筆者は、埼玉県にある霊園で建墓や霊園選びのアドバイザーをしておりますが、ご夫婦でお元気なうちに建墓を終えられる方々が増えつつあります。(寿陵墓地と言います)
後を継いでもらう息子さんや娘さんに負担をかけずに、自分達で終の棲家の墓を造って安心して老後を送ろうというお考えのようです。
そういった人生の最終章に近づいたお客様と話している中で、時として寝たきり老人の話題になる事もあります。
筆者も知り合いの人のお見舞いに病院に行って、寝たきり老人の姿に直面し、改めて言葉も話せない意識があるのかどうかも分からなくて、寝ておられる老いた患者さんに会うと、一体全体今のような胃ろうまでして生かしている終末医療が、本当に人間の尊厳を守っているのかと考えざるを得ないような気になります。
ヨミドクに宮本医師の「欧米になぜ、寝たきり老人がいないのか」というブログを見つけました。
筆者はこれを読んで、北欧や欧米の医療のバックボーンに流れているキリスト教の精神、人間は神様によって生かされていると言う宗教的な支柱が確立しているせいだと、直ぐに理解しました。
キリスト教では神から与えられた我々の寿命を、無理に伸ばす必要はないという基本的な考え方があるのです。
ある意味では、延命治療は神の方針に逆らうという考え方が、医療にも生かされているのでしょう。
もはや治療効果も認められない、重度のがん患者さんに終末を穏やかに過ごしてもらおうというホスピスも、全く同じキリスト教の思想がバックボーンに感じられます。そこで与えられるのは苦しみを感じさせない痛み止めの薬だけです。
日本では敬虔なクリスチャンである日野原先生で有名な、聖路加病院などでホスピスが進められているようです。
振り返って日本の医療現場を見てみると、宗教的なバックボーンが医師と患者やご家族の間に確立していないため、ただひたすら患者本人の意志とは関係なく、医学的見地で延命すれば良いと、おかしな方向に終末医療が向かっているのではないかと思います。
医療にかかる金額の削減が政府の財政削減の喫緊のテーマとなっているため、これもまた話をややこしくしてしまうのですが、筆者は終末医療の在り方を、日本でも早急に考えるべきだと思います。
(ヨミロクより貼り付け)
欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか
ヨーロッパの福祉大国であるデンマークやスウェーデンには、いわゆる寝たきり老人はいないと、どの福祉関係の本にも書かれています。他の国ではどうなのかと思い、学会の招請講演で来日したイギリス、アメリカ、オーストラリアの医師をつかまえて聞くと、「自分の国でも寝たきり老人はほとんどいない」とのことでした。一方、我が国のいわゆる老人病院には、一言も話せない、胃ろう(口を介さず、胃に栄養剤を直接入れるため、腹部に空けた穴)が作られた寝たきりの老人がたくさんいます。
不思議でした。日本の医療水準は決して低くありません。むしろ優れているといっても良いくらいです。
「なぜ、外国には寝たきり老人はいないのか?」
答えはスウェーデンで見つかりました。今から5年前になりますが、認知症を専門にしている家内に引き連れられて、認知症専門医のアニカ・タクマン先生にストックホルム近郊の病院や老人介護施設を見学させていただきました。予想通り、寝たきり老人は1人もいませんでした。胃ろうの患者もいませんでした。
その理由は、高齢あるいは、がんなどで終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で、胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識しているからでした。逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。
ですから日本のように、高齢で口から食べられなくなったからといって胃ろうは作りませんし、点滴もしません。肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。内服投与のみです。したがって両手を拘束する必要もありません。つまり、多くの患者さんは、寝たきりになる前に亡くなっていました。寝たきり老人がいないのは当然でした。
欧米が良いのか、日本か
さて、欧米が良いのか、日本が良いのかは、わかりません。しかし、全くものも言えず、関節も固まって寝返りすら打てない、そして、胃ろうを外さないように両手を拘束されている高齢の認知症患者を目の前にすると、人間の尊厳について考えざるを得ません。
家内と私は「将来、原因がなんであれ、終末期になり、口から食べられなくなったとき、胃ろうを含む人工栄養などの延命処置は一切希望しない」を書面にして、かつ、子供達にも、その旨しっかり伝えています。(宮本顕二)
プロフィール
宮本顕二(みやもと けんじ)1976年、北海道大学医学部医学科卒業北海道大学大学院保健科学研究院機能回復学分野教授 宮本礼子(みやもと れいこ)1979年旭川医科大学卒業桜台江仁会病院(札幌市)認知症総合支援センター長
(貼り付け終わり)
後を継いでもらう息子さんや娘さんに負担をかけずに、自分達で終の棲家の墓を造って安心して老後を送ろうというお考えのようです。
そういった人生の最終章に近づいたお客様と話している中で、時として寝たきり老人の話題になる事もあります。
筆者も知り合いの人のお見舞いに病院に行って、寝たきり老人の姿に直面し、改めて言葉も話せない意識があるのかどうかも分からなくて、寝ておられる老いた患者さんに会うと、一体全体今のような胃ろうまでして生かしている終末医療が、本当に人間の尊厳を守っているのかと考えざるを得ないような気になります。
ヨミドクに宮本医師の「欧米になぜ、寝たきり老人がいないのか」というブログを見つけました。
筆者はこれを読んで、北欧や欧米の医療のバックボーンに流れているキリスト教の精神、人間は神様によって生かされていると言う宗教的な支柱が確立しているせいだと、直ぐに理解しました。
キリスト教では神から与えられた我々の寿命を、無理に伸ばす必要はないという基本的な考え方があるのです。
ある意味では、延命治療は神の方針に逆らうという考え方が、医療にも生かされているのでしょう。
もはや治療効果も認められない、重度のがん患者さんに終末を穏やかに過ごしてもらおうというホスピスも、全く同じキリスト教の思想がバックボーンに感じられます。そこで与えられるのは苦しみを感じさせない痛み止めの薬だけです。
日本では敬虔なクリスチャンである日野原先生で有名な、聖路加病院などでホスピスが進められているようです。
振り返って日本の医療現場を見てみると、宗教的なバックボーンが医師と患者やご家族の間に確立していないため、ただひたすら患者本人の意志とは関係なく、医学的見地で延命すれば良いと、おかしな方向に終末医療が向かっているのではないかと思います。
医療にかかる金額の削減が政府の財政削減の喫緊のテーマとなっているため、これもまた話をややこしくしてしまうのですが、筆者は終末医療の在り方を、日本でも早急に考えるべきだと思います。
(ヨミロクより貼り付け)
欧米にはなぜ、寝たきり老人がいないのか
ヨーロッパの福祉大国であるデンマークやスウェーデンには、いわゆる寝たきり老人はいないと、どの福祉関係の本にも書かれています。他の国ではどうなのかと思い、学会の招請講演で来日したイギリス、アメリカ、オーストラリアの医師をつかまえて聞くと、「自分の国でも寝たきり老人はほとんどいない」とのことでした。一方、我が国のいわゆる老人病院には、一言も話せない、胃ろう(口を介さず、胃に栄養剤を直接入れるため、腹部に空けた穴)が作られた寝たきりの老人がたくさんいます。
不思議でした。日本の医療水準は決して低くありません。むしろ優れているといっても良いくらいです。
「なぜ、外国には寝たきり老人はいないのか?」
答えはスウェーデンで見つかりました。今から5年前になりますが、認知症を専門にしている家内に引き連れられて、認知症専門医のアニカ・タクマン先生にストックホルム近郊の病院や老人介護施設を見学させていただきました。予想通り、寝たきり老人は1人もいませんでした。胃ろうの患者もいませんでした。
その理由は、高齢あるいは、がんなどで終末期を迎えたら、口から食べられなくなるのは当たり前で、胃ろうや点滴などの人工栄養で延命を図ることは非倫理的であると、国民みんなが認識しているからでした。逆に、そんなことをするのは老人虐待という考え方さえあるそうです。
ですから日本のように、高齢で口から食べられなくなったからといって胃ろうは作りませんし、点滴もしません。肺炎を起こしても抗生剤の注射もしません。内服投与のみです。したがって両手を拘束する必要もありません。つまり、多くの患者さんは、寝たきりになる前に亡くなっていました。寝たきり老人がいないのは当然でした。
欧米が良いのか、日本か
さて、欧米が良いのか、日本が良いのかは、わかりません。しかし、全くものも言えず、関節も固まって寝返りすら打てない、そして、胃ろうを外さないように両手を拘束されている高齢の認知症患者を目の前にすると、人間の尊厳について考えざるを得ません。
家内と私は「将来、原因がなんであれ、終末期になり、口から食べられなくなったとき、胃ろうを含む人工栄養などの延命処置は一切希望しない」を書面にして、かつ、子供達にも、その旨しっかり伝えています。(宮本顕二)
プロフィール
宮本顕二(みやもと けんじ)1976年、北海道大学医学部医学科卒業北海道大学大学院保健科学研究院機能回復学分野教授 宮本礼子(みやもと れいこ)1979年旭川医科大学卒業桜台江仁会病院(札幌市)認知症総合支援センター長
(貼り付け終わり)