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1月24日可喜庵での展覧会「やすらぎの贈りもの展」と、
名倉亜矢子さんのコンサートの記録をYou Tubeに投稿しました。
こちらからご覧になれます。
You Tubeの画面内の解説も読んでください。
先月24日に開催した可喜庵での名倉亜矢子さんのコンサートの終了後、
名倉さんを囲んでのパーティで疑問をぶつけてみました。
「ソプラノ」と聞けば通常は体躯の立派な女性像をイメージしますが、
名倉さんは小柄で全体に華奢な体つきでありながら、歌声はマイクを通さなくても、
教会のホールをいっぱいに満たすような豊かさと透明感で響き渡ります。
(昨年の12月21日の記事「名倉亜矢子の歌い方について」を参照してください。)
発声法に何か秘訣がありますか、という質問をしてみたのです。
名倉さんが答えられた中に「声を前方に向かって飛ばす感覚」といった意味のことがありました。
私はその中の「声を飛ばす」という表現が面白いと思いました。
特に「飛ぶ」という単語ですね。
声が飛んでいくというのは面白いと思いました。
それはまるで魂(霊)が飛んでいくイメージです。
声が向こうの方に飛んでいって、それで周囲の空間が生き生きとしてくるんですね。
別な機会に名倉さんは、「脱力」ということも言ってました。
とにかく体から力を脱いていくことを心がける、それがアメリカで学んだ歌唱法なのだそうです。
私の経験では、脱力すると「気」が発してきます。そのことから推測すると、
名倉さんが「声を飛ばす」のは、気を声の形にして飛ばしているのだと解されます。
つまり名倉さんの歌唱法は、気の動きということと関連していると考えられるわけです。
名倉さんの「ソプラノ」はそういうソプラノです。
「飛ぶ」という言葉からすぐに連想するのは鳥です。
それから、これは個人差があると思いますが、私の場合は「霊」というものを連想します。
「霊」とは何かといえば「飛ぶもの」であり、どこを飛ぶのかというと、
あの世とこの世の間を「飛び交う」、つまり自由に出入りするのです。
「あの世とこの世の間を飛び交うものを霊という」というのが「霊」についての私の定義です。
ケルトの妖精も、東アジアの「祖霊」もみんなそうです。
いずれにしても、名倉さんがケルトの古い民謡を歌ったりするのは、
私の理解では、それなりに必然性があるということになります。
つまり名倉さんはある意味、妖精が歌うように歌っているんですね。
そして最初に出したCDのタイトルが「やすらぎの歌」となっているのも、
やはりなるべくしてなったというところがあると思います。
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