仲良し家族のスポーツ日記

我が家は4人家族。皆がスポーツ大好きで、特にアメフトを愛し、アサヒ飲料クラブチャレンジャーズを応援しています。

我が家のスポーツ暦その2

2013-12-26 06:29:59 | 日常生活
昨夜は早めに帰れたので、JR石山駅近くの以前から気になっていたお店に1人で入り、美味しい肴とお酒を楽しんだポッキーです今年の仕事もあと2日なので、疲れ気味ですが頑張ります。

さて、我が家のスポーツ暦の続きですが、子供達が小さい頃から毎年年末年始は兵庫県のハチ高原で、妻の両親らとスキーを楽しんでいました。最初は二人とも大泣きしていましたが、妻の指導ですぐにそれなりに楽しめるようになり、小中学校時代は蔵王温泉など東北の温泉があるスキー場を中心に、皆でよく出かけました。
しかし、高校大学に入ってからはクラブ活動などで皆では行けていません。妻が昨年から首の調子が思わしくなく苦労していますので早く良くなって、また4人でスキーと温泉を楽しめるように願っています。

妻は、中学高校とバスケ部で頑張っていたようですが、体調を崩し途中でドクターストップがかかったようです。スキー以外では、テニスやボーリングを皆でよく楽しみました。

最後に私ですが、恥ずかしいですがしっかり継続したものがありません。小学校では、野球やソフトボールが好きで、学校の水泳部に所属していたこともありました。
中学では、バドミントン部に入り、大津市の中学は近畿でもとてもレベルの高い学校が多く、歯を食いしばりながら頑張りましたが、とても厳しい練習についていけず最後まで続けることはできませんでした。

高校では、ラグビーに興味を持ち数ヶ月頑張りましたが、背中を痛めて続けることができませんでした。大学では、ハンドボールで高校時代に国体に出場した同級生に誘われて、設立された同好会に所属していましたが、これも途中からは練習に参加しなくなりました。

就職してからは、職場の草野球チームに入れてもらい39歳まで楽しんでいましたが、外野へのライナーを飛び込んで補球しようとして転倒し、右鎖骨をぽっきりと骨折したことで続けることができなくなりました。この時、友人から「ポッキー」と呼ばれたのがハンドルネームにの由来です。また、この年の誕生日に禁煙を決意し、太らないようにと走り始めました。これが現在のマラソンに繋がるきっかけです。

また、子供達がフラッグフットボールに取り組む姿を見ていて、親達も一緒にプレイしようということになりチームを結成して試合にも出るようになりました。妻も最初は一緒に楽しんでいました。私は50歳で転職するまで何とか頑張り、新たな方々との出会いのなかでフラッグを楽しむことができました。一度でもいいので、近いうちに子供達と一緒にフラッグを楽しむことができればと思います。

これからも健康に留意し、ランニングを中心にいつまでも元気で家族と共に身体を動かしていけるように、頑張りたいと思います。

写真は、尼崎の自宅近くの橋の欄干のユリカモメです。きれいに並んでいました。


我が家のスポーツ歴

2013-12-21 09:51:54 | 日常生活
今朝は大津でゆっくり寝ることができたポッキーです
先週末は京都福祉職場就職フェアで休めなかったのでさすがに疲れ気味で、今日と明日はゆっくりしたいと思います。

今日は家族のスポーツ歴などについて紹介させてもらいます。

まず息子は、小学校から中学まで運動部には所属せず、中学2年6月に「アサヒ飲料クラブチャレンジャーズの日本一なった選手がフラッグフットボールを教えます」とのチラシをきっかけに、娘と共にフラッグフットボールを始めました。これでアメフトに大きな興味を持ち、高校は公立でアメフト部がある学校に入学し、素晴らしい仲間たちとアメフトに真剣に取り組みました。
大学では同じ学科の友人を誘ってフラッグのサークルを作り、その代表としてフラッグを楽しんでいました。

娘は、小学校のマラソン大会で毎年学年の女子でトップでゴールし、中学では陸上部に入り、走り幅飛びと短距離を専門として毎日頑張っていました。走り幅跳びは1年の時に市内でかなり上位にいましたので期待していましたが、その後は残念ながら記録はあまり伸びませんでした。

高校時代は、通学に時間がかかることなどから特にクラブ活動はしていませんでしたが、チャレンジャーズグラウンドで練習しているフラッグのシニア女子チームに入れてもらい、毎週日曜日の練習に参加していましたので、私が送り迎えをしていました。

このチームは高い意識を持って練習に取り組み、メキメキと実力をつけ、娘が高校2年の秋の西日本大会で優勝し、2008年1月3日に東京ドームで開催されるライスボールの前に、ドームのグラウンドで日本選手権に出場することができました。結果は残念ながら準優勝でしたが、難しいパスも取らせてもらい、貴重な経験をさせてもらうことができました。当日は、妻、息子と私の3人で応援に行き、ライスボールも観戦してきました。とても素晴らしい思い出となっています。
妻と私については、改めての機会とさせていただきます。

冬季懇親会の二次会の帰りに南座の前を通りました。師走恒例の招きが掲げられています。また機会があれば歌舞伎を見たいものです。








2013冬季懇親会

2013-12-20 06:09:02 | 日常生活
昨夜は大津の友人と二人で楽しく飲んだポッキーです
一昨日の今月の施設長会と冬季懇親会を無事に終えることができほっとしています。

毎年12月の施設長会は懇親会とセットで開催しており、今年は堀川御池のANAクラウンプラザホテルを会場にしました。

打ち合わせ等の準備のため午後3時にホテルに到着し、4時からの会議は約60名の参加で、他団体からの報告や依頼の後、担当役員と事務局から様々な事項の報告がありました。そして6時から71名の懇親会の開会です。

会長と顧問の挨拶、スパークリング清酒での乾杯の後、和やかな懇談が続き、後半で新規入会施設長のご紹介とご挨拶、参加者全員の自己紹介があり、そしていよいよショーの幕開けです。

M総務委員長の軽快な司会の呼び声で、10月から新たな活動を始めた若手施設長会のメンバー6人がさっそうと登場、女性二人はサンタクロースの衣装、男性4人は白のTシャツ姿です。

ピンクレディの渚のシンドバッドにあわせて踊りながら自己紹介、アフロのかつらをかぶり笑福亭鶴瓶さんそっくりのM理事が大きな笑いを誘いながら会の趣旨を紹介し、西城秀樹のヤングマンを皆で踊っていただきました。

初めての企画ものであり、どうなることか少し心配していましたが、皆さん堂々とやり切り、最後は参加者も一体となって踊り、大いに盛り上がって終了しました。

私も皆さんの素晴らしいパフォーマンスに感動し、後ろで大きな声援を送りながら、一緒に踊っていました。本当に楽しい時間で、盛り上げていただいた皆さんに感謝、感謝です!!

このパワーと若い感覚で、これからの市老協活動の活性化や多くの課題に取り組んでいただきたいと思います。

写真は、母校のキャンパスです。最近、人材確保のための独自のパンフレットを作成しましたので、学生さんに配布していだくためにお願いに行って来ました。このパンフレットについては、改めて紹介させていただきます。


2013奈良マラソン 番外編

2013-12-17 06:16:59 | 日常生活
社会人アメリカンフットボール日本選手権でのオービックの4連覇に、チャレンジャーズの奮起を期待したいポッキーです
2001年に東京ドームで、まだ小さかった子供達と一緒にチャレンジャーズの日本一を共有することができたあの日を思い出しました。

さて、奈良マラソンを皆で完走した後は、さすがに足を引きずりながらバスで近鉄奈良に向かい、駅の階段では、手すりを持ってゆっくり、ゆっくり降りていきました。

お腹が空いたのと軽く完走祝いをしようということで、すぐ近くのお好み焼き店に入り、息子、彼氏と娘、私の4人で鉄板を囲みました。彼氏のお母さんは友人と来ておられたので、残念ながら別行動になりました。

それぞれに好きなお好み焼きを注文し、焼きそば、いかの塩焼きなども加えて、生ビールで完走祝いの乾杯をしました。このビールが何と美味しいことか!!
お好み焼きも、感じのいい女将さんが焼いてくれてとても美味しくいただきました。


短い時間でしたが、それぞれに長い、長い戦いを振り返り、とても楽しい時間でした。
息子が、「こうした場があることは予想していたので、自分だけが完走できず歓喜の輪の中に加われないのは何とか避けたいと思い必死で頑張った」との言葉に大笑いをし、それぞれが次の目標に向かって頑張ることを確認し合えことができました。

2013奈良マラソン②

2013-12-12 06:07:31 | ランニング
尼崎の衝撃的なニュースに、またかと言葉を失ったポッキーです
昨夜は若手施設長会と懇親会があり、次週の施設長懇親会がたいへん楽しみです。

さて勝負の後半、子供達とは別に自分のペースで走ることにし、ひと足先に出発しました。ぜんざいのお陰で元気が出て、25キロを過ぎ急な上りは歩きながらゴールを目指しました。

30キロ手前の最も急な上りを終えたところで、今度は三輪そうめんのふるまいをいただきました。とても美味しくいただきました。


35キロまでは下りが続き奈良市内に入ってまた沿道の声援も多くなりました。その後の40キロまでが一番しんどいところで、しかも長い緩やかな上りなので、きつかったですが足の痛みはほとんどなかったので、ペースを守り走ることができました。

そしていよいよ奈良公園に入り、鹿の姿を見ながらたいへん多くの沿道の方々の声援のなか、正倉院展が開催される奈良国立博物館の前を通過し、いよいよゴールまじかです。

ここまで来ると気持ちが高ぶり元気も出て快調に走ることができ、最後の1キロの上りを終えて、ゴールの鴻ノ池陸上競技場に入り、有森裕子さんに握手してもらい、頑張った自分を称えながら感動のゴールを迎えることができました。時間は速報値で、5時間26分38秒でした。


フィニッシャータオルとメダルを掛けてもらい、期待と不安のなかで子供達のゴールを待ちました。
10分ほどして、二人で仲良くゴールした娘と彼氏の姿を見つけ、娘の第一声は「泣きそうやった~」でした。そして息子に電話してみましたが応答がなく心配していたところ、しばらくして電話がかかってきて、ゴールして近くにいることがわかり合流しました。

娘の「よくゴールできたね」との言葉に息子は「何回も心が折れそうになり、バスに乗ろうと思ったけど、根性で頑張って良かった」とのことでした。これまで10キロしか走ったことがなかったので、正直完走は難しいかなと思っていましたが、息子ながらよく頑張ったと思わず泣きそうになりました。

会場の外では、何と5時間で完走された彼氏のお母さんも合流し、皆で感動の記念撮影をして、完走証をもらって帰ろうとしたところ、仕事でたいへんお世話になっている大学の先生に偶然お会いすることができました。
走られるとは聞いていたのですが、まさか1万人のなかでお会いできるとは思ってもおらず、とても嬉しくて一緒に写真を撮っていただきました。

こうして、たいへん大きな達成感と感動を共有できた長い、長い奈良マラソンの一日を終えることができました。
皆を完走させてくれたマラソンの神様に感謝し、これからも何事にも頑張りたいと思います。


2013奈良マラソン

2013-12-10 05:48:28 | ランニング
昨日は朝1時間休みをもらいましたが、仕事が立て込んでいるので、夜10時前まで頑張ったポッキーです
さすがに足に筋肉痛はありますが、今回はお陰様で特に痛みはなくほぼ普通に歩けています。

先週の土曜日は、午前中に息子と二人で奈良に向かいスタート及びフィニッシュ会場の鴻ノ池陸上競技場でエントリーを済ませ、とんぼ返りで京都に戻り、息子の協力も得ながら午後2時半から地域密着協の研修会、午後6時からは懇親会を無事に終えることができました。その後息子が待つ京都駅前のホテルに入り娘も合流して、明日に備えて早めに就寝しました。

翌朝は、5時半に起床し近鉄電車で奈良に向かい、近鉄奈良から歩いて会場に向かいました。すでに会場は多くの参加者で溢れており、手荷物を預けて8時30分頃にスタートブロックに並びました。子供達とはブロックが違ったので、この時点で1人になり、徐々に気持ちを高めていきました。


そして午前9時、有森裕子さん、笑い飯、せんとくんらの声援を受けていよいよ2013奈良マラソンのスタートです。


少し南に走って西に向かい平城京跡の朱雀門を過ぎて折り返し5キロ、その後がかなり長いゆるやかな登りでこれは後半にこたえるなと思いつつ、奈良公園、春日大社を見ながら10キロを過ぎて高畑町に入りました。

その後15キロまでは下りが多く、でもなかなか進まないなと感じながら自分のペースで、本当に多くの沿道の声援に応えながら、子供達を中心にハイタッチをしながら走っていました。この時点で、とても記録更新は無理なペースでしたので、とにかく完走できよう無理しないでおこうと思っていました。
ものまね忌野清志郎さんも歌いながら応援してくれていました。


その後は、天理市に入るために山越えです。かなりきつい登りが続きますので、さずがに急なところは歩きながら何とか越えて行きました。


20キロ手前を過ぎてやっと下りになって天理市内に入り、折り返し部分で娘と彼氏の姿を見つけ声をかけ、しばらく行くと前をゆっくり走っている息子の姿を見つけました。
どこまで来ているか心配でしたが、途中でお腹が空いて足がでないようになり、バナナやチョコレートを食べて何とか回復したものの、足が棒のようだと苦しそうな表情を浮かべていました。無理せずエネルギーを補給して走るようにと声をかけ、先に進みました。
25キロ付近の天理教教会本部前では、ぜんざいのふるまいをいただき、食べていると息子が、しばらくして娘と彼氏も合流し、寒いなかで暖かいぜんざいを本当に美味しく、ありがたくいただきました。息子と彼氏は何杯もお代わりをいただいていました。

そして、いよいよ勝負の後半です。

予算要望

2013-12-05 23:50:55 | 日常生活
今日は午後9時半過ぎに職場を出ようとしたら、警備室の職員さんから「今日は早い下ですねと」声をかけられたポッキーです

今日の午前中は、京都市に対する来年度老人福祉関係予算要望説明会を開催していただき、進行役を務めました。

会長から担当局長に要望書を手渡して写真を撮らせていただき、担当副会長から概要を説明し、各担当役員から詳細な説明をさせてもらいました。

国の介護保険制度の大きな改正の動きや消費税増税が決まっているなかで、社会福祉法人が集まった当協議会が地域包括ケア体制を構築するために、今後果たすべき役割や取り組むべき課題、事業運営に係る課題などについて幅広く要望するとともに、市への政策提言といった内容も多く含まれていました。

行政にとって事業者団体との付き合いは、要求団体の色彩が強ければなかなしんどいところですが、市と当協議会の関係は京都市の高齢者福祉の向上のために、何が必要か、何をすべきかなどについて、一緒に考え協議を重ねることができるたいへん良好な関係にあります。

これは私が以前勤めていた自治体ではとても想像できない状況であり、局長の「最も信頼できるパートナーとして・・」という言葉に改めて、協議会活動の重要な役割を認識するとともに、こうした環境のなかで仕事ができることに感謝し、最近いろいろあってたいへんですが、しっかり自分の役割を果たせるように頑張りたいと思いました。

明後日の土曜日は、厚労省の幹部をお招きしての研修会と懇親会、そして日曜日はいよいよ奈良マラソンです。まだ体調がよくありませんので無理のないように、子供達とのマラソンを楽しみたいと思います。

写真は地元の神社の保護樹木となっているとても大きな欅です。




大ハプニング

2013-12-03 06:10:03 | 日常生活
先週の土曜日は、娘と二人で8キロ走ったポッキーです
あっという間に12月になり昨日の朝は、車のフロントガラスが凍っていました。皆さん風邪などひかないように気をつけてください。

先週はたいへんな1週間でした。
月曜日と木曜日は、京都市から委託された地域包括支援センター現任職員研修で75人の受講者の研修を無事に終えることができました。木曜日の午後は、3人の講師によるリレートークで、たいへん素晴らしい内容で勉強になりました。

そして水曜日は、第11回京都老人福祉学会を京都テルサで開催しました。
ご来賓は副知事、副市長をはじめ17人、参加者は400人と一番大きな規模の大会であり、午前中は開会式典と基調講演、午後は分科会、夜は情報交換会と続きました。

午前10時に開会式典が始まり、10時40分からの基調講演の先生が来られるのをお待ちしていましたが、いつまで経ってもお見えにならず、電話連絡も取ることができませんでした。

やむを得ず前会長で現在の顧問に相談して、来賓としてお越しいただき基調講演も残っていただいていた京都地域包括ケア推進機構の理事長に急遽お願いしてもらったところ、何とかお引き受けいただき、推進機構の成り立ちや現状等についてお話いただきました。
後半は顧問がそれを受けるかたちで、京都式オレンジプランなどについてお話いただき、ぎりぎりで乗り切ることができました。お二人には本当に感謝、感謝です。

その後基調講演を予定していた先生とは連絡が取れて、時間を勘違いしておられたとのことで謝罪に来られました。前日に直接ご連絡ができていなかったことも大きな反省材料であり、今後の教訓として肝に銘じたいと思います。

夜の情報交換会では、先日ご紹介した堀内圭三さんに来ていただき、「Let it be」「明日に架ける橋」などを熱唱していただいた後、「ハートメッセンジャー」を皆で歌わせてもらいました。とてもいい歌で、私もステージに上がらせてもらい、大きな声で歌わせてもらいました。堀内さんが、11月11日の様子をHPのYOUTUBEで公開されていますので、ぜひご覧ください。

12月1日は、岡崎公園のみやこめっせで、医師会が中心となっ開催されたイベントがあり、相談コーナースタッフとして参加して、帰りに永観堂と南禅寺に寄ってきました。さすがに凄い人でしたが、最後の紅葉を足早に楽しみました。