山荘雑記  

 定年退職後 信州白馬の里山に小さな丸太小屋を建て、
その生活の様子や山や旅の思い出など、気ままに書き綴っています。

思わず長くなった入院生活(その2)

2015年08月25日 | 生活一般
 
 糖尿病治療のため入院してすでに8日間過ぎた。こんなに長くなるとは予想してなく、10年前に両眼の緑内障手術で2週間入院して以来の長期入院となった。緑内障と同様、糖尿病も完全に治らない病気と言われ、せめて今以上に悪化させず、死ぬまでうまく付き合っていく要領を習得するのがこの入院の目的であった。
最初の2日間は、治療方針を決めるためのデータ収集で、定時に血糖値を測るだけであった。特に2日目は3食の前後と寝る前の計7回、わずかだが指先から採血を強いられた。結果はやはり予想通りいつも値は高く、3日目から血糖を下げるインスリン注射をすることになった。自分には初めての摂取である。最初いきなり6単位のトレシーバが打たれ、5時間後に激しい低血糖症状を起こし、看護婦が慌ててブドウ糖液を作り服用し平常に戻った。低血糖は意識不明のまま昏睡状態に陥り死亡することもある。その初期の症状を体験し、その寸前の兆候が分かり、むしろいい経験になった。その後、毎食前と就寝前に測定し、その値の高低に応じてインスリンの種類と量が担当医の判断で決められ接種が続き、5日目位から徐々に値が下がり安定しつつある。昨日の医師の説明では、外部からのインスリン注入に触発され、今まで機能していなかった膵臓からインスリンが分泌し出だすこともあり、低血糖を引き起こすこともあるらしい。厄介な病気である。
退院後は自分で血糖値の測定とインスリン注射をしなければならない。若年性糖尿病の子供たちも自分でやっていることで、慣れれば簡単である。ただ現在の自分は、毎日摂取するインスリンの種類と量が変わり、それに従いていけずまごつき、監視する看護士の女性に絶えず叱られている。万一ミスが起これば、担当の看護士の責任となり、患者の回復よりそちらを気にしているようだ。投与する薬を実際に患者が飲んだことを示すために、空いた袋を持っていく看護士もいる。
入院して1週間以上になるが、稀に担当医が来て、状況と方針の説明がされる他は、終日看護士だけの対処である。それも決まった看護士でなく、毎日毎晩、担当者が変わり顔も名前も覚えられない。お互いの引き継ぎはコンピューターに入力されたデータだけで、街の開業医のような親しさはない。担当医は別の場所で、看護士が入力した値をコンピューターで見て指示を与えている。医師と患者の人間的な接触はほとんどない。大病院の宿命であろう。しかし、大病院には町医者にはない最新医療機器がそろっていて、各種検査結果など直ぐに分かるというメリットがある。まだ当分入院生活は続きそうだ。
 

海と船

2015年08月23日 | メディア
   
 先日、サントリーの宣伝漫画などでお馴染みの海好きのイラストレーター柳原良平氏が亡くなった。実は60年以上も前のはるか昔に、大阪で1、2度彼にお会いしたことがある。
 大学時代に山岳サークルに入って以来何十年間、ほとんど海に行ったことはなく山ばかりに行ってきた。しかし、それまでは山よりむしろ海に興味があり、但馬の豊岡で過ごした中学時代にはよく円山川でボートを漕いだり、日和山海岸へ泳ぎに行った。船にはボートから外洋汽船まで大きな関心があり、模型を作ったり、同い年の堀江青年の挑戦に刺激され、設計図を見てヨット作りをまじめに考えたりした。同時に様々な航海記を漁り読んだ。中でも外洋航路の船旅に憧れ、古典的名著と言われる米窪太刀雄の「海のロマンス」を取り寄せたり、筏で太平洋を渡ったハイエルダールの「コンチキ号漂流記」を読んだり、大抵の海洋物は読んだ。映画も「白鯨」はじめ、帆船見たさに海賊ものは必ず見に行った。
 特に探検記に惹かれ、5年前北欧旅行中、アムンゼンのフラム号やコンチキ筏を見にオスロの博物館まで行った。私の父親が若い頃外洋航路の貨物船に1等無線通信士として乗組んでいた経験があり、その話をよく聞かされた影響もあったかもしれない

 柳原良平氏に会ったのは大学1年の時である。海か船の何かの雑誌で関西で海のサロンの会員募集の記事を見つけて応募した。集まった会員はサラリーマンや主婦や学生10名足らず、第1回の会合は大阪港に停泊するアメリカ海軍の軍艦の見学だった。風の強い日で、甲板に立つ水兵たちがセーラー服の大きな襟を立てて風を遮っていたのを覚えている。あの広い襟にはそんな機能があるのを知った。この見学会を企画案内してくれたのがあの「トリスを飲んでハワイへ行こう」の作者柳原良平氏であったことを後に知った。当時、海と船に精通した人当たりのよい若いハンサムなサラリーマンであった。

糖尿病克服の入院生活(その1)

2015年08月20日 | メディア
 

  今、糖尿病のさらなる悪化を防ぐため、自宅近くの総合病院に入院中である。糖尿病とは長い付き合いで、30年ほど飲み薬だけで何とかごまかしてきたが、一向に血糖値が下がらず、思い切って入院することにした。 きっかけは当病院でシリーズで行われている糖尿病の公開講座で「足先に気を付けよう」という変わったテーマに惹かれ出てみたことに始まる。
 
 毎年寒い季節になると足先の両親指が黒ずんで感覚が鈍くなるのにそれほど気にしなかった。原因の一つは30年前にアラスカのチュガッチ山群に行った時、氷河上で数日ビバークを強いられ両足先が軽度の凍傷になり、帰国後も靴が履けず病院通いをしたことがあり、その精と思っていた。ところが最近夏でも黒くなり、おまけに巻き爪を起こし痛むこともあった。これも山の長い下りの精か、爪先に余裕のないジョギングシューズを履いた精だろうと思っていた。講座終了後講師の医師に診てもらったところ糖尿の影響の疑いがあると言われ、検査結果の末、専門医師の勧めで入院を決意した。  

 一般に糖尿病の95%は、過食、暴飲、運動不足、肥満等が原因の2型だが、私は先天的にインスリンの出が悪く、どうしても外部から、すなわち注射によるインスリンの補給に頼らざるを得ない1型の糖尿であるらしい。いよいよ来るものが来たと覚悟する。昨日初めて昼前に注射されたが、夕方になって急に身体の調子がおかしく、汗が溢れるように噴き出し、猛烈な眠気が襲ってきた。血糖値を計ってもらうと何と65しかない。いつも200前後の自分にとっては、まさしく低血糖状態でこのままでは意識を失い死ぬ危険性もある。急いでブドウ糖液を服用し、間もなく平常に戻った。病院にとっては高血糖より低血糖の方が怖れているらしい。毎食前と後の血糖値検査とインスリン接種
で、身体の状態を観察し、自分に最も適した治療法を担当医が探っている状態で、まだ当分入院生活を続けなければならないようだ。お陰で今月末と来月初めの山のクラブの飲み会にも出られそうにない。(入院中の病室にて)

回避できない老化と体力低下

2015年08月08日 | 生活一般
 年に数回、現職時に属していた互助会から退職者に広報誌が送られてくる。
中身は主に福利厚生のいろいろな行事案内で時々利用している。その冊子の末尾にいつもその間に亡くなった退職者の一覧が載り、大抵1-2名の見覚えのある人の名が出ている。先日送られてきた冊子に、S氏の名が出ていてショックを受けた。最初の職場で一緒だった私より2歳ほど上の音楽科の先輩で、よく一緒に飲み、私の誘いで夏休みにまだ未開発の知床半島一周の山歩きまで付き合ってくれた。キャンプしたウトロの海岸で、海に向かって見事なテノールでリゴレットの「女心の歌」を歌っていた姿を思い出す。その後職場が分かれてから、数年後に一度しか会うことがなかった。
 最後の職場で一緒だったやはり年長のF氏が亡くなったこともこの欄で知った。部活停止のテスト期間中、放課後遅くまで人目を気にせずコートで2人でテニスに興じたのを思い出す。何年か後、自分の名もこの欄に出ることになるだろう。

 連日、35度を越す猛暑日が続き、各地でかなりの数の高齢者が熱中症で倒れ、死者も出ている。ほとんど毎夏、日本の暑さから逃れ、ヨーロッパの山や街で過ごしてきたが、今年は山に登る体力に自信がなく、じっと日本の暑さに耐えている。白馬の小屋で階段作りに取り組んだが、暑さの精もあり、すぐ疲れて部屋に逃げ込み、昔のように長続きしなくなった。女房が脚の骨折で総合病院に入院中、見舞いついでに内科に行ったところ、検査結果で以前からの糖尿病がかなり悪化していることが分かり、女房の退院と入れ替わりに、一定期間の入院を命ぜられることになった。目標とする山行の計画が無くなり、長らくジョギングを中止し、運動不足になったのも原因の一つであろう。油断すれば高齢者は急速に老化することを痛感する。

かつての誤りを繰り返す戦争への道を絶とう

2015年08月07日 | 生活一般
山小屋生活を主とするこのブログで、あまり政治に関して触れることは控えてきたが、しつこく反動法案のゴリ押しを止めないアベの姿を見ていると、戦争のむごたらしさを知る老人としては、やはり書かざるを得ない。
学者、文人、芸術家たちをはじめ、大半の国民が異論を唱える安保関連法案をあくまで成立させようとするアベの醜態に憤りを越えた非人間性さえ感ずる。「法案の安定性は関係ない」とか、「戦争に行きたくないのは若者の利己だ」といった趣旨の発言など、本音が次々と出て、もはや客観的には法案を取り下げるのが常識である。それでも強行しようとするのは唯一アメリカ政府への義理立てでしかない。良識あるアメリカ国民でさえ日本の反動化に反対している。アベは二言目には「マサニ国民の生命と安全を守るため」と繰り返すが、切実な経済的事情で入隊を志願した人たちも含め、若い自衛隊員を戦場に駆り出すことが生命と安全を守ることになるのか?戦闘現場で「これは後方支援です」と相手に言い訳しながら、アメリカ軍に武器を補給すれば、相手側は納得して攻撃してこないと本当に考えているのだろうか?昨年のISによる痛ましい日本人殺害事件の教訓を無にしてはならない。アベたちはこれ以上誤った道を盲進せず、もういい加減に提案を取り下げ、いさぎよく退陣し、男の花道を去るべきである。