畑を掘り、木を彫り、石を刻り、の自然人!

退職後、自分に気ままな課題をちょっと与えて遊んでいます。

1条・2条・3条って?

2016-05-12 14:36:08 | 良寛


1条、2条とか耳にすれば多分、京都の正方形に整理された地割を想像されることでしょう。
京都のようにきっちり整理された地割は「方格地割」と呼ばれるそうです。
こうした地割は古代中国で作られ、そして朝鮮半島に広まり、6世紀ごろ日本に入ってきたとあります。

奈良盆地でも方格地割の跡が見つかっています。
京都でみられる方格地割は南北の区分を「条」とよび、東西の区分を「里(り)」とするとありますが
小生は「里」と呼び方は不詳でした。
南北方向と東西方向は1辺6町の正方形で1町は約109米です。

このようにすれば個々の農民の所有地が「某郡○条○里○坪」と表記できるわけです。

ただ例えば京都では〇条は残っていますが「里」の表記は残っておらず、西の方から主な通りは
「西大路通」「千本通」「堀川通」「烏丸通」「川端通」「東大路通」などと表示されています。

こうした呼び方は「四条畷市」「奈良県五條市」「新潟県三条市」のように「条」に因む地名も
残っています。一宮市にも三条という地名があり、多分他にもあることでしょう。
京都では有名は「二条城」「二条大橋」などがあります。
骨董市で有名な東寺は9条通、東福寺も9条通です。

話はがらりと変わってお坊さんの「袈裟」も5条とか7条とかいう呼び名があります。
6年ほど前に京都国立博物館で「高僧と袈裟」展が開催され見学に参りました。
最近のお坊さんはキンキラ金のど派手な袈裟を見かけますが、元々は非常に地味な色です。
別名「糞掃衣(ふんぞうえ)」といわれるくらい、人が捨てて顧みない生地を拾い集めて洗い浄め
縫い合わせたものです。

袈裟の歴史は佛教誕生の地であるインドで佛教修行者をほかの宗教の修行者と見分けるための制服です。
その形のモチーフは「田んぼ」です。
仕切りは「あぜ道」
5条は仕事着用、7条は修行のとき普通に着る日常着用、9条は晴れ着用とされています。

主な素材は麻で捨てるような生地ですから小さな布を縫い合わせてあります。
写真はよく判別できるよう派手な色になっていますが、横に7列あり、これを「7条袈裟」といいます。
他にも5条とか9条など様々な袈裟があります。
勿論、縫い方はミシンでなく手縫いです。

また「伝法衣(でんぽうえ)」という師から嗣法の弟子へ、法を伝えた証として授けられた特別な袈裟も
あり、頂いた弟子にとって非常に名誉なことでした。

「条」という言葉は地割と袈裟ではどちらが先に日本に伝えられたのか分かりません。
良寛さんはどんな袈裟を身に付けておられたのかも分かっておりません。
袈裟展では一宮市の妙興寺所蔵品も展示されており、同寺は由緒ある古刹なんですね。

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