はんどれっどはんど

トラクターや田植え機を使用せず米作りに挑みます。

東京へ行く

2018-05-21 20:44:26 | 日記

伯父の見舞いのため金曜日の夜から日曜日の朝にかけて二泊三日のバス旅行であった。バス代締めて14150円、行きは4列帰りは3列、帰りは疲れがたまって知らぬ間に寝てしまった。引き続いて日曜の朝からは自治会のグランドゴルフ大会があり「しんどいな」と思うままに、時は流れていく。終われば万事良し。先を考えるとしんどいが、やはり「今」を見ていくしか出来ない。今に思いを寄せることで、先の「今」が対応してくれる・・・いろいろな状況で雑念が次々湧いてくる「自分を追い込むものは自分」。見舞い先は横浜であったが、行と帰りの東京駅の駅舎を眺めながら、めざしとエビスビールでゆっくりしたひと時を過ごせた。


二週間目の苗

2018-05-14 20:42:26 | 日記

先月28日に播いた種も2週間余り経過、ブルーシートの後は寒冷紗をかけ、その後はこれも取り外してスズメの心配もなくなり、順調に育っているが、次の10アール分は雨に会い、水に浸かった芽がブルーシートに押され危うい状況にあった。苗床は水はけ出来るようにしてあるものの水路の深さが足りないとこうなる。雨後ブルーシートをめくりしばし乾かした後再度かぶせると、大丈夫になる。これもなんとかクリアできたが、更に次の13アールもまた同じように浸かったままうえから押さえられていたが、これはまだ発芽もちらほらブルーシートを左右から張りなおす作業のみで事足りた。苗床管理は雨有り風有り鳥ありで、日に一回は様子を見ないと生けない。


陰極まれば陽となる

2018-05-10 21:14:41 | 日記

このところズ~とストレスが溜まり不安感にさいなまれ自分を責めていたが、ようやく悪天候から好天候に変わりつつある。心の想いも寄せては引く波のように行ったり来たりとコロコロ移り変わる。晴れの日もあれば雨嵐もある。外の出来事は客観視できるが、事自分のこととなれば俯瞰できない。どうしても晴天ばかりをを求めてしまう。今日の国会中継を一部観ていたが,胸のすくようなやりとりがあった。TV放映では切り取られるシーンではある。N〇Kをはじめマスコミたちの画策?いずれにしても自分のやることはキレイニ自分に返ってくる、と思われる。「雨降らば降れ、風吹かば吹け」一休さんのようには・・・なかなか心も晴れないが、今日も苗床の準備に精を出した。

 


恒例稲の神さんへお参り

2018-05-01 23:35:35 | 日記

今日は暑い一日だった。それでもまだパッチと靴下2枚を履き、腹巻の上にさらに腰痛ベルトを腰より上の腹に巻き付けている。腰痛はないがお腹を温めないとと思う。太陽の光を浴びると太陽神経叢のあたりが温もるが、逆にお腹を温めると「ほかほか」と太陽光を浴びているような気分になる。太陽繋がりで、ここを温め自律神経を保護することはいろんな意味でお得であると思う。太陽の恩恵を当たり前に思って久しいので、損とか得のレベルの話になるが、光が無いことには「生きて」生けない。それはともかく、今日もC田で種まき一反分の作業にかかったが、頭の中は田んぼのことよりこの4月から役につくことになった自治会活動の方に行ってしまい、タカシ君との会話も気もそぞろ。なんとも「チンケな野郎」だが、サラリーマン時代に戻ったような気分でストレスがかかった。独り相撲というかあれこれと押し寄せる「思考」に飲み込まれ、それを観ている自分があるのみ。夜中ほどではないが、不安感が次から次へと湧きおこり心を苛(さいな)むかのよう。天候のようにあっさりと俯瞰(ふかん)できればよいが、どうにもたまらない。逆らっても逆らえないこういう時は、「仕方ない」だが、そう思っても、色々抱えこみ度が過ぎるとパニックを起こすことがかつてあった。今の思いはこれまでの「因」を経たうえでの「結果」、結果を相手にしても仕方がない、「起きれば(因が)解消する」などと解釈しつつ。お陰で29日の参拝時の弁当も食べきれず少し残してしまった。お酒もいつもほど美味しいと思えない一日であったが・・・何にせよ物心ついた頃よりの行事に今なお参加できることに感謝しよう。ちなみに祭神は「あしなづち」と「てなづち」で、その子が「奇稲田媛命」(くしいなだひめのみこと)と言うらしい。足をたんぼに入れ手に苗を持って田植えをする様?は百姓が天と地を繋(つな)ぐ依り代になったかのようで、米作りの行為自体が神事とも言えそうである。そして生まれた子供がとても貴重な御米というわけか?。?古事記を読もうとは思っているが、なかなか実行できていない。