山荘雑記  

 定年退職後 信州白馬の里山に小さな丸太小屋を建て、
その生活の様子や山や旅の思い出など、気ままに書き綴っています。

爺さん婆さんの山下り   強風の御在所岳

2013年04月23日 | 山登り


 一昨日またもや年寄りばかりで登山した、と言っても登りはロープウエイで、歩いたのは山上駅から山頂までのわずかな距離、数分だけ。しかし、これが大変だった。予想外の冷たい強風に帽子が飛ばされ、身体がふらつく。ゆっくり昼食をとることもできず、早々に切り上げ、すぐさま下山開始、国見峠に向かう。峠を過ぎればウソのように風がなくなった。今流行の変なスタイルをしたヤマガールたちのグループと出会う。女子校ではトレパンの上にスカートを履く変なスタイルを禁止じていたが。
沢山ある登山コースの中で最もポピュラーな裏道を下るが、情報通り5年前の台風で登山道が土石流で崩され、藤内小屋直ぐ近くまで流されてきた岩で埋まる沢筋を下る。視野が欠ける緑内障で岩と岩の段差と境がはっきり見えず苦労するが、何とか明るい内に無事出発点のロープウエイ駅に着いた。
 下山後は旅館の温泉で汗を流し、ロープウエイで先に下山した会員も合流、総勢13名の待望の宴会。どのグループでの山行でも同じだが、目的は山よりむしろこちらの方に心の占める比重が大きい気もする。現役時代かなり硬派だった自分の変わりように我ながら驚く。学生時代から続くこの会ではたいていの集まりで自分が最古の先輩であるが、今回は自分より1年先輩、すなわちこの会の創設者の会員が2名も参加され、平均年齢も70歳と上がった。中でも造園業を営むM氏など、とても80歳近いとは思えないほど身が軽く、若い会員に劣らない悪場の動きに脱帽した。また高齢女性のKさんも、荒れた道を難なく通過し、とても60台後半の女性とは思えなかった。
3年後に会は創立60周年を迎えるが、これらの元気な高齢現役会員の姿を見ると、早く亡くなった会員たちの分まで生き、70、80周年を見たいという欲望が湧いてきた。




山小屋のライフを支えるパイプライン

2013年04月17日 | 小屋生活


山小屋での生活を支えているのは、まさしく水源からパイプのラインを通じて流れてくる水で、これが止まると生活の魅力が半減する。小屋より少し上の裏の杉林に大型タンクを設置し、前より口径を大きくしたパイプを接続した結果、すでに1年以上、年中間断なく冷たい水が流れ続けている。水は300Lのタンクを満杯にし、タンク下部の「亭」と「山荘」用の2か所の排水口から流出しつつ、最上部の排水口からオーバーフローし、それを入浴用に浴槽に貯めている。この時期、水は雪解け水を含み手をつけていられない程冷たい。
 風呂焚きで時々失敗するのは湧き上がる時間がその日の気温、水の温度や量、焚き木の質や燃え具合などで差が出ることである。時々手を浴槽に入れで沸き上がり具合を確かめるのだが、たまに沸いたと思い浴槽に浸かると底がまだ水で、焚口で薪をくべてもらえる人もなく、出るに出られず水風呂の中で震えていることもある。その自作浴槽も4年経ち最近水漏れが起こり出してきた。
 風呂より工夫を強いられたのは毎日使うトイレで、自分流に考案して製作したバイオトイレが予想外にうまく働いている。小屋が出来て最初に作ったのは懐かしい地下浸透式のいわゆる「ポットン便所」で、処理法に抵抗があった。現在のは、2mの高低差を利用し上部のトイレに太い塩ビ管を接着し、長い管を斜めに土中に埋め、底に大型ポリ容器を接続、勢いよく水で流す’堀田流水洗トイレ’である。ポリ容器内には多量のモミガラと発酵促進剤を入れ、水分は容器にいくつか小さい穴を開け排出させている。
 高温、乾燥という発酵の条件に欠けるが、今回製作後初めて蓋を開けると、やや水分を含んでいるも、真っ黒に堆肥化していて、臭いも全くない。自宅で使っている生ゴミ処理の家庭用コンポストの原理が十分通用することが分かった。山小屋などでまだ垂れ流しによる環境汚染が問題になっている中、自分の努力で少しでもそれを防げたことが何よりもうれしい。






東山へのトレッキングルート探査

2013年04月16日 | 山登り

        林道の真ん中に飛び出た三角点


峰方の花園集落から頂上近くまで林道が通じ、山の様子ががらりと変わってから以前ほど足繁く東山に通うことはなくなった。山は丸坊主にされ展望はよくなったが、やはり自分には、以前の広葉樹が茂る樹林の山の方が魅かれる。
 好天の日を選んで、白沢峠から入山、通い慣れたルートを辿り難なく白馬トレースの連絡箱へ。この時期の積雪量は年により差がある。念のためワッパを携え、ゴム長を履き、腰にクマ除けのカウベルを括り付けガランガラン鳴らしながら進む。地元のK君はホイッスルの方が効目がよいと奨めるが、ピーピーはどうも味気なく遠慮する。
 ルートにはほとんど雪なく、クマザサがすでに夏並みに茂り、踏み跡もなく、またもや東山と峰方への分岐点を見つけるのに時間をとる。ここから急な下りになるが、倒れたクマザサに湿った枯葉が乗り滑りやすく、尻制動で下ったが下に着くと腰のカウベルが無くなっていた。スイスへ行った時、グリンデルバルトで買った記念品である。
 間もなく視界が開け、花園からの林道と合流する地点に出た。白沢峠から約3時間、今回の目的はこの合流地点を確認することであった。復路はまたあのクマザサと格闘する気が起こらず、林道を花園集落に下る楽な道を選ぶ。峰方を通り国道を約1時間歩き、堀田の小屋に帰り着いた時、さすがに峠に置いた軽四トラックを取りに戻る元気なく翌朝に回すことにした。この日の行動約6時間半。クマどころか人ひとり会わない静かなトレッキングだった。




早春の丸太小屋生活

2013年04月15日 | 小屋生活


月初めから約半月、早春の小屋生活を楽しんできた。着いた時,屋根の下に溜まっていた大量の雪も滞在中にほとんど消えた。残雪の融けたあとに黄色い新芽のフキノトウが次々と芽を出し、湯がいて酢味噌で食すると美味く、渋みの味に山の春を感ずる。小屋近くの峰方沢源流一帯に咲く福寿草の群生が有名になり、多くの人がカメラを携えやって来る。近くここで「福寿草まつり」をするとNHKが放送していた。
地面に直接咲く草花に対し、細い幹の若木はやはり雪に弱い。何度も倒れながらも5年以上も育ち,小さな花を咲かせ、実もつけた桜、ブルーベリーが、今冬の雪で根元から折られ、無残に押し潰されてしまった。支柱にした添え木のやり方が失敗であった。特に桜の木は、小屋の建築祝いに山の会員でスキーの名手F君が植樹してくれた記念の木で、今度会ったとき謝らなければと思っていた。ところが、奇しくも桜の命が絶えたのと同じ時期の昨年末、彼が長年患っていたガンで他界していたことを最近知った。直前まで八方で華麗に滑っていたのに。一緒に山へ行った親しい人間が次々亡くなっていくのがなんとも寂しい。
次は東山探索行と風呂トイレの話。