《河童》の旅メモ

富雄川流域探索

幸村探索・大坂「聖徳太子から昭和まで…」

2017年01月23日 | Weblog

大坂城の鎮守社。大和朝廷に関わる玉作部の住居地であったと伝えられ「玉作神社」とも。
案内によると「聖徳太子が仏教受容問題で物部守屋公と争われた際…。
陣を敷き勝利に終わったといわれています。
慶長8年に豊臣秀頼公により社殿、高殿(舞台)が再建されました…」。
境内には淀君と秀頼を結ぶ卵膜・胎盤などの胞衣(よな)が鎮まる胞衣塚大明神などがある。
また、丈の低い鳥居は阪神淡路震災で被災した秀頼公奉納の鳥居が損傷を受けた姿で保存されている。
上方漫才の父「秋田実」の顕彰碑、千利休井戸などもある。