千の天使がバスケットボールする

クラシック音楽、映画、本、たわいないこと、そしてGackt・・・日々感じることの事件?と記録  TB&コメントにも☆

「愛と青春の旅立ち」

2020-05-05 14:27:39 | Movie
タイトルや題名は、顔のようなもので大事である。顔は、その人を語る。
リチャード・ギアの出世作の映画「愛と青春の旅立ち」は、もはや古典的な若者の自立と恋愛映画の名作である。ところが、今回改めて鑑賞した映画の冒頭で流れる原題の「An Officer and a Gentleman」に思わず、へっ?となった。「士官と紳士」には、恋人役のデブラ・ウィンガーの最高級の美貌も、たくましいリチャード・ギアの海軍士官学校の栄えあるご卒業の気配もない。
※このタイトルの意味は、後述。とりあえず、脳内をリセットして別の切口で映画を観ると、印象が変わるほどはるかに奥行きが深い作品を楽しんだ。

清々しいような朝、ザック・メイヨ(リチャード・ギア)は、父親の元を旅立ち、シアトルにあるレーニエ海軍士官学校へ向かう。彼は、13歳の時に母親を自殺で亡くし、その母を捨てた父親は酒と売春婦に溺れる生活破綻者で、ひとりになって自分を頼ってきた少年の息子を育児放棄。水兵の父の赴任先ではいじめられ、貧しく、孤独に育ったザック。荒んだ過去からはいあがり、カレッジを卒業して自分高い位を超えるポジションをめざす息子を嘲笑い、所詮人種が違うから無理だと諭す父親。ザックが飛び込む社会が、厳密で確固たる階級社会の軍隊であることの意味に気が付いた。
父の階級を飛び越えることは、母を捨てた父への復讐であり、父の存在を乗り越えて、これからの自分自身の人生の航海をはじめるための重要な切符なのだ。
けれども、隠した入れ墨に象徴されるように育ちは育ち。禁じられている闇商売で養成学校の仲間の小銭を徴収し、自己中心的で人種に対する差別意識もあり、とても彼は人の上にたてるいうな“器”ではない。そんな人物が管理職になるのは世間でよくある事例だが、誰よりもザックの不適切な資質を見抜いたのが、海浜隊の彼らを指導する鬼軍曹のフォーリ軍曹(ルイス・ゴセット・Jr)。けれども、まさに鬼のような厳しい13週間の訓練のあいまに、少しずつ成長していくザック。そこに登場したのが、町の唯一の産業と思われる製紙工場で働く貧しいポーラ(デブラ・ウィンガー)。時代が違う。当時のこの町の娘にとって貧困から抜け出す道は、士官候補生をうまくつかまえて結婚というゴールインをすること。計算された愛情とベッドでのテクニックは、娘たちにとって別の、中流の暮らしに登る唯一の階段だった。しかし、打算ぬきで正攻法で一途にザックを愛するポーラだったのだが。

前置きが長くなったが、ここで原題の「An Officer and a Gentleman」の意味をもう一度考えてみる。(以下、飯森盛良様のコラムを参照させていただき大変たすかりました。)
このタイトルは、本来軍隊の統一軍事裁判法の133条からの次の文章からの抜粋とのことです。
「Conduct unbecoming an officer and a gentleman」
ザックの身のこなし、表情や言動は、どう見てもちょっとしたチンピラと変わらない。鬼軍曹にとっては、この条文を遵守し、将校にふさわしくない人物を排除して卒業させないことも重要なミッションなのだ。本作は、ひとりの孤独な青年が、初めて愛を獲得するというのは甘い副作用で、アメリカ的な階級闘争でもある。氏、生まれ、人種、そして育ちも努力で超えられるのが、やはり1982年のアメリカ社会なのだ。
最後に、卒業式の後、晴れて少尉になった元訓練生たちが、自分たちよりも地位の低い軍人、すなわち下の階層に位置することになった鬼軍曹にお礼とともに1ドルを渡し、鬼軍曹が敬礼する場面には、意味を理解してこそ感動する傑作である。

監督:テイラー・ハックフォード

アバド・イン・ベルリン~首席指揮者としての最初の1年

2020-05-03 16:44:21 | Classic
1989年、「クラウディオ・アバドがカラヤンの後任としてベルリン・フィルの首席指揮者に選出された」というニュースが、
当時の音楽界に大きな驚きをもって迎え入れられた、そうだ。
・・・そうなのか。カラヤン時代を知らない私は、クラディオ・アバド=ベルリン・フィルにすっかりなじんでいたのだが。
こんな時なので、4月末までベルリン・フィルのデジタル・コンサートホールの一部を無料で視聴できた。
そのなかから、選んだのがドキュメンタリーの今は亡きクラウディオ・アバドの首席指揮者としての最初の1年間を追った1990年製作のドキュメンタリーだったのだが、これは本当に大正解だった。

ところで、クラディオ・アバドClaudio Abbadoとはいかなる指揮者なのか。
私の乏しい知識では、ある方に教えていただいたのだが、あのヴィクトリア・ムローヴァと恋人関係にあった方。(ビデオで録画したおふたりが共演した渋いブラームスのVn協奏曲を本当に何度も愛聴していたので、あの地味~なヴァイオリニストと指揮者の情熱的な関係には衝撃を受けたことを懐かしく思い出す。)
クラシック音楽が3度の飯よりも好き、私にとって音楽は生きていくのにかかせない大切な友でありながら、指揮者の区別は顔以外は全くできない。ただ、最近、世界の著名オーケストラのコンサートマスター51人のインタヴュー集である「世界のコンサートマスターは語る」という著書で、最後にコンマスが自分の所属するオケの首席指揮者や音楽監督を語る記述に魅了された。世界のコンマスたちは、指揮者の個性や“やり方”を分析し、彼らを信頼して自信をもって我がマエストロを紹介していた。その指揮者の多様性と才能に目をみはられた。

さて、このドキュメンタリーは、様々な指揮者の候補から、オケの団員楽員による選挙という民主的方法から10月8日に選ばれた“ダークホース”という文字が当時の新聞をにぎわしていたのがわかる。そのダークホースが車に乗って、栄光の舞台カラヤンサーカス(ツィルクス・カラヤーニ)に向かっている。何と言ってもカラヤンの前も後もベルリン・フィルの音楽監督は、名実ともにあらゆる意味で現代最高の地位であり椅子である。最初、電話を受けたとき、すでに世界トップクラスとしてその名が轟いたアバドですら、2分間電話を握りしめ声がでなかったそうだ。晴れやかな喜びのオーラに包まれたアバドの物腰、そして祖父が音楽学者だと語る姿に育ちの良さを感じた。
改めて調べたところ、1933年ミラノに生まれたクラディオ・アバドは、イタリアの名門音楽一家の出身。やはりそうか、若々しく端正で、飾らない自然体の姿に名門出身の品格に納得。

やがて車はホールに到着して、インタビューを受ける前にカラヤンが長年使用していた控室に入る。「初めてこの部屋に入る」とつぶやく彼に、付き添ったスタッフの「これからは客演指揮者にも使用してもらう」という声に、これまでのカラヤンの帝王ぶりが伝わる。窓からひろがるのは、まさに1989年11月9日に壁が崩壊されたベルリンの風景である。就任記念公演の準備がすすむ。曲はマーラーの交響曲第一番ニ長調「巨人」。難しいが、素晴らしい選曲ではないだろうか。そして、協奏曲のソリストに選ばれたのが、東ベルリン出身の10代のピアニストのジーリ・シュニッツ。しかし、彼女を紹介するのにピアニストという肩書は、まだなじまない。何故ならば、彼女自身が語るところによると、東ドイツでは演奏するチャンスがないのだそうだ。アバドのモーツァルトを弾いてほしいというリクエストに応えて、本番では純白のシャツに長い髪を後ろで三つ編みできりりと結び、しなやかでほっそりと華奢な指から清々しい珠玉の音楽がころがっていく。

「やはり自分は“君臨”するタイプの指揮者の方が好きだ」という楽団の意見もあり。それでも、東西統一の新しい時代とともに、民主主義で選んだクラディオ・アバドとベルリン・フィルの高揚感と期待と、何よりも未来へのあかるい希望を感じるドキュメントだった。
調印式でフラッシュをあびるアバドと関係者たち。ようやくアバドが契約書にサインしたのは、1990年9月1日のことだった。

監督:ボブ・アイゼンハルト, スーザン・フレムケ, ピーター・ゲルプ