宇宙のこっくり亭

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アステカ帝国の謎

2010年07月25日 | マヤ文明・アステカ文明
 
アステカ族は、メキシコ中央高原に栄えた、高地の文明人。ユカタン半島を中心とするマヤ地方とはエリアが微妙に異なるので、「マヤ文明」とは言われないのだが、その後継者だったのは確か。




↑アステカ帝国の領域 (隣に突き出ているのがユカタン半島)
 

アステカ帝国の首都テノチティトランは、数十万の人口を擁する、当時の地球では最大級の都会だった。でも、彼らの文明が世界の最先端を行っていたかといえば、必ずしもそうではない。むしろ、いくつかの点で、奇妙なほど不釣り合いな遅れが見られた。

帝国全土から集まった商人たちで賑わう市場は、世界でも屈指の規模を誇っていたのだが、そこではなんと、物々交換が行われていた。つまり、アステカ帝国では、お金が使われていなかったのだ。

さすがは、現代人も及ばないほどの高い精神性に到達していた、神秘のアステカ文明。何百年も前に、「お金のない世界」を実現していたのか!!・・・と、思わず感心してしまいそうになるのだが、そういうワケではない。単に、「貨幣」という概念を知らなかっただけだ。

その上、アステカ人は、金属を道具として使うことを知らなかった。彼らの道具のレベルは、石器時代の原始人と変わらない。鉄器はもちろん、青銅器すら使われていなかったのだ。青銅の合金は、鉄ほど高温で加熱しなくても溶かして加工できるので、大昔の人類から、洋の東西を問わず愛用されていた。それすら使えなかったのだから、逆にビックリするほどの重症。少なくとも金属に関しては、世界の大勢から五千年くらい遅れていたと言ってよい。

当時は、16世紀。すでに世界では、オスマン・トルコの鉄砲隊が、無敵のイラン騎兵隊を潰走させていた時代。織田信長の鉄砲隊が武田騎馬軍団を壊滅させるのは、その数十年後のことになる。そんな時代に石ヤリで戦ってるようじゃ、無敵艦隊・スペインを相手に、最初から勝ち目はなかったと言えるだろう。

ただし、石器時代と言っても、さすがに、ただの石コロを使っていたワケではない。黒いガラスの破片みたいな黒耀石が、鋭利な刃物として使われていた。

黒耀石の刃物は、神殿でも必要不可欠だった。というのも、彼らが神に捧げていたイケニエは、囚人から切り取った心臓だったのだ。切り取られたばかりの新鮮な心臓は、祭壇でまだドクンドクンと脈を打っていたという・・・。

鉄も青銅も使えなかった、アステカ人。不思議なのは、それでいて、金細工だけは発達していたというところだ。ヨーロッパ人もビックリの、高度で精巧な金細工。われらがゼカリア・シッチンは、そこに注目する。「誰が、彼らに金の扱い方を教えたか?」、それ以前に、そもそも「なぜ彼らは、他の金属には目もくれず、金だけをアリガタがっていたのか?」というナゾだ。その答は、誰も知らない・・・(笑)。

一方、圧倒的なまでにすばらしかったのは、神殿だ。そこには、神々や女神たちの大きな彫像や、まるく刻まれた大きな厚い石の円盤が並んでいた。

中でも目立つのは、重さが約25トンもあるという、巨大なカレンダーの石碑。それは、52年周期で正確に刻まれた、驚くほど精密な暦だった。かつて、これほど「暦」を神聖視した人々がいただろうか。




↑床の間に飾りたい、豪華なカレンダー


他のことでは原始人のレベルなのに、建築と彫刻、そして、天文と暦だけは、妙に進んでた。う~ん、ナゾは深まるばかり・・・。

ゼカリア・シッチンは、こう問いかける。

>一方では、原始的な粘土や木製の品物、そしてグロテスクな彫像があり、他方では、巨大な石の彫刻や記念すべき壮大な聖域があるという、この2つの対照にはまったく驚かされる。このことは、アステカ族がメキシコにいた4世紀たらずの短い期間では、説明がつかない。このような文明の二面性をどう説明したらよいのか?


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