宇宙のこっくり亭

意識の覚醒に向かって、精神世界を縦横無尽に語る本格派ブログ!!

ブルーソーラーウォーター ~ ホ・オポノポノ

2009年03月31日 | 精神世界を語る
   
ヒューレン氏によれば、過去の記憶のデータを消去するクリーニング・ツールは、「四つの言葉」だけではない。「ブルーソーラーウォーター」にも、同じような効果があるという。
  
「ブルーソーラーウォーター」というのは、青いガラス瓶に水を入れて、太陽光に1時間ほど当てたものだ。
 
ガラスを透過した青い光が、水の波動を変える。これを飲めば、過去の記憶を忘れられる・・・。

ヒューレン氏は、ブルーボトルを持ち歩いて、ブルーソーラーウォーターを1日2リットルも飲むというから、ハンパではない。また、飲むだけでなく、いろんな用途に使っても効果があるという。これは、かなりの話題を呼んだ。人見ルミさんの会社「船井メディア」が通信販売でブルーボトルを発売したところ、注文が殺到したそうな。「枯れた庭の植物にブルーソーラーウォーターをかけたら、植物が蘇りました」といった、喜びの声が寄せられたという・・・。

また、「アイスブルー」という言葉にも、呪文のような効力があるらしい。この言葉を唱えれば、遥かかなたの氷河から、青く冷たい氷吹雪が吹き込んできて、すべてを冷やし、癒してくれる。特に、植物の癒しに効果があるようだ。

思うに、これは暑いハワイの植物だから、青い氷河の冷たさを喜ぶのではなかろうか。寒い地方の植物には、むしろ「レッドホット」とでも唱えるべきなのかもしれない。
 
残念ながら、手元に青いガラス瓶がない。そういう場合は、イメージトレーニングでも効果があると書いてあるので、例によってお言葉に甘えることにした(笑)。

まず、青いガラス瓶をイメージする。最初のうちは漠然としているが、やがて、特有の硬質な手触りの、指で弾けばカチンと音がするブルーボトルが、観念の世界に確かな実在感を伴って姿を現してくる。個人的な趣味のせいか、古代ペルシャからシルクロードを通って東洋に伝来したような、丸くふくらんだ深い青の瑠璃瓶が出現。ガラスの青い透明な光が、周囲の空気をかすかに青く染めている。そこに、水を満たす。触ったら手が切れそうな、氷のように冷たく澄んだ水が、さらさらと注がれる。水はなみなみとボトルを満たし、水滴が青いガラスを伝う。それを、燦々と光輝く南国の太陽の下で、しばらく放置するのだ。

なんとか、生々しいイメージングに成功した。あとは、その水を飲むところをイメージするだけ。試しに飲んでみたところ、ぬるくて不味かった・・・。
 
でも、これでも効果があるという話なので、やってみる価値はありそうだ。
 

過去の記憶をクリーニング ~ ホ・オポノポノ

2009年03月29日 | 精神世界を語る
   
なぜ、これほど「過去の記憶」はジャマなのか。
 
その理由についても、簡単な解説が付けられている。
 
人間の顕在意識の奥には、潜在意識がある。さらにその奥には、「超意識」がある。この超意識は、「神聖なる知能」と一体化しているという。
 
この「神聖なる知能」は、全知全能の存在。なんでも知っている。ここから無限のインスピレーションが降りてくれさえすれば、何も問題は起きない。「神聖なる知能」は、過去の悪い記憶を、すべて消してくれる。あらゆる歪みを元に戻し、本来あるべき、悦びに満ちた世界を実現してくれる。
 
問題は、「神聖なる知能」が、何かにジャマされて、その全知全能ぶりを発揮できないことにある。ジャマしているものがあるばっかりに、神聖なる知能との円滑なコミュニケーションが図れずにいるのだ。

いったい、何がジャマしているのか。

「インナーチャイルド」が暴れてジャマしている、ということだ。

ホ・オポノポノでは、顕在意識を「ウハネ」(母)と呼び、潜在意識を「ウニヒピリ」(インナーチャイルド、内なる子供)と呼ぶ。

インナーチャイルド(潜在意識)は、あらゆる不幸の元凶である「過去の記憶」のデータを、膨大に蓄積している。

「インナーチャイルド」(内なる子供)は、愛情が不足していると、鳥カゴの中のインコみたいに大騒ぎして暴れる。インコなら単にバタバタ、ピーピーとうるさいだけだが、潜在意識の場合は、ネガティブな記憶を増幅させて、周囲の世界にどんどん不幸な出来事を現実化させるから困ったものだ。でも、インコと同様に、愛情をもって接すれば、カゴの中でおとなしくなる。 
 
つまり、「内なる子供」(潜在意識)が暴れないよう、なだめることさえ出来れば、現実の不幸は消滅するということだ。
 
この、なだめる作業こそが、「過去の記憶のクリーニング」というわけ。

インナーチャイルドをなだめるのは、簡単だ。「四つの言葉」を心の中で唱えればOK。

その四つの言葉とは・・・

“Thank you”,“I'm sorry”,“Please forgive me”,“I love you”・・・

だという。

日本語にすれば、「ありがとう」、「ごめんなさい」、「許してください」、「愛しています」・・・ということになる。

個人的には、やはり英語の方がシックリくる。これは、日本人的な「私が悪うございました・・・」といった情念の世界ではなく、もっとクールでドライな印象だからだ。それこそ、「呪文を唱える」という感じ。もちろん、深く反省して悔い改めるのなら、それはそれで結構なことだが、単に呪文のように唱えるだけでもOK。
 
これらは自分の内なる「インナーチャイルド」を可愛がって、暴れないようになだめるための魔法の言葉。「愛しています」というのは、自分自身の潜在意識を愛するのである。すべてが自分の内側にある以上、自分自身に向かって言葉をかけるというのがミソだ。
 
そして、悔い改めて許しを乞い、無の境地になる。そうすれば、神聖なる知能がインスピレーションを下ろし、ネガティブな記憶を消去してくれる・・・。
  

すべての原因が、自分にある ~ ホ・オポノポノ

2009年03月28日 | 精神世界を語る
      
ホ・オポノポノでは、すべての不幸の原因が、過去の記憶にあると考えている。
 
もちろん、記憶といっても、表面意識にある思い出ばかりではない。潜在意識にある記憶の方が、遥かに大きい。もちろん、記憶にない幼少期のことや、過去世における記憶も含まれている。さらに厄介なことには、「人類の集合意識」みたいなものとも、つながっているようだ。
 
現実の世界で起きている「不幸な現実」は、すべての原因が、自分の潜在意識の中の「過去の記憶」にある。
  
自分の頭痛や腹痛の原因が、自分の記憶にあった。これは、分からないでもない。だが、驚いたことに、他人の病気までがそうだというのだ。

たとえば、足の悪い老婆が、ヒューレン氏に悩みを相談したとする。この場合、老婆の足が悪い原因はなんと、ヒューレン氏の潜在意識の中にある。ヒューレン氏は、それを見つけて、クリーニング(記憶を消去すること)すればいい。そうすれば、老婆の足が悪い原因が消去される。つまり老婆は、足が良くなる。

ホ・オポノポノでは、「すべての責任は自分にある」と言っている。もっとも、これは「私が悪うございました・・・(泣)」というような、日本人的な「反省」とは、大幅にニュアンスが異なる。それは、自分の潜在意識の中に、すべての原因があるということだ。自分がそれをクリーニングしさえすれば、原因が元から断たれて、不幸がなくなる。

自分はもちろん、他人の不幸までも、自分自身のクリーニングによって消すことができる。不幸が続くのは、自分がクリーニングせず、記憶を放置しているのが原因。このため、ホ・オポノポノを体得した者は、すべての責任を100%引き受け、ひたすらクリーニングし続けなければならなくなる・・・。
  
「人間は、カルマを背負って、この世に生まれてくる。カルマを解消することが、人生の目的なのだ」と、しばしば言われる。ここで言う「カルマの解消」も、ヒューレン氏に言わせれば、「過去の記憶のクリーニング」の一環。クリーニングは、人生の目的。人は、このために生まれてくるという。

来日したヒューレン氏は、靖国神社の前を通って、多くの戦没者の霊を見かけた。自縛霊と化した人々も、ヒューレン氏によってクリーニングされたという。
 
さらに、いろんな人から悩みの相談を受けた。相談を受けたヒューレン氏は、前もって原因をクリーニングしておく。実際に相談を受ける頃には、既にクリーニングが終わっている。悩みのタネが元から断たれているので、ホントは、もう相談を受けるまでもない。一応、ポーズとして面談はするらしいのだが・・・。

なんでもかんでも、クリーニングし続ける。それが、ホ・オポノポノを体得した者の宿命。
 
(つづく)
  

ホ・オポノポノ

2009年03月27日 | 精神世界を語る
 
先日、お茶会で会った若い女性が、「ホ・オポノポノに興味がある。セミナーに行きたい」と行っていた。それほどスピリチュアルに関心がなさそうなタイプだったが、ブームはここまで広がっているのかと感心した。
 
2年ほど前、船井幸雄氏が講演で「ホ・オポノポノの秘法」について語り出したときは、失礼ながら、思わず「プッ」と噴き出してしまったものだ(笑)。でも、いまや、時代はハワイアン・スピリチュアル。精神世界は、右も左もフラダンス、カメやイルカの舞い踊り・・・。 

遅まきながら、筆者もイハレアカラ・ヒューレン氏の著書を読んで、ハワイアンを学ぶことにした。

ヒューレン氏によれば、「ホ・オポノポノ」とは、「修正すること」、「誤りを正すこと」。ちなみに、ハワイ語で、「ホ・オ」は「目標」、「ポノポノ」は「完璧」を意味するんだそうな。つまり、直訳すれば、「完璧を目標にする」ということか。
 
物事が完璧でなくなるのは、潜在意識の中の過去の記憶が再生されて、現在に投影されるから。
 
「過去の記憶」を諸悪の根源であるとし、それを「消去する」ことを目指すのが、ホ・オポノポノの特徴。
 
「思考は現実化する」と、よく言われる。我々、人間の思うことや考えることが、周囲の世界に反映されて現実になるという考え方だ。

ホ・オポノポノの場合は、それが極端。我々をとりまく現実は、すべて自分の過去の記憶がスクリーン上に投影された、映画のようなものにすぎない・・・。
 
「過去の記憶」といっても、もちろん、表面意識で覚えている事柄にとどまらない。潜在意識には、その百万倍もの記憶が常に立ち上がっているという。
 
それは、例えて言えばPCのようなものだろう。使っている人にとっては、PC上でインターネットをやっているだけ。でも、目には見えなくとも、PCの内部では膨大なプログラムとデータが読み込まれている。でなきゃ、PCは動かない。人間も、それに同じ。表面では意識していなくても、内部では、常に膨大なデータが立ち上がっている。それが、過去の記憶。

ホ・オポノポノでは、過去の不幸な記憶が現実に投影され、現実にも不幸な出来事が起きると考えている。つまり、「過去の記憶」こそが、「現実の不幸」の原因。
 
では、「過去の記憶」を消去するだけで、「現実の不幸」はすべてなくなり、エブリワン・ハッピーになるのだろうか。我々を取り巻く現実というのは、そんなに簡単なものなのだろうか。
 
ヒューレン氏によれば、その通りなのである。「過去の記憶」を消去することさえできれば、「現実の不幸」はすべてなくなり、エブリワン・ハッピーになるという。
 
やるべきことは、ただひとつ。「過去の記憶」を消去すること。
 
これを見て、かの「20世紀最高の聖者」、ジドゥ・クリシュナムルティを思い出した。クリシュナムルティもまた、「過去の記憶こそ、諸悪の根源」と口を酸っぱくして説いていたからだ。一体、「記憶」はなぜ、そんなに悪いのか!?

(つづく)
 

明治神宮のお茶会

2009年03月10日 | 神社

       
先日、明治神宮の文化会館で、久々に裏千家のお茶会に出席した。知人が茶道界で出世して師匠になったという話なので、表敬訪問。めでたいことだ。

明治神宮は、いわずと知れた、東京の精神的なコアだ。最近の神宮は、コノハズクが人気者になって話題を呼んでいるという。筆者も探したのだが、見つからなかった。ただでさえ、神宮の森は広い。そのうえ、コノハズクは保護色で、木と完全に同化しているらしい。簡単に見つかるはずもなかった。
 
お茶会も、句会と同様、長らくサボっている。作法をよく知らないにも関わらず、なぜか成り行きで、上座に座るハメに。「なぜ、シロウトがその場所にいるの?」という、ベテラン女性陣からの無言の視線を浴びつつ、泡立ったお茶を飲む・・・。
 
着物姿のマダムが多かったが、振袖娘もいて華やかだ。
   
個人的に、焼き物には大いに興味がある。この日も、師匠が個人蔵の見事な器を出してくれていたため、思わず見とれてしまった。もっとも、儀礼として器をジックリ鑑賞し、賛嘆しなければならないというシキタリになっているので、器を見るのは良いことなのだ。万が一、落っことしても割れないように、畳近くの低い位置でグルグル回すのがコツ。

これを機に、茶の道を極めるのだ・・・という声が聞こえたが、三日ともたないだろう(笑)。
   
茶名(裏千家では、修行を積んで一人前になると『宗○』という名前をつけてもらえるらしい)を拝領した人は、「京都で修行した」という話なので感心した。でも、ベテランの方々からは、「アナタもあと20年ほど続ければ一流ですよ」とかなんとか言われてた。なんという、気の遠くなる世界・・・。
  


大國魂神社

2009年03月10日 | 神社

   
旧正月に始めた、東京五社めぐり。東京五社は、都内でも最も高い格式を誇る神社だ。すべて参拝して朱印帳に朱印がそろうと、記念品がもらえる(笑)。
 
五社のうち、4つまでが都心に位置している。唯一、離れているのが府中の大國魂(おおくにたま)神社。都心から離れているせいか、別格とも言える歴史を誇る。なにせ、創建されたのは西暦111年5月5日。なんと、2千年前だとされる。もっとも、この年号に、意味は特にないだろう。要は、いつ出来たのか見当もつかないほど古い。関東の歴史と同じくらい古い、ということ・・・。
 
かつて、府中は武蔵の国の中心地だった。大國魂神社は、平安時代から源氏の篤い尊崇を受けていた。源頼義・義家親子が、前九年の役に勝利した記念に植樹したケヤキが、今に続くケヤキ並木の起源。近くには、分倍河原の古戦場もある。北関東から進発し、道中で膨れ上がってきた新田義貞の軍勢が、激戦の末、幕府軍を打ち破ったところだ。この合戦からわずか1週間後には、討幕軍が鎌倉に攻め込み、鎌倉幕府は滅亡することとなる。

そんな歴史ある府中の街で、参道を通って神社に向かった。ケヤキ並木が美しい。鎮座する大國魂大神に、国家安泰を願う。大國魂大神(おおくにたまのおおかみ)とは、天孫降臨してきたニニギノ命にいさぎよく国を譲り、自らは出雲大社に退いた大国主命のことだ。風雲急を告げる世界恐慌の中、神州を黙々と守り続けている・・・。
 
東京五社めぐりの中で、最も行く機会がないと思われた府中の神社に詣でたことで、今後の展開が楽になった(笑)。先日の明治神宮と靖国神社に続き、やっと3社。あとは、赤坂の日枝神社と、飯田橋の東京大神宮を残すのみ・・・。
  


鈴木光司氏と、竹内薫氏の対談

2009年03月10日 | こっくり亭日記
   
小劇団のメッカ・紀伊国屋ホールで、鈴木光司氏と竹内薫氏の対談を聞いた。共著「知的思考力の本質」の発刊記念イベントだ。
 
鈴木光司氏といえば、世界的な「ジャパニーズ・ホラー」ブームを代表する作品・「リング」の作者として知られる。20ヶ国語に翻訳され、日米で映画化された。「リング」の貞子は、本当に怖い。背筋がゾクゾクしてくる。一方、続編の「らせん」と「ループ」は、ホラーという枠から大きく外れる哲学的な内容で、ファンを驚かせたものだ。作者としては、「リング」の非論理的な部分をひっくり返したかったのだという。
 
あれ以来、名前を聞かないな・・・と思っていたところ、昨年の「エッジ」が、実は21世紀に入って初めて発表した作品なんだそうな。なぜ、こんなにブランクが長かったのか。その理由は単純で、「エッジ」がなかなか出来上がらなかったからだという。それほど、哲学的かつ科学的な内容で、書くのが大変だったということだ。
 
「エッジ」が書けなくて悩んでいた頃、出会ったのが竹内薫氏。「超ひも理論」を専門とする、サイエンスライターだ。「99.9%は仮説」という本で人気が出たようなのだが、筆者にとっては、やはり物理学啓蒙書の作者としてなじみ深い。

現代の精神世界マニアにとって、相対性理論や量子力学の知識は、必須の教養(?)と言える(笑)。この分野において、この人と都筑卓司氏(師匠格に当たるようだ)の本から受けた恩恵は計り知れない。

鈴木光司氏は、竹内薫氏からの科学的アドバイスを受けて、ようやく「エッジ」を完成させることができた。執筆には、実に7年を要したという・・・。
  
そのため、この2人の対談には感慨深いものがあった。エネルギッシュな鈴木氏と、いかにも哲学者然とした雰囲気の竹内氏。2人ともよくしゃべる人で、どちらも聞き役には回らない(笑)。

個人的には、小説もいいけど、やはり科学談義に興味がある。相対性理論の話は、特に興味深いものがあった。

太郎と次郎が、宇宙ロケットに乗って飛び、しばらくしてから宇宙空間ですれ違う。そのとき、太郎が次郎の時計を見ると、自分のより時間が遅れている。一方、次郎が太郎の時計を見ても、自分のより時間が遅れているのだ。これを何と見る!?

ニュートンの時代の物理学なら、これは単なる矛盾であった。しかし、相対性理論の登場以来、矛盾ではなくなってしまった。太郎の時間と、次郎の時間は、同じではなく別々だ。各人には、それぞれの時間が流れている。人生いろいろ、時間もいろいろ。時間は相対的なものであることが判明し、地球人類の世界観は一変した。

固定観念を打ち破ること。やはり、知的思考力の本質はここにある・・・。
  

映画 「おくりびと」

2009年03月09日 | こっくり亭日記
  
いまブームの映画、「おくりびと」を見た。

納棺士をテーマにした、異色の映画。遺体に死装束と死化粧を施し、気持ちよく冥土へと旅立たせる、旅の案内人だ。

死者はあの世へと旅立ち、生者はこの世に残る。この映画は徹底的に生者の視点から描かれており、「死者の霊魂」その他はまったく登場しない。
 
アカデミー賞の外国語映画賞を取ったため、有名になった。審査員にはユダヤ人が多く、彼らの死生観に共感するものが多かったから・・・とも言われる。ユダヤ教には、「あの世」も「生まれ変わり」も一切、出てこない。その点、宗教背景を問わず、受け入れやすい映画なのが幸いしたようだ。

死者にとって、終着駅は始発駅。新たな旅立ちが待っている。あの世でも脳天気にカルト宗教にハマッたり、生前の趣味を続けているケースも多い。一方、残された生者の思いは悲痛だ。若くして亡くなった人の場合は、特にそうだろう。
 
お葬式の本来の目的は、死者を送り出すためというより、「もう○○はこの世にいないのだ」と、残された生者の気持ちの整理をつけるためと言われる。実際、動物界では、猿が死んだ子供をいつまでも抱き続けていたり、鶴の夫婦が死んだ連れ合いといつまでも一緒にいたり・・・といったケースがよく見られる。気持ちの整理をつけることは、この世で生きる者にとって難しい。人間生活を続ける上では、儀式で区切りをつけることが重要だ。
 
逆に、霊界モノの映画などでは、浮遊する亡者の魂が、葬式の場面を見て「自分は死んだのだ」と気づき、ガクゼンとする・・・といったシーンがしばしば見られる。そういう、気づきの効果もあるのかもしれない。
  
離婚と出産を経た広末涼子も、大きな見どころのひとつだ。2001年にリュック・ベッソン監督の「WASABI」に出演して以来、久々に世界で名を売った。ハリウッド進出もウワサされているが、残念ながら本人にはその気があまりないみたい・・・。
   
知人の葬儀屋は、映画のブームで張り切っている。最近はグローバル化に伴い、異国の地で客死し、変わり果てた姿で帰国する人も多い。そのため、遺体の防腐処理技術などが脚光を浴びてるんだそうな。いまや、葬儀屋はすっかり人気者。世の中、何が脚光を浴びるか分からないものだ(笑)。
 

収穫の時を迎える地球 ~ ラー文書

2009年03月01日 | ラー文書 プリズム・オブ・リラ
   
ラー文書によれば、今(収録時点の1981年)から約30年を経た後、地球は「収穫の時」を迎える。
 
その30年間において、地球という惑星そのものが、「電磁的に宇宙のフォースの流入を受け入れるエネルギーの渦」を再編成する。それによって、現在は第三密度の状態にある地球は、第四密度と呼ばれる磁性を帯びることになるという。

ラーは、このエネルギーの渦が、人類の想念のエネルギーと摩擦を起こすことを予言している。それによって、地球には「惑星レベルの調整」が起こる。第四密度の磁場に変わるために必要な調整だ。これにより、さまざまな不具合が起きることになるという。今の世の中を見れば、それはすでに起きていると思わずにいられない・・・。
 
第三密度では、ポジティブなものと、ネガティブなものが混在している。2つの方向性が、混ざり合って混沌としている。第四密度では、この2つの方向性がハッキリと分かれる。

このため、地球では、ポジティブな傾向をもつ人と、ネガティブな傾向をもつ人が同時に増加し、両方とも急に多くなるという。これまた、今の世の中を見れば、実感がわくというものだ。

ポジティブな人々が地球に残って、第四密度の世界が始まる。このため、第四密度の地球で生きるべく、新たに転生してくる人々についても予言されている。

最初から、第四密度の世界を想定して地球に生まれてくる、新しい人種の登場だ。彼らは、第三密度と第四密度の両方の世界で生きられる、両生類のようなダブル・ボディを持っているんだそうな。これも「インディゴ・チルドレン」として、今ではすっかり有名になった。来るべき新しい地球では、彼らが主役になるだろう・・・。
 
もちろん、今の第三密度にいる人類も、十分に愛のエネルギーを発達させたものは、収穫されて第四密度へと移行する。
    
30年近く前にラーが予告した「収穫の時」は、20数年を経過した今、目前に迫っている。筆者は十数年前、ラー文書に深く傾倒するスコット・マンデルカー博士の著書「宇宙人の魂を持つ人々」で、この話を知った。当時は、ずいぶん遠い未来の話のように思えたものだ。それが今、目前に迫っているのは感慨深い。

精神世界ファンにこの話をすると、「アセンションって、そんなに前から言われてたんですか?」と驚く人も少なくない。そうなのだ。実は、そんなに前から言われていたのだ。

あの頃は、「第四密度に収穫される、愛にあふれた地球人は、地球が無理なくサポートできる人数に比べて、まだまだ少ない」と言われてた。今は、かなり増えたのだろうか・・・。
 

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