katsuまるはだかぁ 芸術家への道

モザイクアート一直線のkatsuの日記

新作と夕方からロン教室

2016-06-02 02:44:19 | モザイク教室
今日は夕方からロン教室。それまでは新作をやっていたんだけれど、昨日まではそんなに感じなかった事が、チェーンに入った瞬間、げっ・・・これはきついぞ・・・思ったよりも・・・って気になった。このまま続けるのはきついだろうな・・・と思って、花の赤に移動したんだけれど・・・。

やった事の無い人や、急に上手くなったような人には判りづらいだろうけれど、一見同じようでも全く難易度が違うのね。ただ同じような大きさに切るだけ・・・って言うのと、チェーンに見えるように・・・では、いくら綺麗に切れたとしても、見えなければ意味が無い。

つまり思ったグレードの維持がきついと判断したのね・・・朝一番のまっさらな気分のダメージと一度きついと判断した後の2回目、3回目では質を落とす可能性がある。勿論、逆に慣れて来るのかも知れないが、それは勢いでやっているだけで、手慣れて進みたいだけ。

作品を能率効率で進めてはいけない。しかもこの先まだまだ長いのだから、出来ればダメージは少なく抑えたい。そんな理由があって、1つやっては何か気が楽な部分でバランスを取りつつ、同じような気分を保ちたいと考えたのね・・・・。

それと同じ事や同じ色が続くと、気分も単調になりがち。あくまで常に一定な事が安心安全な気もしてね。何しろ常に気持ちがいつも通りが良いのね。
それをどうやって保つか?ある意味環境作りが俺には大事なのね。ただ思った以上にチェーンはきつかった・・・。

そんなこんなのロン教室になるのだけれど・・・・


資料の画像は若干斜めのものなのに、ロンは正面を作りたいらしく、それを見つつ感で正面の絵に変えていた・・・何度かそれを注意したのだけれど、出来ると判断しているようなので、それではそのままとしたのね・・・何故なら是正と言うのは、追い込まれないと出来ないものだから・・・。

すると、彫りながら思ったんだろうね・・・・ここはどうしたら?ってね。そこで発した言葉が良くなかったのね。この辺はオリジナルって事で良いですよね?って・・・・こらこら、曖昧な言葉で誤魔化さない。では自分の言った言葉を掘り下げるからね・・・・。

まずオリジナルって事であれば出来るって判断で言っているよね?つまりオリジナルは簡単なんだね?ロンには・・・。だったらそのオリジナルとやらでやってみ・・・では逆の言い方も言って見るが、そっくり真似するのが難しいから・・・って言っているようなものだよね?

つまりこれが本音なら、明らかに俺の見解とは違う。何度も真似ろ、何しろ真似ろ、そっくりを目指せ・・・と言っているのに・・・。
それは意思の疎通な話。そもそもロンは理想として完成を思い浮かべている。ただそれは単なるラフ画であって、写真のような完成形の話じゃない。

その時にオリジナルだから・・・って何かを変更しても、教える俺には判らない。それなのに何をどう教えれば良いのか?・・・ある意味聞きたいのは俺の方なのだから。それをこの画像の通りに作りたい・・と真似するのなら、ここはこうじゃない?ここはこう・・・と同じ物を見て確認出来る。

もしこれがその通りだと言うのなら、一番の悪はオリジナルは簡単とか楽と判断しているロンの脳。そこから直さないとならない。いつまでも出来るからのスタートでは無く、出来ない不安、失敗する怖さを知らないと、来年もまた同じ事を繰り返す。

今、彫って進む事も大事だけれど、物の考え方や意思の疎通などが出来ないで進んでも、結果として自分の思い描く理想以下にしかならない。
何故なら教える俺が全力を出せないから。何をどうしたいのか?それが出来るかどうか?時間はどの位掛かるのか?・・・と判断すべき俺は、

ロンがオリジナルって言葉を曖昧にするって意味で使う以上、俺とは全く違うのだから。つまりまずは自分の選んだ画像の通りにそっくりを目指す。
その通りに彫れれば、確実に兵馬俑にはなる。そこをクリアーして好きにすれば良いと思うが、一体それを何点取れるか?になる。

そもそも兵馬俑を作る・・・って言った時点で、バックを作るのはまず主食を喰ってからのデザートの話で、じゃ似てなくてもオリジナルだから、良いかっ・・・でバックは・・・・って作って果たして良い物が作れるだろうか?って話。2年目なんで遠慮なく向き合わせて貰った。

まず是正はオリジナルは難しいって事。実力の無いものの誤魔化しの表現に過ぎない。これが大巨匠ならちんぷんかんぷんなモノでっても、ご立派なのだから、見る側が受け入れる前提であろうが、題名に兵馬俑と書かなくても兵馬俑って見える事が大事になる。

とは言え、大巨匠じゃなくても特権があって、中学生の作品って言うのだから、そんなに言わなくても・・・・って話だろうが、それならそれでも俺はokなのね。だって自分自身の問題だから。ただ去年、賞を取った人として・・・と言うのなら、当然この位言っても普通だし、中学生なんだから、

って言うのなら、こんなに早くからやる必要も無い。そもそもこんなに早くからやるって事が、本気を意味するのなら、何をどう本気か?って話で、単なる制作時間を延ばすだけなら浅い話で、物を本気で作る姿勢って言うのはこう言う事では無いか?って言うのも勉強なんじゃないのかな?

その第一歩として、オリジナルとは?好きにして良いから縛りが無い・・・と自分に都合良い解釈があるのなら、実力が無いのならただのへっぽこって言うえぐる解釈も知るべき。たった数か月の事なんだから、身を削ると良い。こんなのやらなきゃ良かった・・・と思うと良い。

くそぉぉって、上手く行かない・・・出来るのかな?と不安にもなれば良いと思う。それをオリジナルって言葉で楽に進めると言うのなら、先生としての俺は特に必要は無いはず。だって俺はモザイク先生なのだから・・・・。

もしここに棟梁がいたら?仏像彫刻と言うのは古来からある図面の通りに作らないとならず、ツルツルにしたいのに、やすりを掛けちゃいけなかったり、ルールに縛られながら作るものなのね。じゃ棟梁に取って仏像彫刻って何?って聞いたら、きっと趣味と答えるんだろうね・・・・。

これをロンにも聞いて見た。ロンに取って兵馬俑を作るって何?・・・労作展・・・宿題?・・・って言うので、趣味と宿題どっちが重い?宿題・・・?でも適当な奴もいるじゃん・・・でも趣味でも10年弱もやっていたら遊びじゃないよ・・・どう思う?なんて話をした。

要するに各々が作るモノに対して、どれだけの重みを感じて作っているか?だと思うのね。それを趣味とは言え続けていると生きがいなんてものになる。もはや自覚は無くともかなりの腕前になる。継続は力なりとはそう言う事だと思うのね。

ではロンは?宿題とは言え、3年続けると決めている以上、ただの宿題では無いのね。しかも、1年目に賞を貰っている。別にそんなのどうでも良いって言うのなら、ロンの言うオリジナルって言うものを出すのも良いだろうが、もし良い物をと言うのなら、何年も図面通りに作る人達がいるって事。

基本は真似るなのだから、きちんと向き合って真似る事。それをオリジナルって言葉を安く使わない。誤魔化さない。上手く行かない事と向き合う事。そうした繰り返しの姿勢こそが作品の重みに繋がって行くんじゃないのかな?・・・って言うのが俺の見解・・・あくまで個人の意見です。

何故なら、俺も探している最中だから・・・・。

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