年末年始時間が有ったんで・・・今後の荒町と我がビルをどうしようかと考えて見た。今のビルは亡き父が40年前に建築し現在に至った。荒町は伊達藩政時代からの奥州街道沿いの町従って間口が狭く奥行きが深い敷地である。その為父も近隣にも配慮した共同ビルを建設した。その為当方の屋敷内には道路占有地がありそのお陰で近隣も建物を建てることが出来た。しかし40年もたつと人のありがたみも無くなり新たな模索をしようとすると反対に近い声も出てくる・・・・困ったもんだ。宮城地震でも被害も無く無事だった建物は年々老朽化し修理費だけでも多額の金額がかかってしまう。
将来の荒町は高齢者と共存出来る街づくりが大変重要だと私事態も認識している。何社から色々なお話を頂戴するが何しろ・・・・・アラカンの私としても多額の借金をして事業を起こすかは真剣に考えなくてはならない。
政治も自民党か民社党に変わり大きな変革が始まったので真剣に考えて見ようかなと思いつつ新たな年を迎えた。
将来の荒町は高齢者と共存出来る街づくりが大変重要だと私事態も認識している。何社から色々なお話を頂戴するが何しろ・・・・・アラカンの私としても多額の借金をして事業を起こすかは真剣に考えなくてはならない。
政治も自民党か民社党に変わり大きな変革が始まったので真剣に考えて見ようかなと思いつつ新たな年を迎えた。