唯物論者

唯物論の再構築

唯物論3(対象の質料)

2011-11-22 00:04:14 | 唯物論

 唯物論とは、物質を論理の基礎に置く思想である。つまり唯物論は論理の規定的優位を、根源的に物質に対し認める。この物質の英語表記は、matterもしくはmaterialだが、ギリシャ語ではhyleである。hyleは、materialと同義の「材料」や「素材」を意味する。そして哲学においてhyleは、アリストテレスの言う「質料」を指す。
 プラトンは、存在者の本質をイデアと呼び、それを天上界に措定した。アリストテレスは、このイデアの非実在性に反発しており、エイドスと名称を変えて、存在者のうちに移動した。これがアリストテレスの言う「形相」である。アリストテレスにおいて存在者は、質料と形相の結合体である。この結合体は、第一に単なる素材としての可能態なのだが、形相を実現した製品としての現実態にもなる。つまり存在者は二通りに現象する。ただしこの二通りの現れ方は評価の違いにすぎず、形相との相関において存在者は可能態にも現実態にもなる。
 物体を規定するものを形相と考え、それを物体のうちに措定する場合、それは物体に規定的優位を与える唯物論となる。しかしアリストテレスは、師匠のプラトンと同様に観念論を自称し、意識に論理の規定的優位を認めている。また同時代の唯物論とも敵対している。したがってアリストテレスを唯物論として理解する方途は、最初から頓挫している。しかも実際のアリストテレスは、必ずしも自らの見解に忠実ではなく、結果的にその質料概念も物質概念とずれている。

 アリストテレスは、木を材料にして船やベッドを作るのは意識だとしており、船やベッドの製造において意識を存在の規定的優位に立たせた。したがって自らの言説と違い、彼は形相を意識のうちに措定しており、存在者のうちに措いていない。形相が意識のうちにあるのなら、存在者のうちに残るのは質料だけである。もちろん存在者は、可能態としてのみ存在することとなる。形相を失った存在者は、プラトンの場合と同様に、個性を持たないのっぺらぼうの存在となる。とどのつまり形相にしても、イデアと同様に、実在性を失うしかない。もしここで存在者を質料と形相の結合体とした最初の見解を維持しようとするなら、変質すべきなのは質料概念である。それは素材ではなく、製品になるべきである。つまり生まれついて形相と結合した現実態としてのみ存在すべきである。しかし形相が、可能を飛び越えた現実として質料に体現されると、今度は形相自らが、その最初の姿を失う。もともと木において形相は可能として、つまりベッドに適した性質として保持されていた。ところが今では形相は現実として、つまりベッドになる運命として木に与えられる。それは、ベッドになるために木が世界に生み落とされたと考える目的論に帰結する。
 上記のようなアリストテレスへの非難は、彼と同時代の唯物論者アンティポンから投げかけられた。実態としてアリストテレスは、プラトンに対する場合だと形相を存在者のうちに措定するのだが、唯物論に対する場合だと形相を意識のうちに措定している。そしてその質料概念も、素材と製品の間をさまよっている。つまりアリストテレスは、観念論に対しては唯物論として現われ、唯物論に対しては観念論として現われるように動揺している。このようなことでアリストテレスは、観念論だか唯物論だか不明な、実在論ともっぱら位置付けられることとなった。
 アリストテレスにおけるこの不安定な質料概念は、その中途半端さが逆に物質と観念の両方を体現する概念、ないしはどちらでもない概念を説明するのに有効なものとなっている。このことから質料、すなわちヒュレーは、はるか後代のフッサールによって意識の基底をなす存在として再利用される。質料概念は、フッサールにより物質概念に復帰する方途を完全に閉ざされたのだが、同時にハイデガーの存在者概念にまで連繋してゆくことになる。


追記)
実在論は唯物論との対比でプラトンを実在論に扱い、唯名論は実在論との対比でアリストテレスを唯名論に扱う。なるほど上記記述で捉えたように、アリストテレスのエイドスを、プラトンのイデア同様に物理的実在を持たない普遍と理解するなら、アリストテレスは唯名論である。ただし普遍を天上においたプラトンが実在論であり、逆に普遍を地上においたアリストテレスが唯名論であると言うのも、おかしな話である。実在論における普遍の実在も、アリストテレスの形相論に従っている。したがって実在論から見れば、プラトン以上にアリストテレスは実在論である。プラトンを実在論に扱うのは、実在論の自己都合である。同様にアリストテレスを唯名論に扱うのは、唯名論の自己都合にすぎない。だからこそアリストテレスは、実在論と唯名論の両方から求愛を受けている。このようなことで上記におけるアリストテレスの記載は、唯物論と観念論の中間態として、実在論の記載のままにしておく。
(2011/11/22)


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