周囲0.44平方メートルの最も小さな国。ご存知バチカン市国である。しかしながら、東京ディズニーランドよりも狭いちょっとした田んぼ並の小さなサイズにも関わらず、この国の存在はその独特の成り立ちと役割のために無視できないTDLよりも天国に近い国。1929年当時、独裁者のムッソリーニと教皇ピオ11世によって結ばれたラテノラ条約によって、電報、電話、郵便、放送の負担はイタリアがもち、バチカン市国内に駅を建設してイタリアの国鉄とつなげる義務すらもイタリアがもつことが決まった。その一方で、飛行機がバチカン領空を通過することは禁止され、イタリア領土内にバチカンを見下ろす建物の建設は一切できない。理由は、プライバシーを守るためである。
小さな小さなこんな国に気を使い、いたれりつくせりにも思えるイタリアの対応。それもこれも、この国がおそれ多くも神につかえる国だからだ。本書は、そんな悪魔のような凡人にはうかがい知れないかの国を、読売新聞の記者によるその歴史からひもとき解説をこころみた入門書である。
現在、カトリック信者は世界の総人口の約17.3%にあたる11億4000万人、司祭は40万8000人、修道士は男女あわせて81万人。キリスト教会の中では最大かつ最強の勢力であり、約13億人と言われるイスラム教徒に迫る規模である。その迷える羊たちの頂点にたち、ある意味オバマ大統領よりも影響力があるかもしれないのが、システィーナ礼拝堂内でコンクラーベ(鍵を掛けるという意味)で選出されるローマ教皇である。中でも私たちの中で最も記憶にありなじみの深いのが、ポーランド出身の第264代ローマ教皇だったヨハネ・パウロ2世ではないだろうか。本書ではパウロ2世の経歴が簡単に紹介されているのだが、前教皇は幼くして母を亡くし、続いて兄も失い父とのふたり暮らし。大学で哲学を学ぶや戦争により化学工場に勤務している時に父も失い、幼なじみも強制収容所に送られ、本人はナチスの車にはねられ重傷を負う。その後、聖職者をこころざして非合法な地下組織の神学校に学ぶ。やがてローマで博士号を取得して帰国するや、故国では共産主義政府による宗教弾圧下にあった。1981年、旧ソ連のブレジネフ書記長に書簡を送り、故国に侵攻するならば戦車の前にたちはだかると言明した。その直後、トルコ人に撃たれ瀕死の重傷を負うも、犯人に寛大な赦しを与えた。教養と慈愛が深く、語学の天才で、その一方行動派でもあった。
ノーベル賞平和賞にも匹敵する活躍をおさめ尊敬されたパウロ2世。しかし、カトリックの超保守的な思想は女性の人権に対しては、避妊、中絶禁止とあまりにも前近代的で遅れているというよりも、女性を対等な性ではなく第2の性としての扱いを感じる。カトリック教会は完全なる男社会。プロテスタントが女性牧師、英国教会が女性の司祭を認めているのに対して、カトリックでは頑として女性の司祭を認めていない。助祭、司祭になってはじめて聖職者として認められるのであり、修道女はあくまでも熱心な信者に過ぎない。そんな事情もいくつかの映画を観ればなんとなく伝わってくるものである。またニューズウィーク誌によるとローマ・カトリック神父の35~50%が同性愛者だという。結婚という社会制度から免れるために神父になる同性愛者がいるのではないかという説もある。現在のバチカンは同性愛者の趣向は認めながらも、行為は禁欲の誓いに反するため禁止されている。こんな厳しい禁欲も、かえってゆがんだ性をもたらすのではないか、と改革を求められているのも聖職者による性犯罪があとをたたないからだろう。
本書の大半は、バチカンの歴史やシステムなどの紹介であるが、読者が知りたいのは”本当のところ”ではないだろうか。
ローマ教皇は、教会の最高権威であり、市国の元首、立法、行政、司法の三権すべての長である終身制。しかも財政収支の発表はあるが、外部からの監査の入らない主権国家。修道会や各地の教会から「最も信頼できる銀行」とバチカン銀行に多額なお金も集まる。82年、「神の銀行」と呼ばれ、バチカン銀行である宗教活動支援機関の事実上の投資顧問だったイタリアのアンブローシアーノ銀行ロベルト・カルビ頭取は、巨額不正融資で自らの銀行を破綻させたあげくに、ロンドンのテムズ川にかかる橋で首吊り死体となって発見された。融資先の多くはバチカン関連の企業や機関だった。橋にかけられた死体。まさに見せしめの生贄だったのではないかとかんぐってしまう。要するに最高の聖職者が集結したバチカンは、特権も大きければ闇も深いのだ。読者として期待したかったのは、wikipediaでもわかりそうな表層的なことではなく、バチカンが抱える闇の問題点にあるのだが、中学生向けの内容では少々ものたりない。もっとも内部に深く潜入した謎にせまる記事を書くのも、いろいろな意味でアブナイのかもしれない。
■アーカイブ
・映画『マグダレンの祈り』
・『ダウト~あるカトリックの学校で~』
・『尼僧物語』
小さな小さなこんな国に気を使い、いたれりつくせりにも思えるイタリアの対応。それもこれも、この国がおそれ多くも神につかえる国だからだ。本書は、そんな悪魔のような凡人にはうかがい知れないかの国を、読売新聞の記者によるその歴史からひもとき解説をこころみた入門書である。
現在、カトリック信者は世界の総人口の約17.3%にあたる11億4000万人、司祭は40万8000人、修道士は男女あわせて81万人。キリスト教会の中では最大かつ最強の勢力であり、約13億人と言われるイスラム教徒に迫る規模である。その迷える羊たちの頂点にたち、ある意味オバマ大統領よりも影響力があるかもしれないのが、システィーナ礼拝堂内でコンクラーベ(鍵を掛けるという意味)で選出されるローマ教皇である。中でも私たちの中で最も記憶にありなじみの深いのが、ポーランド出身の第264代ローマ教皇だったヨハネ・パウロ2世ではないだろうか。本書ではパウロ2世の経歴が簡単に紹介されているのだが、前教皇は幼くして母を亡くし、続いて兄も失い父とのふたり暮らし。大学で哲学を学ぶや戦争により化学工場に勤務している時に父も失い、幼なじみも強制収容所に送られ、本人はナチスの車にはねられ重傷を負う。その後、聖職者をこころざして非合法な地下組織の神学校に学ぶ。やがてローマで博士号を取得して帰国するや、故国では共産主義政府による宗教弾圧下にあった。1981年、旧ソ連のブレジネフ書記長に書簡を送り、故国に侵攻するならば戦車の前にたちはだかると言明した。その直後、トルコ人に撃たれ瀕死の重傷を負うも、犯人に寛大な赦しを与えた。教養と慈愛が深く、語学の天才で、その一方行動派でもあった。
ノーベル賞平和賞にも匹敵する活躍をおさめ尊敬されたパウロ2世。しかし、カトリックの超保守的な思想は女性の人権に対しては、避妊、中絶禁止とあまりにも前近代的で遅れているというよりも、女性を対等な性ではなく第2の性としての扱いを感じる。カトリック教会は完全なる男社会。プロテスタントが女性牧師、英国教会が女性の司祭を認めているのに対して、カトリックでは頑として女性の司祭を認めていない。助祭、司祭になってはじめて聖職者として認められるのであり、修道女はあくまでも熱心な信者に過ぎない。そんな事情もいくつかの映画を観ればなんとなく伝わってくるものである。またニューズウィーク誌によるとローマ・カトリック神父の35~50%が同性愛者だという。結婚という社会制度から免れるために神父になる同性愛者がいるのではないかという説もある。現在のバチカンは同性愛者の趣向は認めながらも、行為は禁欲の誓いに反するため禁止されている。こんな厳しい禁欲も、かえってゆがんだ性をもたらすのではないか、と改革を求められているのも聖職者による性犯罪があとをたたないからだろう。
本書の大半は、バチカンの歴史やシステムなどの紹介であるが、読者が知りたいのは”本当のところ”ではないだろうか。
ローマ教皇は、教会の最高権威であり、市国の元首、立法、行政、司法の三権すべての長である終身制。しかも財政収支の発表はあるが、外部からの監査の入らない主権国家。修道会や各地の教会から「最も信頼できる銀行」とバチカン銀行に多額なお金も集まる。82年、「神の銀行」と呼ばれ、バチカン銀行である宗教活動支援機関の事実上の投資顧問だったイタリアのアンブローシアーノ銀行ロベルト・カルビ頭取は、巨額不正融資で自らの銀行を破綻させたあげくに、ロンドンのテムズ川にかかる橋で首吊り死体となって発見された。融資先の多くはバチカン関連の企業や機関だった。橋にかけられた死体。まさに見せしめの生贄だったのではないかとかんぐってしまう。要するに最高の聖職者が集結したバチカンは、特権も大きければ闇も深いのだ。読者として期待したかったのは、wikipediaでもわかりそうな表層的なことではなく、バチカンが抱える闇の問題点にあるのだが、中学生向けの内容では少々ものたりない。もっとも内部に深く潜入した謎にせまる記事を書くのも、いろいろな意味でアブナイのかもしれない。
■アーカイブ
・映画『マグダレンの祈り』
・『ダウト~あるカトリックの学校で~』
・『尼僧物語』