カレル・V・ウォルフレン氏が語る「小沢氏は完全復活する」「維新政治塾 大衆迎合で根本的改革難しい」

2012-05-07 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

「小沢氏は完全復活する」「力あるのは彼だけだからだ」
カレル・V・ウォルフレン(ジャーナリスト) 判決後緊急インタビュー
日刊ゲンダイ5月6日号(5月2日発売)GW特別号
 民主党の小沢一郎元代表に無罪の判決が下った。著書「誰が小沢一郎を殺すのか?」(角川書店)が話題になったオランダ人ジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレン氏は、小沢裁判を当初から国家による「小沢殺し」であると明言、無罪判決を見立てていた。ウォルフレン氏に改めて聞いてみた。
 「まともな考え方をされている読者であれば、裁判は初めから何かがおかしかったと気づかれていると思います。東京地検は小沢裁判を通して、ある種のシグナルを国民に発していたのではないでしょうか。つまり、検察は『これだけ力があるのだぞ』という嫌らしい権力です。『こいつは嫌いだ』と思ったら、誰でも検拳できる力を誇示しようとしたのです。でも、かないませんでした」
 大善文男裁判長は、元秘書による「小沢への虚偽記載の報告と了承」の検察調書を採用せず、検察による作文であると断定した。日本では起訴された被告の99%が有罪になるが、それは検察と裁判所による“決め打ち”のメンタリティーが作用した結果でもある。ウォルフレン氏が続ける。
 「検察は小沢氏を有罪にするという目標をまず立てたと思えるのです。ただ本件では、有罪にするだけの十分な証拠がありませんでした。日本の多くの主婦は小沢氏の風貌も手伝って、『この男は悪党に違いない』と長年思ってきたはずです。ところが、だんだんと無罪の可能性を視野に入れ始めていたと思います」
 小沢裁判は日本の司法システムの汚点をこれでもかと露呈した。検察官や裁判官は、日常的に限られた社会生活を強いられている。裁判官などは官舎と裁判所を行き来する人がほとんどで、一般的な市民生活とは縁遠い。古い縦社会の中でしか生きていないから、上司の言いなりとなり、健全な社会常識や判断力が失われる。もちろん、すべての司法関係者がそうだとは言わないが、そういう傾向にある司法関係者が多かった。
 「元秘書の石川氏を尋問した検察官は、上部からかなりのプレッシャーを受けて調書を仕立て上げたと考えられます」
■懸念は敗れた検察の新たなトリック
 一方、日本の主要メディアや評論家の多くは、徹底して反小沢の論陣を張ってきた。
 ある政治評論家は「小沢さんが無罪を勝ち取ったとしても、すでに政治的影響力は色あせ始めています。かつてのような政治力は発揮できないでしょう」と述べた。ウォルフレン氏はこの言い分に反論する。
 「その見方の基礎になっている『ファクトは何ですか』と問いたいです。往々にして評論家の希望である場合が多いのです。これは自己実現的期待と呼ばれます。何の論拠もなく批判コメントを出せば、世間ではそれが真実のように思えてしまう。まさしく『小沢殺し』以外の何ものでもないのです。ただ今年に入り、朝日新聞でさえ小沢氏に敬意を払うようになり、変化が生まれていました」
 「小沢氏は政界復帰を果たして、以前と同じ立場に戻る可能性が高いでしょう。民主党内では半数近くの議員が小沢支持で、改革派をまとめられるのは彼しかいないからです。本当に政治力のある政治家は彼以外に見当たりません」
 怖いのは、特捜部が敗北による挫折感から、なりふり構わず小沢へのさらなる指弾を開始する可能性があることだ。
 「検察当局は小沢氏が無罪を勝ち取った後、新たなトリックを使って政界から排除する動きに出るかもしれません」
 東京地検と小沢による全面戦争の第1幕は小沢勝利に終わったが、果たして2幕はあるのかどうか。
 (インタビュアー=ジャーナリスト・堀田佳男)
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大人気の「維新政治塾」 大衆迎合で根本的改革難しいとの指摘
NEWSポストセブン2012.05.07 16:00
 30年以上にわたり日本政治、日本と国際社会の関係を取材し続けてきたオランダ人ジャーナリストのカレル・ヴァン・ウォルフレン氏(アムステルダム大学名誉教授)は、日本には哲学や理念が感じられない「偽りのポピュリズム(False Populism)」が広がりやすいと指摘する。
 その典型が細川護煕元首相や小泉純一郎元首相が行なった「改革」だというのだ。以下、ウォルフレン氏が二人の改革と、現代の「ポピュリズム」の表れだという橋下徹大阪市長について分析する。
 * * *
 結局、彼らの改革とは、有権者の間に溜まった不満の「ガス抜き」程度に過ぎなかった。政治や社会の在り方を変えるような「根本的な改革」ではなかったわけだ。
 大阪で府知事、市長として政治家のキャリアを重ねる橋下は、自らが率いる「大阪維新の会」での国政進出を目指している。しかし、細川や小泉と同様、私はこのままでは橋下にも「根本的な改革」は難しく、「偽りのポピュリズム」になってしまうと見ている。
 その理由のひとつが、彼が設立した「維新政治塾」である。同塾には3000人を超える応募があったと聞く。しかし、政治家とは“ジュク”で養成できるような存在でない。モデルとなったとされる松下政経塾にしろ、国会議員だけは数多く輩出しているが、いずれもろくなものではない。
 維新政治塾では、橋下ブレーンを務める「脱藩官僚」たちが、講師として塾生を教育するようだ。だが、政治家は官僚によって育てられるようなものではない。例えば、講師の1人に、単に米共和党の特定グループの利益を代弁しているに過ぎない元外務官僚の名前が挙がっている。彼らが講師を務める維新政治塾に何が期待できるというのか。
 そもそも、官僚と政治家は全く性質が異なる存在だ。官僚には、自ら動いて問題を見つけようとする発想がない。彼らの仕事は、すでに判明している問題を解決することだからだ。自分たちの無知すら認めようとはしない。一方、有能な政治家には、物事を突き詰めて考え、本質的な問題を発見する力が必要である。
 その意味で、現首相の野田佳彦には全く幻滅している。財務省の言いなりとなって消費税増税に突き進む姿は、政治家のあるべき姿とはかけ離れている。
 確かに、日本が抱える膨大な財政赤字は放置すべきではない。とはいえ、今が消費税を上げる時期とは思えない。増税なしには「日本が第二のギリシャになる」との意見もあるが、それこそ財務省官僚による脅し文句だ。日本とギリシャの状況は全く違う。デフレ下の日本で消費税を上げれば、逆に税収が落ち込むのは目に見えている。
 政治家に官僚と対立すべきだと言っているのでない。官僚をうまく使いこなしてこその政治家なのだ。
■聞き手・構成/出井康博(ジャーナリスト)
※SAPIO2012年5月9・16日号
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民主党大会 小沢氏演説=この理念に沿った政治をこの国が渇望しないはずがない2010-09-15 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア
 民主党代表選に於ける小沢一郎氏演説
〈前段略〉
 さて、今回の立候補にあたっては、今日の危機的な政治経済事情の中で、果たして自分にその資質があるだろうか、政治の最高責任者として国民の生活を守るというその責任を果たすことができるだろうか、と本当に悩み、自問自答いたしました。それにもかかわらず立候補を決意をしたのは、今、政治を変えなければもう間に合わないという、私の切実な思いを正々堂々、世に問いかけたかったからであります。
 思い起こせば、私は27歳で衆議院議員に初めて立候補した際、選挙公報にこうつづりました。「このままでは日本の行く末は暗澹たるものになる。こうした弊害をなくすため、まず官僚政治を打破し、政策決定を政治家の手に取り戻さなければならない」と。意志なき政治の行き着く先には国の滅亡しかありません。日本は敗戦を経て本質は変わっていないのではないか。若かりしころの、感じたその思いは初当選以来、いまなお変わっておりません。
 今日、わが国はデフレによる経済の収縮、少子高齢化の既存の社会制度のギャップによる不安など、経済も社会も危機的な状況に陥っております。
 世界で最も層が厚かった中間所得層が解体され、ごく少数の富裕層と数多くの低所得層への分化が急速に進んでおります。日本が誇った社会保障制度も崩れつつある中、2年後には団塊の世代が年金受給者となる日を迎えます。
 今、日本は、最も大事にされなければならないお年寄りがいなくなっても誰も気づかず、また、就職できない多くの若者が絶望感にさいなまされ、若い親が育児を放棄しわが子を虐待する。もはや高度成長がいろいろな問題を覆い隠してくれた時期はとうに過ぎ去って、社会の仕組みそのものが壊れています。そしてまた、日本人の精神風土も興廃し始めていると思います。
 今、ここで政治を見直し、行政を見直し、国のあり方を見直さなければ、もう日本を立て直すことができないのではないかと思います。多くの国民の皆さんも同じように感じていたのだと思います。昨年、われわれ民主党に一縷の思いを託し、政権交代を実現させていただきました。しかしもう1年が過ぎ、残された任期はあと3年であります。
 私たちは今、直ちにこの3年間を国の集中治療期間と位置づけ、徹底した改革を断行し、実行していかなければなりません。しかしその改革は明治維新以来140年続く官僚主導の政治を、根っこから国民主導、政治主導に変えなければとても成し遂げられるものではありません。私の頭の中を占めているのはその思いなのであります。
 しかし、私は官僚無用論を言っているわけではありません。日本の官僚機構は世界に冠たる人材の集まっているところであると考えております。問題は政治家がその官僚をスタッフとして使いこなし、政治家が自分の責任で政策の決定と執行の責任を負えるかどうかということであります。
 私は40代でたまたま国務大臣、自民党幹事長に就任するという機会があり、国家はどう運営されているのか、その実態を権力の中枢でつぶさに見続けて参りました。そこで見た官僚主導の、例えば予算作りでは、各省のシェアが十年一日のごとくほとんど変わることがありませんでした。官僚組織というのはそういうものであります。
 その中で私は、自民党の中にいながらこの改革は無理であることを骨身に染みて分かりました。だからこそ、政権与党である自民党を飛び出して、真にしがらみのない政党を作り、政権を変えるしかないという決意をもってこの17年間、政治活動を続けて参りました。
 改めて申しあげます。昨年、政権交代が実現したのは、こんな日本を何とか変えてくれ、という国民の悲痛なまでの叫びからだったはずであります。この声に応えようと、菅総理大臣始め閣僚の皆さんが一生懸命に取り組んでおられることを否定をするものではありません。
 しかし、政治と行政の無駄を徹底的に省き、そこから絞り出した財源を国民の生活に返すという、去年の衆院選挙マニフェストの理念はだんだん隅においやられつつあるのではないでしょうか。実際に来年度の予算編成は、概算要求で一律10%カット。これではこれまでの自民党中心の政権と変わりません。財政規律を重視するという、そういうことは大事なことではありますけれども、要は官僚の抵抗で無駄を削減できず、結局マニフェストを転換して国民に負担をお願いするだけではないでしょうか。これでは本当の意味で国民の生活は変わりません。
 私には夢があります。役所が企画した、まるで金太郎あめのような町ではなく、(地域の特色にあった町作りの中で、お年寄りも小さな子供たちも近所の人も、お互いがきずなで結ばれて助け合う社会。青空や広い海、野山に囲まれた田園と大勢の人たちが集う都市が調和を保ち、どこでも一家だんらんの姿が見られる日本。その一方で個人個人が自らの意見を持ち、諸外国とも堂々と渡り合う自立した国家日本。そのような日本に作り直したいというのが、私の夢であります。
 日本人は千年以上前から共生の知恵として、和の文化を築きました。われわれには共生の理念と政策を世界に発信できる能力と資格が十分にあります。誰にもチャンスとぬくもりがある、豊かな日本を作るために、自立した国民から選ばれた自立した政治家が自らの見識と自らの責任で政策を決定し実行に移さなければなりません。
 そして、霞ヶ関で集中している権限と財源を地方に解き放ち、国民の手に取り戻さなければなりません。そのため、国のひも付き補助金を順次すべて地方への一括交付金に改めます。これにより、地方では自主的な町作りやインフラ整備が可能になります。国、地方を通じた大きな節約効果と、そして地域経済の活性化が期待できます。また、地域での雇用が生み出され、若者がふるさとに帰り、仕事に就くこともできるようになります。
 国民の皆さんにご負担をお願いするのは、ここにいる皆さんがありとあらゆる知恵を絞って、できることすべてに取り組んでからでいいはずであります。そしてそれが、昨年の総選挙で民主党と国民との約束でなかったでしょうか。
 衆議院の解散総選挙はこうした改革に与えられた任期を費やして、その結果を出してからのことであります。官僚支配の140年のうち、40年間、私は衆院議員として戦い抜いてきました。そしてようやく官僚機構と対立できる政権の誕生にかかわることができました。われわれは国民の生活が第一の政治の幕開けにやっとこぎつけたのであります。
 官僚依存の政治に逆戻りさせるわけにはいきません。それはとりもなおさず、政治の歴史を20世紀に後戻りさせることになるからであります。私は代表になってもできないことはできないと正直に言うつもりであります。しかし、約束したことは必ず守ります。
 こう断言できるのは官僚の壁を突破して、国民の生活が第一の政治を実行するのは、最後は政治家の志であり、改革のきずなで結ばれている皆さんとなら、長い時代の壁を突破できると信じるからであります。そして私自身は、民主党の代表すなわち国の最終責任者として、すべての責任を取る覚悟があります。
 今回の選挙の結果は私にはわかりません。皆さんにこうして訴えるのも、私にとっては最後の機会になるかもしれません。従って最後にもう一つだけ付け加えさせてください。
 明治維新の偉業を達成するまでに多くの志を持った人たちの命が失われました。また、わが民主党においても、昨年の政権交代をみることなく、志半ばで亡くなった同志もおります。このことに思いをはせるとき、私は自らの政治生命の総決算として最後のご奉公をする決意であります。そして同志の皆さんとともに、日本を官僚の国から国民の国へ立て直し、次の世代に松明を引き継ぎたいと思います。
 そのために私は政治生命はおろか、自らの一命をかけて全力で頑張る決意であります。皆さんのご指示、ご理解をお願いいたしまして、私のごあいさつといたします。ありがとうございました。
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 憲法第13条
 「すべて国民は、個人として尊重される。生命、自由及び幸福追求に対する国民の権利については、公共の福祉に反しない限り、立法その他の国政の上で、最大の尊重を必要とする
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二大政党へ失望感 ポピュリズムの色彩
論壇時評 金子勝(かねこ・まさる=慶応大教授、財政学)
 2011/03/30Wed.中日新聞
 東日本大震災が起きた。夥しい人が犠牲となり、街々の全てを津波がさらい、十万人もの自衛隊員が救助にあたり、そして原子力発電所が爆発して煙が立ちあがる。まるで“敗戦”直後の情景を見ているようだ。
 これまで、日本は不良債権処理、小泉「構造改革」など、何度も失敗を繰り返してきた。結局、規制緩和は新しい成長産業を生み出さず、金融自由化は世界金融危機に行き着き、貧困と格差は大きく拡大した。政治もまた壊れかけてきた。その間隙をぬって、地域政党が台頭している。地域政党は、公選による首長と議会という二元代表制の欠陥を突いて、いまや選挙を通じて地方議会を公然と攻撃するようになっている。
 実際、橋下徹・河村たかし「大阪・名古屋から国政に革命を われら地域政党が日本の政治を変える」(『文芸春秋』4月号)で、橋下と河村は機能不全に陥った地方議会のあり方を批判し、その改革論を展開しつつ強いリーダーシップの獲得を目指す。
 「大阪都構想」を掲げる地域政党「大阪維新の会」を立ち上げた橋下は、「有権者は地方議員から『あれをやる、これもやる』と聞いて投票する。当然何も実現できないから、政治不信になっちゃってるんですね」と地方議会を批判し、「地方議会にも予算編成権を渡して」「議会内閣制」を形成して「反対するだけの体質を変える」べきだとする。国政も、「小泉純一郎元首相みたいな、とんでもない人が出てこない限りは動かない。将来的には、首相公選制を導入する必要がある」という。
 一方、「10%減税の恒久化、選挙による地域委員会の全市拡大、市議報酬の半額カット」を掲げる「減税日本」を立ち上げた河村氏は、「国会も地方も議員が稼業化している」と批判し、「最終的には議員をボランティア」にし、「党議拘束」をなくすべきだという。
 この対談で、橋下が「既存の政党ではもう何も変えられない」ことに「みなさんが気付き始めている」と述べ、河村も「国民が政治にこれほど裏切られている」理由として「稼業化」を挙げ、既存政党への忌避感を公然と表明している。地域政党の台頭は、国政レベルにおける民主・自民の二大政党への失望感を背景としていることは疑いない。
 松谷満「ポピュリズムの台頭とその源泉」(『世界』4月号)は「2000年代以降は『新保守系首長の時代』が確かに到来している」という。実際、松谷の分析によれば、石原慎太郎や橋下徹は「ネオリベラリズムとナショナリズム」という「二つの政治的価値観をともに強くもつ人において」支持されている。
 だが、彼らが支持する理由は「政治的な理念・思想」「具体的な政策」ではなく、むしろ「語り口・本音の発言」「リーダーシップ・実行力」「組織・団体との対決姿勢」などのポピュリズム的要素が強い。しかし、その支持は不安定さを抱えている。「若者および政治家に対する不信の強い人びとをつなぎとめる」のは非常に難しく、彼らは「『ふつうの政治家』のようにふるまってはならないし、つねに何かしらのトピックによって期待と関心を集め続けなくてはならない」がゆえに、より挑発的な言動を続けなければならない宿命を持つ。
 後房雄「政権交代以後の迷走する二大政党と主張の反乱-2・6『名古屋・愛知の乱』は何をもたらすか」(『都市問題』3月号)によれば、「河村氏は、2大公約である減税や地域委員会を否決した市議会だからリコールだと主張している」が、「マニフェストにもなかった市議の報酬と定数の半減案」を否決させ、こうした挑発によって、「減税や地域委員会を否決しつつ高い報酬を維持しようとしている市議会、というイメージ」を市民に強く印象付るのに成功した。
 そして、河村氏は「名古屋市における政策の実現にはほとんど関心」を示さず、「関心を示したのは、議員報酬の半減、議会リコール運動、減税、地域委員会だけ」だという。まさにポピュリズムの特徴そのものである。
 東日本大震災の被災地の復興事業にはかなりの財源がいるが、現在、名古屋は国から地方交付税をもらっている。おまけに議員報酬半減で捻出される財源では、10%恒久減税を実施するにはとても足りない。しかも、減税は民間部門を元気にするというが、具体的プロセスは説明されない。いま私たちの社会は東日本大震災で未曾有の危機を迎えている。
 竹信美恵子「大震災で浮かんだ市場主義の危うさ『公共』の回復めざすきっかけに(『週刊金曜日』3月18日号)は、「地震報道のさなかの13日、名古屋市議選で、地域政党『減税日本』が第1党になった。だが、今回の大きな被害を公共が支えるとすれば、単純な減税策でいいのかとの議論も、出てくるだろう」という。竹信が言うように、今回の震災は「1980年代を起点に壊され続けてきた公共や安心の回復、社会連帯に目を向ける契機になる」ように「生かせなければ、日本社会が経済の低迷と社会不安のただなかに投げ込まれることは必至」だろう。
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