事件記者のページ

遠い昔のTV番組を再現しようというムチャな試み

多次元SF

2011-10-31 12:39:54 | SF

朝日新聞10/26の文芸時評で斎藤美奈子女史が「文藝」、「すばる」、「新潮」の受賞三人組を紹介していた、三人とも若い男の子でアタマがよくて生意気君で前途有望の可能性が高い(前例の一人が平野啓一郎というのはちょっと・・・だが私は「日蝕」しか読んでないんだから意見を保留すべきだろな)

「すばる」の澤西は平野啓一郎の後輩、これは誰の目にもそう、物語作者として能力は後輩の方がずっと上だと思うけど(前の記事参照)
「新潮」の滝口は保坂和志のタイプ、「本人は違うというだろうが」とのことだが私もちょっと違うと思う、と言っても私は保坂の作品を群像の連載3回分だけしか読んでない(今月号はまだ読んでない)けど、確かにちょっと前のことを回想しつつ意識があっちこっち飛びまくるお話の組み立て方は似てるのかもわからんけど、保坂が描くキャラはヒトもネコももうちょっと現実の生物っぽいしワケもなく無意味な行動はしない(と思う)、また「私」の視点はネコになったり全知の神様になったりしない(と思う)、そも「未明の闘争」はナンセンスファンタジーをめざしてないのじゃなかろうか、どっちがいいかは好みの問題だろうけど、私にはまだ保坂の方が受入れ可能かも(私ごときにそう言われたって全然うれしくないだろが)、今月も読まねば・・・・

おっとハナから話がそれた
文藝賞受賞 今村友紀クリスタル・ヴァリーに降りそそぐ灰」-斎藤によると彼は舞城王太郎に似てるとのこと、私は舞城と言えばJDCトリビュートの「九十九十九」(ツクモ・ジュークと読む)しか読んでない、いかにもJDCらしくシッチャカメッチャカでありながらキッチリ物語として完結してるところは本家よりずっと上でこれは並でない能力の持ち主と見たがその後読む機会がなかった、だからこれについでは判断保留、言おうと思ったらイカちゃんが「舞城王太郎のエピゴーネン」と断定していた、そっか、読んでるヒトがそう言うのならそうなんだろな・・・
ただ若い女の子視点の文体とピッカーン、バリッガシャバチャーンという擬態語擬音語の連打(こういうのちょっと苦手)でいささか読みにくくなってるものの、また若い女の子どうしが何の脈絡もなく突然レスビアンセックスを始めて(読者サービスのつもりか?)とまどうこともあるものの、アイディアとストーリーはわりとオーソドックスにSFしてるのじゃあるまいか、わけのわからんものに攻撃されてひたすら逃げまくるだけのパニックもの(そういう一面は確かにあるが)ではないのである
私の偏見かもしれないがこの作者が一番影響を受けた作家は小松さんじゃないかと思う、世界からヒトがほとんど消えちゃったり(こちらニッポン)、ある地域が霧状のモノに覆われて連絡つかなくなったり(首都消失)、意識は連続してありながら似てはいるけど別人として多くの世界をさまよったり(ト・ディオティだったと思う、記憶定かならず)、そんな先人のアイディアをうまく組み合わせて独自の宇宙を構築してると思う、若い作家の例に漏れずいささかラノベ的=大きななことを小さく小さなことを大きく描く傾向があるとは言え
なぜかガラスがこわれまくって散らばり(これがクリスタル・ヴァリーの由来、どうでもいいけどガラスは結晶=クリスタルじゃないぜとムダなツッコミ)、そこに映る向こう側が全てこことそっくりでありながらどこか違う異次元の世界、多くの世界をさまよい続ける自分とほんのわずかな周囲の人物、気がつけば恋人のことも忘れてる、しっかしあれだけおおぜいいた渋谷近辺の住人はどこへ行っちゃったのか、また降って来る灰は何なのか、疑問はヤマほどあって、だけど説明はない、案外ないからいいのかもしれないね・・・・

話変わって斎藤美奈子は「恋する原発」を評価している、「物語としての完成度を捨てても言いたいことというものはある」とのこと、それ「震災後の文学」についての議論?そこ以外はひたすらちんぽとまんこしか言ってないと思うけど


これはもしや本命?

2011-10-30 10:36:48 | 本と雑誌

芥川賞のね、今期も本命不在かと思ってたら何と脅威の新人登場
すばる文学賞(新人賞と言ってないんだ)受賞 澤西祐典フラミンゴの村」-作者は京大の院生だそうで平野啓一郎の後輩、平野をまちがいなく意識してるだろうけどお話の出来はケタ違い、「日蝕」はただもう言葉の羅列に過ぎなかった、本作は見事に首尾整った物語になってる

書かれたのは20世紀初頭(メーテルリンクがノーベル賞をとった直後)という設定、作者は関係者に直接取材したと言ってるから、事件が起きたのは19世紀後半ということになるけど、さて社会事情はこれでいいのかなあ、カトリック教会って当時こんなに力があったかしらん、舞台はベルギーだと言うけど世俗の国家権力はどうなってるんだ?どうも平野先輩に引っ張られ過ぎのような気がする、審査員が誰も言ってないのは不思議だよ、とまずはつっこんだ上で

別にそんなことを気にする必要はない、「青い鳥」並のファンタジーだと思えばいいのだ、ホント大森さんが今年度の傑作選に入れるかも
30戸ほどの小さな集落で村中の女がフラミンゴになってしまった、カフカの彼と違って彼女たちはアタマの中まで完全に鳥化、家族の見分けもつかなくなりフラミンゴどうし仲良く群れて沼地で暮らす、家族たちの方もどの鳥が自分の妻または母または娘なのかわからない、群れ全体を家族として保護して行くしかあるまいと一度は決意したのだが
次第にフラミンゴたちがみんなのストレスになり始める、もうこいつらはヒトじゃないんだから始末しよう派が増え始め、いや家族なんだから断固守ろう派とあわや正面衝突というその時・・・

なるほどこういう解決があったかとあっけにとられるしかない結末、平野が登場させただけで何もできなかった「無垢な少年」がすばらしく効果的に使われてる-あれ?「日蝕」を意識し過ぎてるのは私の方だな

どうでもよい知識-フラミンゴがずいぶん色鮮やかに描かれてる(実際、炎=flammaに由来する名称とのこと)が、実際は白いのもピンクのもいる、彼らはアフリカにあるアルカリ性の強い湖に住んで、そこに生える特殊な水草を主食にしている、それに含まれる色素が鳥を赤く染めてるのだ、日本の動物園にもいる(タフで飼い易いと作者も言っている)くらいだから、どんな水草でも食べるだろうが、ベルギーの沼地ではあんまし赤くならんのじゃあるまいか?

なんてことも別に気にしなくてよい、小説としておもしろいんだからそれが全て、見直したぜ、「すばる」よ

追記-イカちゃんへ、私は文藝の「終わらない夜」をホメてないよ、あ、「この時」はちょっとホメたかな?優等生的ってのはその通りだと思う


揚げ足鳥全開

2011-10-29 11:27:37 | 本と雑誌

新潮新人賞 滝口悠生楽器」-私は星野智幸の「作品自体からあまり感じるところのない現代美術みたいな作品」でその文体は「厳密さを求めているようで実際には不正確で精緻ではない」にほぼ賛成というかこれでもホメ過ぎだと思う、中村文則いわく「こういうのを書くにはセンスと技術が必要で、彼の文章では読みにくさの域からまだ出きれていない」、これもたぶんホメ過ぎ、本作を強力に推したのが川上未映子、この作者が早稲田中退で渡辺直己や市川真人の講義を聞いてたのって偶然?だといいけどね

それっぽい文体や視点の揺れという見え透いた技巧(そもこの内容に一人称の「私」が必要あるのかね、作者は猫の気持ちにもなれる典型的な「神の視点」タイプの書き手じゃないか)にゴマかされたせいか誰も言ってないけど、作者が目指してるのは徹底したナンセンスファンタジーだと思う、語り手の「私」は一郎という名前の若い男の子、このお話の頃は東京都豊島区に住んで隣の練馬区にある何をやってるのかよくわからん職場へ歩いて通っていた、5月のある日、職場の同僚、ガールフレンドの後輩、造形作家(だという)女性と共に西武池袋線の秋津駅周辺をさまよっていて奇妙な庭のある家をみつけた、中では十数人が宴会中・・・・とまあ一応日本国内の具体的な土地を舞台にして日本人名前を持つ人物たちが動き回るんだが、彼らどう考えても現実の人間じゃないのである
たとえば私は楽器ができないけどバンドをやっている、あ、ボーカル担当なんだと普通なら納得するところをメンバー全員演奏能力がないという、隅田川に浮かんだ舟の上で宴会をやってて金管楽器を水に放り込んでは引き上げる、私はそれを吹いて鳴らす-楽器を知ってるヒトなら絶対にやるハズのないことを平気でやるのだ、作者が知らないのかわざとやってるのかと言えば・・・わざとなんだろなあ
ある時は身長より高い荷物を引っ張って電車に乗る女性を追いかけて「気がついたら熱海にいた」、女性はとっくにいなくなってたがさてあの荷物は何だったんだろう、もしやホラ貝とか・・・そんなデカい巻貝がいてたまるかよ、コンバスとか考えないんだろか?
造形作家の女性は盆栽やどっかから掘って来た木の切り株を展覧会に出している、あるいはトークショーをやるが特に話芸があるわけでもない、とうていものを作るタイプとは思えない、これまたわざとやってるんだろなあ、いやこういうのがキライだとは言わないが語られるエピソードのほとんど全てが何の必然性もなさそうな行き当たりばったりというのは・・・好きなヒトもいるんだろが、私ははっきり言ってイラつくばかり
古い毛布にくるまっただけに見える服装の同僚はハダカのギターを持ち歩いてるが弾くわけではない、中へ小銭や石やレシートを入れたり出したり、胴体に穴を開けて太鼓を入れている・・・おいおい楽器を大事にするヒトが聞いたら卒倒するぜ、そういうことをおもしろがるヒトもいるんだろが、私には必然性皆無の受けネライとしか思えんのだな
一番まともに見える後輩の女の子はお茶の道具とお湯を入れた魔法瓶を持ち歩いて、野外でお茶を点てる、茶碗は一個だけなのでみんなで回し飲み・・・おいおいそれかなり持ちにくそうな荷物だけどどうやって持ってるの?その描写がないのって気になる、その上にケーキまで買うんだから、でもって彼女、庭へ入るとケーキを地面において犬に変身、これまた何で?

宴会に集まってるヒトたち(子供、猫を含む)もそれぞれ奇妙だが長くなるからつっこむのはヤメ
ただラストで奥さん(珍しくまともっぽいヒト)が「椿の枝に吊り下げて菜箸でかーんと鳴らす」おたまはめんつゆをすくうのに必要なもの、すでにそうめんと薬味が食卓に出てみんな、つゆが来るのを待ってるハズ、「おたまがカーンとは鳴らない」(川上)こと以上に、私はこの奥さんがみんなにそうめんを食べさせることより無意味におたまを鳴らすことを優先する事情がわからんのだよ

そうそう、これだけは言わねば「美術家、通称マン熊については後に詳しくふれるけれど
だったらふれろよ、ふれないんだったらこんなこと書くな!!


海賊図書館?

2011-10-28 16:35:28 | SF

何かヤバげなサイトをみつけちゃった気がする(こちら)、googleに堂々とひっかかるんだから違法じゃないのかもしれないが、著作権切れてない本をロハでダウンできるのである、コピー回数が決まってるとかそういうこともなさそう、何回か開けたら消えちゃうとか・・・PDFにそれはないわな、図書館と違って返す必要もない、もちろん営利目的じゃなさそうというより完全な出血大サービスだよね

虎よ、虎よ! (ハヤカワ文庫 SF ヘ 1-2) 虎よ、虎よ! (ハヤカワ文庫 SF ヘ 1-2)
価格:¥ 924(税込)
発売日:2008-02-22

ことの起こりはこの本を本屋で買ったこと、30年前に読んだハズなのだが、赤外線以上の波長を関知できる(可視光は見えない)、フシギな女の子が重要キャラだったことしか記憶になかったので再読したのだった、なるほど、これは強烈、ヒーローもさることながら脇役が男も女もメチャメチャ個性的、この女の子がこれほどの重要キャラだったことを完全に忘れてたとは・・・ってやっぱあの頃は理解の他だったのかなあ、特にクライマックスの時間移動(これはかすかながら記憶にあった)、共感覚(というかシッチャカ感覚というべきか)、そしてテレパシーによる通信、この一方向テレパス、いったいどこというかいつにいるんだ、30年前って・・・・・

あ、わけわからんくてゴメン、日本では買えるんだから買って読んでちょうだい、ただせっかく新版出すならカバーイラスト(これはド迫力)だけじゃなく訳文も新しくしてもらいたかったと思う、中田譲治じゃなくて中田耕治の訳はちょいと問題ありだよ、内容を誤解させるほどじゃなくても明らかな誤訳が時たま目に付くし

ということとは別に関係なくこのクライマックスではタイポグラフィつまり字の形や大きさを変える効果がカッコよくて、何でも30年前は手書きだったと言うんだが、はてそうだったかなあ、原書ではだうなってるのかなと検索したら、何とあちらでは古本しかないしKindle版にもなってない、日本の方が進んでるんじゃないか、これほどの名作を埋もれさせてるとはケシカラン業界・・・・などとGoogleをながめてたら上のサイトに行き当たったというわけなのだ

古いペーパーバックをそのままPDF化したというんだが、何かずいぶんとスペースが多い、スカスカって感じ、タイポグラフィも字の大きさが変わってるだけで字体は変えてない、日本語版の方が断然凝ってる

それとアレっと思ったところ、主人公が復讐すべき真犯人の正体を知るシーンが思ってたよりずいぶん後なのだ、バージョン違うんだろか、まさかここのページが抜けてるってことないよね?

追記-ちょうど今朝のこと、主人公ガリー・フォイルが津原BBSで話題になっていた、これぞまさしくシンクロニシティ!!


将臣君へ

2011-10-27 11:34:18 | 本と雑誌

読んでくれてるんじゃないの(こちら)、光栄の至り(と一応言っとく)

2ちゃんの鈴木さんが「名無しでは書かない」と言っても絶対信用しないヒトがいるのと同じで「私は2ちゃんに書いてない」といくら言ってもムダなんだろな
何せあちらには佃煮=あまな=ランドールというウソしか言わないキャラが常駐してるし

何度も言うけど消さないよ、明らかな犯罪記録(自殺教唆)だから

あ、そうそう、イカちゃん「文藝冬号」にコメントくれたんだね、25日の朝は怒涛の将臣君と時間がかぶったんで、つい見落としてた、遅ればせながらコピペと合わせてサンクス