伊達だより 再会した2人が第二の故郷伊達に移住して 第二の人生を歩む

田舎暮らしの日々とガーデニング 時々ニャンコと

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生きがい

2015-02-09 02:29:19 | 初めてのブログ

 いやいや今やっと古いブログのカテゴリーの

   編集が終わった・・・。


   めぼしいものだけだが・・・

   あとはそのままインポートの中に収まっている。


   息子が東京に出発する日

   老後のために良いだろう・・・と

   ブログを立ち上げてくれた・・・。


   ワープロはやっていたが

   パソコンは初めて


   最初は戸惑いながらも・・・

   
   今じゃブログのない生活なんて考えられない


   生活の一部になっているし生きがいだ・・・。


    息子よありがとうネ



    そんな訳で最初のたどたどしいブログを

    掲載しました・・・


    うまく編集できるのでしょうが

    私の力量では・・・



    当時のままそのまま載せています。



    親友の富美ちゃんのことも


    昭南さんの講演のことも載っています。







平成20年6月24日初めてパソコンに挑戦する。


息子に教わる。

 庭に芸術的なオブジェ風ガーデニングを造ってくれた。
普通の家にはインパクトがありすぎると言うと

「小説家の家だしいいしょ!」と言った。



七月八日サミットの最中に心配したが無事東京に着き安心

マリモとリンゴもショック死することなく元気らしい。

30代半ばでの再出発、人生常に挑戦あるのみ

「君ならできる」まだまだ若い、これから期待してるぜ!!



今年は家の裏を整備しました。裏の写真の下は昭南菜園です。



 伊達のいろいろ、上から・伊達高校、昔の門 ・散歩ロード風の道 ・長流川 ・ ・ジャンボホタテ ・気門別川の桜 ・館山公園の桜 ・館山公園 ・散歩ロードの桜 ・古い橋
伊達のいろいろ

 8月24日朝、庭の小鳥の餌台にいつも来るスズメに混じって見慣れないスズメ位の大きさの全体が黄色の鳥がつがいで訪れた。図鑑で調べるとカワラヒワらしい.ひまわりの花を物色して行ったので間違いないと昭南さんと勝手にきめつけた。



その夜、いつものように飼い猫のララを外につないで出す。11時位になると鳴くのだが今日に限っておとなしい、庭に出て見ると紐だけ残されララの姿なし、あれーと思い「フン,捜してやらないから」と怒っていると,ギャオーと今まさに喧嘩寸前の猫どうしの雄たけび、道路に出てみると数十メートル離れたところで伊達の野ラッチらしき猫と我が家の箱入り息子が鼻を着き合わせて今まさに戦う寸前、危機一髪のところで棒をもち「あんたら何してんのさ」喝を入れると伊達産のはしっこそうな猫はすばやく逃げララはにトコトコ歩き我が家に素直に帰る。毛が少し抜け手に少しばかりケガをしていた。次の日ララはちょつとばかし反省したのか、初めてのケンカで世間の厳しさが身にしみたのかわからないが外に出たいとも言わず一日謹慎していた。昭南さんは、よくララみたいな大きい猫に襲いかかった。伊達の猫は勇敢だと関心しきり。いくら身体が小さくともいつも家でゴロゴロしている猫とは鍛えかたが違うべさ。

 ララはあれ以来外に出ようとしない、食っちゃ寝の毎日、今日(31日)むりしゃり庭に出す。伊達の猫、四番目の猫は長崎で逢った猫。あまりにもの堂々たるお姿に思わずパチリ。あとの猫は、我家のどら息子ララ君で~す。



 
 9月3日散歩の帰り、前足の一本無い白猫に会う、今年の春に娘さんが洞やでカラスに襲われていたのを助けて連れて帰ったとのこと、医者に連れて行きぐちやぐちゃだつた前足を手術して助かる。子猫だつたから助かったのだろうと飼い主のおじさんは『仕事から帰ったら玄関で待っていてかわいんだわ」と白ちゃんの経歴を語り目を細めた。おじさんの家には二毛猫がまだ二匹いてはるのだ。伊達の人は猫大好き人間が多いようだ。白ちゃんの救世主おじさんに幸あれ。白ちやんは丸々太り毛並みも良く幸せそうだった。
 
 九月十二日一か月振りに札幌に行く、行くたびに三十数年住んだ宮の沢地区が大きく様変わりし風景が変わるのが寂しい。古い家はマンションに建替えられ、スーパーに来る人も年老いた。まあ私もその一人なのだが・・・・・。

 9月26日ララを病院に連れて行く。袋に入れるまで暴れてすごかつたが入るとおとなしい・・・・・・。野良ちゃんとの喧嘩以来かじられたところがキズになり盛り上がっているな・・・・とおもっていたのだが、身体中なめ痒がりそのうちキズがあーというまに背中に蔓延した。昭南さんと自転車に乗せ田淵動物病院に行く。
 ララは騒がず神妙にしていた。好酸球性皮膚炎ではないかと言われ,注射して薬を貰い帰る。薬にマタタビ酒を数滴たらすと喜んで食べたが、薬の副作用か今日10月2日の朝吐き元気がないのでひとまず薬をやめることにした。

 10月9日。ララの皮膚炎も治ったようである.秋になり気がつくと、庭に来るスズメの数が減った。いつも数羽しか来ない。一羽も来ない日もある。二年前と同じ現象だ。春先にはあちこちで家の周囲で巣作りし、3、40羽にも増え、毎日のように庭に来て、親に口移しでエサをねだっていた可愛いヒナたちはどうしてしまったのか。農薬のせいか、はたまた異常気温のせいか。どこかの空を元気よく飛び交っているといいのだが・・・・・寂しい。伊達の風のメモリーの散歩ロードにも数羽いることはいるが少ない。
 10月11日。今年は黒とか青、茶などの虫のオンパレードで家庭菜園も大変だあ・・・・・・と昭南さんが嘆いていますだ。今日は東京の息子との電話のやりとりで写真の入れ方を教わりやつと入力出来た記念すべ日である。まだまだ不充分ですが・・・・。
 
 初めて収穫した家庭菜園(平成17年度)

上から順に、18、19、20年度の庭とララ




 





 





 


  

 10月26日から某ツアーの金沢・高山・白川郷・五箇山めぐり4日間に行って来た。中部空港に降りてびっくり、そこで待っていたガイドさんは、定年退職して10年は経ったであろう熟年さんだった。まさか?この人が・・・・とツアーの人達の目はささやき合っていた。バスは二階建てで超ラッキーと思ったが、みかけだけで、中に入ってびっくらこー、サロンカーで、前の座席だけまともで、昭南さん流で言うと後ろの席は『場末のキャバレーみたい」だった。おまけに椅子はリクライニングがきちつととまらず、シートベルトもない。
 計33名のツアー、夫婦連れは私達を入れて8組、あとは女性の小グループ数組である。最初の犬山城までの車内はそれはそれは暗かった。だが1日目の宿泊地ひるがの高原までの車内はなぜか和気あいあいで明るく、めちゃ楽しげな雰囲気になっていた。
 そこは年の功,やせても枯れても伊達に年は取っていないガイドさん、大阪弁で「みなしゃーん」としわがれ声の話し方と何とも言えない彼女のスローな憎めない人柄にみんなもいつの間にかはめられたというか、納得させられたというか・・・・・・。今までに無い珍旅行でそれなりに楽しかった。ガイドさんが歩いたのは朝市だけである。そこでしつかりと父さんの土産に干物を買って居た。
 帰りの空港では女性陣が『私もガイドさんの姿に勇気付けられました。感動しました。」としっかり手を握り合い別れを惜しんでいた。
 
 旅行から帰ってすぐ持病の気管支喘息と腰痛になってしまつた。あんなに注意していたのに、腰痛はあの座席のせいだと昭南さんは今だに怒っている。そうそう最後の宿泊地の温泉ではせっかく待望の温泉だったのに、昭南さんは温泉に入れなかったのだ。どうして・・・・かというと、浴場のまん中に真湯と掲げた札がかかっている浴槽があったのでなんだこりゃと思い入って見ると、温泉らしくない。端の方にある小さめな浴槽に行くと天然温泉と札がかかつていた。私はこれだ・・・・・と思い温泉を充分堪能した。部屋に入りその話をすると昭南さんは眼をむいた。『あれって温泉でなかったの・・・・』私は真湯にしか入らなかった。と憤慨しきり、次の朝男湯と女湯が変わるというので温泉好きの私は早速入りに行った。ふむふむなるほどほへそだ。いつも空想の世界に入っている世間知らずの昭南さんがすっかり温泉と疑わなかったのが理解された。だって真湯の浴槽の方が昨日の女湯よりもご立派だったのだから。
 宿泊地とバスはいろいろあったが、見学地はびゅーだった。高山は朝市に気をとられ、肝心の町並みは時間がなくあまり歩けなかったのが残念だったが、美味しいお酒が呑めてグーだった。また行きたいところである。金沢の古い町並みも良かった。白川郷は人ですごかった。合掌造りもすごかった。神社でのんだどぶろくがおいしくてのんべいの二人はお替りまでしてしまった。 
 
 11月10日、やっと咳と腰痛も治まり伊達温泉に行って来た。ここには真湯なるものがないので安心だ。
 
 「みなしぁーん、旅行で真湯なるものがあったらお気をつけあそばせ」
 以上とんまでうぶな昭南と、温泉だけはウチに任せてネのシズ子の珍旅行でした。


 12月12日、気仙沼に居る、中学時代からの親友、富美ちゃんから電話、パソコン始めたというので私のプログを教える。うまくいったかな~。
 毎日、昭南さんのネコのエッセイを書いているのでこの頃けっこう見ている人が多いみたい。読んでくれる人が増えると私もはりきっちゃいます。
 次の日アクセス数を見るとaobadon miyagiが21件もはいっていた。ウフー富美ちやん苦戦の末、アクセス成功したね。しかし21件とはどういうこと、まだ私には見方がわからないのです。

第二の故郷大滝村
 私にとっては大滝は第二の故郷です。こごで富美ちゃんに会いました。高校は伊達高校で、私は伊達で間借りしていました。この地で昭南さんに出合ったのです。卒業し、札幌の大学に進学し、還暦になって昭南さんと伊達に帰ってきました。
 写真は上から順に、・三階滝 ・円山に行く途中の長流川、ここはクロスカントリースキーのコースになっていて、ナイヤガラの滝と呼ばれていました。 ・国道から昔住んでいた山の我家に行く途中の、優徳の長流川、いつの間にか立派な橋が架かっていたがこれも取り壊し中。名水亭に向かって立派な橋が出来たからです。 ・名水亭、昔はここは北湯沢駅があってかっては私の亡き長兄も勤めていたことがありました。この近くの別荘に富美ちゃんは住んでいました。
 今は松尾芭蕉のー夏草や 兵どもの夢の跡ーの心境になっております。



 ところで昭南さんの「猫たちの挽歌」のエッセイ、とうとう13日に完成。300枚超の中篇になる予定。私のブログはまだトトちゃんの最初ですねん。頑張らなければ。昭南さんは伊達に来てもう既に、室蘭をテーマにした小説「冬のハマナス」800枚ほどの長編を書き上げていますんですが出版するにはお金もいるしで・・・・・・。純文学は今の世の中に受け入れられないんだけれど、惜しいですね。軽い本ばかり読んでいるから軽い人間ばかり増えるのさ・・・・と私は嘆いています。でも、でも昭南さんはめげずに毎日2時間は書いています。彼にとって書くこと即ち生きることなのです。


12月16日、夜何気にブログを開くと、富美ちゃんのコメントが入っていました。うれしかった。さすが習っているだけあって・・・・・。私はまだそのようなハイテクは出来ないのであります。ただひたすらブログだけを開いて書くことしか出来ないのです。それも時々プララが立ちあがらなかった日にゃアウツ。南さんからテープ送られて来ました。懐かしかったです。彼とは成人式に話した以来です。それと何故か長い間、僻地で校長先生をしていらしたお父さんの実直で温厚な姿も鮮明に脳裏に浮かんで来るのが不思議です。ゆっちゃん(南さんのこと)はしっかりと親の遺伝子をうけついだのですね。

 そうそう。先日、気門別川がヒ素とかに汚染されている件で、住民への説明があるとかで、せっかく伊達に来てそれはないべさ~と、2人でカルチャセンター に説明を聞きに行ってきました。水に関しては、というより水に関しても博学で、過去に大学の先生方と研究したこともあり、自らも水関係で特許も取ったこともある昭南さんは、深いところを質問していました。

12月22日、19日に札幌に行って、今日帰って来ました。札幌は雪は多いし寒いので、気合を入れてごっついブーツを履いて行ったのだが雪は無かったが、さすがに寒かったです。猫のキキはだんだん私になつかなくなり、娘が帰ると、ニヤーニヤー鳴いてまとわりついている。私には無視しっぱなし。しやーない、たまにしか来ないアンタなんか・・・・・・というところか。娘命のキキ君なのであります。
 宮の沢からまた一つスーパーが消えた。何十年も利用していた丸商坂井さんです。コンビ二は沢山あるけれど、ちょつとした物を買うのには10分程かかる西友にいかねばならぬ。不便この上ない。近くにイオンなる大型店ができ、地下鉄から無料の大型バスが送迎しているが、昔の店の方が身近でよっぽどいい。キキ君です



12月24日。今日はクリスマスイブ、世間並みにシャンパンとフライドチキンを買って来て今年も健康に過ごせて乾杯。
 昭南さんは、伊達カルチアセンターの大手門と石垣をみるたびに怒っています。こんなことに何億もかけるよりもっと街灯をつけるとか、穴ぼこの歩道を無くすとか、壊れかかった橋を修理するとか、西浜と山下町をつなぐ跨線橋を踏み切りにするとか、・・・・・もっと生活しやすい街づくりにお金をかけてほしかったと、残念がっています。
 図書館も遠すぎて困ります。せめてバス停の近くに移動するか、古い体育館跡に移してほしいものだと思っています。とかなんとか2人の希望を語りながら庭を訪れる野鳥に目を細めて満足している私達です。「ああ・・・やっぱり伊達はいい・・・・」と。
 昭南さんいわく、このままなら何百年も生きたい・・・・・。

12月26日。昨夜から吹雪が続いていて、札幌の状況が心配だった。11時娘から電話があり、庭のライラックの木が倒れて道を塞ぎ道路に出られない、どうしたらいいの。鋸はどこにあるの。と悲鳴をあげている。そうこう携帯でやりとりしていると、隣の車屋さんの従業員さんが二人かけつけてくれて、鉈で木を折ってくれたとか、やっと救出されやれ安心。従業員さんに感謝感謝。娘は今日は仕事が休みだったのでラッキーだった。新聞を読むと、札幌市内でも街路樹が倒れていた。

 このところスズメが少なく心配していたが、今日は庭のエサ台に数十羽のスズメ達が餌を求めて、次々と訪れ、この吹雪では飢え死にするだろうと、三回も餌を与えてしまった。今夜も外は吹雪、どうかこの寒さを乗り切ってほしいと願うばかりだ。


21,1,4    いよいよ新しい年がやったきた。年末は伊達は雪が降り、寒い日がつづいたが今年になって急に暖気になり過ごしやすい。娘は30日に来て二日に帰っていった。元旦に相馬神社に行き、御神籤を引いたら、私と昭南さんは大吉だったがかんじんの娘は中吉だった。残念。



 1月、11日

 昨日から伊達は大雪、チロルでジャズを聴いて来た。伊達で生を聴くのはこれで三回めである。大いにもりあがっていた。いつもながら、ビールとザンギが美味しかった。
 昭南さんのエッセイ、猫たちの挽歌、二、母と子がついに今日でうち終わった。いよいよ最高潮突入、次はシロちゃんです。
 昭南さんの東京での生活とシロちゃんとの密接なかかわりが克明にに書かれています。乞うご期待。


 Ⅰ月13日

 娘は二日間風邪で会社を休んだらしい。行ってやれないので煮物などを作り、宅急便で送った。 


1月16日
 
 今日は、昭南さんがカルチャセンターで長生大学生に「北の家族」の背景をテーマに講演をして来た。一年前に依頼されていたものである。最初は渋っていた彼だつたが、私も朗読で協力するということになり承諾した。二百数名で講堂はまんぱいだつた。やはり女性が多い。どこでも女は元気だ。母なる大地だもの女は元気で長生きしてくれなくては・・・・。今日は私の誕生日であるので鮨を食べて来た。帰ってからワインで乾杯。

 先日、伊達温泉の帰り、間引かれた桜の枝を拾って来た。昨年、拾ってきて花瓶にさしていたらみごとに花開いたので、今年もと思っていたのだが、今年は切られてから時間が経ちすぎた感があるので、さて咲くかどうかお楽しみ。

昨年みごとに咲いてくれた桜。


1月26日
 
 23日に札幌に行き今日帰って来た。今回は久しぶりに駅の地下街で買い物をした。人の多さにゲンナリ。そのあと北口から送迎マイクロバスに乗り、手稲温泉に行く、ここには札幌に行くたびに毎回行っている。寝て入る、遠赤外線のサウナが気にいっている。娘が入っている時、いびきをしていたおばさんが居たのでびっくりした。そのあとすぐ止んだので安心。と言っていた。サウナで眠るなんてああこわ・・・。私も気をつけなければ。

1月27日

 写真を入れながらブログを書くと楽しいよ。とことあるたびに昭南さんが言うものだから、今年は発奮していろいろいじっていたら、どうしたことか、前まで出来なかった操作が簡単に出来るようになった。嬉しくなり、沢山写真を入れてしまった。富美ちゃんのコメントも読みました。ありがとう。高校時代、2人で昭和新山に行ったよね。憶えているかしら・・・・・。

伊達に来て驚いたことの一つに、錦町にある錦橋と、その近くにある土生金物屋さんが昔の姿でそのままあつたことである。橋は古くて危ないが土生さんがそのままなのには嬉しかった。高校時代私は、この土生さんの裏にあった家に一年ほど間借りしていたのである。この近くにはお焼き屋さんがあり、あの甘い味はいまでも忘れられない。だがこの土生さんも、道路拡張とかで来月いっぱいで店じまいするそうである。また一つ古きよき時代の思い出がポロリと手の平から消えていくのが寂しい。今まで二回ほど狸と蛙の置物を買ったが、今回新聞に店じまいすると出ていたので、古いお皿数枚買い、写真を撮ってきた。


 2月2日

 昨日パソコンがトラブル続きで、書けなかった。今日は今日で自分のプログが立ち上がらない。メカに弱い私としてはギブアップ。

2月11日

 昨日従兄弟の見舞いに日赤に行って来た。先週肺炎になり管だらけで昏睡状態だったが、危機を脱出して話せるようになりひと安心。今年還暦とのこと、まだまだ若い、頑張ってほしい。 
 
譲さんからレターが来た。昨年送った「北の家族」を読んだ感想などが書かれていた。暗くてなかなか読み進めなかつたそうである。皆さんそうおっしゃっています。この小説を書くことによって昭南さんは長く暗かったトンネルをやっと抜け出した心境になっているのでしょう。お口なおしのために、「雪のふる街」をお勧めします。ooになったらクラス会を予定しているそうなので、富美ちゃんも出席してほしいカモ・・・・と思っています。優しいだんな様と是非・・・・。譲さんは今室蘭の青少年科学館で非常勤をしているそうです。社会に貢献していて偉いですね。私も見習いたいです。

 最近体調が悪かったので、ブログも久しぶりである。昨日あたりから常連さんのスズメやシジュウカラの他にヒヨドリそして珍しいことにシメも餌台に来るようになった。今日はあろうことか、シメちゃんがベランダのガラスに体当たりしたのにはびつくり、私はとつさに、よくガラスにぶつかり気絶する小鳥がいると新聞などで読んだことがあるので、「家には猫もいるし」と一瞬どうしょうと頭はパ二クッたが、ほんの数分下の鉢に止まり(私は倒れていたと思っていた)飛んで行ったので安心した。昭南さんは、足で蹴った感じがする、餌を催促したのかも・・・・・とさすが観察が鋭い。シメは一羽だけだったが、ヒヨドリはつがいで二組、お互いに鋭い声で鳴きけん制し、追いかけたりしていた。

3、2
今日、札幌から帰って来た。相変わらず雪が多く家も人も雪雪雪で白一色の世界。伊達に帰ると何故かほつとする。『雪の街のシズ子さん」が何をおっしゃる。という声がどこからか聞こえてきそうだが。娘の体調もおもわしくなかった。30代の時札幌で同人誌に入っていた時のHさんと電話で久しぶりに長話をした。彼女は才能のある人で過去に全国誌に掲載されたこともある。今年数年ぶりに同人誌を出すということである。健在で何よりである。
8月13日,プログを開こうとしたらどうしたことか開かない。時間が経つと、というかしばらく使わないでおくと画面が出てこないらしい。お墓参りの帰り姪に頼み込みやっと14日、プログの画面を立ち上げてもらった。
コメント (2)
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