ミーハーのクラシック音楽鑑賞

ライブ感を交えながら独断と偏見で綴るブログ

N響のムソルグスキーとタケミツ

2016-09-21 23:40:46 | N響
先日(14日)サントリーホールで開かれたNHK交響楽団第1841回定期公演を聴いてきた。指揮はパーヴォ・ヤルウィ。

【演目】
ムソルグスキー/交響詩「はげ山の一夜」(原曲版「聖ヨハネ祭のはげ山の一夜)
武満徹/ア・ウェイア・ローンⅡ
武満徹/ハウ・スロー・ザ・ウィンド
  〜 休 憩 〜
ムソルグスキー(リムスキー・コルサコフ編)/歌劇「ボヴァンシチナ」―第4幕 第2場への間奏曲「ゴリツィン降の流刑」
ムソルグスキー(ラヴェル編)/組曲「展覧会の絵」
《19時00分開演、20時55分終演》

外国人指揮者のタケミツ好きにはかなり辟易してきた。先日はアラン・ギルバードが都響で、今回はパーヴォ・ヤルヴィ、次はソヒエフがNHK音楽祭で取り上げる。日本人作曲家を取り上げるのはいいが、なんでタケミツばかりなのだろうか。彼らはタケミツ以外の日本人作曲家を知らないのだろう。

私が初めて武満徹の音楽に接したのは映画少年だった1960年代後半から70年代前半である。この頃武満は数多くの映画音楽を手がけていた。「他人の顔」「初恋・地獄篇」「心中天網島」「儀式」など名作映画の音楽も担当している。しかし、これらの映画はいずれも喜劇ではなく悲劇であり、その音楽性は前衛的といえどもかなり暗かった。それに対して、同世代の佐藤勝の映画音楽は起伏に富んだ音楽で私は武満徹の名より先に佐藤勝の名を覚えた。ただ、残念なことに佐藤は武満のように映画音楽をベースにしてクラシック音楽(管弦楽曲、協奏曲など)として作品を残すことがなかった。その意味において佐藤が武満のように譜面を残していてくれればと残念でならない。他にも日本には素晴らしい現代音楽家がいる。芥川也寸志、團伊玖磨、黛敏郎をはじめ一柳慧、吉松隆、細川俊夫など世界に誇れる作曲家がいる。しかしながら、外国人指揮者が取り上げるのはタケミツばかりである。もっと日本のオケ関係者はこうした優れた日本人作曲家の音楽をプロモーションする必要性があるだろう。

で、演奏会の感想だが、ムソルグスキーの音楽は十二分に楽しめた。特に最後の「展覧会の絵」でのトランペット(菊本和昭)の音色は素晴らしかった。彼が京都市響から移ってきてから、N響の金管陣全体の音色が変わった。それまでの妙に息詰まった緊張感がなくなり、安心して聴いていられる。オケおよび観客に余裕ができたということは本当に大きい。

それにしても、ムソグルスキーとタケミツがプログラミングされている関連性がよくわからない。