森繁和(前中日ヘッドコーチ)が明かす「負けない〝オレ流軍団〟の作り方」 問題投手だった吉見&浅尾、ドミニカ開拓秘話…落合を支えた参謀が初めて語った!
現代ビジネス2012年05月04日(金)フライデー
「おい、オレだよ」
横浜の投手コーチだった'03年の終盤戦、見知らぬ番号から電話が入った。
「え?誰?」
声の主は落合博満氏(58)。知らない仲ではないが、特に親しくもない。
「おい、横浜おつかれな。もう終わりだろ? どうするんだよ、これから」
「いや、これから探すところですよ」
「じゃあ、おい、手伝えよ」
---これが、8年間すべてAクラス、4度優勝&日本一1回という「球団史上最強のドラゴンズ」('04~'11年)を作り上げた落合博満監督&森繁和ヘッドコーチ(57)コンビの出発点である。
'78年、森氏はドラフト1位で西武に入団。'89年に34歳で引退すると二軍投手コーチに就任。その後、渡辺久信と工藤公康を擁する黄金期の西武、日本ハム、横浜、そして中日で一軍投手コーチ('10~'11年はヘッドコーチも兼任)を務めた名伯楽だ。スポーツ紙記者が補足する。
「落合さんが著作『采配』で紹介していた通り、コワモテで、言葉使いは少々乱暴ですが、情に厚く熱い男です。'76年、駒大時代にロッテにドラフト1位指名された際、『(大学の)監督に迷惑はかけられん』と一人で断りに行ったエピソードは有名。『ブルペンから〝シュッシューッシュッ!〟という音が聞こえて見に行ったら、森コーチがシャドウボクシングをしていた』『鼻血を流しながら練習していた若手がいた』など、西武一軍投手コーチ時代の〝愛のムチ〟伝説も広く知られています。かつては携帯電話の着信音が映画『仁義なき戦い』のテーマだったそうで、巨人と激突した'07年のクライマックスシリーズ第2ステージ初戦、試合前ミーティングの最中にチャララ~♪と鳴って選手が爆笑。リラックスしたナインは巨人を3タテし、その勢いで日本一に輝いたという美談も(笑)」
そんな豪腕が今季から評論家に転身。ドラゴンズの8年間で体得した「負けない組織作り」の秘密を明かした。タイトルはズバリ、『参謀』(講談社刊)。冒頭は同書に書かれたエピソードの一つだ。
ちなみに契約の際、落合監督が出した条件は「手だけは上げないでくれ」だったという(笑)。そんな指揮官が「またユニフォームを着るなら必ず森繁和を呼ぶ」と賞賛する名参謀の〝オレ流軍団〟の作り方を紹介しよう。
■2・1紅白戦と最初で最後の投手起用
'03年秋、落合竜誕生直後に行われた秋季キャンプで発表され、物議をかもしたのが「春季キャンプ初日、2月1日の紅白戦開催」。その狙いは誰にも語られなかったが、森氏は驚かなかったという。
〈実際、キャンプ最初からゲーム形式でやらないと、開幕戦までにチーム作りは間に合わないものなのだ。初日にその紅白戦をやれるようなら、2日、3日たったら、全員もう実際の打者を相手にするフリーバッティングでも投げられるということになる。ということは、フリーバッティングもキャンプインから始められるので、打者もすぐに実戦的な練習に入れるわけだ〉(本文ママ。以下同)
だが、さしもの森氏も驚いたのが、肩の故障で3年間、一軍実績ゼロだった川崎憲次郎の開幕投手指名だったという。
'04年1月、舞台は伊豆の温泉---。
〈開幕投手のことを言われたのは、監督と私が二人っきりで温泉につかっているときだった。超極秘事項である。
「オレはオーナーに強いチームにしてくれということで呼ばれてそれを引き受けた。やる以上は、まず勝つことを前提にやるので、協力してくれ。ピッチャーのことは全然わからないから、とにかくシゲに全部任せるから」
と。で、それに続いて言われたのが、
「ただし、開幕投手だけは川崎で行ってくれないか。本人には言ってある」〉
勝ちにこだわるんちゃうの? という心境だろう(笑)。結局、川崎は2回5失点で降板。この年、1勝もできず引退したのだが、落合監督の〝最初で最後の投手起用〟には、川崎を刺激し、苦労人の彼を勝たせようと周囲を奮起させること以外にも、大きな意味があったという。
〈失敗を成功に結びつけるために、あえて冒険をする。それをいきなり私は教えられた気がした。緒戦で奇策を使うことで、相手はその先がいつもわからなくなるのだ。(中略)相手の立場で考えてみる。そして相手が一番嫌がることをやる。しかもどうせやるなら、最も効果的になるようにやる。その重要性を監督は教えてくれたのだ〉
そしてこの〝奇襲〟は一石二鳥で終わらない。冒険をするためには、失敗した時にカバーするロングリリーフの整備が不可欠。これが「強い投手システムを生むきっかけになった」というのだ。
〈全員常に60から70パーセントの状態にしておく。いわば3回を3点に抑えられるレベルの投手を増やしておけばいい。その上で、できるだけ投手全員に一軍のマウンドを経験させておく。一軍のベンチに入る投手は12人が普通だが、これを13人にする。二軍の投手の情報もしっかり把握して、すぐ入れ替えられる組織を作る〉
昨季、一軍登板のなかった投手は、ケガなどでタイミングが合わなかった二人だけ。落合監督の奇策に対応するための投手スタッフ作りが、全体のレベルアップおよび若手育成に繋がったのだ。
新人王ゼロの組織作り
昨季のセ最多勝エース・吉見一起(27)とリーグMVPでホールド記録を更新中の浅尾拓也(27)は、そんな育成システムが育てた好投手といっていい。だが、二人とも当初は〝問題投手〟だった。
吉見は'05年の入団前にヒジを手術。まず1年、リハビリしなければならないという〝注意書き〟つきの投手だった。1年後、146~147km/h出せるまでに回復したが、ブルペンで吉見の内外角・高低の制球力に目をつけた森氏は、こう指示した。
〈「目いっぱい投げるストレートは、1球でいいからね。相手バッターはその速さを意識するし、ネクストバッターズサークルで見ている打者も、『こいつ、こんなストレートの威力がある』って思ってくれる。(中略)あとは変化球のコントロールだけ気をつけろ。それを見せておけば、もうある程度力を抜いてコントロール重視で勝てるから〉
'06年、日本福祉大から入団した浅尾は、ピアスと手入れされた眉毛が目立つ一方、腹筋が20回もできなかった。
〈いい球を放ることはすぐわかったが、ひと目見て、まず無理、このまま投げたら絶対パンクすると確信した。身長はあるのだが、とても細かったのだ。生で見てから、すぐ二軍に行かせて、体力作りからやり直させた。まず腹筋がこれだけできるようになりなさい、やったらいつでも上げるからと〉
いい新人はすぐにでも目一杯使いたくなるものだが、全投手が底上げされている中日では、ジックリ育て、ムリをさせないことが可能だったのだ。
〈中日の投手陣は、8年間で2度も12球団一の防御率になった。(中略)だが、投手の新人王はこの間、一人も出していない〉
■ドミニカで助けてくれた巨漢
主砲のブランコに150km/h超の快速球が武器のネルソン。ここ数年のドラゴンズを支えているドミニカン獲得ルートを築いたのは落合&森コンビである。だが、その船出は実はかなり場当たり的だった。
キッカケは「実績がなくてもゆっくり一年間見て、ダメでももう一年使ってみたいと思うような26~27歳までの、安く獲れてちょっといいのをどこかで探して来れないか」なる落合監督の一言。
〈「安くていい選手が獲れる可能性があるのはドミニカしかないでしょう」
■「ドミニカってなに?」〉
こんなやりとりの末、単身、現地へ飛ぶのだが、コネも何もない彼を救ったのが、森氏がかつて「マルちゃん」と名づけて可愛がっていたドミニカ人で、巨漢の大砲、マルティネス(西武→巨人)だった。地元球団の社長などを紹介してくれたマルちゃんは、後に有力チームの打撃コーチに就任。人脈は一気に広がった。
〈残念だったのは、今メジャーの大ヒーローのニューヨーク・ヤンキースのロビンソン・カノを、惜しくも取り損ねたことである〉
見たかったな、アラ・カノコンビ!
*
その他、同書には「完全試合直前の山井交代秘話」や「岩瀬隠し」など必読トピックが山盛り。それは『参謀』を読んでいただくとして、最後はご本人に登場願おう。テーマは'12年のドラゴンズ。
「マサ(山本昌)が戦力になったのはとてもいいこと。彼の体調面に不安が出るであろう、シーズン中盤に向けて若手を二軍でジックリ鍛えて、見極められるのですから、中日は今年も優勝争いできますよ。不安は外国人。私がスカウトして連れてきたドミニカ人たちは本で指摘したように、かなり給料が良くなってハングリー精神の面で不安があります。締め直さないといけない」
落合&森遺伝子が残る「負けない組織」は、今年もVの大本命である。
「フライデー」2012年5月4日号より
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