世の中、以前からエコブームである。
新製品の枕詞は「地球にやさしい」、「環境にやさしい」、「CO2低排出」である。
これがどうも私には胡散臭くて仕方が無い。
私はどうも世の中を斜めから見てしまう性質の人間であるので、このようなことにも常に「本当かよ?」と思ってしまう。
先日ラジオである大学教授が、エコロジーのまやかしについて話をしていた。何でも『偽善のエコロジー』との著書を出版したとか。その中からラジオでは、「マイバッグの偽善」、「マイ箸の偽善」、「バイオエタノールの偽善」の3つを取り上げていた。
「偽善」という言葉はちょっときつい表現ではあったが、要するに世間で言われている「環境にやさしい」ことが、実は全然地球環境にとってはやさしくないんだということを話していた。
まあ、そんなことだろうとは思っていたけどね。
結局、エコだ何だと言っても世間で言われているのはまやかしか気休め程度に過ぎない。企業の販売戦略に踊らされているだけ。これだけエコロジーに対する世間の関心を煽っておいて、製品に「環境にやさしい」、「エコ」とつければ売れる。エコロジーに関心のある人は進んで買ってくれる。企業の販売戦略に踊らされているだけ。で、エコ製品を生産するために大量の石油を消費しCO2を排出している。
大体「環境にやさしい」なんていっても、所詮は「従来品より少しだけ毒性が低い」程度であって、「環境にやさしい洗剤」を川に流せば魚は死ぬよ。リサイクル製品だってかえってコストがかかっていたりする。
そんなエコ製品を使うことよりも、日常生活上の無駄を減らすことがもっと「地球にやさしい」。テレビは見ないとか、車に乗らないとか、無駄な商品は買わないとか。「エコ製品」を買うために近所のスーパーに車で行っているようじゃナンセンスだよ。自転車を使えばいい。どうしても車が必要なら軽自動車にするとか。テレビだって本当に見なきゃならない番組なんてそうそうない。私もほとんどテレビは見ないが(別にエコで見ないのではない。見たい番組がないから見ないだけ)別に困らない。だれもテレビを見なければ、企業もコマーシャルを出す意味が無くなるからCMは減る。CMが減ると商品が売れなくなるから企業の生産活動が停滞して、「環境にやさしい」。一石二鳥じゃない。
例えばペットボトル。
生産・流通・販売、全ての過程で地球環境に負荷をかけている。そしてリサイクルする。分別して回収する。車両を使って回収する。回収したペットボトルを圧縮し梱包する。そのためには工場を稼動させなければならない。その後また再製品化するために工場を稼動させる。どれだけ地球環境に負荷をかけているか。
ペットボトルをやめちゃえばいいじゃない。そうすればこれらの環境への負荷要因はなくなってしまう。地球環境にやさしい。無理だとは思わない。だって少し前まではペットボトルなんて無かったんだから。でも出来ない。ペットボトル製品をすべて生産中止にした企業があれば、相当評価は高くなるよ。環境にやさしい企業だって。でも出来ない。
国民は今の利便性を犠牲には出来ない。生活レベルは落とせない。
企業も売上を落とすことは出来ない。
物を作らなければいいのよ。買わなきゃいいのよ。製品を作らなければ原料も燃料も消費しないし、CO2も排出しない。例えば工場を5つ持っている企業なら、1つ2つを閉鎖すればよい。生産、物流、販売全てにおいてコストがかかる。石油を消費しCO2を排出する。それならやめてしまえばいい。企業が生産活動を半分にしたら、これは本当に「環境にやさしい」よ。
でもそんなことになったら、日本経済は間違いなく破綻する。
企業の売上は激減する。従業員は解雇される。国民の所得は減る。国の税収は減る。社会保障どころの話ではなくなる。
結局、自由主義経済下では本当のエコロジーは成り立たない。企業が儲けてこそ、国民生活が成り立ち、国家が成り立つんだから。