「n≧3のとき、 Xn+Yn=Zn を満たす、自然数 X、Y、Zは存在しない」
私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない・・・こういう苛立たしい思わせぶりこそフェルマーの真骨頂。1637年に出版された『算術』問題8に記されているシンプルで中学生レベルでも理解できる「フェルマーの最終定理」は、300年以上もの長い間、数学者にロマンをかきたてつつ、藤原正彦氏が師匠から「あれに手をつけたら数学者としての人生を棒をふる」とまで忠告を受けたように、証明そのものが不可能ではないかとまでささやかれ、悪魔ですら解けない超難解な問題だった。懸賞金までかけられたその定理を証明したのは、1953年イギリス生まれのアンドリュー・ワイルズ。1993年に発表、翌年に致命的な誤りも修正して「Annals of Mathematics」に完全版の130ページに及ぶ論文が掲載された。本書は、ピュタゴラスの時代の数学者たちの波乱に満ちた船出(無理数の存在を証明した弟子のヒッパソスに死刑を宣告する汚名を後世に残したピュタゴラスは、最後には市民によって追放され殺された)からはじまり、「フェルマーの最終定理」に果敢に挑戦した数学者たちを中心としたノンフィクションである。
著者のサイモン・シンは英国生まれだが、祖父母はゼロを発見したインドからの移民。ケンブリッジ大学で素粒子物理学の博士号を取得して研究所センターで勤務した後に、英テレビ局BBCにコペ転。96’年に放映されたTVドキュメンタリー「フェルマーの最終定理」を基に書き下ろした処女作が本作だが、世界的なベストセラーとなった。その理由として、フェルマーの命題そのものがシンプルで誰にも理解しやすいことから受容れ窓口がこの分野にしては圧倒的に広かったこと、純粋数学という学問のおもしろさや歴史をわかりやすく書かれていることもあるが、チャーミングな”数学者”という人物の描き方がとても処女作とは思えないくらい手馴れていてうまい。しかも数々の定理の発見には、プリミティブな美しさと感動が生まれる。
めでたくも20世紀における核分裂の発見やDNA構造解析と同じくらいの快挙となった、フェルマーの最終定理を完全に証明したアンドリュー。10歳の時に、近所の図書館でフェルマーの最終定理に出会ってから夢を追い続けて、40歳を過ぎてとうとう叶えたアンドリュー。彼の功績と栄光はとてつもなく大きいが、しかし、それもそこに至る過程には多くの数学者の努力と才能があってこそ。オイラーの法則として有名なオイラー、ディレクレ、ガブリエル・ラメ、アーベル、そして「谷山=志村予想」の谷村豊と志村五郎、フライ・セール、ケン・リベットなど、彼らがもっていたバトンを受け継いで360年に渡る超長距離マラソンの最終ランナーとして見事にゴールのテープを切ったのが、アンドリューになる。本書では、7年間の沈黙を守り成功したアンドリューの体験は勿論だが、これまでの数学者にもスポットライトをあてていることで、さながら交響曲のような厚みがある。特に、日本人として谷村豊、志村五郎、岩澤健吉氏などの貢献も丁寧に取り上げられていることが興味深い。
それにしても数学者たちの情熱と粘り強さ、集中力とひらめきにはおそれいる。フランスの数学者ポアンカレの「数学者になることはできない。数学者として生まれるのでなければならない」という言葉のとおりだ。彼らは非常に繊細で、寝ても覚めても、つまり24時間数学のことで頭が一杯の人種である。研究者というのは概ねそういうタイプの方が多いのかもしれないが、ずば抜けた頭脳の上に、コツコツと実験を重ねていく他の理系の分野の研究者たちとは、一味違う。まさに限られた数学者として生まれた天才によるプレーである。残念なことに、たった2ページのDNA構造解析の論文が幅広く人々の知識の種となり応用されているのに比べ、最終定理の証明を理解できるのは、地球上ではほんの50人ほどらしいので、その妙技を堪能することはできないのだが。
さて、ある日のNY8番街の地下鉄に、こんな落書きが書かれていた。
「xn + yn = zn この方程式に解はない
私はこれについて真に驚くべき証明を発見したが、電車が来てしまったので書くことはできない。」
確かに、現代のスピード化された時代に、電車の待ち時間でこの証明を書くのは無理だろう。(笑)
とてつもなく大きな達成感という収穫をえたアンドリューは、喪失感もあるが、それと同時に解放感も味わい穏やかな気持ちで満たされているそうだ。
ところで、アンドリュー理論は現代の数学論を駆使して証明されているそうだ。では、フェルマーの時代の数学で、彼はいったいどのように最終定理を証明したのか!?私はこれについて彼自身のオリジナルの真に驚くべき証明を発見したが、弊ブログの余白はもうないのでここに記すことは・・・。
□「木曽のあばら屋さま」とも共感したい数学にまつわるアーカイヴ
・「完全なる証明」マーシャ・ガッセン著
・「心は孤独な数学者」藤原正彦著
・「心は孤独な数学者」続
・「世にも美しい数学入門」藤原正彦著
・映画『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』
・「素数の音楽」マーカス・デュ・ソートイ著
私はこの命題の真に驚くべき証明をもっているが、余白が狭すぎるのでここに記すことはできない・・・こういう苛立たしい思わせぶりこそフェルマーの真骨頂。1637年に出版された『算術』問題8に記されているシンプルで中学生レベルでも理解できる「フェルマーの最終定理」は、300年以上もの長い間、数学者にロマンをかきたてつつ、藤原正彦氏が師匠から「あれに手をつけたら数学者としての人生を棒をふる」とまで忠告を受けたように、証明そのものが不可能ではないかとまでささやかれ、悪魔ですら解けない超難解な問題だった。懸賞金までかけられたその定理を証明したのは、1953年イギリス生まれのアンドリュー・ワイルズ。1993年に発表、翌年に致命的な誤りも修正して「Annals of Mathematics」に完全版の130ページに及ぶ論文が掲載された。本書は、ピュタゴラスの時代の数学者たちの波乱に満ちた船出(無理数の存在を証明した弟子のヒッパソスに死刑を宣告する汚名を後世に残したピュタゴラスは、最後には市民によって追放され殺された)からはじまり、「フェルマーの最終定理」に果敢に挑戦した数学者たちを中心としたノンフィクションである。
著者のサイモン・シンは英国生まれだが、祖父母はゼロを発見したインドからの移民。ケンブリッジ大学で素粒子物理学の博士号を取得して研究所センターで勤務した後に、英テレビ局BBCにコペ転。96’年に放映されたTVドキュメンタリー「フェルマーの最終定理」を基に書き下ろした処女作が本作だが、世界的なベストセラーとなった。その理由として、フェルマーの命題そのものがシンプルで誰にも理解しやすいことから受容れ窓口がこの分野にしては圧倒的に広かったこと、純粋数学という学問のおもしろさや歴史をわかりやすく書かれていることもあるが、チャーミングな”数学者”という人物の描き方がとても処女作とは思えないくらい手馴れていてうまい。しかも数々の定理の発見には、プリミティブな美しさと感動が生まれる。
めでたくも20世紀における核分裂の発見やDNA構造解析と同じくらいの快挙となった、フェルマーの最終定理を完全に証明したアンドリュー。10歳の時に、近所の図書館でフェルマーの最終定理に出会ってから夢を追い続けて、40歳を過ぎてとうとう叶えたアンドリュー。彼の功績と栄光はとてつもなく大きいが、しかし、それもそこに至る過程には多くの数学者の努力と才能があってこそ。オイラーの法則として有名なオイラー、ディレクレ、ガブリエル・ラメ、アーベル、そして「谷山=志村予想」の谷村豊と志村五郎、フライ・セール、ケン・リベットなど、彼らがもっていたバトンを受け継いで360年に渡る超長距離マラソンの最終ランナーとして見事にゴールのテープを切ったのが、アンドリューになる。本書では、7年間の沈黙を守り成功したアンドリューの体験は勿論だが、これまでの数学者にもスポットライトをあてていることで、さながら交響曲のような厚みがある。特に、日本人として谷村豊、志村五郎、岩澤健吉氏などの貢献も丁寧に取り上げられていることが興味深い。
それにしても数学者たちの情熱と粘り強さ、集中力とひらめきにはおそれいる。フランスの数学者ポアンカレの「数学者になることはできない。数学者として生まれるのでなければならない」という言葉のとおりだ。彼らは非常に繊細で、寝ても覚めても、つまり24時間数学のことで頭が一杯の人種である。研究者というのは概ねそういうタイプの方が多いのかもしれないが、ずば抜けた頭脳の上に、コツコツと実験を重ねていく他の理系の分野の研究者たちとは、一味違う。まさに限られた数学者として生まれた天才によるプレーである。残念なことに、たった2ページのDNA構造解析の論文が幅広く人々の知識の種となり応用されているのに比べ、最終定理の証明を理解できるのは、地球上ではほんの50人ほどらしいので、その妙技を堪能することはできないのだが。
さて、ある日のNY8番街の地下鉄に、こんな落書きが書かれていた。
「xn + yn = zn この方程式に解はない
私はこれについて真に驚くべき証明を発見したが、電車が来てしまったので書くことはできない。」
確かに、現代のスピード化された時代に、電車の待ち時間でこの証明を書くのは無理だろう。(笑)
とてつもなく大きな達成感という収穫をえたアンドリューは、喪失感もあるが、それと同時に解放感も味わい穏やかな気持ちで満たされているそうだ。
ところで、アンドリュー理論は現代の数学論を駆使して証明されているそうだ。では、フェルマーの時代の数学で、彼はいったいどのように最終定理を証明したのか!?私はこれについて彼自身のオリジナルの真に驚くべき証明を発見したが、弊ブログの余白はもうないのでここに記すことは・・・。
□「木曽のあばら屋さま」とも共感したい数学にまつわるアーカイヴ
・「完全なる証明」マーシャ・ガッセン著
・「心は孤独な数学者」藤原正彦著
・「心は孤独な数学者」続
・「世にも美しい数学入門」藤原正彦著
・映画『プルーフ・オブ・マイ・ライフ』
・「素数の音楽」マーカス・デュ・ソートイ著
この本は最高にスリリングで面白いですね。
知的好奇心をビンビンに刺激してくれます。
私はこれ読んですっかり数学本好きになってしまい、
マイケル・デュ・ソートイ「素数の音楽」、
ポール・ホフマン「放浪の天才数学者エルデシュ」
小川洋子「博士の愛した数式」などを立て続けに読みました。
あ、忘れちゃいけない、サイモン・シンの第2作「暗号解読」も、極上の数学本です。
そうそう、スリリングで数学の美しさと感動が充分に伝わってきましたね!
私が本書を読むきっかけになったのは、地下鉄で前に座っていたごく普通の(と、言っては語弊があるかもしれませんが)中年女性が楽しそうにこの本を読まれていたからです。
「フェルマーの最終定理」・・・確か、そんな評判をよんだ本があったけれど、まだ未読だったことに気づき、早速、図書館で予約しましたが半年以上も待たされました。人気の高さも納得ですね。
ところで、別件ですが、私めは昨日「船に乗れ!2」を読んで驚ろきのただ中にございます。これから「3」に入りますが、「2」の感想を述べると・・・嗚呼、電車来てしまったので書くことはできません。。。
>シンの「代替医療」は衝撃的な内容と聞いています。
とても気になります。
超難問「フェルマーの最終定理」は、「abc予想」を使うとこの長い証明を数行で証明できるらしいですょ。
京都大学数理解析研究所教授望月新一博士が考え出した「abc予想」は、理解するにはもう少し説明を必要とする段階ではあります・・・。
当方も、よく理解できていません。