奥西死刑囚は3つの“村社会”を守るための生贄にされた 名張毒ぶどう酒事件の闇に迫る再現ドラマ『約束』

2013-02-19 | 死刑/重刑/生命犯

奥西死刑囚は“村社会”を守るための生贄にされた!? 名張毒ぶどう酒事件の闇に迫る再現ドラマ『約束』
 日刊サイゾー2013.02.15 金 深読みCINEMAコラム【パンドラ映画館】vol.210 
 東海テレビ報道部の齊藤潤一ディレクターが撮ったドラマ『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』は、3つの村社会に向かってそれぞれ一石を投じている。ひとつはスケープゴートを出すことによって小さなコミュニティーの平穏を守ろうとする実在の村社会に。もうひとつは裁判所の威厳を保つために再審を認めようとしない頑強な縦社会である司法界へ。そしてもうひとつは、わかりやすいもの、面白いもの、当たり障りのないものしか取り上げようとしないテレビ業界に向かって。平和を装う、それら3つの村社会に対して、『約束』は疑問を投げ掛ける。東海エリアで2012年6月30日に放送された『約束』は大きな反響を呼び、2月16日(土)より劇場公開されることになった。波紋がどれだけ広がるか注目される。
 『約束』は、サブタイトルにあるように“名張毒ぶどう酒事件”の真相に迫ったものだ。この事件は昭和36年、1961年に三重県名張市の小さな集落・葛尾の公民館で5人の女性が薬物死したもの。亡くなった5人の中に妻と愛人がいた奥西勝を警察は重要参考人として連行し、自宅に2人の幼い子どもを残していた奥西が「ぶどう酒に農薬を混入した」と自白したことから逮捕された。その後奥西は無罪を主張し、第一審では自白に信憑性がなく、物的証拠も乏しいと無罪を言い渡されている。ところが、名古屋高裁は一転して死刑を宣告。1972年の最高裁で死刑が確定。奥西が自白した直後に村の人たちの証言が二転三転するなどの不可解さが多いことから、冤罪の可能性が高い事件として知られている。
 齊藤ディレクターは東海テレビ報道部に籍を置き、これまでに戸塚ヨットスクールの現状を追った『平成ジレンマ』(11)、光市母子殺害事件でバッシングを浴びた安田好弘弁護士に密着した『死刑弁護人』(12)などの問題作が劇場公開されたドキュメンタリストだ。地元エリアである三重県で起きた名張毒ぶどう酒事件を題材に『重い扉 名張毒ぶどう酒事件の45年』(06年放送)、『黒と白 自白・名張毒ぶどう酒事件の闇』(08年放送)、『毒とひまわり 名張毒ぶどう酒事件の半世紀』(10年放送)と3本のドキュメンタリー番組を作ってきた。奥西死刑囚に仲代達矢、その母・タツノに樹木希林、と日本映画界の名優2人をキャスティングした『約束』は、齊藤ディレクターにとって初めてのドラマとなる。
齊藤「僕が初めて撮ったドキュメタリーが『重い扉』で、名張毒ぶどう酒事件について合わせて3本のドキュメンタリーを作りました。でも奥西死刑囚にはまだ取材できずにいます。死刑確定囚に会えるのは家族か弁護人、一部の支援者だけに限られているんです。これまでは面会した関係者をインタビューしたり、直筆の手紙をナレーターが読み上げることで、いつ処刑されるか分からない日々を過ごす死刑囚の心情を伝えようと試みてきました。でも、3本のドキュメンタリーを作り、もう手はないなぁと。ある種、ドキュメンタリーとしての限界にぶつかってしまったんです。そこで、まったく経験はなかったけれど、奥西死刑囚を主人公にしたドラマを撮ろうと思い付いたんです」
 仲代達矢は『毒とひまわり』のナレーターを務めており、冤罪の可能性の高い奥西死刑囚に強い関心を持っていた。舞台公演のスケジュールを調整して、難役のオファーを快諾した。樹木希林は当初、ローカル局が作る“再現ドラマ”への出演を拒んだ。しかし、齊藤ディレクターが事件に関わる資料を送るとちゃんと目を通し、「一度、村を見てみたい」と申し出てきた。名古屋からローカル線に乗って片道約3時間かかる三重県と奈良県の県境にある集落まで、齊藤ディレクターと2人で足を運んだ。さらに奥西死刑囚の妹にも会っている。再現ドラマへの出演に気乗りではなかったはずの樹木の周到な役づくりが始まっていた。2人の名優に対し、齊藤ディレクターから演出することはなかった。ただ、これまでに取材してきた情報をもとに、奥西死刑囚がどのような状況で独房で過ごしているのか、ひたすら息子の無罪を信じ、釈放を願ってきた母・タツノがどのような手紙を残してきたのかをそれぞれ仲代と樹木に説明したそうだ。シーンごとの状況を理解し、後は半世紀にわたり独房に閉じ込められている死刑囚と「人殺しの母親」と罵られながらも息子の帰宅を待ち続けた老女の内面を名優たちは演じてみせた。

    
    《村を追われた後、アパートで息子の帰宅を待ち続けた母・タツノ(樹木希林)。獄中の息子に宛てた手紙は969通に及んだ。》
 ドラマパートを際立たせているのが、ドキュメンタリーパートだ。齊藤ディレクターが手掛けた過去の作品も含め、東海テレビがこれまで取材してきたニュース素材、ドキュメンタリー素材を要所要所に盛り込み、この事件の闇の部分に斬り込んでいく。事件について証言した村の関係者たちの顔と声はモザイク処理やボイスチェンジャーで加工されることなく映し出されていく。奥西死刑囚が冤罪ならば、村の人たちは偽りの証言をしていることになる。村の人たちは口裏を合わせて、自白した奥西をそのまま犯人にしなくてはならなかった。奥西が犯人でなければ、村の中に別の真犯人がいることになり、小さな集落の“平和”が維持できなくなるからだ。真実を語っているのは誰か? どこまでが真実で、どこからが偽りなのか? 真実から目を背けて、口を閉ざしているのは誰か? カメラは噓も真実も両方を映し出していく。観る側は目を見開いて、見極めなくてはならない。仲代や樹木らプロの俳優だけでなく、彼らもまた村の平和を守るためにカメラの前で必死で演じているのだ。
 ドキュメンタリーパートで白眉と言えるのが、秋山賢三元裁判官のコメント。裁判所はトイレへ行くにも食事を摂るのもエレベーターに乗るのも、すべて厳格に順列が決まっている。そういった習慣が身に付くと、先輩である裁判官が出した判決を覆すようなことはできなくなると。司法の世界では、再審に興味を示す裁判官はエリートコースから外れるのだと。秋山元裁判官は「徳島ラジオ商殺人事件」の再審を認めたことで、出世コースから外れることになった。ラジオ商殺人事件で冤罪に問われた冨士茂子さんは再審の結果無罪を勝ち得たが、それは冨士さんが亡くなってからの名誉回復だった。秋山元裁判官は涙を浮かべながら、自分が25年間を過ごした裁判所の内情を振り返る。
齊藤「秋山さんのコメントは、僕の初めてのドキュメンタリー『重い扉』を撮ったときのものです。カメラの前で自分が属していた体制側に対して異議を唱える発言をすることはかなり勇気がいったはず。カメラを回しながら、僕も体が震えました。コツコツと地道に取材を続けていると、たまにドキュメンタリーの神さまが微笑んでくれるときがあるんです」
 何度も再審請求した奥西死刑囚は、2005年にようやく再審が認められた。だが、再審を認めた名古屋高裁の小出錞一裁判長は1年後に退官。2006年には門野博裁判長によって再審は取り消される。「死刑が予測される重大事件で、噓の自白をするとは考えられない」と自白を重視した門野裁判長は翌年、東京高裁への栄転を果たす。高学歴の人たちが集う裁判所もまた、恐ろしく前近代的な封建社会であることが分かる。裁判所とは真実を明らかにする場所ではなく、あくまでも体制を維持するための頑迷極まりないシステムなのだ。
齊藤「再審を取り消した裁判官たちの顔と名前を出すことに関しては、プロデューサーと何度も話し合いました。批判を受けることは覚悟の上ですが、やはり裁判官は人の運命を左右する責任ある立場にあるんじゃないでしょうか。『テレビのドキュメンタリー番組は中立公正であれ』とよく言われますが、中立公正を守っていると冤罪事件を追うことはできない。名張の事件は東海テレビが開局して間もない頃に起きたこともあり、報道部の先輩記者やカメラマンたちが『奥西死刑囚は冤罪である』という確信のもと、代々バトンを受け継いで取材してきたもの。『約束』はその総決算でもあるんです。ドラマにしたことで幅広い世代からの反響が届きましたが、ドラマといってもすべて分かりやすく描いた内容にはしていません。あまり丁寧に説明しすぎると、観る人たちを受け身にして、考える力を奪ってしまうからです」
 何気ないシーンだが、拘置所の高い壁の前を小学生たちの集団が歩いていく様子が何度か挿入されている。壁の外側にいる子どもたちは齊藤ディレクターが東海テレビに入局する以前の姿であり、また私たち自身の姿でもあるのだろう。子どもたちは知らない。壁の中に無実の罪を背負わされ、今日にも処刑されるかも知れないという恐怖と闘い続けている男がいることを。自分の無実を証明するために懸命に生命の炎を保ち続ける奥西死刑囚は現在87歳となる。
 仲代達矢、樹木希林らの入魂の演技に胸が熱くなるドラマだが、それだけではこのドラマは終われない。奥西死刑囚の無実が証明されたとき、初めてこのドラマは完結する。固く閉ざされた村社会の扉を、このドラマは激しくノックする。 (文=長野辰次)
 『約束 名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯』
 監督・脚本/齊藤潤一 製作/広中幹男、喜多功 音楽/本多俊之 音楽プロデューサー/岡田こずえ 撮影/坂井洋紀 照明/角川雅彦 録音/遠藤淳 美術/高宮祐一 記録/須田麻記子 題字/山本史鳳 音響効果/久保田吉根 編集/奥田繁 助監督/丹羽真哉 監修/門脇康郎 プロデューサー/阿武野勝彦 
 ナレーション/寺島しのぶ 出演/仲代達矢、樹木希林、天野鎮雄、山本太郎 製作・配給/東海テレビ 配給協力/東風 2月16日(土)より渋谷ユーロスペースほか全国順次公開 (c)東海テレビ放送
 <http://yakusoku-nabari.jp>
東海テレビ取材班による原作本『名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の半世紀』(岩波書店)が2月15日(金)より発売


【約束~名張毒ぶどう酒事件 死刑囚の生涯~】東海テレビ2012年6月30日(土)14:00~  

    

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◇ 名張毒ぶどう酒事件 再審認めず 名古屋高裁 /半世紀の証言 無実信じ続けた母~支えた特別面会人 
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名張毒ぶどう酒事件/「司法官僚」裁判官の内面までゆがめ、その存在理由をあやうくしているシステム 2012-07-01  
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『司法官僚』新藤宗幸著--裁判とは社会で周縁においやられた人々の、尊厳回復の最後の機会である 2009-09-28 
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関連:「広島女児殺害事件」司法官僚によって行使される人事権は全国の裁判官たちに絶大な影響力をもつ 2010-08-07 
   : 光市母子殺害事件(差戻し)・広島女児殺害事件控訴審裁判長だった楢崎康英氏が山口家裁所長・・・ 
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名張毒ブドウ酒事件 辛い地元住民「無罪ならやっていない証拠を示して」 2010-04-07 
名張毒ぶどう酒事件 「今さら真犯人を…」住民から不安や怒り 2010-04-07 
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◇ 名張毒ぶどう酒事件 異議審(再審取消し)決定 2006.12.26. 名高裁刑事2部 門野博裁判長/ 柳川善郎氏の話 2006-12-27
 
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名張毒葡萄酒事件 再審認めず / 「自供後は豹変したように穏やかに」古川秀夫氏 2012-05-26 
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