倒れて4年後の2002年、幕張への転勤を諦めて退職を決意し、そして障害年金を申請した。
宮城病院で診断書を書いて貰う時に、リハビリ棟で握力も測った。
たしかこの時は、健側(左)=36㎏、マヒ側(右)=16㎏だった。
入院時にご指導頂いたセラピストさんだったので、よく覚えている。
障害年金は以後2,3年ごとの更新で、診断書の再提出も義務づけられてたから握力も測ったけどデータは覚えてない。
1998年1月 脳幹(橋)出血 半年後の握力値は全然覚えていない。
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2002年4月 健側=36㎏、マヒ側=16㎏(障害年金申請時)
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2016年4月 健側=37~39㎏、マヒ側=23㎏
2016年10月 健側=37~39㎏、マヒ側=26㎏
2017年4月 健側=37~39㎏、マヒ側=28.5㎏
↑のデータから言えること。
①健側の握力は36~39㎏で一定であり、3㎏は測定の際のバラツキと見て良さそうだ。
今の段階では、まだ加齢による衰えは握力的には表われていない。
②マヒ側握力16㎏→23㎏の7㎏増に14年要したにもかかわらず、
ここ1年間で右肩上がりに5㎏増えたのは、この間にそれだけ筋力がアップしたことに他ならない。
我田引水のきらいはあるけど、それだけマヒが回復してきたと見て間違いはないだろう。
参考:障害年金申請の時効は5年。
倒れたのが1998年1月14日なので、2003年1月14日以降の申請は時効によりパーになる。
会社復帰を了承して頂いた御恩に少しでも報いたく、会社内でも狂気の自己流リハビリをしてきた。
しかし時効1年を切ってのタイミングで転倒2日連続した時には、心身ともに燃え尽きた感じだった。
今思えば、転倒した時まだ骨折しなかっただけ、ホント幸いだったと思う。
宮城病院で診断書を書いて貰う時に、リハビリ棟で握力も測った。
たしかこの時は、健側(左)=36㎏、マヒ側(右)=16㎏だった。
入院時にご指導頂いたセラピストさんだったので、よく覚えている。
障害年金は以後2,3年ごとの更新で、診断書の再提出も義務づけられてたから握力も測ったけどデータは覚えてない。
1998年1月 脳幹(橋)出血 半年後の握力値は全然覚えていない。
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2002年4月 健側=36㎏、マヒ側=16㎏(障害年金申請時)
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2016年4月 健側=37~39㎏、マヒ側=23㎏
2016年10月 健側=37~39㎏、マヒ側=26㎏
2017年4月 健側=37~39㎏、マヒ側=28.5㎏
↑のデータから言えること。
①健側の握力は36~39㎏で一定であり、3㎏は測定の際のバラツキと見て良さそうだ。
今の段階では、まだ加齢による衰えは握力的には表われていない。
②マヒ側握力16㎏→23㎏の7㎏増に14年要したにもかかわらず、
ここ1年間で右肩上がりに5㎏増えたのは、この間にそれだけ筋力がアップしたことに他ならない。
我田引水のきらいはあるけど、それだけマヒが回復してきたと見て間違いはないだろう。
参考:障害年金申請の時効は5年。
倒れたのが1998年1月14日なので、2003年1月14日以降の申請は時効によりパーになる。
会社復帰を了承して頂いた御恩に少しでも報いたく、会社内でも狂気の自己流リハビリをしてきた。
しかし時効1年を切ってのタイミングで転倒2日連続した時には、心身ともに燃え尽きた感じだった。
今思えば、転倒した時まだ骨折しなかっただけ、ホント幸いだったと思う。
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