サーカスが好きだ。舞台もそうだが、楽屋裏の真剣な喧騒が好きだ。日常もまたサーカスでありその楽屋裏もまことに興味深い。
サーカスな日々
mini review 07258「パンズ・ラビリンス」★★★★★★★★★☆

オフェリアが紡ぎだした幻想(物語)の切なさ。
この作品の特徴のひとつは、スペイン語圏のキャスト・スタッフで固められていることである。
デル・トロ監督自身は、メキシコ生まれであるが、ハリウッドだけでなく、スペインの映画界からもその才能を評価され、発表の場を与えられている。
当然この作品は、スペインのゴヤ賞では7部門に輝き、カンヌ国際映画賞では上映後、20分のスタンディング・オベーションがおこり、英国アカデミーでは8部門にノミネート3部門受賞、全米映画批評家協会賞で最優秀作品賞、そして第79回アカデミー賞では6部門にノミネートされ、撮影・美術・メイクアップ部門でオスカーを得た。
スティーヴン・キングにいたっては「『オズの魔法使い』以来のベスト・ファンタジー』とさえ、絶賛している。
通常のファンタジーあるいはダークファンタジーでいえば、古代あるいは中世などの雰囲気に近似した架空の国に舞台を設定するか、近未来あるいは遠い未来のSF的な世界を仮構するか、ということになる。
現在のリアルな歴史時間に近ければ近いほど、ファンタジーはメルヘンあるいはホラーとして、つまりは夢の世界のように現れざるを得ない。
なぜなら、観客の側に、現実(史実)を忘れさせ、これは「お伽噺」ですよ、と断らなければ、単なるリアリティのない絵空事に終わってしまうからである。

しかし、「パンズ・ラビリンス」の描く世界は、たった半世紀ほどの過去、1944年フランコ軍事政権下のスペインを舞台にしている。
作品の世界の半分は、フランコを崇拝する残虐なファシスト・ヴィダル大尉(カルジ・ロペス)と山にこもったパルチザンとの重苦しい局所の内戦が描かれている。
これは「お伽噺」ではない現実世界である。
一方で、「パンズ・ラビリンス」の半分は、11歳の少女オフェリア(イバナ・バケロ)が「体験」する「牧神の迷宮(パンズ・ラビリンス)」における三つの試練が描かれている。
これは「現実」そのものではない幻想世界である。
この作品の特異性は、現実と幻想が織り交ざって、その血と涙、恐怖と哀しみ、残酷さと美しさ・・・それらが一体として「ダークファンタジー」を成立させている、というところにある。
同様な構図に近いものとして、同じスペイン語圏の作品でいえば、ビクトル・エリセ監督の「ミツバチのささやき」(73年)をすぐに、想起することが出来る。
同じくフランコ圧政下、フランケンシュタインの巡回映画がやってくる小さな村で、6歳の少女アナは姉から怪物は村外れの一軒家に隠れていると聞き、それを信じ込む。その一軒家で、アナは負傷した兵士と出会う・・・。「ミツバチのささやき」でも、幻想と現実の境界線を危なっかしく往来するアナに僕たちは胸が苦しくなるような感情移入をしながら、少女独特の世界像に、引き込まれていったのだが・・・。

「パンズ・ラビリンス」の主人公の少女も当初は7歳で設定されていたが、応募したイバナ・バケロの年齢(11歳)にあわせて、脚本が修正されたという。
当初の脚本は不明である。また、デル・トロ監督にはすでにこの作品の原型をなしたであろう「デビルズバックボーン」というファンタジーめいた作品がある。
ただ、おそらく、11歳のイバナ・バケロを目にして、デル・トロ監督は、当初想定していたシナリオよりも、もっと「血=少女性」の匂いを濃くしたのではないかと、想像させられる。
オフェリアは物語=本の好きな、つまりは空想家の少女である。
内戦で、優しかった仕立て職人の父を亡くし、ヴィダル大尉の子を身ごもった母カルメン(アリアドナ・ヒル)と、大尉によばれ戦地に赴くことになる。
オフェリアは大尉に恐怖している。
暴力と血の匂いのする森の戦場も不気味である。
優しい母の体調や生まれてくる「弟」をきづかう気持はあるが、本当はヴィダル大尉に囲われる母に対しても、疎外された気持を抱いている。
オフェリアはこんなところに居たくない。
母から「もっと大人にならなければ」と揶揄されようが、オフェリアには、本=空想の世界にしか逃げ場はない。

大尉に会うための移動中の車で、つわりで気分が悪くなったカルメンは車を降りる。
オフェリアもしばし森を歩く。
山道で彫刻を施された石に躓く。
その石を拾い上げ、みつけた石像の破片と気付き、元に戻すように石を嵌める。
ここから、オフェリアの幻想が始まることになる。
森でみかけたカマキリのような昆虫が、初めての戦地の夜に不安なオフェリアのもとに現れる。
すぐに、オフェリアは「あなたは妖精?」と昆虫に声をかける。
そして自分の持っている本の「妖精」を指し示す。
すると、昆虫は、その絵のように、擬態することになる。
ここからのオフェリアの幻想劇は、たぶん昔に読んだことがあるだろう、「地下の国にいた王女モアナ。モアナはしかし地上のそよ風、日の光、青い空に憧れ、禁じられているのに地上に出てしまう。光にあたってモアナはすべての記憶を失う。ずっと後に、モアナは誰かの身体を借りて、もう一度地下の国に戻ることになる・・・」という物語が基底になることになる。

とすれば、幻想の国への道先案内をするパン(牧神)とはなにか?
パンとは繁殖と全宇宙をつかさどる神である。全宇宙ということは、善悪を含むすべてということであり、創造と破壊を生み出す中立性をもった神とされる。
ギリシア神話では、「死」を経験した唯一の神とされ、ニンフのシュリンクスを追っかけまわした逸話からも窺える様に、「情欲の神」という性格付けもなされている。
もっといえば、パン=サタンであるという解釈もある。
クリーチャーとしての造形も、奇怪な表情をしている。
味方なのか、敵なのか、善なのか、悪なのか、優しいのか、怖ろしいのか、どちらともとれるところに、特色があるといったほうがいいかもしれない。
自分が地下の国のモアナ王女かもしれないことは、パンから宣せられる。そして、パンはオフェリアに3つの試練を与える役割となる。
もし、モアナ王女に自分を同化したい=現実世界からかぎりなく逃避したい、というオフェリアの願望が、パンという存在を無意識に生み出したと解すれば、オフェリアが幻想(物語)世界を正当化するために、パンという中立的な審判者が必要であったということになる。
この作品の半分を占める幻想世界は、結局、パンが提出する3つの試練をオフェリアが受容したところから始まるのだから。
僕たちはここでオフェリアの、現実世界の大尉と母親とのカップリングを拒否したいという無意識を前提としつつ、オフェリアの心身の不安定構造は、本当は、もっと異なる位置から来ているのでは、という推理をしてみたいという誘惑にとらわれる。
その位置とは、初潮を控えた少女という存在の、固有の時間から来ているのではないか・・・。

パンはまず、オフェリアに<道を標す本>を与える。
オフェリアは誰にも見られないよう注意して本を開くがなにも書かれていない。
本当は、オフェリアの中にすでに言葉はあるのだ、彼女が望めば白紙に標があらわれるのだ、と解釈してもいいかもしれない。
そして、第一の試練。
「死に掛けている巨木を救うため、根に巣食う巨大ガエルと対決しなさい。魔法の石を食わせて、黄金の鍵を手に入れなさい!」
巨木の暗い裂け目は、<女陰>の形状をしている。
オフェリアは産道をさかのぼるかのように暗い穴を進み、粘液にまみれた巨大ガエルに向き合うことになる。オフェリアの衣服は一気に穢されていく。
ここで、僕たちは、生理時のおりものと子宮あるいは排出される卵子を暗喩することも出来る。

次に、第二の試練。
「壁の向こうに白いチョークで空間を開けて入りなさい。そこには豪華な食べ物が並べられている。一切、なにも口にすることなく、黄金の鍵を使ってあるものを取り出し、砂時計の砂が落ちきるまでに戻りなさい!」
この空間には、目鼻のない醜悪な「ベイルマン」が待っている。
たぶん、貪り食われたのであろう少女たちの靴だけがうず高く積み上げられている。
案内役の3匹の妖精は、なぜか、異なる鍵穴に誘導する。
オフェリアは正しい鍵穴をみつけ、短剣を取り出すが、戻り際に、誘惑に耐え切れず、葡萄を二粒、食べてしまう。妖精の必死の警告を、邪魔っけに振り払ってまでも・・・。
「ベイルマン」は突如動き始め、両手に目をつけて、追っかけてくる。
砂時計のタイミリミットは過ぎた。
オフェリアは白いチョークで天井に穴を開け、間一髪、現実世界に戻る。

この試練は、いったいなにを意味しているのだろう。
豪華な食べ物は、欲望を直接的に刺激する誘惑そのものであると捉えられるのではないか。
ここでは、初潮を経て大人になること、つまり自分で自分をコントロールすること、自制すること、禁欲すること、禁忌を了解することが暗喩されているのではないか。
幼いオフェリアは、まだ子どものように聞き分けのない、あるいは我慢が出来ない、という仕種をしてしまい、「ベイルマン」には追いかけられ、「約束を破った」ということでパンには一度、見放されることになってしまう。
僕たちはここで、オフェリアが、どこかで「大人になる」ことを拒否する、もっと無責任な子どもでいたいという無邪気さの残滓を、嗅ぎ取ることになる。
そして、もう一度パンが与えた最後の試練。
「生れ落ちた赤ん坊(弟)を攫ってきなさい。そして、赤ん坊と一緒に、地下の世界に降りなさい!」
オフェリアはヴィダル大尉に追いかけられながらも、なんとか、赤ん坊を携えて、パンの前に立つ。
ここで、パンは「赤ん坊の血を二滴捧げなさい!」とあらたな要求を重ねる。
つまり、赤ん坊は生贄にされるのだ。
しかしオフェリアはパンに逆らうことになる。
パンに踵を返したのも束の間、追いかけてきたヴィダル大尉に赤ん坊は取り戻され、オフェリアは瀕死の傷を負わされる事になる。
物語としては、第3の試練は、パンの引っ掛けであり、赤ん坊=無垢なる者、弱者を守る心があるのかどうかが本当の試練なのだ、というように明かされる。
ここでも、初潮を迎え保護するものとしての母性の所在が暗示されることになる。

もちろん、三つの試練以外にも、この作品には、豊饒に記号や暗喩が散りばめられている。解釈は自由だ。
ヴィダル大尉はなぜ、「時計」にこだわり、自分の父親が死ぬ際に、時刻を止めて記憶せよ!と伝えたことは否定するのか?
ナイフで口を裂かれ、自ら痛みに耐えつつ、縫い合わせている姿は、なにを象徴しているのか?
なぜ、生まれてくる子は「男」であると、確信を持っていたのか?
パルチザンと内通している使用人のメルセデス(マリベル・ベルドゥ)とパルチザンの弟との姉弟愛は、過剰に見えないか?
痛みを止める薬は二滴。牛乳に浸した「マンドラゴラ」に注ぐ血は二滴。生贄の赤ん坊に要求される血は二滴。
オフェリアの肩の三日月形状の痣は?
母の下血と、本にあふれた血の滲みと、オフェリアの初潮の予感とは?
三つの試練はなぜ、満月までに執行されなければならないのか?
母カルメンはなぜ、ヴィダル大尉に囲われることになったのか?
父親が営んでいた仕立て屋の関係だとしても、本心のところでは?
「世の中は残酷、人生はお伽噺じゃない」とオフェリアを突き放すような言い方をなぜするのか?
丁寧にあげていけば、おそるべき精緻さで、スペインの画家ゴヤの黒い絵のように、創り上げられた34にものぼるセットの造形や、複雑にプロットを組み合わせたシナリオに、見るものによって、自由な解釈を委ねるような仕掛けが、満載である。

デル・トロ監督は語る。
「ファシズムとは究極の恐怖である」
「ファシズムとは純潔の曲解であり、魂の死である」
そして、オフェリアが消え行く意識の中で、幻視したもの・・・。
地下の王女モアナに同化するための厳しく困難な試練は、現実のファシズム国家の罠から抜け出ようとするオフェリアのもうひとつの不可避の戦いではなかったか。
オフェリアは恐怖と苦痛に打ち震えているが、しかし、物語世界に投企する直截な勇気を持っている。
本当はこの世界で、初潮を迎え、女になり、大人になることが出来たのだろう。
けれど、もう、この世界にオフェリアの位置するところはない。
そよ風も日の光も青い空も、そのままでは満喫することなどできない世界。
しばらくはまた、私はモアナ王女として、地下に閉じこもることにしよう。
さようなら、オフェリア。さようなら、地上の世界。
オフェリアの意識が遠のいていく。
僕たちは、そっと、モアナ王女として存在するオフェリアを、想像したくなる。
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TBありがとうございました。
ご無沙汰しておりましたが、貴ブログには時折お邪魔して拝読致しておりました。
特に時事問題に関しての切り口の鋭さには感服するばかりでした。
今回の記事に付いても大変興味深く読ませて頂きました。
某誌で読んだ某氏の「少女の成長を綴る物語」というコメントが、その時は何かしっくり来なかったのですが、貴レヴューを読ませて頂いて「血のイメージを伴ってオフェリアが様々な辛苦を経験していく」様子はまさに「成長の過程」と言えるのだなぁと深く感じ入った次第です。
>豊饒に記号や暗喩が散りばめられて
映画の各シーンを反芻しつつ私なりにじっくり考えてみたいと思います。
ありがとうございました。
今後ともどうぞ宜しくお願い致します。
こういう映画は、とても好きなんです。
ついつい饒舌になってしまいましたが、別に神話学・記号学的にやってるんじゃなくて、いい加減な思い込みで、ごたくを並べているだけです(笑)
記事内容、とても興味深く拝読いたしました。
なるほど、彼女は父権的ファシズムと闘った後、母性的なものに辿り着いたといえますね。
ご訪問いただきましたが、私の方は、トラックバック返しをしたかたちのではないので、よろしければTBの方もお送りくださいませ。
あの地下の国は、アニミズム的な中世世界ですね。ファシズムがもっとも忌み嫌い、否定しようとした世界です。
今でもどこかでこんなことが行われており、オフェリアのような不幸な子供が後をたたないでいるのは悲しいことです。
・・・観たあとでぐったりしたけど、観てよかったと思う。いかに自分が平和ボケしていたのか、思い知らされました。
映画としての完成度も高いし、戦争について考えるためにも多くの人たちに観て欲しい作品ですね。
と言いつつ、なかなかコメントを残すこともできずに失礼いたしました。
現在子育てにかかりきりですので、なかなか劇場に足を運ぶこともできないのですが、これはスクリーンで観ておいて本当に良かったと思えましたね。デル・トロ監督の「デビルズ・バックボーン」では消化不良気味であった部分が、今回はうまく機能していて感心しました。
ご指摘のように、「ミツバチのささやき」を私も思い出していました。この作品でも、ファンタジーと現実世界の境界が曖昧でしたよね。アナ・トレントちゃんの可愛らしさと現実の落差に、心を動かされましたものです。しかし「パンズ・ラビリンス」の方では、もっとファンタジー世界の輪郭が明確になっていました。この2つの作品の間にある差異を考えると、やはり「血=少女性」の匂いを濃くしたのではないかというkimion20002000さんのお説に同感ですね。
オフェーリアが主人公だからこそ、子供と大人の境界線を行き来する少女の危うさが作品に加味され、より血なまぐささを誘っていました。
また、3つの試練の比喩するところを考えてみるのも、この作品の楽しみのひとつだと感じましたね。
PS: kimion20002000さんの映画評はもちろん素晴らしいのですが、実は「腹立ちぬ!」や「姪っ子メグとお出かけ」コーナーも好きだったりします(笑)。
今後ともどうぞよろしくお願いします。
戦争や内戦そのものを描くより、こういう作品の方が、より深く伝えるものがありますね。
僕はほとんど半年遅れのDVDか名画座の人なのですが、この作品は珍しくロードショーで見ました。
いつもネタバレ無視なので、こういう上映中の作品のときは、いいのかなあ、と思いつつblogしてますが・・・。
腹たちぬとかひどい雑文でお恥かしいですが、こりずにご笑覧ください。
コメントありがとうございました。
kimion20002000さんのレビュー、深く頷きながら拝見させていただきました。
>痛みを止める薬は二滴。牛乳に浸した「マンドラゴラ」に注ぐ血は二滴。生贄の赤ん坊に要求される血は二滴。
ほんとだ!ぜんぶ2滴だったんですね〜
気がつきませんでした。
3つの試練以外のたくさんの謎について考え始めると
これまたハマってしまいそうですね。
シナリオもノベルズもパンフもあたってないので、記憶間違いがありそうですけど(笑)
ちょっとだれかが、日本の神話構造(アニミズム)との連関で、解読してくれたらなあと、思います。
とても深く考察したくなる映画でしたよね。
思春期にさしかかった少女というところが本作のポイントですね。性的に未成熟であり、それらの知識も浅い。母親と義父との関係を疎ましく感じる潔癖さを持つ。
第二の試練に、私は未知なる破瓜への恐怖を感じました。男性器にも見えなくはないペイルマンの食す対象が何であるかを考えれば、この思い付きもあながち的外れでもないかな、と。
どうでしょう?
まあ、批評家じゃないから、いい加減な思いつきでしかないけどね。
ベイルマンの造形自体も、なにかの象徴なんでしょうね。妖精が、異なった鍵に導いたのも、なんか意味があるんでしょうねェ。
「ミツバチのささやき」も機会があったら観たい!それにしても、やはり欧米の作品を理解するには、聖書とギリシャ神話の知識が必要不可欠なんですね〜。
僕はたいして知識はないけど、あと、「指輪物語」に代表される物語構造や、中世的なアニミズム的な物語譚でしょうね。
TBとコメントありがとうございました。
オフェリアの三つの試練は、確かに意味がありそうですね。
私なりに解釈したのは、
一つ目の試練の解釈は「変化の受容」
(肉体的だけでなく、社会的または政治的な背景も含んでいたように思います。)
二つ目の試練は「快楽からの超越」
三つ目の試練は「母性の覚醒」
観る人によって様々な解釈ができるのがファンタジーの醍醐味だと思います。
ダークでしたが、振り返る度に面白味が増す作品です。
そうですね、そういう解釈も、綺麗に成立すると思われますね。
この映画、観る人によって受け止め方も感想も異なって、面白いですよね。
多分、観れば観るほど新しい発見があるんじゃないかと思います。DVDが出れば買いたい作品です。劇場版でカットされたシーンもあるようですし。
へぇー、劇場版でカットされた箇所があるんですか?
どこなんだろう。
私は単純に現世と異世界との同時進行の話として楽しみましたが、kimionさんの深い読み込みの切り口に、また新たな作品を見せられたような気がします。
監督は仕掛けていない箇所で、勝手に仕掛けだと思い込むのもまた、楽しい(笑)
これ、英が見終わった後、夢の中に出てきたんですよ。とてもおもしろい展開だったのに、目が覚めたら、ほとんど消え果てていました。残念!(笑)
この映画、観終わってもなかなか消化できない気分でいたのですが、成る程、思った以上に暗喩が込められているのですね。
大傑作だと思いました。できればもう一度観たいです。
ではでは。
普通はこういう作品は、原作がありますよね。
この作品では、どういうところから、筋立ての骨格をたてていったのか、興味があります。
だから、デル・トロのデッサン入りの設定資料集が出版されないかなあ、と。
そういえば、最後、ビダル大尉にパンの姿は見えてなかった!?ですね。
そうだとすると、結末は悲惨ですね...。
それでも、このファンタジーの結末、好きです!
モアナ王女の姿を思い浮かべてます...。
高得点ですね!
私は、そこまで好みの映画ではなかったのですが、世間での評判も凄く良いようですな〜
現実の側の人間たちには、オフェリアを除いては、妖精やクリーチャーは視えません。
あくまでも、オフェリアの不安感がよびよせた幻視です。
でも、幻覚(物語)世界に入り込むこと自体は、特殊でもない(ありうべき)心的状態に思えます。
僕も、虫は得意ではありませんが(笑)、こういう映画は、個人的にもツボに嵌っているでしょうね。
TBありがとうございました。
いつもながらkimion20002000さんの深いレビューを楽しませていただきました。
虫とか流血シーンとかが苦手なんですが、この作品は引き込まれてみてしまいました。
>モアナ王女として存在するオフェリアを、想像したくなる。
切ないラストでしたね。
本当にあちらの世界で生き生き暮らすオフェリアを想像してしまいました。
こちらからもTBさせていただきました。
日本では、こういうファンタジーは実写ではほとんどないですね。
お子様向け説話か、芸術を気取った観念映画になってしまいます。
なぜなんだろう?
アニメーションやゲームの世界では、深い世界観が提示できるのにね。
現実から幻想へと向かっていくところが、何度も描かれていて、とても象徴的でした。
この映像は、無意識下に来ますね。
2度ほど、夢に出てきました〈笑)
>自らを「メキシコのトトロ」と呼ぶ
はい(笑)。昔、何かの映画雑誌(たぶん、「DVDでーた」だったと思う)のインタビューでこんなことを言っておりました。
まあ、この呼び名を聞いたことがあるのはこのとき1回だけなので、あくまで日本の雑誌向けのリップサービスなのでしょうが、相当のアニメ&コミックオタクなのは間違いないようです。
ふーん、そうなんですか。
本人がねェ。オタク度は相当なものですな(笑)
っていう深みがあって、とても印象に残る切ないファンタジーでした。
軍事政権の描写と、ファンタジーの世界観と、そのバランス・構成が絶妙でしたね。
でも、なんかあたしはだめ。
皆様、絶賛なさってるのですが、どうして自分と相いれなかったんだろうと、つらつら考えてますが、答えは見つかりません。やっぱ感覚の問題ですかね。
内戦の最中のせっぱつまった状況と、ダークといえどもファンタジーが強くリンクして描かれるというのが、自分にとって辛すぎて・・。
やはり、パンは、イエスを誘惑する堕天使に見えました。私は、キリスト教的な雰囲気を強く感じました。
バン=ルシファーですね。
誘惑というのが、オフェリアへの試練のキーワードでもありますね。
余韻の長い映画でした。謎や解釈の幅が多彩で、久々の大人の鑑賞に耐え得るファンタジーではなかったか、と思います。
その分、人を選ぶ作品かも知れませんね。
そうですね。
生理的に駄目だぁ、と感じた人も結構、いるんでしょうね。あたし、こんな映画、見に来たつもりじゃなかったのにぃ!ってね(笑)
私もTBさせてくださいね。
これからもよろしく。
コメント並びにTBありがとうございます。
改めて貴ブログの記事を読ませて頂き・・・。
素晴らしいものだと驚いています。
この記事をふまえて、再度鑑賞したいと
思いました。
きちっと、解読したわけでもなんでもなく、単なる印象です。でも、いろいろ、暗喩がありそうな作品でしたね。
なんの予備知識もなく鑑賞して、あとから色々な方の感想を読み、様々な解釈があるのだなあと新たなる発見の毎日です。
kimion20002000さんのレビューもなるほどと唸りました。
もう一度観に行く予定なので、そのときには前回以上にこの作品を味わいたいと思っています。
この映画は、二度見ても、十分に新しいなにかが発見できる作品だと思いますよ。
さてさて これは凄く怖かったです。
現実世界からおとぎの国に逃避したオフェリアのように
私も途中何度かトイレに逃避いたしました。
トイレに行って、シーンを見逃すのは、もったいないよ(笑)
今年もよろしくお願いします。
単純な様でいてたくさんの謎を秘めた映画でしたね。<ヴィダル大尉はなぜ、「時計」にこだわり、自分の父親が死ぬ際に、時刻を止めて記憶せよ!と伝えたことは否定するのか?>以下の疑問は僕もほとんど触れませんでした。「二滴」が強調されていることには気づきませんでしたね。
まだまだ解明/解釈すべき点は残っている!DVDを自分で手に入れてまたじっくり見直してみたいと思っています。
昨晩もたまたまDVDが届いて、この映画を再見したんですけどね。
パンの狂言回しの意味と、王権における姉弟ということを、つらつら考えていました。
ファンタジーというには、重く悲しいお話でしたよね。大人のファンタジーかもしれません。
観る人によってかなり意見が異なるような作品だと思いますが、僕には素晴らしい映画に映りました。
ラストの締めかたは実に見事ですが、「ステイ」と似ていましたね。
ファンタジー部分はオフェリアの願望と妄想だと思いました。kimionさんの解説は物凄く的確ですね。感心しました。
すばらしい映画でした。
「ステイ」の場合は、死に行くものが最後に網膜に映った映像から、走馬灯のように過去を再構成している脳内現象のようにとらえました。
本当に、深く考えてみたい、分析してみたい、と
思うポイントがたくさんありましたね。
もう1度と言わず、2度3度、観て、
いろんなことを考えてみたいと思います。
……、とはいえ、なかなか時間がとれなかったりして、
悲しい
そうですね、もう一度、と思っているときに、また新しい映画が、誘惑してきますからね(笑)
この作品に散りばめられた多数の「謎」。
観ているとき、全然気づきませんでした。
自分が、ボケボケしながら映画を観ているなぁ。
と思ってしまいました。
僕が勝手に謎をこしらえているだけかも知れません。
なんだか、そうしたくなるような、惹きこまれる作品でした。
大変深く掘り下げたレビューです。
特に、後半に書かれた謎解きを軸に鑑賞する必要がありますね。
大変参考になりました。
まあ、あの謎というのは、本筋かどうかは分かりません。
問題は、この作品を、今この時期に、どういう意図で彼らは制作したんだろう、ということかと思います。
過酷な世界に生きたオフェリアが、切なくて泣けてしまったのですが。
鑑賞した後にも、いろいろ考えさせられる作品ですね。
いろんな解釈ができるんだなと参考になりました。
「切ない」ですね。
それをまた、少しくらい映像と音楽が、うまく盛り上げていましたね。
でも、ファンタジーはもっと楽しい気分にさせてほしいですw
>ファンタジーはもっと楽しい気分にさせてほしいです
まあ、楽しい気分になれるファンタジーは、他にたくさんあるからさ(笑)
僕のは、いい加減な連想与太話ですからね。
かるーく、聞き流してくださいな。
この映画は,ラストの切なさに心を奪われ感情を引きずられ,分析的に見ることは出来ませんでした(元来そういう見方は苦手であります).
その点で,kimion20002000様の分析は面白く目からウロコばっさばさの状態でした.
ヴィーヘルトのことを書いたのは,作品の雰囲気が非常に似ていたからです.何かの機会があればご一読ください.
僕も、感情、気分で映画を見ていますよ(笑)
レヴューの時だけ、ちょっと分析の真似事をしているだけです。
今回はいつもに増して反応が遅くなってしまいましたスイマセン。
この話は辛かったです。あの魔法の世界が虚構なのか現実なのか(?)どっちつかずな終わり方だと私は思ったのですが、とにかく辛かったです。ラストをハッピーエンドと受け取るのはそれこそ現実逃避なんですかねぇ(?)
>案内役の3匹の妖精は、なぜか、異なる鍵穴に誘導する。
この部分難解(?)です。私はちっともわからなかったんですけど、どういう意味なんでしょう???
では、また来させていただきます(レスポンスは悪いですけど)。今後ともよろしくお願いいたします。
「鍵穴」については、なんらかの原型となる神話的な意味があるんでしょうね。
ヨーロッパの方たちなら、すぐに思い当たるような気がします。
私としてはクリーチャーとビダル大尉だけで満足できましたが、細かくて意味のある映像がたくさんあるみたいですね!
あらためて観ても、また新しい発見に出会えるような映画だと思います。
最近、見た中でダントツに衝撃があった映画でした。
こちらのブログにきてみればその映画の紹介が
あったのでまたTBはらせていただきました。
普通のファンタジーという認識で借りてきたので
しばらく唖然としてみてました。
でも、私はこういう映画も好きですね。
ただのファンタジーよりも考えさせられます。
こちらの映画の解説なるほどそういう解釈もあるかと
毎回新たな解釈を得ることができて
よりいっそうその映画を掘り下げることができるので
毎回なるほどと感心しながら読んでいます。
それでは失礼します。
ファンタジー娯楽映画は、いろいろありますからね。
でも、「衝撃」を受ける映画なんて、滅多にありませんよね。
僕は自ら【大枠掴み】と称して映画を大俯瞰で語ることしかしない若しくは出来ないわけなので、尊敬しちゃいます。
当初の採点は★8つじゃなかったですか?
僕もたまに採点の変更をこっそりやったりしますが(笑)。
勘違いかな。
>当初の採点は★8つじゃなかったですか?
ああ、そうかもしれませんね。
僕、この音楽が好きで、作品も結局3回見て、夢の中に何回か出てきて、どこかで引き摺っているんでしょうね。
そういうことから、★9個にあげたのかもしれません(笑)
どこか少女のエロティックな感じがすると思っていましたが、
kimion20002000さんのレビューを読んで納得です!
少女から大人になるという明るい成長物語ではないんですよね。
大人になるために血を流すという・・・ 深いです。
素晴らしいレビューでした。
ありがとうございました。
僕のは、勝手な解釈かもしれませんけどね。
こういう映画が、邦画にないのは残念です。