ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

ヘンヒェン&読響のショスタコ8番

2014-07-16 22:45:28 | 読響
昨日(15日)サンントリーホールで開かれた読売日本交響楽団第539回定期演奏会に行ってきた。指揮は読響と初共演のハルトムート・ヘンヒェン。

【演目】
ベートーヴェン/交響曲第5番ハ短調「運命」
  ~休 憩~
ショスタコーヴィチ/交響曲第8番ハ短調
《19時00分開演、21時05分終演》

ハ短調の名曲と大曲(難曲?)を聴くというプログラム。

1曲目。ハルトムート・ヘンヒェンは暗譜で指揮をするものの、演奏は譜面通りの模範的な演奏。これを学生オケやアマオケがやったなら拍手喝采であろうが、プロでは面白みに欠ける。指揮者のオリジナリティやオケの特性を活かしていない演奏なんて、いくら良い演奏でも砂を噛むようである。

2曲目。1曲目の凡庸な演奏とは打って変わり、指揮もオケも思いっきり自我を全面に出した演奏。なかでも特筆すべきは、第1楽章でのイングリッシュホルン、第2楽章でのピッコロとエスクラリネット、第3楽章のトランペット、そして最後の第5楽章でのバスクラリネットなど管楽器のソロパートがどれも明晰にして情緒溢れる演奏で鳥肌ものだった。また弦の首席たちもソロパートを際立たせ、読響の個々のレベルの高さをしっかり見せつけてくれた。

それにしても、この曲を聴いていると、戦争の悲惨さを痛感させてくれる。第二次世界大戦の最中にショスタコーヴィチはよくぞこれだけ戦争への怒り、空しさ、虚ろさを描いてくれたと思う。特に第1楽章は戦争をしたくてたまらない何処かの首相に聴いてもらいたいと思って聴いていた。戦争の愚かさ醜さを知らない政治家たちはこうした音楽を聴くべきである。ただ、残念なことに今の日本の総理や、その黒幕である新聞社のワンマンたちは芸術を愛すること理解することを知らない。嘆かわしい限りである。

あと、驚いたのが前半の「運命」が終わって帰る客が多かったことである。私の隣席のタバコ親父や、前のおばさんたちも後半はいなかった。P席にも空席が目立った。そんななかでヘンヒェンと読響の熱い演奏に最後まで拍手を送りつづけた、「芸術を愛する者は戦争を憎む」と思われる観客はブラボーである。


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