サリン散布「多くの方亡くなる」=広瀬死刑囚証言、オウム公判—東京地裁
社会(時事通信) WSJ Japan Real Time 2015年2月16日 11:31 JST 更新
地下鉄サリン事件の殺人罪などに問われたオウム真理教元信者高橋克也被告(56)の裁判員裁判が16日、東京地裁で開かれた。サリン散布役の一人の元幹部広瀬健一死刑囚(50)が証人出廷し、サリン散布を指示された際、「多くの方が亡くなると思った」と証言した。オウム事件の裁判員裁判で広瀬死刑囚が証言したのは初めて。
証言によると、1995年3月18日、故村井秀夫幹部から「地下鉄にサリンをまく。強制捜査の矛先をそらす。これは尊師の指示。君たちにやってもらいたい」と告げられたという。
元代表松本智津夫死刑囚(59)は当時、「教団はサリンなどの毒ガス攻撃を受けている」と説法したり、著書に「サリンは水爆に匹敵する」と書いたりしていた。広瀬死刑囚は「サリンは猛毒の毒ガス兵器だと思っていた」と証言した。 [時事通信社]
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オウム裁判、実行役に「戦争」
REUTERS 2015年 02月 16日 20:12 JST
元オウム真理教信者高橋克也被告(56)の裁判員裁判で16日、東京地裁に出廷した元教団幹部広瀬健一死刑囚(50)が、地下鉄サリン事件の実行グループの動きを詳しく証言した。事件当日の未明、山梨県の教団施設に集まった散布役に、村井秀夫幹部(死亡)が「まさに戦争やな。サリンをまく頃には機動隊がここに来るかもしれない。頑張れ」と声を掛けたという。
証言によると、1995年3月20日未明、サリン完成の連絡を受けた広瀬死刑囚ら散布役は、都内のアジトから教団施設「サティアン」へ受け取りに行った。村井幹部は二重の透明な袋に入った褐色の液体を示し、散布の方法を指示した。
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産経ニュース 2015.2.16 13:04更新
【最後のオウム法廷】「(高橋被告がいる場で)サリンまく量増やす指示受けた」広瀬死刑囚証言 地下鉄サリン事件で証人尋問
地下鉄サリン事件など4事件で起訴された元オウム真理教信者の高橋克也被告(56)の裁判員裁判の第17回公判が16日、東京地裁(中里智美裁判長)で開かれた。証人尋問で地下鉄事件で散布役だった元教団幹部の広瀬健一死刑囚(50)が出廷。事件前夜に都内のアジトで、元幹部の井上嘉浩死刑囚(45)から高橋被告もいる場で、「『サリンをまく量が増えた』と指示を受けた」と、被告が事前にサリンを認識していたとする検察側主張に沿った証言をした。
広瀬死刑囚は事件2日前に犯行計画を伝えられた際には「サリンが猛毒のガス兵器と知っており、多くの人が亡くなると思った」とも述べた。
広瀬死刑囚がオウム事件の裁判員裁判に出廷するのは初めて。早稲田大大学院で応用物理学を学んだ理系エリートだった。大手電機メーカー研究室への就職が内定していたが「オウムの方がはるかに研究できる」と周囲に話し、平成元年3月に出家。教団では「科学技術省」の次官で、自動小銃の製造などを行った。地下鉄事件で丸ノ内線にサリンをまくなどし、21年に死刑が確定した。
高橋被告は日比谷線でサリンを散布した元教団幹部を車で駅まで送迎したとされ、「サリンと知らなかった」と共謀と殺意を否認し、無罪を主張している。
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広瀬死刑囚「救済と思いサリンまいた」
NHK NEWS WEB 2月16日 18時25分
オウム真理教の元信者、高橋克也被告の裁判員裁判で、地下鉄サリン事件に関わった死刑囚の尋問が始まり、実行役の1人、広瀬健一死刑囚が「教団の教えに従い、人々の救済だと思ってサリンをまいたが、独善的な考え方だった」と証言しました。
高橋克也被告(56)は平成7年3月に起きた地下鉄サリン事件で、実行役を駅まで車で送り迎えしたとして殺人などの罪に問われています。
裁判は16日から、この事件に関わった死刑囚の尋問が始まり、サリンをまいた実行役の1人、広瀬健一死刑囚(50)が出廷しました。
この中で広瀬死刑囚は、無差別テロの実行役を引き受けた理由について「当時は麻原彰晃、本名・松本智津夫死刑囚(59)の『現代人は悪い行いを積みすぎている。救済するにはオウム王国を作って強制的に教えを広めるか、命を絶つポアしかない』という教えを信じていた」と証言しました。
そして犯行の状況については、「車内で呪文を唱え、駅で降りる直前、床に落としたサリン入りの袋を傘で強く突いた」と説明しました。
松本死刑囚には、その日のうちに直接報告したということで、「『ポアは成功した』と言われ、乗客が幸福の世界へ行ったと思った。当時は救済だと思ってサリンをまいたが、独善的な考え方で多くの方を苦しませ、申し訳ない」と述べました。
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◇ 元オウム・広瀬健一死刑囚が手記を公開 2011-11-28 | オウム真理教事件
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