身内だけの法要とは言っても、総勢12名。
この辺では多い出席者だろう。
親父の実家(田舎)からは、先方の事情も有り、今回は従兄の中で長男1名。
私の所と同市内に住む伯母(父の姉)夫婦の2名。
埼玉の叔父の所からは、“おば”と、その次男(従弟)の2名。
以上が、午前中自宅に集まってくれ、遺影・位牌・遺骨・お花・供物etc・etcを持ち、車に相乗り一緒に法要を行う会場へ向かった。
自宅から車で7分、駅のそばに会場は在る。
その会場に直接来たのは、母方の従兄(母の姉の長男)が1人、電車で来てくれた。
それと、横須賀から長い間親戚付き合いをしている御夫婦が2名。
そして、弟家族3人。
・・・親の四十九日なのに、お客さんか?
何を考えているんだか・・・
12時開始予定の法要が、少し遅れていた。
しきりに時間を気にする弟。
・・・予定がずれると困る事でもあるのか?
納骨も終わり、近くの和風レストランで食事をしてもらった。
ここで、張り切って会話に加わる弟。
こういった事は、手馴れているようで、市会議員の“会話”のように、さり気なく自己アピールしている。
その後、総勢12名が自宅に来てくれ、軽く飲食。
告別式のような湿っぽさは減って、始終和やかに。
親父の写真を何枚かプリントしておいた物、それと形見分けの真似事をして、ちょっとした物を渡したり。
弟が、私が送って行く事になっていた、伯母夫婦を自分達が送ると言ってきた。
今日の“話し合い”を強く言っていた弟。
心境の変化か? それとも、今日の“話し合い”は中止なのか、それとも戻って来て、親類がだれもいなくなってから、「バトル」するつもりなのか?その事には触れなかった。
子供の「塾」が有るからと、伯母夫婦を乗せ、6時に帰ろうとする弟。
しかし、その場の雰囲気に流され、7時に変更、伯母達と帰っていった。
最後まで残ったのは、
田舎の従兄と、埼玉のオバと従弟。
この4人で色々話す。
親父の事、私の事、母の事。
そして弟の事。
田舎の従弟は50代前半。このMちゃんとは、少なくても15年位は会っていなかったのだが、親父が危篤になった時、飛んで来てくれ、それ以来、何度も会っていて、私の良き理解者になってくれ、会話も弾む。
横須賀の御夫婦と、母方の従兄以外には、今回の「
遺gonn状」の内容を伝えた。
皆、いちように驚いて、がっかりしていた。
何故、そう書いて有るのか、その理由のような事も簡単にだが、正直に話した。
それでも、みな私に同情的だ。
親類は、家族の歴史を見て知っている。
そして、それぞれの人間性も、おおよその事は分かっている。
だから親類の中で、私への理解者は多い。
今回の出席者の中では、弟に見方するのは、母方の従兄ひとりのようだ。
母方の伯母(母の姉)の従兄達は、今回、親父の病気見舞いに来た者はいない。
去年の法事の時に話して有ったのだが、みな「お通夜」からの出席なので、私の行動(介護ri職)は不可解に見えているようだ。
その前に仲の悪い父子関係を、親父から一方的に聞いていたようで、むしろ私への風当たりは強い。そう会話の中から感じとれた。
今の所、親類を“争い”に巻き込む事は考えていないし、避けたい。
それに、仲裁・裁定できる立場の人がいないのだ。
父の肉親で残っているのは、同市内に住む
伯母だが、高齢の伯母にそんな事は頼めないし、その夫の
オジは頼りになる真っ直ぐな人で、同情はしてくれているが、積極的に掛かろうとはしないと思う。
もう1人は埼玉の叔父。でも今は車椅子になってしまい特養で暮らしているし、喋る事も出来ないので無理だ。
昨日の電話では、あの「遺gonn状」を親戚の前で読み上げてもいいんだぞ!
こう言っていた。本人は脅し?のつもりなのだろう。
『私が困る、恥をかく、親類の気持ちを形勢逆転できる』と考えたのだろう。
しかし、私の方は少々の恥じをかくが、凡人には有りがちな事。むしろ賛成なくらいなので「困らないから、やってくれっ」と答えておいた。
無論、本気ではない。
しかし、ああいった席で、そういった事をする行為が、どんなに無礼で恥ずかしい事なのか、それが分かっていないのだろうか。
「親類の集まった所」でと、「法要の席」でとは、まったく違うのだ。
教養以前の問題として、ああいった事を口にする事じたい、情けなく思う。
それよりも、今回、親父が倒れてから以降の非協力的な態度や、葬儀等一連の振る舞いを冷静に見ている親類の目は、弟家族に厳しい。
その事も理解できていない。
親類の仲裁は難しいが、弟へのプレッシャーにはなったようだ。
今日、一気にカタをつけたかったのだろうが、無言の圧力の様なものを感じたので、止めたのかも知れない。
明日から、また水面下でバトルの再開だ。
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