日々典々 介護記録とその後の出来事

40代独身長男。脳梗塞で車椅子・認痴症になった父親を病院介護し在宅へ。しかし再入院。その記録とその後…そして未来へ。

特養の申し込み Ⅱ 帰り道編

2006-03-16 18:21:48 | 今までの経過
11月15日

深夜、特養の申し込み書を郵送すため、郵便局の本局で締め切り日の消印を押してもらって投函した帰りの出来事。


親父が倒れてからは、病院への行き帰りはほとんど親父の車を使っている。

バイクの方が早いが、大抵は何らかの荷物や書類などもあるので、そうしていた。


帰り道、コンビニに寄り、あと2.3分坂を下って行けば自宅と言う辺りで、
女の人が道路の片隅に座って手を上げている。

今迄もこういった事は何度か有った。


ダッシュボードの『自家用』と書かれたプレートに気付かず、
営業中のタクシーだと思って手を上げてくる人が何人かいた。

大抵の場合は、手のひらを左右に振って『ダメダメ』合図を出して、
自家用のプレートを指差しながら通り過ぎていた。

でも今では屋根の『個人』と書かれたカタツムリのマークも取り外しており、
最近はそういった事は全然無かった。


しかし今回は少し“妙”だ。

タクシーを拾うような場所ではない。
住宅街の外れの暗い道だし、人通りなどほとんど無い。

飲んだ帰りなのか、散歩中だったのか分からない、が、どうも動けないようだ。

『目が合った』

酔っ払いには見えない。
目が生きている。

遭難した登山者が、助けを求めている時のような目に近かった。

久々の人助け、“プチ紳士”の出番である。

狭い道だから通り過ぎた所に車を寄せて止める。
小走りで近づくと、黒っぽいトレーナーの上下を着た色白の年配の女性だった。

座るというより、動けなくてしゃがみ込んでいる感じで、
手には小さなバックと犬を連れていた。

聞けば、犬の散歩をしていて、転んでしまい動けなくなってしまったと言う。

「お金はお支払いしますから、家まで乗せていってくれませんか」

もちろんお金なんか貰うつもりも無い。
だいいち、そんな問題ではない。

お安い御用と家まで乗せてあげると伝えた。

しかし、どうも立つのも無理なようだ。
転んだ時に足から「ポキッ」と音がしたって言う。

『折れている』


私も骨折の経験者だから、まず間違いない。

財布も携帯も持たずに出てきたので、車が通るまで、
ここにしゃがんで待っていたらしい。



このまま、地べたに座らしておく訳には行かない、
取り合えず車に乗せて、送って上げる事にした。

病院にはご主人か、息子さんの車で行くつもりなんだろう。


歩けない人を車に乗せるのは、おやじの介護で慣れているので自身があった。


先にミニチュア・ダックスフンドを車に乗せるが2度共だめ、直ぐに“お母さん”の所に戻ってしまう。



しかた無いのでリードは



片ひざをついて

「私に抱きつくようにして首と肩に手を回してください」

初対面の異性で他人、だから遠慮がある。

それに怖さも有るので相手もなかなか体を預けてくる事が出来ない。

平均の身長だが、体重はかなり上回っている、その事も気にしている。

安易に考えていたのだが、実際は“親父”より難しくて重かった。


すこし無理をさせてしまった気がするが、何とか乗り込んでもらい家まで送る。

だが話を聞いてみるとここに来てももしょうがない、独り暮らしなので家には誰もいない。

ならば、このまま病院まで送ると伝えたが少し躊躇する。
気を使っているのが分かる。

けっこう重症そうだし、早く連れって行ったほうが良い。

S病院の夜間救急を利用した経験を話し納得してくれたようだ。

しかし、どうしても一度家に寄りたいと言う。
こういった状況だからお金や保険証は、後で大丈夫だと話すが、
「入れ歯が無いから」
「犬も家に連れて行かなければなんないから」と言う。



おやじの入院時を思い出した。
3月、倒れてS病院に行く時、携帯や着替え、腕時計などの身の回りの物を随分持ち込んで救急車に乗り込んだ。
いらない、後で持って行くから、持ち込めない物だから。

いくら言っても聞かないので、しかたなくその通りにしてようやく救急車の乗ったが、これが後々問題になってしまったのだ。

かなりの現金を隠し持っていたようで、後日、持って帰れと看護婦から電話で呼び出されてしまった。



「犬を家に連れて行かなければなんないから」
これだけなら、鍵を渡して貰って犬を家の中に入れれば済むだけの話である。

やはり持ち出したい物があるのだろう。
マンションの1階だが階段を使わなくてはならない。
リスクが大きい。
折れた足は痛くて地面に着ける事すら出来ないはずだ。
まして、うっかり体重でも掛けてしまえば大変だで、
それで開放骨折にでもなったら目も当てられない、緊急手術だ。

「入れ歯が無いから」は半分本当だろうが、おそらく、それを含めて、最低限の身だしなみグッズを持って行きたいのだろう。

『手を貸してくれている人』には言いづらい事だろうし。

それと、現金。

ついでが、保険証と携帯電話、手帳が入ったバッグ。こんなところだろうか。

女性はそういった事を非常に気にするものだ。
この人も日焼けの無い綺麗な肌をしている処を見るとお洒落さんなのだろう。


亡くなった母親も最後までそうだったから良くわかるのだ。



この時、救急車の話も出たが、経験上時間が掛かるのを知っているので、聞き流した。



深夜の救急は、とにかく時間が掛かる。

彼ら救急隊員の仕事の半分は、車内の無線や電話で受け入れの救急病院を探す事だ。
現場到着後、行き先が決まる迄、救急車はそこから動かないのだ。
だから時間が掛かる。



書きかけだった物を加筆、修正しました。



経過・補足事項

2006-01-29 22:10:39 | 今までの経過
昭和1桁生まれ 70歳代  
都心からは、やや遠い関東地方の出身
身長163,5 体重45kg


(現役のまま倒れる)

病歴
昭和38年頃 胃潰瘍 手術 胃の3分の1切除。この頃、鼻の手術も。
昭和42年頃 腹膜炎 手術 盲腸を我慢してこじらせた
平成2年   直腸癌 手術 人口肛門 S病院 転移無し。身体障害者4級。
平成2年~17年 
       この間、腸閉塞で5回以上の入院。全てS病院。
平成14年  肝臓癌 手術 3分の1切除。I病院。 「C型肝炎キャリア、そこからの肝臓ガン」

 S病院に通院は続けていた。高血圧、頻尿・軽度失禁(前立腺)、C型肝炎。


平成17年3月中旬 入浴中倒れる。 
 S病院、脳外科に入院。
 小脳血栓と硬膜下血腫。左半身に麻痺有り。
 
 飲酒後の入浴中に小脳血栓を起こす。
 その時に浴槽で左側頭部を強打、これにより硬膜下血腫。

 保存療法(手術無し)脳内の血液は徐々に吸収される。
 脳の萎縮有りと診断。
 しかし、不穏・せん妄・認知症等の為に身体拘束。
 車椅子乗車時は抑制帯の使用。
 数々の問題行動起こす。

5月初旬 要介護4の認定。

5月初旬 フロアー奥側に在る軽症患者の病室に移るも1日で元の部屋へ戻されてしまう。
 (目の離せない患者・重症患者用、ナースSTの目の前の病室)

精神科も受診。
 受け入れてくれるリハビリ病院無し。

5月中旬 身体拘束が車椅子に乗車時のみになる。(立ち上がり依然多い為)

5月下旬 Y病院に、脳外科に転院。リハビリ目的。身体拘束は無し。ただし、個室。
 入院から3週間後、暴力行為・不穏直らず、病院側より実質、強制退院。
 系列のE精神病院に急遽転院する事に。

6月中旬 ベッドの空きが出るまで5日間グループホームに入所。状態悪くない。

6月中旬 E病院に転院。精神科入院、長谷川式テストは、13点。
 当日の夜から暴力行為あり。その後も不穏続く。
 10日目よりリハビリ開始。

 精神安定剤が強く、日中おとなしいが覇気も無く、目が虚ろになる。
 せん妄・妄想・幻覚、有り。
 話す事もあまり理解出来ない。
 毎日見舞いに行き散歩や話相手をする。
 ゲームなども試す。効果少ない。
 入院当初より明らかに悪化している。

 肺炎起こす。 特注1(医療ミス)

 病院長と交渉。
 日中の5時間、女性のヘルパーを自費で雇う。
 それと同時にベッドをやめて、床に布団を直に敷き、身体拘束と精神安定剤の使用を一切中止。
 以上を了承して貰う。ただし、事故等は自己責任とする。

 特にせん妄の出やすい夕食時以降は私が必ず介護するようにした。
 小さなケガは良くあるが、しかし生気が戻る。
 夜間の不穏・大声等も減り、日中は落ち着きが出る。
 (様子を見ながら、色々と試行錯誤)
 薬の使用がほとんど無い、リハビリだけの入院患者となる。

これにより7月末頃には、不穏や暴力行為等がぐっと少なくなる。
日常会話、意思の疎通も可能になってくる。
リハビリにも意欲が出てくる。
ただし『甘え』『我がまま』出てくる。(後々困る事になった)

8月
グループホーム入所を止めて、在宅へ向けケアマネジャーと面談。
在師ケアマネは在宅看護に反対。
(心身不安定、介護者が1人)
病院長は、可能だが先々考えると難しい、止めるべき。
担当精神科医・看護師は同じく可能だが難しい。
PTの意見は、身体的には在宅介護可能。

本人とPTの希望で退院を一ヶ月延ばしてリハに専念、在宅決定、準備開始。
外出はいつでも可能に。

9月
歩行は無理だが、つかまりの立ち上がりには不安を感じない位に良くなる!
会話もスムーズになる。

自宅に外泊。
夕食は寿司。
朝、自分で起き1人で洗面所に行き立って歯磨きをしている。
朝食はパン。午前、在師とケアマネ来る。
ADL、問題有るも退院、在宅への話を具体的に進める。
(在師は在宅看護に反対)
昼食は和食。誤嚥も無く、問題なし!

バランスは不安定ながら、PTがほとんど触れずに、ゆっくりと20メートルを歩行。

病院の医師、スタッフ、ヘルパーさん達から『甘え・我がまま』問題の指摘が続く。

9月中旬 
ヘルパーさん終了。その後は私の面会のみ。(甘えの問題を改善する為)
ポータブルトイレ、リハビリパンツの使用開始。
一般の人にはちょっと見、精神的な病気とは解らない位までになっていた。

平成17年10月2日 日曜日。 めでたく退院。

ここまでの入院での主な出来事
4月   腸閉塞、軽~中症。
7月1日 誤嚥性肺炎 中症。
他に風邪、2回。
暴力行為・立ち上がり・不穏あり。
転倒・落下・しりもち…数え切れず。CT・レントゲン検査、5,6回?以上。骨折しなかったのが、奇跡。


平成17年10月2日 日曜日。 退院当日。

午後4時前に帰宅。
しかし、体が硬直していて、腰も抜けている様な感じで、立っていられない。
意識ははっきりしているが、明らかにおかしい。

午後4時半。119で救急車を要請、微熱あり37.5度。
今回の2件目の入院先で、強制退院させられたY病院にてCT検査、特段の異常は無いと診断。 
入院せずにタクシーで帰宅。男2人でのトランスもかなり厳しい。

帰宅後、放心状態。
深夜になっても寝られなかった。

10月3日 
 E病院に外来で受診。(ストレッチャー付の介護タクシーで)
病院長(主治医で内科医)の診断は精神的なものが原因。
ただし、『精神的なものでは有るが、精神科で治療するべきものでは無い』
要は、ただ単に『甘え』が原因だと言いたいようだ。いや、そう言っていた。
最初の入院先、S病院への紹介状を書いて貰う。
スタッフ2名、自宅で待っていてくれる。

10月4日
 外来でS病院、心療内科。
CT検査・血液検査、他。少し脱水症状があると診断、半日ががりの点滴。
天敵針を何回も打ち直す、漏れも有り(膨れる)前後半、別の看護婦。
最後は指に針を刺す。
特注2(医療ミス)

朝の九時半に受付、夜6時半までかかった。入院の必要なしと帰宅。

いぜん体の硬直続いている。原因まったく不明。
自宅での身体介助、翌週より大幅に増やす事にする。(自費)


10月5日
 デイ・サ-ビス利用。特に問題なし。
精神的には落ち着いている様に見えるが、覇気が無く、怒りっぽい。
自宅での身体介助、スタッフの厚意で2名来てくれる。
10月6日 
 E病院に外来で外科医に診てもらう。(親父、腰の痛みを訴える)
右手首に赤い腫れが出てくるが、かゆみ、痛みの訴え無し、シップ薬を貼る。

10月7日
デイ・サ-ビス利用。特に問題なし。ただし微熱が有り大事を取って入浴はシャワーのみ。37.5度。
夜は平熱。
10月8日 
 Y病院でMRI検査。(E病院の外科医の指示による)

この頃より、心身の症状に“むら”が出てくる。
しかし、デイサービスなでは、嫌がらずに出掛けている。不穏な様子などの報告も無い。

10月9日 
 Y病院に私1人で行く。リハビリの責任者で担当の○○さんに心当たりを聞くも明確な答え得られずやはり原因不明。

10月10日 
 Y病院に私1人で行く。精神科の主治医に代理受診。
『精神的なものだけでは、そこまで変わる事は有り得ない』と、院長の診断を否定する発言。しかし原因は不明。
デイサービスの介護士より、微熱の為入浴を中止の報告、37,6度。

この頃から食事をこぼしてしまうようになる。
椅子にも座っていても、横に傾いてしまう、明らかに症状悪化している。

10月12日
 夜九時、自宅で高熱出す。39,9度。はかり直すも、39.8度。
S病院に電話。車に乗せ連れて行く。
夜間救急。
感染症による高熱と診断され緊急入院。
その後に蜂窩織炎と判明。誤嚥性肺炎も併発していた。

在宅期間わずか10日間で再び入院。

最初の入院先S病院(内科)入院。

S病院。

蜂窩織炎・誤嚥性肺炎
ADL 下がる。
せん妄、暴力行為、再発。
転院先、精神病院しか紹介して貰えない。
転院延期
11月

再び腸閉塞 
転院再延期
リハビリ再開
特養の申し込み

12月初旬

なぜか、身体障害者1級に。

T病院に転院。
不穏・せん妄、出る。
肋骨骨折
リハビリ再開

1月

誤嚥性肺炎
不穏・せん妄、出る。


特記
直腸がん手術の為、腸閉塞に掛かりやすい。
食事での制約有り。
(冷たい飲み物・海草類・こんにゃく・きのこ類)
痩せ型で筋力が弱い。