山荘雑記  

 定年退職後 信州白馬の里山に小さな丸太小屋を建て、
その生活の様子や山や旅の思い出など、気ままに書き綴っています。

「パソコン通信」って何?

2007年07月17日 | 生活一般
 私のコンピューター歴は結構長いが、その知識は全く初級者レベルで、何かトラブルが起こると、いつもあちこちの精通者たちに助けを求め回っている。
私のパソコン利用は約25年前の「国際パソコン通信」から始まった。ある高校で課外活動として生徒たちに日本の民話を英訳させる講座を開き、生徒たちの翻訳した英文を海外の小学生たちにパソコンで送り、相手からその感想とその国の民話を英文で送ってもらうという試みだった。大きな文字のぼやけた学校のPCを使い、KDDのパケット通信で、イギリスのTTNSという教育関係サーバーを通して、イングランド北部のある小学校と何回か交信したのが最初であった。電話のダイヤルが繋がるときに発するあの「ガガガツ―、ピツ―」という音には随分興奮したものである。生徒たちの作った英文は、紙のケースに入れられた5インチのフロピーデイスクの時代だった。
 その10年後、転勤した私学でも最初に取り組んだのが「国際パソコン通信」であった。その時でもパソコン通信はまだそれほど普及していなく、周囲の協力や理解を得るのに苦労した。今度は生徒たちに自由に日本の紹介などを英文で書かせそれを海外の学校に送り、逆に相手からは日本語の文で返信してもらい、お互いに言葉の勉強し合うという交流を始めた。この際大いに協力してくれたのが、国際交流を推進する外務省の外郭団体「APICNET」であった。この担当者のKさんからオーストラリア・シドニー市内のある女子校を紹介され、その学校の担当者E先生を通じてメールでの交流が始まった。交流を始めて1年後、APICNETの協力で、当時ではまだ珍しかったリアルタイムでのチャットも成功し、新聞社からの取材を受け新聞にも載るほどであった。今でこそどの学校にも十分パソコンが設置され、生徒たちが自由に使えるように普及したが、当時はまだ貴重品扱いで、生徒たちが自由に使えず、入力はすべて私がやらなければならなかった。ブロードバンドの発達で、時間を気にせず、簡単に動画まで送れるようになった現在、昔の苦労がうそのように思える。いつの間に、「パソコン通信」という言葉が消え、Eメールと呼ばれるようになったのだろう。


私の感じたオーストラリアの人たち

2007年07月14日 | 生活一般
 ブログ上で、かつて勤めていた学校の先生から、生徒たちのオーストラリア研修に関するコメントを戴き、在職中何度か行ったオーストラリアの人たちを思い出した。はじめてオーストラリアに行ったのは1993年、旅行業者の主催する教育関係視察のツアーであった。現地でTAFEと呼ばれる専門学校やいくつかの私立の高校、中学校などを訪問し、短時間だったが先生や生徒たちに接する機会があり、その時の印象がその後私を長くオーストラリアに引き付ける強いきっかけとなった。英語教師という商売柄、それまでいろいろな英米人と接することがあったが、無意識に彼らにともすれば偏見に近い誤った感情が沸くことがあった。ところが、オーストラリアで接した先生や生徒たちにはそんな気持ちを全く感じさせなかった。うわべではなく純粋に日本人を信頼し、日本から学ぼうというそれまで欧米人に感じなかったものが感じられ、むしろ戸惑いさえした。その後、いくつかの学校と姉妹校提携をし、多くの先生や生徒たちと長く付き合うことになったが、最初に受けたその印象は変わらなかった。学校関係者ばかりでなく、一般家庭や各種施設の人たちにも同じことを感じた。オーストラリア人は素朴で陽気な人々とよく言われるが、私はこれに礼節と謙虚さを付け加えたい。いつかまた機会があれば、あちこち訪ねてこれらの人々と会ってみたい。