そして、立教大学から東京芸術劇場へと歩いて行く。この場所はかつて、豊島師範学校があったところ。
芸術劇場が出来ると聞いた時には、あの池袋に?と思ったけど、今ではすっかり地元の顔になっている。
五階のギャラリーが会場で、池袋の昔の写真など、豊富に展示されている。これが中々面白かった。私が知っているのは高度成長期以降だけど、西武デパートの前が都電のターミナルになっていたのも覚えているし、丸物百 . . . 本文を読む
前に、JR埼京線板橋駅にポスターが貼り出されていて、これは見てみたいと思っていた「戦後・池袋~ヤミ市から自由文化都市へ」という地域イベントを見に行って来た。会場は、立教大学、東京芸術劇場、豊島区立郷土資料館、立教学院展示室、旧江戸川乱歩邸、池袋西口公園、自由学園明日館、新文芸座、ミステリー文学資料館、池袋演芸場他という、正に池袋の地域ぐるみのイベントになっていて、興味深いものだった。今日は最終日だ . . . 本文を読む
さて、新井薬師から北野神社を巡ってから西北に進んでいくと、広大な公園があった。中野区立平和の森公園というところ。
そろそろ夕暮れ時だったのだが、広大な公園には多くの人が憩っていた。
この公園、元々は中野刑務所があった跡地である。大正四年に手狭になった市ヶ谷監獄の代わりに出来たもので、政治犯も多く収容されている。戦時中には空襲で全焼し、戦後には米軍に接収され米陸軍刑務所であった時代もあった。 . . . 本文を読む
さて、新井薬師の裏手は、新井薬師公園になっていて、その向こうを中野通りが通っている。通りを渡っても、池のある公園がある。公園は元々皆新井薬師の境内地であったのだろうと思われる。
その隣に北野神社があるのだが、敷地の一角を玉垣で囲ってあり、区画整理記念碑が作られていた。雰囲気から見て、それ程古いものではない印象を受けた。高度成長期前後のものではないだろうか。機会があれば、詳細を調べに再訪したい。 . . . 本文を読む
さて、新井薬師。新井薬師の名前は正月の初詣のテレビコマーシャルやら、西武新宿線の駅名で知ってはいても、それ以上の何かというのはあまり縁がなかった。バイクや車を運転するようになってから、この周辺の道を良く通ったりはしていたものの、それも通過するだけで参詣することも、町を歩くこともなかった。こんな機会を得て歩いてみて、中々面白かった。やはり町は歩いてみて回るのが一番楽しい。
西武新宿線の新井薬師前駅 . . . 本文を読む
さて、再び妙正寺川を渡り、少し歩いていると、光徳院というお寺があった。立派な山門がまず目に入ってきた。
「当院は開山当時半蔵門にあったが、江戸城構築に際し、牛込市ヶ谷田町に転じ、さらに牛込柳町に移り明治43年にこの地に移る。」(光徳院サイトより)
創建などは不祥とのことだが、江戸城構築以前からの歴史があったわけである。そして、明治末にここに移転してきている。
そして、戦災の被害も受けて . . . 本文を読む
さて、妙正寺川を渡ると、またすぐに上り坂。川の反対側の台地の上に登る。バッケの坂なんて、そのものずばりの名前が付けられていたりする。登っていくと、斜面に基礎を作って上に木造の建物が乗っているのが見えてきた。
その横手を上まで登ると、中井御霊神社に出た。この神社の創建は不祥とのことだが、かなり古い時代からのものらしい。落合村中井の鎮守であった神社。
狛犬も重厚で、境内も落ち着いた雰囲気が漂っ . . . 本文を読む
さて、妙正寺川を見下ろす台地の上に集まる寺を見て歩いたが、これが最後。明治末から大正期に掛けて、当時の東京市で行われていた市区改正に伴って、市中の寺院が周辺地区へと移転すると言うことが相当に大規模で行われている。目黒周辺で見たのは、赤坂一ツ木の陸軍施設の拡張で移転した寺院もあった。浅草寺裏に言問通りを通すためというのもあったはずだし、これによって十二階下の魔窟と言われた銘酒屋の集団が、隅田川を越え . . . 本文を読む
この辺りも寺が固まっているところも面白いのだが、その来歴を辿ってみるのも興味深い。江戸市中で歴史のある寺院が多いので、元あった場所を思いながらみることでその寺と町の結び付きを感じることも出来る。寺の集まる中、奥へと進んでいったところで、黒い山門が目に入ってくる。境妙寺である。
「当寺は元日蓮宗に属し、高耀山寂光寺と称して麹町地獄谷の地にありました。寛永6年(1629年)御城廓造営の時、千駄ケ谷 . . . 本文を読む