山に近い辺りに造られたのが
「藤原京」で西暦694年のことだとされてますんや。

1km四方の都だったとの調査結果が出てますかな。

(藤原京跡の 標識)




西暦711年には新しい奈良の平城京が造営されて
「藤原京」の建物は全て、平城京の建設に使用されたとか。

そんな訳で、現在は地中に埋もれた遺物の他は
「藤原京跡」には、なに一つ残ってまへんのや。

たった16年間の新しい都が、何故に平城京へ急に
移動する必要が有ったのかは、定かではないとのこと。

(藤原京跡の コスモス畑)










(コスモス畑と 畝傍山=うねびやま)


此処から畝傍山まで歩いても1時間ぐらいでっかな。

反対側を見渡したら、こちらは香久山(かぐやま)でんな

こちらは藤原京跡から歩いて30分もかかりまへんで。

(コスモス畑と 香久山を背景に 自撮り)


風が強い日でしたのでマクロで接写してみまひょ。

コスモスが揺れて、撮影が巧くいきまへんがな。

何もない3万平方メーターの広場に、コスモスが
約300万本も植えられているんだって。

奈良県でも有名なコスモスの名所になりつつあるとか?

(藤原京跡の コスモスを接写)






(八重コスモス ダブルクリックという名前)




八重のコスモスは珍しいと思いまへか?

鉄ちゃん爺やは初めて見たような気がしまんねん。

品種改良でコスモスも色んな種類がおますんやな。











(藤原京跡 建物が在った場所)


(コスモスの奥で低い山が 香久山)






(持統天皇の和歌 万葉集から)




この藤原京から香久山を見て詠まれたんでしょうな。

小倉百人一首にも、少し読み方を変えて第2番目に
登場するんで、ご存じの方も多いと思いまっけど。

少し足を延ばして、藤原京跡資料室に立ち寄って行きまひょ。

観覧無料の文字が見えたので入館することにしたんですわ。

(奈良文化財研究所 藤原京跡資料室)






(藤原京跡 資料室 展示品から)


当時の貴族や役人から庶民までの食事の模型がおまっせ。

興味があったのでデジカメで写してみましたんや。

(藤原京時代の 貴族の食事)




(藤原京時代の 役人クラスの食事)


(藤原京時代の 庶民の粗末な食事)


(藤原京跡から 出土した遺物)






(藤原京時代の 女性の服装)


(藤原京跡から 出土した木簡)


(おふさ観音の標識)


(おふさ観音の 山門)


ここから帰路はJR畝傍駅へ向けて歩くことにしまひょ。

途中に「おふさ観音」というお寺がおますんやけど
本堂が工事中なので今回はスルーしました。

ここのバラの花と、夏の風鈴祭りが有名なんですよ。

(橿原市の マンホールの蓋)


中央のマークは神武天皇が大和入りをされた際に
弓に止まった鳶(とんび)から金鵄(きんし)と呼び
現在では橿原市の市章となっているそうですわ。

(JR畝傍駅 駅舎)






(JR畝傍駅 構内)


現在は2両連結の電車が1時間に1本~2本しか走らない
ローカル線で、JR桜井線と言いますんや。

構内はSLが走っていた頃の大きなホームが残ってまっせ。

しかも、戦前は天皇陛下や皇族方が神武天皇陵に参拝される
駅として貴賓室まである重要な駅になっていたんだって。

(JR畝傍駅 貴賓室への通路)


(JR畝傍駅 貴賓室の出入り口)


(JR畝傍駅前の 橿原神宮の石碑)


戦後になって近畿日本鉄道さんが神武天皇陵に近い処に
畝傍御陵前駅を開業したんですわ。

そんな訳で、最近は天皇陛下や皇族方も近鉄特急で
畝傍御陵前駅から参拝されるようになったそうですわ。

だから、JR畝傍駅は登録文化財として保存するように
なったとか聞いてまんねん。

(近鉄 畝傍御陵前駅 駅名標)


長くなりますんで今日はこれでお仕舞にしまひょ。

次回は久しぶりの神戸市のデジカメ散歩を紹介しまっさ。

ほんなら、これで、さいなら~🎵

コメント (17)
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