宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

マインドフルネス瞑想 その2 〜 観察する瞑想

2014年04月13日 | ヴィパッサナー瞑想
   
「集中する瞑想」の次は、「観察する瞑想」、または、「気づきの瞑想」ということになる。
 
集中する瞑想は、「サマタ瞑想」。それに対して、観察する瞑想は、「ヴィパッサナー瞑想」と呼ばれる。
 
日本の仏教で、「止観」といわれているのも同じ。この場合は、「止」が集中する瞑想で、「観」が観察する瞑想。この2つを合わせたのが、「止観」。

この「止観」を見て、遠いスリランカから訪れたスマナサーラ長老も、「日本には、インドの仏教の本来の形が、意外なほど残っている」と、ビックリして感心することしきり。守り続けてきた千年の法灯は、ダテじゃなかった。ありがたや・・・合掌。
 
もっとも、この「サマタ瞑想」と「ヴィパッサナー瞑想」の2つがどう違うのかは、あまり深く考えなくてもいいみたい。たいていの場合、「まずは、意識を集中しましょう」と言って、そのまま、「次に、気づきの瞑想に入りましょう」というような調子で、切れ目なく連続している。その上、「ヴィパッサナー瞑想」という名前のほうが遥かにポピュラーなので、最近は、この2つを引っくるめて、全部をそう呼ぶことが多い。
 
前回の「なぜ、集中力を強化する必要があるのか?」に続いて、「なぜ、注意力を強化する必要があるのか?」というのが、素朴な疑問というものだろう。
 
それに対する答は、「しっかり観察するため」ということになる。
 
仏教には、弟子が守るべき基準として「八正道」(はっしょうどう)というものがある。この八つの項目のうちの七番目が、「正念」(しょうねん)。
 
この正念について、かつて某宗教の教祖は、「正しい方向に向けて、念力をかけること」と解説して、仏教関係者をあきれさせたものだった。これでいくと、ユリ・ゲラーのスプーン曲げは、「正しい念力」だったのかな?
 
残念ながら、「正念」というのは、「念力」の念ではない。どちらかといえば、「念入りに準備しました」とか、「大事な書類なので、念には念を入れてチェックしましょう」というようなときの、「念」に近い。つまり、しっかりと、細部にいたるまで観察しましょう・・・ということ。

  
何を念入りに観察するのかといえば、最大の観察対象は、自分自身の感覚。

感覚は、身体の中でいつも生じている。「イテテ・・・」とか、「気持ちイイ!!」といった、強い感覚もあれば、意識していなければ気づかない程度の、微細な感覚もある。「その微細な感覚をチェックして、気づきましょう」というのが、この瞑想の主眼と言ってよい。

こういう、気がつかないほどの小さな感覚を、ひたすらに観察する。そのことによって、意識が途方もなく鋭敏になり、研ぎ澄まされてくる。

その延長上に、意識の覚醒がありますよ・・・ということになる。

まあ、確かに、眠っているときと、目覚めているときの意識の違いを考えてみれば、普通は、眠っているときのほうがボンヤリしていて、目覚めているときのほうが、ハッキリ・クッキリしているものだろう。中には「睡眠学習」が得意な人もいて、「ボクは、眠っているときのほうがアタマが冴えてるんだ」ということもあるかもしれないが、普通は、そうではない。

注意力を強化し、ひいては、観察力を研ぎ澄ませていくこと。それが、覚醒した意識へとつながっていく。


ところで、「観察」の反対語は何か?・・・という質問を受けたら、どう答えるべきだろう。
  
というのも、小学校の国語のテストには、「反対の言葉はなんですか?」というような問題がよくある。「利益」の反対は、「損失」。「勝利」の反対は、「敗北」・・・といった、よくあるタイプの問題。このあたりまでは分かりやすいんだけど、「戦争」の反対が「平和」とか、「感情」の反対が「理性」とか、「ホントにそれが反対なのかよ?」とツッコミたくなるものもある。

瞑想の世界だと、「観察」には反対の言葉がある。それは、「判断」。

たとえば、建物を見ていて、「なんだ、このボロい建築は。さっさと建て替えないと、震度3でも倒壊するぞ」・・・というようなのは、判断。そういうものを交えず、ただひたすら、あるがままに見るのが、「観察」。

犬がワンワン吠えていたり、赤ちゃんがウエーンと泣いている声を聞いて、「うるさいな」とか、「かわいいな」と思うのが、判断。ただひたすら、あるがままに聞くのが、観察。

精神世界ブログを読んでいて、「なんだ、このブロガーは。アタマ大丈夫なのか?」というのも、判断だ。「これは、良いコメントだ!」というのも、判断。
 
そうした一切の判断を交えず、ただひたすら、あるがままに受け入れるのが、「観察」ということになる。ただし、それを実行するのは難しい(笑)。
 
ルドルフ・シュタイナーの「いかにして超感覚的認識を獲得するか?」という本にも、「一切の判断をまじえない読書」というのが、有効なトレーニングとして強く推奨されていた。つまり、本とか新聞を読んで、その内容を、「正しい」とか、「まちがっている」とか、そういう判断を一切しないという訓練を、意識的に行うというのだ。
 
ここを押さえておかないと、正しい観察はできない。主観を放棄して、一切の判断を交えない・・・というのが、観察する瞑想者の目標。
 
 
(つづく)
 

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マインドフルネス瞑想 その1 〜 集中する瞑想

2014年04月11日 | ヴィパッサナー瞑想
  
アメリカの企業や大学で取り入れられている瞑想は、「マインドフルネス瞑想」と呼ばれる。これは、「集中力と注意力を強化する瞑想」 。

「マインドフルネス」という英語には、ピッタリする日本語の訳がない。普通は「気づき」と訳される。でも、「自覚、集中、覚醒・・・」とか、そういう意味を含んでいる。これじゃ意味がわかりにくいかもしれない。

マインドフルネスの反対は、「注意力と集中力が欠如している、ぼんやりした状態」のこと。マインドフルネスとは、要するに、それとは反対の状態。
 
古代インドの昔から「サマタ瞑想」と呼ばれてきた瞑想と、とてもよく似ている。・・・ていうか、元ネタが「サマタ瞑想」のは明らか。キリスト教文明のアメリカでは、こういう仏教的なモノが、妙に歓迎されたり、逆に反発されたりする。その点、日本とは文化的な土壌が異なる。
 
とはいうものの、専門家によると、「瞑想は、マインドフルネスを実践するための手段のひとつにすぎない。瞑想のほかにも、いろんな手段がある」ということなので、マインドフルネスといっても、必ずしも瞑想とは限らないみたい。要するに、マインドフルネスとは、集中力と注意力を強化すること。

これは、うつ病の治療にも使われる。瞑想は、心の安らぎにつながる。うつ病に効果があるのは、確かだろう。でも、もっと直接に効果があるのは、注意欠陥・他動性障害(ADHD)の治療だろう。
 
ADHDは、病気ではない。単に、注意力と集中力が欠如しているだけだ。だけど、人間が日常生活を送る上では、大きなハンデになる。たとえば、山手線や大阪JR環状線の電車に乗るとき、しょっちゅう逆方向の電車に乗ってしまったり、しかも乗り過ごして引き返したり。あげくのハテは、電車の中で切符をなくして、ゴソゴソと探してみたり・・・。筆者も、かつては、これに悩まされたものだ。

何かひとつのことに向かって意識を集中することにより、極度の精神統一を図る。これは、古来から「サマタ瞑想」と呼ばれ、インドでは「ヴィパッサナー瞑想」と並ぶ、2大瞑想のひとつとされている。ADHDの人は、言ってみれば、スタートラインより50mくらい後にある地点から走り始めるようなもの。大リーグボール養成ギプスをつけて投球練習する星飛雄馬(・・・ちと古いか)みたいなもので、それだけに収穫も大きい。
  
 
・・・と、まあ、理屈をひととおり並べてみたわけだけど、なぜ、「集中力を強化することが必要なのか?」というのが、素朴な疑問というものだろう。

世の中、意識を変える「気づき」の話は、いくらでもある。たとえば、精神世界の指導者の話を聴きに行き、「過去も未来もありません。いま、ここが全てなのです」と言われて、「なるほど!」と、目からウロコが落ちる。それで、悟ったような気になるのはカンタンなんだけど、多くの場合、それは「意識の覚醒」ではなく、「気分の変化」でしかない。

精神世界の話を聞いて、悟ったような気分になったところで、時間がたてば、いずれ元に戻る。スポーツと同じで、精神世界も、他人の話を聞いたくらいじゃ足りない。それを自分のモノにするためには、「訓練」が欠かせないのだ。
 
太陽光線も、そのままでは、「ポカポカと暖かいなあ」という程度でしかない(・・・まあ、真夏とか熱帯なら、かなり熱いけど)。白い紙を、外に置いておくと、変色して茶色になる。その太陽光線を、虫メガネで一点に集中すると、その中心は白銀に、まばゆく光り輝く。やがて、紙はメラメラと、炎を上げて燃え始める。

それと同じように、人間の意識が持つパワーも、マインドフルネスによって、強烈に増幅される。世間の一般人の平均的な意識とは、そのへんの蛍光灯と、レーザー光線ほどにも違ってくる。
 
重要なのは、「いま、ここ」という一瞬に、全力を集中すること。過去の反省とか、未来への希望とか、そういう余計なモノを付け加えることなく、自分の全存在を賭けて、いまという一瞬に完全集中する。まるで、剣豪・宮本武蔵の真剣勝負みたい。
 
意識を覚醒するためには、こうやって、レーザー光線のように、意識パワーを増幅することが欠かせない。

言うのはカンタンだけど、すぐには出来ない。訓練だから、時間がかかる。

たとえば、他人の話に、一心不乱に耳を傾ける。たとえ、いつも同じ話をするグチっぽい人であろうとも、幼児やオウムの片言であろうとも、じっと集中して聴く。

いつもと同じ、駅と自宅との往復であろうとも、意識を集中して歩く。そうすると、予想外に多くの気づきがある。「人間というのは、日頃は、周囲の景色や音声といった、情報の1割くらいしか取り入れていない。残りの9割については、無意識にシャットアウトしているんだな」ということが、よく分かる。

古代インドの昔から、しばしば推奨されてきた手法は、「自分の呼吸に意識を集中する」ということ。

鼻から出たり入ったりする息に、意識を集中する。「1、2、3、4・・・」と、ゆっくり息を数えてみたり。なんの意味もないものだから、雑念が起きない。スマナサーラ長老たちがやっている「ヴィパッサナー瞑想」のセミナーでは、「息を吸ってます。いま、吐きました」という風に、実況中継したりする。

やり方はいろいろあるだろうけど、意識を集中することに変わりはない。

「いまという一瞬に集中する」というと、マジメな人ほど、「いま現在、取り組んでいる仕事や勉強に一生懸命、取り組むことだ」というような意味に取りやすい。でも、むしろ逆に、そういう社会的に有意義なことよりも、「鼻から出たり入ったりする息」というような、意味のないことに集中したほうが、より効果が高いのである。

「いまという一瞬に集中する」というのと、「いま、やっていることに集中する」というのとは、似てるけど、ちょっと違う。何かに取り組んでいる必要は、特にない。むしろ、一番いいのは、何もせず、ジッとしているときだろう。

(つづく)
 
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アメリカの企業で、瞑想が導入されている

2014年04月10日 | ヴィパッサナー瞑想
  
アメリカは、やっぱり世界最先端の地だ。いまさらアメリカを称賛したところで、どうなるってものでもないけど、いまの地球で文明が最も進んでいるのは確実で、そこは認めるしかない。

海外ドラマ・ファンの筆者にとっては、ドラマを見るたびに、それをシミジミ実感する。韓国ドラマや台湾ドラマを見たあとで、アメリカのドラマを見ると、現代モノでも、まるでSFみたいに感じられる。学校も、職場も、病院も・・・。いろんな面で、ほとんど未来社会のような印象を受けるのだ。もちろん、どこの国でもドラマと現実は違うから、そこは均等に割り引くしかないんだが(笑)。でも、おおむね、当たらずとも遠からず。
 
そんなアメリカでは、企業に、瞑想を導入する動きが広がっている。

特に、西海岸のIT企業では顕著なようだ。もともと、かの高名なる故・スティーブ・ジョブズを初めとして、この手の企業を創業する人たちは、いわゆる「ヒッピー文化」みたいなものに染まっている。これは、ニューエイジャーの領域。インド人の導師の下で瞑想したりとか、もともと、そういうことが大好きな人たちだ。

いま、最も注目されるIT企業といえば、やっぱり、グーグルだろう。グーグルのアンドロイドは、世界の多くのスマホやタブレットに搭載されている。急速に普及するタブレットは、ノートPCに並ぶ勢いで、長らく君臨してきたマイクロソフト・ウィンドウズの天下を脅かしている。ビル・ゲイツの片腕として有名なマイクロソフトのバルマー元社長も、「10年前に戻れるのなら、やり直したい」と、妙に弱気なことを言ってるらしい。これから、ウィンドウズは、マウス中心の入力方法から、タッチパネル中心の操作へと切り替えていくんだとか。

そんな、動きが激しいシリコンバレーのIT業界。いつもスピード違反で暴走しているような、なんともキツい世界だ。強烈なプレッシャーとストレスがある。だから、心の安らぎが必要。
 
そこで、瞑想というわけだろう。
  
グーグルでは、「マインドフルネス瞑想」の社内セミナーが、定期的に実施されているらしい。マインドフルネス瞑想ってのは、注意力と集中力を強化する、「気づき」の瞑想。本ブログでもたびたび取り上げてきた「ヴィパッサナー瞑想」と、呼び名は違うけど、まあ、内容はだいたい同じようなものと言ってよい。

マインドフルネス瞑想については、また改めて取り上げるとして、注目されるのは、グーグルを初めとする多くの企業で導入されていること。

ハフィントン・ポストの記事によると、

>Google社やデパートチェーンのTarget社、そして大手食品メーカーGeneral Mills社に共通するものは何か、ご存知だろうか。

>それは瞑想だ。

>東洋を起源とする瞑想の技術、「マインドフルネス」(気づき)のトレーニングを導入する大企業が増えている。
 

グーグルでは、「自分の心をなかを検索する(Search Inside Yourself)」と名付けられたマインドフルネスのコースを実施し、これまでに1000人以上の従業員が受講しているという。

D.I.Y (ドゥー・イット・ユアセルフ)ならぬ、S.I.Y (サーチ・インサイド・ユアセルフ)だ。

ワールド・ワイド・ウェブの中を検索する代わりに、自分の心の中を検索するというわけ。

ニューヨーク・タイムズの記事(英文)によると、この瞑想コースを始めたのは、Chade-Meng Tan という名前の、シンガポール人だそうな。

シンガポールで生まれ育ち、アメリカ西海岸の大学を卒業したTan氏は、創業まもないグーグルに入社し、厳しい荒波の中を生き延びてきた。そんな中で始めた、マインドフルネス瞑想のトレーニング・コース。受講者の口コミで広がり、すでに1000人以上の社員が受講した。いまも、ウェイティング・リストはいっぱいだという。

さらに、ウォール・ストリート・ジャーナルの記事(英文)によれば、欧米のいくつかの著名な大学の、MBA(経営学修士)コースで、マインドフルネス瞑想が取り入れられている。

瞑想には、意識を覚醒させる効果があるのは、もちろんなんだけど、それだけでなく、現実世界を生きる上でも、まちがいなく高い効用がある。

世間の一般人は、スポーツで体を訓練することや、勉強で頭を訓練することの重要性については広く認識している。でも、瞑想によって心を訓練することの重要性までは、まだ十分に認知されていない。

「瞑想」ってものに対して、あまりにも浮世離れしたイメージを持っている人が多い。

でも、マインドフルネス瞑想をやれば、集中力や注意力を初めとする、日常生活を送る上でも重要な能力が、確実に強化されるのは請け合い。見落とされがちだけど、そこは重要なポイントだ。
  
筆者も、もっと前からやっていれば・・・と後悔することしきり。というのも、人間が日常生活を送る上で大切な、集中力や注意力その他が、かつては、とても不足していたからだ。そのせいで、この人生における苦労がどれだけ増えたかは見当もつかない。もっと早く、瞑想トレーニングの重要性に気づいていれば、人生がまったく違うものになったことだろう。いまさら言っても仕方がないことだけど・・・(笑)。
 
(つづく)
  
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アメリカの刑務所で、瞑想が導入されている

2014年04月08日 | ヴィパッサナー瞑想


産経ニュース

 
世界に冠たる犯罪大国・アメリカ。あまりにも犯罪者が多すぎるおかげで、刑務所がパンクして、ものすごく困っている。最近は、刑務所の管理運営を民間に委託するという、民間活力の導入(?)まで実施されている。
 
そんなアメリカで、注目すべき動きが起きている。なんと、刑務所に「瞑想」が導入されているというのだ。記事にいわく、
 
>高圧電流が流れる鉄条網、周囲を威圧する高い白壁−。ニューハンプシャー州ベルリンにある州立刑務所に足を踏み入れると、刑務官の先導で食堂に移動中だった20人ほどの受刑者から、一斉に鋭い視線を浴びせられた。

>刑務所奥に向かうと、冷たいコンクリートで覆われた静謐な空間にたどり着いた。瞑想の場で、刑務官1人とセラピストら女性2人のほか、緑色の囚人服を着た9人の姿があった。

>「呼吸に集中して。そして、長く、短く、深く、浅く、息をして」−

>殺人犯やレイプ犯、腕に入れ墨を持つ者、スキンヘッドの者など8人に静かな声で指示していたのは、殺人罪で終身刑となったシェーン・ピット受刑者(41)。いずれも静かに目を閉じ、石のように動かない。座禅を組む者もいた。


刑務所の中で、一心不乱に瞑想する人々。いかにもテレビドラマの悪役として出てきそうな、入れ墨やスキンヘッドをした、凶悪なご面相の人たちだ。彼らは、殺人犯やレイプ犯といった、ホンモノの凶悪犯罪者。とても荒々しい、闘争的な人生を送ってきた。かなり、心がすさんでいる。そういう人たちが、瞑想して変わってきた。
 
>効果は徐々に表れている。ある受刑者(41)は「幼少時から心に巣くっていた『邪悪』と向かい会えるようになった。刑務所が人生を変えた」と話す。

瞑想して心を鎮めたおかげで、精神安定剤のお世話にならなくてすむ人が続出。ただでさえ、受刑者が多すぎて予算がパンクしている刑務所にとっては、クスリ代を節約できて大喜びだ。

中には、「瞑想教育を受けた者の再犯率が50%減少する」という結果も出た刑務所もあるというから、瞑想の効果は、まさにオドロキ。

瞑想して、雑念を排除し、意識を集中する。クリアな心境の中で、闘争心は薄れ、エゴが消えていく。小さなコップの中の水のようだった自我意識が、宇宙意識という大いなる海の中に溶けていき、見えなくなっていく。

受刑者たちは、並はずれて過酷な人生を送ってきた。希望のない日々をすごしてきたおかげで、一種の諦観に達している。それだけに、心境の変化も早い。
  
でも、ブーブー文句を言い出す人が、どこの世界にもいるものだ。アメリカの中でも、南部はとくに、キリスト教の精神的な影響が強い。

怒り出したのは、キリスト教の牧師だった。イエス・キリストの教えを信じて悔い改めるべき受刑者たちを、「仏教に改宗させるつもりか?」という反発が起きてきたという。
  
だが、それは問題ないと思われる。瞑想して、しかもキリスト教を信じればいいだけ・・・としか思えないのだが(笑)。
 
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今度こそ本当に、中国バブルは崩壊

2014年04月07日 | 東アジアの夜明け
   
今の世界を見ると、「急速に変化しているな」と、しみじみ思う。
 
「世界の警察官」だったアメリカは、軍事費を大幅に削減し、世界秩序を維持する役割から降りつつある。シリアの内戦でも、「化学兵器を使ったのはケシカラン。攻撃するぞ」とアメリカ大統領は宣言したが、結局、実行されなかった。ロシアがクリミア半島を併合しても、経済制裁を発表したくらいで、介入するような動きはない。
 
在韓米軍の司令官も、「軍事予算が削減されたので、もう朝鮮半島を防衛するだけの軍事力を維持できない」とコメントしている。アメリカは、韓国から徐々に撤退する方向だ。 
 
世界から手を引きつつあるアメリカに代わって、中国が太平洋とインド洋に手を伸ばしている。でも、中国の場合は、国内がガタガタな状態だ。

今まで10年以上もの間、「中国は崩壊する」という話をさんざん聞かされてきた。筆者も、そう言い続けてきた(笑)。でも、現実はそれとはウラハラに、中国経済はますます勢い盛んになるばかり。中国は、いつまでたっても崩壊するどころか、ますます発展してゆく。「中国は崩壊するぞ」と唱える人たちは、まったくのオオカミ少年と化したのだ。
    
ところが、「今年は、本当にヤバイ。いよいよ、オオカミ少年が本当になるときが来たようだ」という声が、世界各国で高くなっている。というのも、マネーゲームが、いよいよ本当に限界に来ているからだ。
 
上海や南京・杭州その他の不動産は、急速に値下がりしてきたので、現地に行った知り合いも驚いていた。マンションの売り出し価格を大幅に下げるので、先に買った人たちが怒って暴動を起こしたり・・・。日本のバブル崩壊でも、そういうことは多かった。ただし、日本人の場合、暴動を起こすことは、まず無いのだが。

それだけではない。他のいろんな指標も、中国のマネーゲームがいよいよ限界だということを示している。

たとえば、中国では、大量の鉄や銅を作るため、ものすごい量の鉄鉱石や銅鉱石を輸入している。銅鉱石の場合、輸入量が世界の4割を占めるとか。

普通は、輸入した銅鉱石は、金属工場で銅を作るために使われるんだけど、中国の場合は、それに止まらない。それを担保にしておカネを借り、高利回りの金融商品に投資する・・・なんてことが広く行われている。

たとえて言えば、クレジットカードでおカネを借りまくり、それでパチンコをやっていた人が、限度額いっぱいにまでキャッシング枠を使い切ってしまったときにやる手口みたいなものか。

「残念ながら、アナタは、キャッシング枠を使い切ってしまいました。もう、おカネを貸せません」と言われた。そういうときは、ショッピング枠で商品券とかを購入して、換金業者のところに持っていく。そこで、商品券を売って現金をゲットする・・・というわけ。それと同じように、中国では資源を輸入して、それを元手に資金を集めて、バクチを打っている。本当に、バクチ好きな国民だ。
 
今までは、国をあげたバクチがうまくいって、経済を活性化してきたけど、問題は逆回転してきたときだろう。実際、シャドーバンキングの高利回り商品の償還が滞ってくれば、輸入代金を決済できなくなる。そうなると、銅鉱石を輸入できなくなる。

「そのせいで、銅の価格が世界のマーケットで急落している」というから、バクチ好きの恐ろしさは想像を超える。でも、多くの専門家がそれを指摘している。

 
>約1か月前の3月7日、銅の国際相場は、7200ドル/トンレベルから一気に6500ドル/トン近辺まで急落した。実に約10%の急落であるから、市場関係者は「何が起こったのか?」と驚いた。

>この状況は一過性のものではない。4月から6月にかけて、さらに銅価格の下落の可能性もある。理財商品で集められたカネ自体も、建設関係や鉱山開発などに投資されているので、運用成績が不調でデフォルトが発生すれば、さらなる悪循環を招く懸念がある。
 
ブロゴスより)


いつも、「危ない、危ない」と言われ続けているのに、なんだか、誰にも本当のことは分からないようなブラックボックスの中国経済だけど、こういった「銅の相場」とかはゴマカシがきかないので、こういうのを見れば、だいたい状況がわかるというもの。
  
エコノミストは、こういうデータを集めて、判断を下す。経済が本当に危ないときだけ、「本当に危ないです」と言えば良い。そうすれば、オオカミ少年にならなくても済んだのに(笑)。

これだけでなく、「いよいよ本当に、中国バブルは崩壊」という事態を示す根拠は、他にもたくさんある。これは、ホンの一例にすぎない。
    
そんなこんなで、「中国」という国家そのものが、いきなり崩壊するかどうかはともかく、バブル経済は崩壊して終焉。「少なくとも、今までみたいな経済成長はできないでしょうな」という点で、多くの専門家の意見が一致している。
 
   
・・・ここからは、願望も混ざった意見になるけど、やっぱり、中国には崩壊してもらいたい。ああいう巨大な統一国家ではなく、もうちょっとバラバラになってもらいたいものだ。
 
四川省や山東省などは、たとえ独立したとしても、人口1億もいる大国だ。広東省はもっと大きくて、経済規模は韓国にも匹敵する。全部の省が一斉に独立したら、それぞれが、インドを除くアジアのほかの国々と、ちょうど同じくらいの規模の国になる。
 
もちろん、これらの省が、ある日突然、「中国から独立します」と宣言する・・・なんてことは、あり得ない。台湾でさえ、いまだに独立宣言していないというのに、大陸でそんなことをマジメに考えている人など、普通はいない。
  
でも、北京の共産党政府が崩壊して、地方をコントロールできなくなれば、独立宣言はしないまでも、実質的にバラバラな状態になるだろう。軍閥割拠で、大陸はいくつかの軍区に大きく分かれる。過去2千年以上の歴史の中で、数え切れないほど繰り返されてきた事態だ。
 
そもそも、東アジアでは、ヨーロッパほど、キッチリと国境を定める必要がない。香港や台湾がいい例だ。建前としては「中国」という国家が続くにしても、実態としては、香港みたいな自治都市や、台湾みたいな事実上の独立国とか、韓国のような衛星国といった、バラバラな地域がたくさんある、緩やかな国家連合になるのがベストだ。
  
そうなったら、何年かは大陸が混乱するだろうけど、しばらくすれば、以前にも増して力強く、東アジア全体が発展するに違いない。
  
ヨーロッパ諸国も、ドイツ帝国・オーストリア帝国・ロシア帝国・オスマントルコ帝国・・・があった頃は、帝国同士がぶつかり合って、いつも険悪なムードだった。でも、1914年の第一次世界大戦で、これらの帝国は、みんなガラガラと崩壊した。それからも紆余曲折はあったものの、いまやヨーロッパは、東欧の一部を除いて、すっかり平和な文明圏になった。
  
今年は、それから100周年。今度こそ、中華帝国が崩壊する番だろう。
   
その後の東アジアは、すばらしい文明圏になる。広大な中国大陸を、韓国・台湾・香港・シンガポールが取り囲み、その周囲には先進国の日本や、資源の豊かな東南アジアもある。貿易は、世界の半分以上を占めるようになるだろう。欧米がすっかり小さく見えてしまうほど、東アジアが世界の中心になるに違いない。
  
「願望が混ざっている」と言っても、遅かれ早かれ、いずれは確実にそうなっていく。できるだけ、早いに越したことはない。その時期はもう、すぐそこまで来ている。
    
「これからの地球の進化は、日本が中心になる」と言う人も多いけど、筆者の見たところでは、「日本」というより、「自由で繁栄する東アジア」こそが、21世紀の地球の進化の表舞台になるはずだ・・・。
  
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