栗野的視点(Kurino's viewpoint)

中小企業の活性化をテーマに講演・取材・執筆を続けている栗野 良の経営・流通・社会・ベンチャー評論。

公共交通について考える~地方を切り捨てるJR(4)

2022-10-24 15:00:32 | 視点

路線廃止の前に発想の転換を

 地方の人口減少、街の構造変化により、鉄道が果たす役割はある部分で終わったとも言える。

大量輸送の時代から中量・少量輸送に変化し、JR自体もコンパクトな体制に変化すべき時だろう。

常に大量輸送を念頭に置き赤字の一部負担を地方自治体に求める体質は改めるべきだ。

 では輸送手段としての鉄道の役割は終わり、赤字区間は廃止にすべきかと言えばそうではないだろう。

輸送を人員から貨物へと変換し、貨物輸送の比率をもっと増えすべきだと思うがいかがか。

 少貨物輸送は現在、トラック中心だが環境問題の観点からしても鉄道の方がいい。

貨物輸送と言えばコンテナ等を積んだ20両編成かそれ以上の車両による大量輸送をすでに実施していると

言うかもしれないが、それはそれとして残しつつ、新たに中量・少量輸送を開始すればいいではないか。

 現在の運行車両に少量貨物も載せ、「人+貨物」輸送車両として運行する。

人と貨物の比率はどちらが多くてもいいだろう。

人と貨物の混在車両というジャンルを新たに創出すれば「地域の足」としての役割部分も多少は残せる。

 駅から先の輸送は運送業者に任せれば、彼らの仕事を奪うことにもならないだろう。

 もう1つは観光・イベント列車への移行である。

観光=豪華列車という発想は止めるべきだ。

豪華列車でなくても観光はできるし、工夫・企画次第で楽しくユニークな観光はいくらでもできる。

 速く走らせればいいわけではない。むしろ鈍行列車か快速列車程度の方がいい。

 イベント列車と言えば夏はビア列車、秋はワイン列車というのもいいだろうが、

もっと地方と連携し、地域おこしに繋がるイベント・観光列車を走らせるべきだ。

 例えば姫新線・智頭急行線の停車駅に佐用駅(兵庫県佐用町)がある。

佐用町は休耕田を利用したひまわり畑が有名だ。

ひまわり畑と言えばソフィア・ローレンの「ひまわり」を思い出す人も多いだろう、特に今年は。

あの映画の舞台がウクライナだっただけに。

 ラストシーンで映し出された、どこまでも広がるひまわり畑。

悲しいラストシーンにもかかわらず、あまりにも美しいひまわり畑に惹きつけられた人は多いと思う。

そして今、舞台も同じウクライナ。

時代を超えて重なりすぎている部分が多いだけに、今夏は佐用町のひまわり畑を観に来る人は

例年以上になりそうな予感がする。

 元々、佐用町のひまわり畑は有名でバスツアーにも組み込まれているし、撮影旅行で来る団体もある。

そして期間中の週末は佐用駅からひまわり畑までシャトルバスも運行されている。

  また智頭急行駅でもある上郡駅は町内に「かみごおりさくら園」という桜の名所がある。

ここは3月中旬から4月下旬にかけて大寒桜、河津桜、小松乙女、思川、越の彼岸、鬱金桜、

八重桜の関山(カンザン)などの桜が次々に咲く桜の名所だが、その割には知られていない隠れた名所

 桜の季節には「かみごおりさくら園に桜を見に行こう」と謳ったキャンペーンを行えば多くの観光客が訪れると思う。

上郡駅から車で4分。歩いても30分で行ける。

 今は自然が集客に繋がるし、自然を上手に利用すれば集客できる時代に変わっているのだ。

それも人工的に作られた自然ではなく、できるだけ素に近い自然が求められている。

 実は地方(ローカル)にはこうした宝が豊富に存在しているのだが、地方にいる人達は見慣れた景色故に、

それが宝だとは気づいていない部分がある。

また、気づいても、もうひと工夫が足りない。

ただ単に観光客が来るだけでは地域に経済的な影響はない。

逆に道路の渋滞やゴミといったマイナス面の影響はあるだろうが。

 例えば伯備線のJR美袋(みなぎ)駅

今回発表の17路線30区間には含まれてはいないが、利用者が多いとは思えないローカル線の駅だが、

この駅では素晴らしいものに出合える。

 春になれば駅舎の両側にウコン桜と御衣黄(ぎょいこう)桜が咲くのだ。

ともに桜の一種だが、この桜の花は桜色をしていない。

ウコン桜は漢字で書けば「鬱金桜」となる。

そう黄色をした鬱金のような色の花が咲くことからウコン桜と命名されている。

 一方の御衣黄桜は「緑色の桜」として知られ、花は八重で緑色をしている珍しい桜だ。

ウコン桜と御衣黄桜が1箇所で、それも駅舎の両サイドに咲いているのを同時に見られるわけで、

こんな駅は他にはない。

私的なことだが、私はそのことを知り、わざわざ出かけたぐらいで、写真好きにはたまらない場所だろう。

もちろん列車と桜の写真も撮れる。

 こんな素敵な駅を放っておく手はない。

桜の季節に「ウコン・御衣黄列車」を走らせれば十分、人を呼べる。

 ただ、駅前には食事処等の休憩施設がないので週末だけ、臨時に設置したり、

道の駅を開設すれば地域の活性化にも繋がる。

 近年、「道の駅」は人気で、それを目当てに行くドライバーが増えている。

なにも「道の駅」を車にだけ使わせる必要はない。

駅と「道の駅」。シャレではないがローカル線の駅には無人駅が多い。

「道の駅」とコラボして「駅に買い物に行こう」と打ち出せば利用客も増え、地域も活性化するのではないか。

 自然を売りにできる地域は山陰側には結構多い。

そいう所を発掘し、ローカル路線でゆっくり巡る旅の企画を作ってみてはどうか。

 「赤字だから廃線にする」と言う前にJRはもっと知恵を絞るべきではないか。

 


公共交通について考える~地方を切り捨てるJR(3)

2022-10-24 12:13:19 | 視点

ローカル線切り捨てと豪華列車

 腑に落ちない最大の理由は先にも述べたが、一部路線の発表だけに留まっている点だ。

全路線の収支を発表せずに17路線だけの発表だと、その他の路線は黒字なのか、それとも

他にも赤字路線があるのか分からない。

もし後者だとすれば、なぜ17路線だけを槍玉に挙げるのか。不公平ではないか。

なにかを隠しているのかと勘ぐられても仕方ない。

 2番めの理由はJR九州の「成功」を見て、各社とも豪華列車の製造・運行を行っているが、

その収支も発表すべきだろう。

特に知りたいのは豪華列車製造にかかった全経費とチケットの売り上げである。

 JR九州は豪華列車の予約は数年先まで埋まっていると、しきりに好調さをPRしているが

実際のところ収支はどうなっているのか。

 そこに車両製造・デザインコストは含まれているのか。デザイン料は見合ったものなのか。

内装材料等にはかなり高価なものが使われているだけに、収支はぜひ明らかにしてもらいものだ。

 原発コストの時は建設コストや使用済み燃料の最終処分費用を低く見積もっていたりしたが、

それと同じような試算方法が取られていないか。

 それらのことをチェックした上で、豪華列車が収益にプラスになっているのか、

いないのかを明らかにして欲しい。

 もし、豪華列車の運行が収益にプラスどころかマイナスならば即刻取り止め、

その分を赤字路線の改善に回すべきだろう。

 昨今のJR各社は公共交通としての使命、役割を放棄し、自社の利益追求のみに走っているように見える。

その典型が駅施設で、ローカル路線は無人化し、駅施設を地方自治体に「押し付け」る一方、

京都駅や博多駅などの主要駅は再開発し賑わいの場へと変えている。

 といっても駅への囲い込みを行っただけで、再開発前には「駅周辺地域の活性化」とか

「地域の回遊性を高める」などと尤もらしいことを唱え、周辺地域と再開発協議会などをつくり

協議を重ねるものの、それらは官僚がよくやる「アリバイ作り」みたいなもの。

いざ完成してみると、回遊性は駅施設内だけで、周辺地域へ人が流れるどころか

逆に人が巨大な駅施設に吸い込まれ、周辺地区は潤うどころか逆に寂れて行っている。

 駅が巨大なブラックホールと化し、周辺地域だけではなく沿線都市からも貪欲に客を吸い込み

駅施設外に出さないから博多駅や京都駅などの大都市の中心駅施設のみが賑わう1極集中が進んでいる。

まさに「一将功成りて万骨枯る」だ。

 こう言えばデジャブー(既視感)を覚える人もいるだろう。

そう、郊外に大型ショッピングセンターが建設され駅前をはじめてとした地元商店街が

次から次に客を奪われシャッター通りと化した当時を。

 JRとは一体何者だろう。

ある時は公共交通機関の顔をし、ある時は不動産屋の顔をし、またある時は商社の顔を見せる。

しかも、その時々で変面ショーのように見せる顔をクルリと変える。

一体どれが本当の顔なのか。

 鉄道輸送は赤字だと言いながら、その一方で「儲かりそう」と見れば何にでも手を出す。

ホテルにコンビニに飲食店。果てはドラッグストアにまで手を出したが、悲しいかな、いずれも武士の商法。

どれもこれもうまくいったという話は聞かないし、ホテル以外は大抵撤退している。

 大体、本業で知恵を絞らない会社が他分野に手を出してうまくいった例は少ない。

 赤字路線の廃止を言う前に、責任を取ってトップが辞任するなり給与を返上するなりをしてみたらどうだ。

それもせず湯水のように金を使って豪華列車を造り運行してみたり、高給を取っていることに

痛みを感じないのだろうか。

 


地方を切り捨てるJR~公共交通について考える(2)

2022-10-01 09:29:03 | 視点

地方へ赤字を押し付けるJRの体質

 JR各社が行ってきたのは地方への押し付けである。

利用者減は地域過疎化による利用者減で、それはJRの責任ではなく地方自治体の責任という論理だ。

故に赤字路線は地方自治体で第3セクターによる会社を設立し運行してください、と言う。

 これって何かおかしくない? 

こういう時だけ民間企業の論理を出してくる。

公共交通としての使命や役割の意識は微塵もないとは言わないが、希薄ではないか。

 彼らは鉄道の使命は「大量輸送」だと言う。

だが、時代は変わり鉄道の使命は「大量輸送」だけではなくなっている。

「大量輸送」が必要とされているのは東京などの都心部だけで、地方都市は中心部であっても

「大量輸送」が絶対条件ではなくなり、むしろ「中量輸送」に変わってきている。

 当然、JR各社もその認識はあるが故に、近年、脱鉄道に動き、不動産事業その他を始めるなど

儲かりそうなものには何にでも手を出し、社内から「商社化している」と言う声さえ聞かれる程だ。

 ここで問題にしたいのは脱鉄道の動きを加速させる中で公共交通機関としての役割について

真剣に検討してこなかったのではないかということだ。

ローカル赤字路線を切り捨て、沿線自治体に押し付けてるだけで、自らの責任に対する自覚と危機意識が

希薄だったと言わざるを得ない。

 それを今になって「被害者意識」で経営危機を言い出すから腑に落ちないのだ。

 次に17路線30区間のみ「収支」を発表した点。

他の路線の収支も発表すべきではないか。全体で赤字と言うが、黒字路線はどこなのか、

他にも赤字路線はあるのかないのか。鉄道事業以外の収支はどうなっているのかも併せて発表しなければ、

今後の検討も出来ないだろうし、沿線自治体の理解も得られないと思うが。

鉄道利用者減に街の変化も影響

 車社会になり交通体系が変わってきたのは間違いない。

街・町の構造が変わり、駅前はどこも賑わい地・中心地ではなくなっている。

そのことが鉄道利用者数の減少にも繋がっている。

となれば今後も鉄道の利用者数が回復することは望めないだろう。

 例えば岡山県美作市を通っている鉄道は兵庫県姫路と岡山県新見(にいみ)を結ぶ姫新(きしん)線で、

同路線の輸送密度は1119人。

「実質的な廃止基準」である2,000人を下回ってはいるが、それでもかろうじて4桁の数字を維持している。

 しかし、今後も4桁の数字で推移する可能性は低い。美作市内の高校は林野高校1校で、

隣接地域の勝間田高校を含めても2校。

ところが両校とも生徒数減少に悩まされ、最近では両校の合併話も取り沙汰されていると聞く。

 生徒数の減少はJRの利用者減にほぼ直結する。

それはローカル線のダイヤを見れば明らかで、生徒の通学時間帯に合わせて運行時間帯・本数が決まっており、

それ以外の時間は2時間に1本あるかないか。

全国のローカル線の運行状態は似たようなものだろう。

 要は通学生の定期券購入がJRの路線区間を支えているようなものだが、学校が駅の近くにあるとことは

少なく、上記の林野高校でもJR駅からバスか30分近く歩くかしかない。

通学生にとっても鉄道はそれほど利用しやすい乗り物ではないのだ。

となると学校側はスクールバスの導入を考えざるを得ないだろうし、すでにそうしている学校もあるだろう。

 問題は路線区間の廃止が地域住民の生活に与える不便さだが、極端な影響はないように見受けられる。

というのは高校は駅から離れているところがほとんどだし、スーパーやホームセンター、

家電量販店も駅から離れたロードサイドで、そこには高速バスその他が乗り入れているからバス利用ができる。

 運行本数の問題がある地域はバス運行会社と本数、路線の問題を検討すれば解決できない話ではないだろうし、

すでにコミュニティバスや地域共同バスという形態で運行している地域もある。

 地方の人口減少だけでなく街・町の構造が変わり、全国的に見ても駅前がかつてのような賑わいの場所、

中心地ではなくなっている以上、鉄道に「地域の足」としての役割を求め続けるべきではないかもしれない。

 今回「鉄道のあり方」を抜本的に考え直す時期だろうとは思うが、JRの「赤字路線の廃止」という

「方向」には即座に賛成しかねるし、JRの発表が腑に落ちない部分がある。