青山二郎「眼玉が私でなければなりません」

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文芸評論家の小林秀雄を愛読している人の間ではよく知られていると思いますが、
小林に美術・骨董への関心を目覚めさせた人としていの一番に出てくるのが、青山二郎という名前です。
陶磁器･古美術の鑑賞家として知る人ぞ知る存在で、その鑑賞眼は友人･知人から“天才”と称えられていました。
戦前に朝鮮の古陶磁を大量に日本に紹介した業績がよく知られています。

青山二郎は文章も書いていて、作歌論としては小林秀雄、中原中也、梅原隆三郎、富岡鉄斎を論じたものがあります。
代表的なエッセーに「眼の引越し」「眼の筍生活」というのがあり、中公文庫からそれらのエッセー集が出ています。

この夏の猛暑の中、青山のエッセー集を何十年ぶりかで読み返したところ、「眼の引越し」の中に、へえー、こんなことを書いていたんだと面白く感じた一節に出会いました。
その文章に至る前は、「美が見える」と言うほどの人は誰でもその人なりの流儀でものを見ているはずである、しかし自分の眼玉で見たものをなぜ眼玉で受け止められないのか、それは「眼で見たものをただちに時間的なものに置換え、頭で判断する習慣があるからです」といった議論があって、以下の文章がそれに続きます。

「美が見えるというだけでの事では、簡単な頭の働きと、単なる眼の習慣に過ぎません。私が言いたいのは、人が放心状態の時に物が映る、あの眼玉の働きにも似ています。知り過ぎる程知っている友達の顔を、突然そこに見ながら、茫然と彼は一個の人間の顔を眺め出します。何の観念も働いていません。頭は今完全に静止しています。この場合、眼玉が私でなければなりません。下等動物のような眼が、自我を持たぬ眼玉という私に変じます。「黙って坐ればピタリと当てる」眼です。」　

今回面白く感じたのは、「人が放心状態の時に物が映る、あの眼玉の働き」という箇所、そして「知り過ぎる程知っている友達の顔を、突然そこに見ながら、茫然と彼は一個の人間の顔を眺め出します」という箇所です。
ここんところこのブログで私が書いている「ながめ」ということを、まさにドンピシャリと書いているように思えるのです。
古典和歌や平安期の物語によく出てくる「ながめ」という言葉は、意識の目覚めた状態であったり、意志をもって見る、ということではなく、
「ぼんやりと、じいっと一点を見つめ」たり「視線をさまよわせたり」しているような状態を言うことが多いのです。
頭が完全に静止し、何の観念も働いていない、自我を持たぬ眼玉という私に変じた状態で物をながめる――古代の歌人や物語作者はそのような状態で物を見ていた、
そのことを、人間の精神の活動としてとても意味のあることとして受け止めていたということが、青山の文章からとてもよく合点できたように思いました。

「日本の思想」というものも、そういう「ながめ」の在り方を原質として、そこから生まれてくるものこそがそれだというふうに考ることにしようと、私は今思っています。

式子内親王の「詠め」の和歌と思想

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「詠(なが)め」るということ(見渡したりじいっと見たりして、そこから浮上してくる言葉を組み立てて歌う)が
日本的な思惟の原質をなしているのでは、と思わされる一つの例を紹介しましょう。

平安時代末期から鎌倉期初期の歌人で新古今和歌集のスーパースターの一人とも言うべき人に、式子内親王（しきしないしんのう）という女性がいます。

後白河天皇の第三皇女で、時代的には平家一門の驕りが頂点に達したかと思うと
やがてこれを滅ぼした源氏がとって代わって鎌倉に武家の政権を創始した頃です。

平家と皇族との確執や陰謀がいろいろとあって、式子の生涯も苦労が絶えないものであったようです。

内向的な性格で、独身を貫き、人生半ばからは出家生活に入りますが、
和歌作品はいわゆる“偲ぶ恋”を、内に激情を秘めたような強い調子で歌ったものが、作風上の特徴とされています。

一番よく知られている代表作は、百人一首にも選ばれている次の一首でしょう。

　　　玉の緒よ絶えねば絶えねながらへば忍ぶることのよわりもぞする



さてこの式子が好んで使っていた言葉のひとつが「詠(なが)め」です。

生涯を不遇の中にあることを余儀なくされていた式子にしてみれば、世の動きや自然の景状をただ「詠め」て過ごすことでしか、
自らの生の実感を得ることができなかったのでは、と解釈する人もおられるようです。

「詠め」という言葉を含む和歌を数首挙げてみます。

１． くれて行く春の名残をながむれば霞の奥に有明の月
２． ながむれば思ひやるべきかたぞなき春のかぎりの夕暮の空
３． 帰るかり過ぎぬる空に雲消えていかにながめむ春の行くかた
４． 花は散りてその色となくながむればむなしき空に春雨ぞふる
５． ながむればわが心さへ果もなく行方も知らぬ月の影かな
６． ながめつるけふは昔になりぬとも軒端の梅はわれを忘るな

１．、２．は若いとき（20代）の作。「霞」も式子の歌の特徴を伝える言葉で、１．の作のように、ながめる先は多くの場合「霞の奥」の方です。
浪漫的とも評される若年時の気分は、長じて消え去るのではなく、むしろ次第にそのポエジーを深めていきます。
３．、４．は中年期の作。自分の人生がただ「詠め」るというスタンスをとっていくしかないと腹を据えたような気分が伝わって来ませんか？
５．、６．は晩年の作。深い弧絶感の一方で一種宗教的とも言える境地の表現がうかがえます。

晩年（享年53歳）に詠まれた歌には次のようなのがあります。

７． はじめなき夢を夢とも知らずしてこの終りにや覚めはてぬべき
８． つかの間のやみのうつつもまだ知らぬ夢より夢にまよひぬるかな
９． しずかなる暁ごとに見渡せばまだ深き夜の夢ぞかなしき
10．はかなしや風に漂ふ波の上に鳰(にお)の浮巣のさても世にふる

新古今集時代の和歌の、いわゆる“幽玄”な趣きの典型的とも言えるような作歌ではないでしょうか。

まさに式子の作歌人生の到達点を表わしているとも言えますし、また最終的に至った境地を表わしているとも言えます。


このように言葉で境地として表わされたものを“思想”と呼ぶとすれば、
式子はいわば「詠め」るという実践を積み重ねて、自らの“思想”を形成していったとになります。

その営為の内実を問うとするならば、何をどう詠めてきたのかというところを見ないといけません。

それを今、ここでは１．～６．の和歌から探り出すとするなら、
「春の名残の霞の奥の月」であり、あてどのない「思いやるべきかた」であり、「雁が帰る春の行くかた」であり「むなしき空にふる春雨」であり、
「果もなく行方も知らぬ月の影」であり、「軒端の梅」を詠める「けふの」自分の姿であったりします。

それらの行為や和歌の創作は式子にとっての“思惟”にほかならず、
それを日々積み重ねていくことをによって、一人の歌人としての思想が彫琢されていったと見ることができると思います。