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サーカスな日々

サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。

mini review 09364「君のためなら千回でも」★★★★★★★★★☆

2009年05月04日 | 座布団シネマ:か行

『チョコレート』『主人公は僕だった』のマーク・フォースター監督が、兄弟のように育った少年2人の心の傷と許しを描くヒューマンドラマ。ソ連とタリバンに翻弄(ほんろう)されるアフガニスタンの過去と現在を見せる、衝撃的な政治ドラマでもある。原作はアメリカで300万部を超えるベストセラーとなった無名の新人カーレド・ホッセイニの小説。逃れられない運命に涙しながらも、深くて強い友情に胸を打たれる。[もっと詳しく]

かつてカブールは東西文明の交差路であり、世界有数の美しい都市であったということ。

ノンフィクション・ライターの友人と、70年代半ば、シルクロードへの想いを熱く語り合ったことを思い出す。
いまから思えば、友人と僕がもっとも感化されていたのは、井上靖の『西域物語』であったかもしれない。
ゴビ砂漠からカスピ海への西域に至る道を、井上靖は何度も旅をした。
71年にはアフガニスタンを旅し、その紀行もこの著作に収められている。
アフガニスタンの首都カブール。
世界でも指折りの美しい町。
海抜1800mにあり、3000年以上の歴史を持ち、東西文明の交差路となった。
砂漠気候帯あるいはステップ気候帯ではあるが、豊富な穀物と果樹に恵まれた緑の都市。
アレクサンドロス大王の東方遠征以来、このアフガニスタンは交通の要所でもあり、歴史的にはいくつかの王朝の交代劇があり、民族は混合した。



地勢的には、西をイラン、東をパキスタン、北をタジキスタン・トルクメニスタン・ウズベキスタン、東端を中華人民共和国と接している。
このあたりは、アフガン戦争の報道で、いやでも叩き込まれた地勢図である。
近代に入り、3次に渡るイギリス独立戦争に終止符を打ち、その後は王制が続いたが、73年に無血クーデターにより、共和制に移行している。
友人がカブールを目指して旅立ったのが、1977年である。
現地からの絵葉書で「お前も来いよ、すごくいいところだぜ」と誘いの言葉があった。
ネパールのカトマンズと並んで、ヒッピーたちの溜まり場でもあった。
しかし、翌年軍事クーデター(四月革命)がおこり大統領一族が処刑され、その翌年(79年)にはソ連軍が侵攻し、親ソ連派によるクーデターで革命評議会議長は殺害され、そこからソ連軍は10年にわたって支配を続けるのである。
「世界に冠たる美しい都市」は現在に至るも「世界でもっとも悲惨な廃墟都市」となったのである。



『君のためなら千回でも』という映画は、70年代後半のアフガニスタンが物語の発端となっている。
主人公であるアミールという12歳の少年、そして使用人の子どもで少し年下のハッサンという少年が、凧揚げに興じている。
凧揚げ大会で優勝するふたりだが、それをこころよく思わない地元の年上の少年たちからハッサンは屈辱的な暴行を受ける。
アミールはそれを目撃するのだが、助けに行くことが出来ない。
わだかまりを残したまま、ソ連軍侵攻を逃れてアミール一家は脱出し、難民生活を経てアメリカに亡命移住する。
それから20年、結婚もしアメリカで落ち着いた生活を送るアミールに、ある日カブールの恩人から電話が入るのだが・・・。



冒頭の凧揚げに興じ歓声をあげる子どもたちや町の人々の活気が、僕たちが憧れたアフガニスタンの街並みや匂いを彷彿とさせる。
アミールの父親であるババは実業家として成功者であり、尊敬もされているし、信念と誇りを持っているように描かれている。
ババはアミールのどこか神経質なひ弱さのような資質を疎んじているところがあり、それがアミールのコンプレックスの一因となっている。
アミールと較べるように、使用人の子どもであるハッサンを可愛がり、その資質を褒めることにもなる。
もちろんアミールとハッサンは親友であり、ハッサンは自分の置かれた分をわきまえているのであるが、アミール少年の複雑な思春期の感性は、ハッサンに対する敬遠や裏切りにいつしか傾いてしまう。



民族的に見れば、アフガニスタンのほとんどはスンニ派のタジク人であり、アミール一家もそうである。
一方、ハッサン親子はシーア派のハザラ人であり、人口の10%程度であり、職業的なポジションなど差別されている。
もともとハザラ人は、13世紀チンギス・ハーンによるモンゴル侵攻以来の民族であり、中央アジアのモンゴリアンの血筋となっている。
ハッサンの顔立ちや体型も、どこかモンゴロイドの系統を、受け継いでいる。
ハッサンが受けた暴行もそうした差別意識から来ており、アミールの後悔は自分もどこかで親友であるハッサンを差別してしまう心性を持っており、そのことが自分の「裏切り」を無意識に正当化するための根拠にしてしまったことから来るのかもしれない。
(ちなみにこの民族差別への言及が、この作品が現在でもアフガニスタンでは上映禁止措置をとられていることの理由とされている)



アフガニスタンはアメリカCIAの軍事援助もあって、ソ連軍を全面撤退に追い込み、やがてはターリバーンの原理主義が支配する世界となる。
アメリカの政策が生んだ鬼っ子のような存在がビン・ラディンを中心とするアルカイーダの勢力であり、2001年9月11日のアメリカへのテロにつながり、ブッシュ以下狂気のアメリカは、雪崩をうったように、アフガニスタン侵攻を翌月には開始するのである。
アミールへの1本の電話は、ターリバーンがアフガニスタンを制圧し、もう冒頭の凧揚げなども禁止され、歓声が聞かれぬようになった時代である。
アミールはパキスタンから緊張の面持ちで厳戒態勢のカブールに入り、そしてハッサンが死んだことを聞くとともに、ハッサンの息子ソーラブが捕らえられていることを知り、その救出に向かうことになる。
苦労の末、ソーラブをアメリカに連れ帰り、育てることを決意する。



けれど、ターリバーンからの仕打ちにトラウマを抱えているであろうソーラブは、なかなか心を開こうとしない。
妻ソラヤと晴れた日に公園にソーラブを連れ出したアミールは、かつてハッサンとペアを組んだように、ソーラブに凧揚げを教えることになる。
凧は青い空を、生き物のように自在に操られ、飛び交う。
よくやくのように、ソーラブの表情に笑みが浮かぶ。
アミールは嬉しくてしょうがない。
ソーラブに向かって晴れやかに叫ぶ。
「君のためなら千回でも!」。
ハッサンもアミールに対して心から言ってくれた。
「君のためなら千回でも!」。
本当は、ハッサンは父ババと使用人の間に生まれた異母弟であり、その子どもであるソーラブはアミールにとっては甥っ子にあたるのだ。
そんなこともいつかはこの子に話せるようになるかもしれない・・・。



『チョコレート』『ネバーランド』『ステイ』『主人公は僕だった』と、2000年以降のマーク・フォスター監督の作品群を僕はずっと共感しながら見続けてきた。
けれど『君のためなら千回でも』という作品は、アフガニスタン生まれで同じく亡命を体験した新人作家カーレド・ホッセイニとの出会いや監修を得られたことが大きいのかもしれないし、脚本や音楽やといったスタッフに優秀な人材を得られたことが大きいのかもしれないし、ARO(アフガン援助機構)からの紹介で出会った子役の少年たちを獲得したことが大きいのかもしれないが、それまでのファンタジー映画作家というマーク・フォスターのイメージを、さらに奥深く人間の普遍を探る映画作家というイメージに押し上げたように思える。



信じること、永遠の誓いを交わすこと、裏切ってしまうこと、傷つけてしまうこと、忘却してしまうこと・・・僕たちはどこかでアミールであり、ハッサンであるかもしれない。
これほど、戦争を直接は描かず、けれども引き裂かれた時間と心の底に澱のように隠し持ってきた悔悟の念とその回復のための自己犠牲を厭わない決意とを、見事に照射し、逆に戦争に巻き込まれた大衆の哀しみを証言している映画など、滅多にあるものではない。
友人が、緑豊かなカブールから送ってくれた絵葉書は、まだ僕の引き出しの中に眠っている。
いつか、きっと、アミールやハッサンの後継たちが、必ず豊穣なる大地を取り戻す日が来ることを、僕は信じてやまない。

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4 コメント(10/1 コメント投稿終了予定)

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TBありがとうございました。 (sakurai)
2009-05-06 11:17:18
見事な映画でしたね。
これを見事と言ってはならないような気もしますが、戦闘のシーンなどなくても、戦争がもたらす惨禍を見事にあらわしていたというのに、同感です。
邦題もよかったです。
アフガニスタンの扱いに、アメリカ自身が戸惑っているような最近の風潮ですが、この映画は、ブレがなかったと思いました。
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sakuraiさん (kimion20002000)
2009-05-06 13:22:47
こんにちは。
珍しく、邦題の方がよかったですね。
ハリウッド映画でありながら、現地語で制作したのは、骨がありましたね。
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アミールの心情 (オカピー)
2009-06-15 02:33:37
TB致しました。

アミールを非難する方が多いですが、彼の心情は何となく解るような気がします。
彼が盗みを偽装して親友ハッサンを追い出すのは、嫉妬や色々な感情が渦巻いた結果ですが、ハッサン自身の存在が彼の弱さを常に感じさせ、事件の時に何もできなかった痛みを思い出させ、耐えきれないというのが一番強い心理的要因ではなかったでしょうか。

果物を顔になすりつけるショットも実に厳しく、感心させられました。ヤギの血とでマッチカットを構成することで、少年が心の中で血を流したメタファーとしていましたね。
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オカピーさん (kimion20002000)
2009-06-15 03:36:01
こんにちは。
異母弟であることが明かされたのは、中盤過ぎですが、序盤でのアミールと父親の感情の齟齬のようなもの、アミールのコンプレックスなど、過不足なく描かれていたと思います。
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