事件記者のページ

遠い昔のTV番組を再現しようというムチャな試み

横光利一

2011-11-29 23:26:05 | 本と雑誌

上海」は約80年前の小説(青空文庫にあり)、舞台はこの都市で1925年に起きた「五三○事件」である、イギリス租界に「犬と中国人は入るべからず」、ソ連政府に追われたロシア貴族もいるし、警官隊はイギリス政府が派遣したインド人、かと思えばインド独立をを目指す愛国者も潜む(なぜかネルーに敵対してるらしい)、アメリカ、ドイツ、日本の企業が進出して中国人を搾取している、中国に排外なんてできるもんか、できるのは排支(那)だけだなんて思ってたらこれが意外(なわけはない、中国だって進んでたのだ!)、東洋紡(実在の会社だけどいいんだろか)の工場破壊から始まった暴動があっという間に全市ストへ発展、外国人は食べるものも買えなくなって途方に暮れる・・・という状況を背景に展開するのは「白皙明敏な中古代の勇士のような」主人公参木(さんき、ファーストネームなし)、と「(辻原登が泣いて喜ぶと思う)不運不幸を絵に描いたような」ヒロインお杉(ファミリーネームなし)のラブストーリーなのだ
参木はとにかく女にもてる、容貌もカッコイイが、今は人妻になった友人の妹を思い続けているので周囲の女性をセックスの対象として見られない、そこが普通の男と違うからと会う女、会う女(トルコ風呂の女主人、ロシア貴族の娘、中国人の工作員、ダンスホールの踊り子)に片っ端から信頼され愛されちゃうのである、ああこれ男性作者のかなわぬ夢を表してない?
一方お杉はトルコ風呂で働いていたが、参木が自分になびかないのは彼女のせいだと勝手に思い込んだ女主人に突然解雇され、一時参木の部屋へ身を寄せるが諸般の事情(ややこしいから省略)で街へ流れ出て当然のように春を売る境遇へと身を落とす、こちらの描写はちょっとしかない、これまた時代だね
参木は(途中省略)食べ物を求めてストの街をさまよいスラム街へ向かって、何とか自分が最初から好意を持ってたお杉の家へたどり着く、お杉はもちろん大歓迎だがここに食べるものはないし電気どころかロウソクもなくて真っ暗、こんな状況でようやくいっしょになれた恋人どうしの明日はどっちだ?(完、アニメのマネだけど実はこれが言いたかった)

何かめんどうになったしもうすぐ日付変わっちゃうから今日のところはこれでアップ、渡部直己の新潮連載についてはまたいずれ(もし書けたならば)


実写映画「怪物くん」

2011-11-28 23:51:25 | アニメ・コミック・ゲーム

日付変わっちゃうからヤケでアップ、昨日見て来た、文句なしにおもしろかったと思う

まずは出だしの歌「ユカイツーカイ怪物くんは」がうれしい、野沢雅子の声じゃないけどそれはしゃーないし

ドラキュラはマンガそのまま、「フンガー」しかセリフのないフランケンが意外な存在感、最初は人間っぽ過ぎじゃんと思ったオオカミ男もけっこうそれらしい、後半彼らが「怪物三人組」を歌うシーンには思わず泣けちゃったよ、ホントだってば・・・(その後「ガクッ」だったけどこれもお約束)

ラストで爺やさんが「ぼっちゃんは大王様にそっくり」と言う、もしや今の怪物大王は昔の怪物くん、今回怪物王妃は出てないけど実は昔の怪子ちゃんなのかな、正確な年代忘れたけどそんくらいの時間は経ってる気がするし、怪物大王って昔はもっと迫力あったんじゃないか・・・(これまたはっきり記憶ないけど)

と思ったけどそんなハズないね、ヒロシと姉さんとあのアパートが昔のままだもんね

追記-例によって3Dにはガッカリ、確かに怪物くんの手はこっちへ伸びてたけど、他には細かいモノが散らばることぐらいだったと思う、これに400円プラスとは・・・ま、いっか


未映子と直己

2011-11-27 00:29:29 | 本と雑誌

このタイトルは不穏、飲んだくれてなきゃつけられぬ、黒澤映画にハマりかけてる現在(まだ買ってないが)、あえて先にかたづけとくべきだと思ったのだがうまく行くかどうかはわからない

新潮12月号
渡部直己日本小説技術史」最終回-そも小説って技術で論じるもんなのか、創作はテクニックよりセンスだろとは私ごときシロウトが言うことじゃないから省略、横光作品の評価についても今あわてて読んでるところだから省略
横光の「機械」に似てるからとて強引に引っ張り出された感のある尾崎の「第七官界」についてちょっとだけ、いろいろあるというかけっこうわかりにくいけどこの項の要点は次の二つじゃないかと思う(違ったらゴメン)
1.主人公町子は「詩=四」の娘として数字(一助、二助、三五郎、浩六)の空白を埋める
2.町子が「二つ以上の感覚がかさなってよびおこすこの哀感ではないか」と思う第七官とは最終的に「言葉」であると考えられる

1はともかく2はちょっと違う気がするけどまあそういう解釈はありかも

さてここで09年3月近代文学館の尾崎翠シンポジウムにおける川上未映子の講演(こちら

「ふたつ以上の感覚が重なったときの哀感」というつかみを手がかりに、「言葉」とそれが指し示す「存在」、このふたつに注目して、第七官界というものがなんでありえるか、について迫りたいと思い臨みました

何それ?もうちょっとわかるように書いてや

「言葉」を使用して制作される「小説」と「詩」というさらにふたつのものの対比で、第七官にさらに近づきたかった

けど時間がなかったと
それ、渡部に原稿を書いてもらったけど、あんましわからんかったからいいかげんに翻訳してしゃべったってこととちゃうかな、いやたぶんそれでよかったと思う、ヒトの書いた原稿棒読みで講演はできん、これは確かなこと

というわけ(どういうわけ?)、渡部の新潮連載は横光で終ればよかった、だけど2年前のシンポジウムで川上が講演した「第七官界」解釈は自分のオリジナルだと、どこかで主張しておきたかったのじゃなかろうか、いやたぶんそれでいいと思う、川上ブログじゃ全く意味不明だもんね


黒澤映画「白痴」

2011-11-26 11:19:21 | 映画

Hakuchi_poster おっどろいたーーーーーーー、こんな映画があったとは、あんまし驚いたから予定を変更してこの記事を書かずにはいられない

まずはキャストがスゴイやね
森雅之      (亀田欽司)=ムイシュキン公爵
三船敏郎     (赤間伝吉)=ロゴージン
原節子     (那須妙子)=ナスターシャ
志村喬     (大野)   =エパンチン将軍
東山千栄子  (妻里子)=夫人リザヴェータ
文谷千代子  (娘範子)=長女アレクサンドラ
久我美子     (娘綾子)=アグラーヤ
千秋実     (香山睦郎)=ガーニャ
高堂国典     (父順平)=イヴォルギン将軍
村瀬幸子     (母)=同夫人ニーナ
千石規子     (妹孝子)=ワーリャ
井上大助     (弟薫)=コーリャ
柳永二郎     (東畑)=トーツキー
左卜全     (軽部)=レーベジェフ(公爵が借りた別荘の家主)

もちろん原節子って見たことないけど(き、きれいだね・・・としか言いようがない)
また森雅之(イイ男だなあ)も定かな印象がない、TVの新平家で近衛忠長(忠通=原保美と頼長=成田三樹夫のオヤジさん)をやってたんだがものすごく年寄りだと思った、そら老人の役には違いないけど息子役のべーさんと4年しか違わんのに、とは言え今思えばあれは最晩年ということになるのだなあ・・・当時40歳か、ムイシュキンは27、作中で誕生日を迎えて28って設定だけど役者ならそのくらいどうってことはあるまい
三船敏郎は31歳、バッチシ・・・だったんだろな、考えてみたら私はこのヒトの映画って「赤ひげ」以外知らないのだ、いや「七人の侍」をTVで見たか
千秋実は34歳、残念ながら私にはこのヒトもオッチャンの印象しかないというか当時だって「七人の侍」の平八だからオッチャンだよな
久我美子はピッタシ20歳、まさにこれ以上はないハマリ役だったろうね、私がTVで知ってた時期には30代か、いささか細すぎる(TVにはそれでちょうどだったんだろが)せいか多少老けて見えたように思う(平田昭彦の奥さんだったとは、初めて聞いた今聞いた)

なんてことはどうでもよくてこの映画、舞台は昭和20年冬の札幌か、元ネタはロシアの夏、白夜の季節に展開する部分の方が多いんだがな、主人公が癲癇発作を起こすようになったのは死刑になりそこなったからって、おいおい、それは原作者だろ?まあいいけど、登場人物はかなり少なくてパブリーシチェフ、ブルドフスキーとかイッポリートとかはいない、エヴゲニーもガーニャが兼ねてるようだ、これは当然というか元ネタでもかなりの脱線だという気がするもんな、でもイヴォルギン一家はフルキャストだね、アル中の将軍なんてどんな扱いになってるんだろ、何か見たくなっちゃったじゃないか、DVDは中古ありか、さてだうするかなあ

今あらすじを見てて気がついたこと、公爵は最初イヴォルギン家に部屋を借りた、妹ワーリャが嫁に行って両親とガーニャがそっちへ引っ越した(ダンナも大変なので時々ガーニャに文句を言う、でも出て行けとはっきりは言わないらしい)後、弟のコーリャが一人でそこから学校へ通ってることになっていた(と思う)、後半は学校が休みのせいかコーリャも別荘地にいることが多いが時々ペテルブルクと往復(汽車で1時間)してたらしい、元の家はなくなったわけじゃないし公爵が部屋を解約したという記述はなかった(ように思う)、ところがペテルブルクへ戻った時公爵は自分の部屋を思い出さない、ホテルに宿をとる、でもってこの感じの悪いホテルがけっこう重要な舞台装置になる、これは作者がわざとやったってことなんだろな・・・・

追記-よく見たら映画のラスト、男二人はそろって精神病院送りだって?そらないんじゃないの、ムイシュキンはしかたないけどロゴージン=三船はちゃんと網走へ行って罪を償うべきだ、それともひょっとしてナスターシャは「刺されたけど死なんかった」とか?いくら何でもそれはちょっと、ああ、もう自分で見るしかないのかなあ・・・・・


ドストエフスキー再び

2011-11-25 12:46:04 | 本と雑誌

白痴 (下巻) (新潮文庫) 白痴 (下巻) (新潮文庫)
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発売日:2004-04

この記事を書いてから早1ヵ月半が過ぎてようやく大詰めに入ったところ、やっぱこの作者はコルサコフだろうと思う、ただわりとていねいに読んだつもりだがおおぜいの登場人物を扱って破綻は来たしてない、さすが残る作品は違ったもんだ・・・
改めて気がついたが作品の舞台は日本で言えば明治初年、ナポレオン戦争がつい50年ほど前のこと、ロシアに社会主義思想はすでに入ってて、過激派だのニヒリストだのがいないわけではないがロマノフ王朝が倒れるとはみんな夢にも思ってないという時代、考えてみたら「ブッデンブローク家の人々」の後半(ドイツ帝国ができたばかり)や「風と共に去りぬ」(南北戦争直後)と同時代なのだ-って書かれた時代はちょうど30年ずつずれてるけどね

さて前回の続き
ムイシュキン公爵は相続のためにモスクワへ向かった、ナスターシャがロゴージンから逃げて公爵を頼りロゴージンも後を追って、重要人物3人がモスクワへ行ってしまったのでペテルブルクの人たちは彼らがどうしたのかわからなくなった、後から判明したところによれば公爵とナスターシャは1ヶ月ほど同棲したが全くうまく行かずお互いが疲れ果てた、その時公爵はエパンチン家の三女アグラーヤに手紙を書きナスターシャはそれを知って公爵が一度会っただけのこの令嬢に惹かれていると思う、ロゴージンは「カノッサの屈辱」とナスターシャが表現した実力行使でようやく結婚を承諾させたが彼女はまたも逃げ出し、公爵はそれを聞いてペテルブルクへ探しに来た、前回の事件から半年後のこと季節は春になっている

ロゴージンは公爵と親しく話し合い十字架を交換しお母さんにも紹介しながら、夜陰に乗じて刃物で公爵を襲う、だがその瞬間に公爵が癲癇発作を起こしたのであわてて逃げ去った
公爵は別荘地パーブロフスクに借りた知人の別荘で療養し、エパンチン家のヒトたちもここへ来ている、また仕事をやめたガーニャもここで妹の家に身を寄せており、以後のお話は主にこの地で展開する
エパチンの一家、次女の婚約者、アグラーヤに求婚するエヴゲニー青年などが公爵を見舞いに来ているところへ、彼を後見していたパブリーシチェフという人の隠し子ブルドフスキーと名乗る男とその取り巻きが押しかけて金を要求した、ところがそこへガーニャが現れてブルドフスキーとパブリーシチェフが親子ではありえないことを疑問の余地なく証明する、ナスターシャが突然馬車で通りかかりエヴゲニーに意味ありげな言葉を投げかけて走り去った・・・(以上第二部)

ある朝ナスターシャは音楽会の席で自分を侮辱した士官の顔をステッキで打ちすえ、あわや乱闘というところを公爵とロゴージンが引き分けた、アグラーヤは決闘になるかもしれないと公爵にピストルの使い方を教える(幸い決闘にはいたらない)
エブゲニーの伯父さんが公金を使い込んで自殺したという、だが本人は全くかかわってなかったらしい
イヴォルギン家の友人でブルドフスキーといっしょに押しかけてきた結核患者のイッポリートという若い男が「神の摂理と来世の存在」について作中でも一二を争う超長口舌をふるったあげくピストル自殺をはかったが不発で果たせない
公爵はアグラーヤに呼び出され、ナスターシャが手紙をよこして「アグラーヤが公爵と結婚すれれば自分もロゴージンと結婚する」と言って来たと聞かされて当惑する、ナスターシャはロゴージンとともにパーブロフスクを去って行った・・・(以上第三部)

若き日の私はいったい何が進行してるのか全く理解してなかったと思う、かすかながら思い出せるのはブルドフスキーに頼まれて取り巻きの一人が書いた赤新聞のデタラメ記事ぐらい、「ムイシュキン公爵は全くのバカだったがスイスで治療されてまともになったという、バカが治るものか」(いいかげんに要約)、ここだけは変に説得力があったのだ
したがってこれらの何が伏線で終章にいたって回収されることになるのか見当もつかない、あんまし頼りになる参考書もないみたいだし