連載「死刑」第2部かえらぬ命(6)謝罪の手紙は反省知る物差し 遺族の苦しみ消えないが

2008-12-18 | 死刑/重刑/生命犯

謝罪の手紙は「反省知る物差し」、遺族の苦しみ消えないが…
 拘置所から届く手紙は40通を超えた。江崎恭平さん(64)は手紙を捨てない。一度読んだら日を置いて、また読む。何回も読み直す。
 字がうまくなったのは、丁寧に書こうとしているからだろうか。上手な文章ではない。でも、繰り返し読むうちに、「一生懸命書いてはいるのだろう」と思うようになった。
 長男の正史さん(当時19歳)は1994年10月7日夜から8日未明にかけ、愛知県稲沢市で少年グループに因縁をつけられ、友人と共に車で連れ回された末に金属パイプでめった打ちにされ、2人とも亡くなった。少年らはすでに2人、同じように暴行を加え、命を奪っていた。
 両親の元に戻ってきた正史さんの遺体は全身血まみれだった。妻のテルミさん(63)は息子の顔を見つめながら知った。「本当に悲しい時は、涙が出ない」
 事件後何年も、正史さんが殴られていた時間帯になると、目が覚めてしまう。「今ごろ苦しい目に遭っていたんだね」。その度にテルミさんは泣き崩れた。
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 〈以前より私の気持ちを書いた便りを差し上げたく願ってきましたが、気持ちの整理がつかず、(中略)心ならずも本日まで手紙を差し上げることができませんでした〉
 1審途中の96年以降、グループの中心だった3人の被告から、前後して手紙が送られてきた。だが、恭平さんには、書かれた言葉がきれいごとに見えた。法廷で3人は責任のなすりあいをしているように映ったからだ。「手紙は死刑を逃れるためのものにすぎない」とも思った。
 2005年10月。名古屋高裁は、1人を死刑、2人を無期懲役とした1審・名古屋地裁判決を破棄し、3人全員に死刑を言い渡した。3人とも上告した。
 その後、1人からの手紙は途絶えた。しかし、1、2審とも死刑だった被告(33)と、2審で死刑になったうちの1人(33)からの手紙は続いた。
 無期懲役から死刑となった被告の手紙の方が多く、4か月に一回ほど送られてくる。受け取りを拒否しているが、拘置所で作業を願い出てためたという現金も、年に一度、届けられる。
 〈読経や写経をさせて頂く事と請願作業して頂ける賞与金を御遺族に送らせて貰うのがせめてもの気持ちですから(中略)今後も送らせて頂きたいと強く想ってます〉
          ◇
 名古屋拘置所の面会室。先月25日、1、2審とも死刑判決を受けた被告は、記者に語った。「人の命を奪った人間が言うのは許されないと思うが、できることなら生きて償いたい」
 今月12日、2審から死刑となり、今も手紙を出し続ける被告は、「生きて何かできることをやっていければ。でも、自分の立場を考えると、死刑もやむを得ないと思う」と話した。そして、言った。「今、僕が生きているのはありがたいことだから、ご遺族に恥ずかしくないように、手紙をずっと書きたい」
          ◇
 恭平さんが3人に死刑を望む気持ちは変わらない。「反省の気持ちが伝わっても、刑は残忍な犯行に対する結論。謝罪とは別なんです」。ただ、今は手紙から彼らがどう変わろうとしているのかを読み取ろうとしている。手紙はどこまで反省しているのかを知る物差しだと思う。
 テルミさんは、手紙を前に目を伏せる。「この子たちも、苦しんでいるんでしょう。でもそれ以上に私たちは重いものを背負った。本当にたまらなくなる時があります。正史の声をもう一度聞きたい……」
 連載「死刑」第2部かえらぬ命(6)(2008年12月17日07時29分  読売新聞)
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