宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

政府がおカネを配る社会

2014年04月25日 | お金が要らない世界

精神世界には、おカネをトコトン毛嫌いして、「悪魔の発明」みたいに言う人もよくいる。確かに、その気持ちも分かるんだけど、ちょっと極端すぎる感じだ。

おカネというのは、別に、地球人類を陥れるために悪魔が発明したわけではない。どこの社会でも、必ず自然発生する。原始人の社会でも、物々交換でやっていけるのは最初だけで、しばらくすれば、貝殻とかコメとか、何かが交換手段の道具として使われるようになる。

インターネットの世界では、このことを実感しやすい。

最たる例が、ゲームだろう。今はどうなのか知らないが、2〜3年前は、モバゲーやGREEなどのソーシャルゲームが大流行していた。カードゲームでは、強いカードをどれだけ持っているかで勝負が決まる。このため、マニア同士では、カードを交換するのが盛んになる。でも、カードとカードを直接交換するのは、よほど双方のニーズがマッチしない限り、難しい。

そこで、ゲームで使われるアイテム、「回復ツール」とか「メダル」とか、そういうのがゲーム内の通貨として使われるようになる。「このカードは、メダル150枚くらい」とか、「そのカードは、メダル30枚くらい」、「これがメダル70枚とは、高いな。もうちょっと値下げしてくれ」・・・という具合に、日々の取引が行われる中で、自然と相場が決まってくる。ゲーム運営会社がもっと強いカードを出せば、古いカードの相場は下がる。メダル120枚のカードを、200枚で売ろうとしても、まず買い手はつかない。そういうときは、値下げするか、もしくは、相場を知らない初心者を騙して売りつけるしかない(笑)。

これは、どんなゲームでも、自然発生的に必ずそうなる。誰が決めるわけでもなく、自然にそうなっていくところが興味深い。

結局のところ、世の中に「おカネ」なんてものが、なぜ存在するのかといえば、ないと不便だからだ。要するに、おカネとは、「便利な道具」だということ。道具である以上、うまく活用すれば、世の中を変えることができる。

それなのに、どうして、おカネがこれほど罪悪視されるのか。なぜ、「諸悪の根源」とまで言われるのか。

それは、世の中に、おカネがなくて困っている人が多いからだ。ものすごく困って、そのために死ぬ人まで出てくるから、問題がある。

その一方では、おカネが余って余って仕方がない人というのも、確実に存在する。しかも、そういう人のところに、おカネがさらに集まってくる傾向がある。これは、シャレにならない問題だ。

筆者の知人にも、毎月、月末が近づくと、どんなに疲れていても銀座のクラブに行く人がいた。というのも、年間所得が何千万円、億単位というような人は、高額の所得税に悩まされている。税金対策のためには、年に1千万円とか、交際費を必ず使わなければいけない。それも、「毎月100万円」とか、決まった額をコンスタントに使っていなければ、税務署は認めてくれない。

でも、忙しい人にとって、交際費を月100万も使うのは大変なことだ。毎晩、パーティーをして過ごすわけにもいかない。だから、月末が近づくと、予算を消化するため、銀座のクラブに行くことになる。「座っただけでウン万円」の高級クラブに行くのだが、仕事で疲れているから、そこで寝る。グーグー眠って、予算を消化する。実際に、そういう人がいた。

オバマ大統領と安倍首相が、銀座の高級すし屋に行って話題になった。ここは、十席ほどのカウンター席があって、メニューは1人3万円のおまかせコースのみ。しかも、20〜30分で食べ終わって出て行かなきゃいけない。そんな店が、VIPや海外セレブの御用達として有名で、予約がずっと先まで満杯だという。これというのも、上に書いたような、「忙しいけど、交際費の予算を消化しなきゃいけない人」がいるからだ。そんな人にとっては、「打ってつけのファーストフード」なんだそうな。

だんだん話が脱線してきたけど、要するに、「おカネ」というものに対する発想を、柔軟にすべきではないかと思う。これは、水みたいに世界を循環しているもので、そんなカチコチに固まっているわけではない。拝金主義も困ったものだけど、潔癖症みたいに毛嫌いされるのもおかしい。

前の記事に書いたような、「政府が、国民におカネを配る社会」というのも、柔軟な発想の一つだろう(笑)。

戦時中は、食糧が不足して、皆がお腹をすかせていた。そういうときは、政府が国民に、食糧を配給する。このように、モノが足りないときは、モノを配る。

でも、今はそうではない。モノが余っている。特に工業製品は、過剰生産されている。こんなときは、おカネを配ったほうが効率がいい。

要は、「おカネがなくて困る」という、地球人類の苦悩の原因を取り除けば良いのである。そのためには、「おカネをなくす」のではなく、むしろ逆に、「おカネをバラまく」ことが、解決への近道になるだろう。

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改めて、お金が要らない世界

2014年04月23日 | お金が要らない世界

ずっと前に書いた、「ベーシックインカム」に関する記事に、なんと感想のメールが届いた。ありがとうございます。

ベーシックインカムとは、政府が国民全員に、一定額のおカネを配るという制度。現在は一部の人に偏っている年金や生活保護の制度を、すべての国民に広げるという感じ。

一見すると無理な制度みたいだけど、決して不可能ではない。今でも日本の社会保障費は膨大なものだ。おカネの配り方を変えれば、薄く広く、対象を広げることは十分に可能となる。

これをやると、「人は働かなくなる」とよく言われるんだけど、そんなに多額のおカネにはならないから、心配しなくてOK(笑)。

まあ、それを現実に実行するかどうかはともかく、「おカネがなくても困らない社会」を、そろそろ真剣に考えてみてもいいんじゃなかろうか。

もちろん、世の中には過激な人もいて、一足飛びに「貨幣制度を全廃せよ」と唱える人もいる。でも、いきなり最終目標まで跳躍するのは、さすがに無理というものだ。

まずは、「おカネがなくても、必要最低限の生活は維持できる社会」が目標だろう。デフレが長く続いたおかげで、今でも、低価格なモノが世の中にあふれている。その気になれば、相当に低いコストで生活することが、日本でも可能になってきている。もう、あと一歩という感じだ。

アメリカでは、フードスタンプの配給に行列ができている。農業が盛んなアメリカは、余った食糧をさばくためにも、貧乏な人にフードスタンプを配って、食べるのには困らないようにした。これがあれば、スーパーの売れ残りの食品とかと交換できる。日本でも、わざと夜遅くにスーパーへ行き、賞味期限が切れる寸前で半額に値下げしたお惣菜を狙う人がよくいるけど、それに似ている(笑)。

こういうのも、デフレだから出来ることだ。

日本では、アベノミクスが実施されて一年余りになる。金融緩和こそ、アベノミクスの肝だ。要するに、通貨を発行する日本銀行が、ジャンジャンとおカネを発行して、世の中に流すということ。

もちろん、インフレの時代にそれをやれば、おカネの価値がますます下がり、物価が上がって大変なことになる。それは、真夏の暑いときに暖房をつけるようなものだ。

でも、今の日本のようなデフレの時代には、きわめて有効な手段になる。真冬の、凍りつくような寒さのときに、暖房をつけるようなものなのだ。そんなときに、冷房をきかせる人はいない。それと同じこと。

でもって、日本銀行が、国債をバンバン買い取る。百兆円でも、二百兆円でも、ドンドン買う。国債は、政府の借金だけど、日本銀行は、なんたって「円」の出ドコロだ。ここに政府の借金を引き受けてもらえば、政府は実質的に、返す必要もなければ、利息を払う必要もなくなってしまう。つまり、その分だけ借金が無くなったも同然。

インフレのときに、これをやったら、とても危険なことになる。それでなくても、やりすぎると信用をなくす。でも、デフレのときには有効だ。

あとの問題は、そのおカネをどうやって国民に配るかということだけ(笑)。

かつて中国では、内陸部の貧しい農民に金券を配り、電化製品を買わせるという手法で、景気が悪くなるのを防いだ。

「世界の工場」と化した中国では、大量の商品が過剰生産されている。アメリカのフードスタンプと同じで、なんとか、余ったモノを国民に買わせたい。でも、貧乏な人が多すぎて、買えない。そこで、おカネを配るのだ。そうすれば、電化製品が売れて景気が良くなる。

これを見て、「さすがは、中国。人口が多いという利点を生かした、斬新な景気刺激策だ!」と感心した人は多かった。もちろん、これも、やりすぎると信用がなくなるから、限度はあるんだけど・・・。

「政府が、国民におカネを配る」というアイデアは、決して突飛なものではない。豊かな暮らしをしたい人は、もっと働いて稼げばいい。そこは、選択の自由というもの。

どの国の例を見ても、「モノが余っている」というのが、この話の前提だ。モノ不足でみんなが困っているような、生産力の低い社会では無理。つまり、生産力が高い、21世紀の世界だから出来ること。

ここまで来れば、「おカネが要らない世界」が、地平線の向こうから姿を現してくる・・・。

(続く)

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天命

2014年04月22日 | 精神世界を語る
  
アセンション巡回のついでに、阿部敏郎氏の「いまここ」ブログも見た。ここは、しつこくコピペする人がいたおかげで、すっかり嫌いになってしまったが、読んで参考になった。信者さんたちのおかげで新興宗教が大嫌いになったのと同じ原理だけど、教祖の著書も、読めば参考にはなるのと一緒(笑)。
 
 
>自分の天命って何だか考えたことありますか?

>ソウルメイトはどうですか?

>ソウルメイトと出会って、天命を生きられたらって、そんなこと考えたことありますか。


>ある一部の人はこう思っています。

>いつかそんな出会いがあったら、私の本当の人生が始まる。

>いつか自分に偉大な気づきが訪れ、使命が明確になった時、そこからが人生の本番だ。


>そんな人にとってここからのお話は、やや悲しいお知らせになります。


>あなたの本当の人生はすでに始まっています。

>まさにいまが、人生の本番です。


>本番の意味わかりますよね。


>「お客さん、本番にします?」

>の本番じゃありません。


>人生とはリハーサルがない本番の連続であり、まさにいまが、二度と繰り返されることのない本番なのです。


>あなたはすでに天命を生きています。

>いまの目の前のこの人生が、かげがえのない天命です。


>天はあなたの中で、いまのあなたを体験したかったからあなたを作りました。

>その感情、その考え方を体験したかったのです。


>そしていま、あなたの周囲にいるその人がソウルメイトです。

>70億人の中から選ばれて、あなたのために人生を彩ってくれるその人です。

>たとえその人との関係がどうであれ、その人がどんな人であれ、あなたの魂の成長に必要だから登場してくれています。

>いつか現象界の仕組みが分かった時、その人たちに心から感謝することになります。

(以下略)


これは、確かにその通りだろう。「いつの日か、おのれの使命に目覚める」なんてことは、あり得ない。それは、「時間」がもたらした錯覚であり、幻想にすぎない。
 
いま生きている、この一瞬こそが、天命だ。

要するに、こんな地球で生きていかなきゃいけないということ自体が、天命そのものなのだ。
  
別の、日本で1、2を争うメジャーな精神世界ブログ(・・・というより、インターネット宗教)には、「生かしていただいて、ありがとうございます」という人たちがいる。
 
筆者に言わせれば、こんな地球で生きているのは、一種の罰ゲーム。この先も、まだ当分のあいだ、地球での人生が続くと思うと、トホホの心境だ。どこがアリガタイのか、よく分からないところではある。
 
もっとも、こればっかりは、誰に文句を言うわけにもいかない。この地球で生きていること。それ自体を、運命として受け入れる。それこそが、われわれの天命なのだ。
 
この一瞬を生きる。それだけが、われわれの天命。

とりあえず、ありがたや・・・・・合掌。
 
 
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ライトワーカー

2014年04月22日 | アセンション 〜 地球の次元上昇
   
久々に、ネット上でアセンション巡回した。次から次へと、アセンション情報をチェックした。
 
「もう、アセンションのブームは去った」という人もいれば、「いよいよ、これからだ」という人もいる。
 
一般的には、「2012年12月21日」という期日であまりにも盛り上がったおかげで、その反動が来ている面もあるだろう。でも、人によっては、そんなの関係ない。こればっかりは、物事を見る角度によるだろう。おそらく、「正直、どっちでもいい」という人が多数派かもしれない(笑)。
  
それはともかく、ここは、安定のドリーン・バーチューを見ておかないと。「ライトワーカーが持つ癒しの力」というメッセージが載っていた。
 
ライトワーカーについても、「もう、ブームが去った」という人もいる。でも、これはブームとかなんとか、そういうものではない。この地球に生まれたライトワーカーたちは、まだ生きているのだ。その事実には、なんら変化がない。変化しているのは、地球の環境だ。こちらは、急速に変化している真っ最中。
 
「ところで、ライトワーカーって何だっけ?」というのが、素朴な疑問だろう。
 
 
>ライトワーカーとは、この惑星とそこに住む人々を、恐れが与える影響から解き放つ手助けをすることを自ら選んで生まれてきた人のことをいいます。

>どのライトワーカーも、聖なる目的を持ってここにきています。しかし、地球の生活では、物質的なものに関心が集まるため、多くの場合、ライトワーカーたちは記憶喪失のような状態に陥ります。そうして、自分が神の一部であり、完璧であるという自己認識も失い、地球とそこに住む生きとし生けるものすべてを奇跡的に助ける能力を持っていることさえ忘れてしまうのです。ライトワーカーが、真の自分も、目的も見失うと、どうしてよいかわからなくなり、不安を感じます。

>もしあなたが次のように感じることがあれば、あなたはライトワーカーです。

- 人を癒すのが自分の使命だと感じている。
- 世界の社会問題や環境問題を解決したいと思っている。
- どんな状況もスピリチュアルな方法で解決できると信じている。
- 霊的な予感や、天使との遭遇といった神秘体験を持っている。
- 自分は神のように完璧であるという認識をそこなわせるような過酷な人生に耐えてきている。
- 世界を癒すための第一段階として、自分の人生を癒したいと思っている。

>あなたは、自分の癒しの体験を文章に書いたり、教えたり、助言したりせずにはいられなくなったり、また、高次の目的を持って生まれてきたことに気づく前に、自分の使命を一刻も早く果さなければいけないと感じたりすることがあるかもしれません。その使命が何で、どのようにして遂行すればよいかもよくわからないのに‥‥。
 
 
そうなのだ。ライトワーカーは、人々を癒すために、地球に生まれてきたのだ。
 
そのためにも、とりあえず、自分の人生を癒したい。そう思っている人が大半を占めている。それだけ、地球での人生が過酷だったということだろう。

ライトワーカーには、この地球に生まれて、一種の記憶喪失になっている人が多い。自分の本当の目的とかが、思い出せなくなっているのだ。
 
そんなライトワーカーたちは、とりあえず、人々にメッセージを伝えようとしている。ブログを書いたり、掲示板にコメントを書いたり、コピペを貼ったり・・・。講演会や、瞑想セミナーをやっている人もいる。中には、右翼みたいに街宣活動している人だって、いるかもしれない。それぞれ、思い思いにやっている。
  
自分の使命が何で、どうのようにして遂行すればいいのか分からないけど、「とにかく、使命を果たさなければいけない」と感じている・・・というのが、ドリーン・バーチューさんの描く、ライトワーカーの人物像。
 
そんなライトワーカーたちは、いま、どうしているのか。
 
 
>今、この惑星のいたるところで、ライトワーカーたちは、なぜ自分がこの地球にやってきたかを知る、かすかな記憶を呼び戻しつつあります。無視することのできない内なる呼び声を聞いているのです。この呼び声は、物質的な夢をもて遊ぶことをやめて、本来の仕事にとりかかる時期がきたことを知らせてくれています。

>ライトワーカーの多くは、霊的なコミュニケーション能力やスピリチュアルヒーリングの能力など、天性のスピリチュアルな資質を自分のなかに見い出しています。こういった資質は、新しく始まった千年紀の前後数十年間に、地球や人類を癒すために自発的に使うように与えられたものなのです。

>数々の予言が、私たちライトワーカーが地球に到来することを告げてきました。そして、今こそ私たちが聖なる目的を遂行するときなのです。世界の行く末は、私たちにかかっているのです。

>ライトワーカーである私たちが自分の使命を果すのに、既に備えているものに何か付け加える必要などありません。私たちには、十分な資質が備わっています。そのような能力は、まだ使われずに眠っているかもしれませんが‥‥。ただ、その代わり、ライトワーカーとしての能力に自信を持ち、ライトワーカーとして行動することの恐れを解き放つ努力は必要です。ライトワーカーとしての力は、「自我」からではなく、あなたのハイヤーセルフと神からもたらされていることを思い出せば、あなたは自然に、スピリチュアルヒーラーとしての自分の能力を確信できるようになるでしょう。

>意思、考え、精神を集中させれば、どんなことでも癒せます。限界はありません。自分で自分のヒーリング能力に限界を設けさえしなければ。
 


なぜ、今になって、これが目に留まったのか。それには、理由がある。

それは、「意思、考え、精神を集中させれば、どんなことでも癒せます。限界はありません。自分で自分のヒーリング能力に限界を設けさえしなければ・・・」という下りを見て、「う〜ん、その通りだな」という実感がわいてきたから。
 
最近は、「思考を停止して、意識を集中する」という修練が、かなり進んできた。そうなると、この意識状態なら、たいていのことは実現しそうな気がしてくるから不思議なものだ。いつもの見慣れた物質世界が、なんだか違って見えてくる。
 
「意識のパワーを、レーザービームのように増幅する」と何度も書いてるけど、これは本当の実感。余計な雑念は、そのパワーが発現するのを、明らかに妨げている。
 
だからといって、ここ数日で、コンサル星人(こっくり)が、なにか奇跡を起こしたってわけでもないのだが・・・(笑)。
    
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観察する瞑想で、知覚を拡大する

2014年04月21日 | ヴィパッサナー瞑想
スザンヌ・リー

スザンヌ・リーさんという人が、観察の瞑想の意義について、シンプルに解説している。RIEKOさんの翻訳もアチコチでコピペされてネット上に流布している(元ネタのリンク不明)。


>多次元マインドを三次元脳に合わせて調整を行うと、私達の意識、つまり知覚は大きく拡大します。

>私達の拡大知覚が目覚めると、身体の五感の限界によってとどめられていた大量の情報が表面化して私達の気づきに現れ、現実が透明化します。

>日常でこの「全てを知っている」状態にいると、制限や分離といった残存している幻想が解体してゆきます。

>日常で私達が特別な才能を発揮するように、拡大した知覚は強化され、日常意識にオンライン化します。

>こういった拡大知覚は、私達の真なる多次元的本質が元々持っているものです。

>それが理解できず、恐怖心から判断を下す人々が出てきます。

>このように他人から判断を下されることがなければ、多くの人々が拡大知覚を隠すこともなくオープンに使うことができることでしょう。

>幸い、どんどん人々は目覚めていますので、そういった判断が下されることが少なくなってきました。

>ですから私達の中からこの新たに活性化された、この長らく隠されていた知覚能力を使う人が増えてきています。


これによると、スピリチュアルな目覚めとは、「知覚の拡大」なんだそうな。日常生活で使っている五感とは異なる、拡大された知覚。いままで、超能力とも、観自在力とも言われてきた能力だ。

それによると、この新たな知覚は、自分の身体の中の微細な感覚を、念入りに観察することで得られるらしい。

「新たな知覚を得る」というより、むしろ逆で、「もともと持っていた、古い知覚を思い出す」という感じ。


>この生来持っているサイキックな知覚を取り戻す一番の秘訣は、私達のマインドやハート、身体の内で囁きかけてくる静かで小さな声に耳を傾けること。

>私達は聞き、見、感じ、匂い、触れるものについての情報を得るために肉体の五感を使います。

>そして高次意識の拡大した振動に共鳴する情報についても、肉体が教えてくれます。

>覚えておいてください、私達は単に意識を上昇させるのではありません。意識を拡大させるのです。

>意識、思考、期待、知覚を拡大させると情報がやってきます。
 
  
  
・・・これは、実にシンプルに要点がまとまっている。
  
「念入りに観察する」ったって、なにが目的でそうするのかは、なかなか分かりにくい。

ここでいう、「私達のマインドやハート、身体の内で囁きかけてくる静かで小さな声に耳を傾ける」というのは、まさに、そのものズバリという感じだ。

「静かで小さな声に耳を傾ける」ためには、まず、まわりでワイワイガヤガヤ言っている、周囲の雑音を封じなければいけない。思考を停止するのは、そのため。意識の中では、「思考」こそが、おしゃべりの雑音なのだ。だから、まずは、それを止める。
 
そうすると、「静かで小さな声」が、かすかに聴こえてくるようになる・・・。それによって、眠っているサイキックな聴覚を呼び起こす。
 
サイキックな感覚というのは、肉体の五感のように粗雑ではなく、とても微細なもの。だから、真昼のまぶしい太陽の光に隠れて、いつもは夜空の星が見えないように、ふだんは眠って使えなくなっている・・・というのが、ルドルフ・シュタイナーもしきりに強調するところだった。
 
ここは、ギラギラする太陽を、いったん地平線の向こうに沈めなければいけない。つまり、日常の強力な思考とか感情とか、その他もろもろを、いったんは消し去ってしまう。夜空にまたたく美しい星を探すのは、それからだ・・・。
 
「観察する瞑想」というのは、ひらたく言えば、そういうことでした。
 

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