角栄氏と小沢一郎氏 角栄をやり、中曾根をやらなかった理由~有罪が作られる場所『検察を支配する悪魔』

2011-11-04 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

ザ・特集:田中角栄元首相と小沢一郎・民主党元代表、“身内”が見た実像
 似ているようで似ていないのか、それとも--。没して18年。その功罪と共に人間的魅力を伝えられる田中角栄元首相と、師と同じ刑事被告人となった小沢一郎・民主党元代表。元首相秘書の朝賀昭さん(68)、そして元首相の実娘、佐藤あつ子さん(54)に、2人の知られざる実像を聞いた。【中澤雄大】
 ◇オヤジはおおらか。泣きたい時に泣いた。泣かない小沢さんは「理」の人。槍衾になっても倒れない。平成の怪物だ。--元首相秘書・朝賀昭さん
 ◇オヤジを間近で見てきたのだから、一郎先生は同じつまずき方はしない。震災復興に取り組む姿、もっと見たい。--元首相の実娘・佐藤あつ子さん
 <君以外を妻とせず敦子の将来については全責任を持ちます 田中角栄>
 「文芸春秋」11月号に掲載された特集記事「田中角栄の恋文」は、元首相と「越山会の女王」の異名をとった佐藤昭子さんの深い結びつきを浮き彫りにし、大きな反響を呼んだ。「敦子」とは、2人の間に生まれたあつ子さんのことだ。
 昭子さんは長年、東京・平河町の砂防会館などにあった元首相の事務所で「金庫番」を務め、小沢元代表ら旧田中派議員から「佐藤ママ」と慕われた。85年に元首相が病に倒れると、長女の真紀子元外相によって事務所が閉鎖されたため、政治団体「政経調査会」を主宰した。
 「ママが亡くなったのが昨年3月11日。1年後の同じ日、あの震災でしょ。すさまじい偶然を感じたね」
 「今太閤」「闇将軍」と呼ばれ権勢を誇った宰相を昭子さんの下で支え続けた朝賀さんは、東京・赤坂の政経調査会で語り始めた。最盛期、議員141人、秘書約1000人を抱えた「田中軍団」の“GPU(ゲーペーウー、旧ソ連国家政治保安部)”と恐れられた情報網を確立した人物だ。
 私は、朝賀さんから「近親者だけで昭子さんを弔った」と聞き、毎日新聞に急ぎ訃報を書いた。その際、入院先の病院で亡きがらと対面した「田中学校」の門下生は小沢元代表一人だったことも知った。「ママ、お世話になったね」と涙を流したことも。
 「ママは最期まで小沢さんに特別な思いを持っていた。だから唯一、彼だけに連絡したんだ」。そう振り返る朝賀さんだが「恋文」については「僕は掲載計画を聞いていなかった。臆測が交じっているところもある」と釈然としない顔だ。「田中先生とママの関係を最も知るのは僕だけど、所詮は雇われ人。親族のすることに口を差し挟むにも限界がある」とも。
 では、昭子さんが元代表に抱いた「特別な思い」とは何だったのか。
 「小沢さんは毎日夕方になると、砂防会館にぶらっと顔を出し、ママも『イッちゃん』と呼んでかわいがっていた。オヤジさん(田中元首相)にも平気で悪態ついたり、議論をふっかけたりして怒らせるんだけど、お互いに親愛の情がにじんでいてね」
 元代表がロッキード裁判の全公判を傍聴し続けたエピソードは有名だ。元首相は東京地裁に169回通ったが、「『オヤジだけ硬い椅子に座らせられない』ってね。そんな人は小沢さんだけだよ。今も昔も変わってないよ」。
 昭子さんは晩年、「『田中角栄』と『小沢一郎』」と題する一文を残した。その一節。<マスコミは、小沢一郎の悪いところは全部、田中から引き継いだ、というような書き方をする。だけど、それは違う。田中イコール小沢ではない>(「新潮45別冊」)
 ずばり、どこが?
 「オヤジはおおらかで脇が甘いし、人を信じやすい。格好もつけずに泣きたい時に泣いた。その点、小沢さんは泣きたい時でも泣かない」と朝賀さん。74年11月、当時の竹下登官房長官が田中内閣の退陣声明を代読した際、田中元首相は執務室で涙を流したとの逸話がある。退陣に追いやったのは「文芸春秋」の2本のリポート、立花隆氏の「田中角栄研究 その金脈と人脈」と児玉隆也氏の「淋(さび)しき越山会の女王」だとされた。
 「涙は事実です。日本国の総理大臣の名誉を傷つけたとの思いが強い人でしたからね。でも金脈問題は乗り切れると自信を持っていた。退陣の真の理由は二つ。ただ一人の『刎頸(ふんけい)の友』だった入内島(いりうちじま)金一さん(田中系企業の役員)とママが国会に呼ばれそうになったこと。そして当時、身重だった真紀子さんが強く反発して、オヤジが困っていたこと。それが真相だと思う」
 そうした「人間味」は元首相の政治手法にも表れたが、「泣かない」小沢元代表は違った。「田中先生や金丸信先生には、足して2で割ってコンセンサスを得る妥協があったけど、『理の人』小沢さんにはない。理を追求するがゆえに敵もできるが、構わない。情は棹(さお)さされるけど、理は貫く。だから強いんだよ」
 若い頃から小沢元代表に「かわいがってもらった」という佐藤あつ子さんは、親しみを込めて「一郎先生」と呼ぶ。田中元首相との「違い」を尋ねると、父親譲りの早口で即座に答えが返ってきた。「つまずいたオヤジの姿を間近に見てきたのだから、一郎先生は同じつまずき方はしないと思います」
 小沢元代表は、かつて師をこう評した。<政治家としての能力をものすごく持っていた。だけど、体制を壊そうとした人ではない。僕は体制そのものを変えようとしている。だから、僕にとっては反面教師だね>(06年刊「小沢一郎 政権奪取論」)
 85年、竹下氏が派内勉強会「創政会」を旗揚げし、小沢元代表も参加する。当時、田中派内に沸々とした「マグマ」がたぎるのを感じたという朝賀さんは、あるじのダミ声をまねて言った。「ゴルフ帰りの車中、オヤジが『どうだ? 最近のウチの連中は』と聞くから正直に報告したの。『先生は3頭立てのトロイカ方式で派を運営しようとお考えかもしれませんが、馬は竹下さんだけですよ』と。そしたら『生意気言うな!』って、どやしつけられてね」。復権を目指す元首相には、竹下氏の台頭は耐えられないことだった。
 <彼の欠点は、どうしても後継者をつくろうとしなかったことだね>(96年刊「語る」)と元代表は自著で総括している。「創政会への参加も、小沢さんにとっては『理』だったんだな」と朝賀さん。師が信じた「数は力」を体現し民主党内で最大勢力を誇りながら、政治資金規正法違反(虚偽記載)で強制起訴された小沢元代表。その胸中を、朝賀さんは「間違ったことをしていないのに、なぜ指弾されるのか。理としては当然、許せない」とそんたくする。
 「ただ記者会見の言い方が下手。『マスコミにサービスする』にしても、オヤジならばもっと上手にやる。でも、どっちが正直かと言えば、小沢さんかな。オヤジがよく『槍衾(やりぶすま)になるぞ』と言っていた。いたずらに敵を作るなという教えだけど、小沢流からすれば、槍衾になっても正しいことを言っているということだろうな。しかし、あれだけ集中砲火を浴びても倒れないなんて平成の怪物だよ」
 あつ子さんは言う。「私には政治がよく分からないけれど、震災復興に取り組む一郎先生の姿をもっと見たいです」
 復活を目指してかなわなかった「オヤジ」の気持ちを今、小沢元代表は痛いほど感じているのか。判決は来春にも出る見通しだ。
毎日新聞 2011年11月3日 東京朝刊
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検察を支配する「悪魔」田原総一朗+田中森一(元特捜検事・弁護士)講談社 2007年12月5日第1刷発行[1]  
p37~ 角栄をやり、中曾根をやらなかった理由---田原
 でも、ロッキード事件はできたじゃないですか。田中角栄は逮捕した。角栄は時の権力者ですよ。
 僕はかつて雑誌『諸君!』に「田中角栄 ロッキード事件無罪論」を連載した。ロッキード事件に関しては『日本の政治 田中角栄・角栄以後』で振り返りましたが、今でも、ロッキード事件の裁判での田中角栄の無罪を信じている。
 そもそもロッキード事件はアメリカから降って湧いたもので、今でもアメリカ謀略説が根強く囁かれている。僕は当時、“資源派財界人”と呼ばれていた中山素平(そへい)日本興業銀行相談役、松原宗一大同特殊鋼相談役、今里広記日本精工会長などから、「角栄はアメリカにやられた」という言葉を何度も聞かされた。中曾根康弘元総理や、亡くなった渡辺美智雄、後藤田正晴といった政治家からも、同様の見方を聞いた。
 角栄は1974年の石油危機を見て、資源自立の政策を進めようとする。これが、世界のエネルギーを牛耳っていたアメリカ政府とオイルメジャーの逆鱗に触れた。
 このアメリカ謀略説の真偽は別にしても、検察は当時の日米関係を考慮に入れて筋書きを立てている。結果、角栄は前総理であり、自民党の最大派閥を率いる権力者だったにもかかわらず検察に捕まった。
 かたや対照的なのは中曾根康弘元総理。三菱重工CB事件でも最も高額の割り当てがあったと噂されているし、リクルート事件でも多額の未公開株を譲り受けたとされた。
 彼は殖産住宅事件のときからずっと疑惑を取りざたされてきた。政界がらみの汚職事件の大半に名が挙がった、いわば疑獄事件の常連だ。しかし、中曽根元総理には結局、検察の手が及ばなかった。
 角栄は逮捕されて、中曽根は逮捕されない。角栄と中曾根のどこが違うのですか。冤罪の角栄をやれたのだから、中曾根だってやれるはずだ。
 それから亀井静香。許永中との黒い噂があれほど囁かれたのに無傷に終わった。なぜ、亀井には検察の手が伸びない?
p39~ ロッキードほど簡単な事件はなかった---田中
 ロッキード事件に関わったわけではないので、詳しいことはわかりませんが、検察内部で先輩たちから聞くところによると、時の権力が全面的にバックアップしてくれたので、非常にやりやすかったそうです。
 主任検事だった吉永祐介あたりに言わせると、「あんな簡単でやりやすい事件はなかった」---。
 普通、大物政治家に絡む事件では、邪魔が入るものですが、それがないどころか、予算はふんだんにくれるわ、いろいろと便宜を図ってくれるわけです。三木武夫総理を筆頭に、政府が全面的に協力して、お膳立てしてくれた。
 ロッキード事件では超法規的な措置がいくつもある。
 アメリカに行って、贈賄側とされるロッキード社のコーチャン、クラッターから調書を取れた。相手はアメリカ人だから、法的な障害がたくさんある。裁判所だけでなく、外務省をはじめとする霞が関の官庁の協力が不可欠です。とりわけ、裁判所の助力がなくてはならない。
 政府が裁判所や霞ヶ関を動かし、最高裁が向うの調書を証拠価値、証拠能力があるとする主張を法律的に認めてくれたばかりが、コーチャン、クラッターが何を喋っても、日本としては罪に問わないという超法規的な措置まで講じてくれた。贈賄側はすべてカット。こんな例外措置は現在の法体制では考えられません。弁護人の立場から言えば、非常に疑問の多い裁判でもあった。
「贈」が言っていることを検証しないで、前提とするわけだから。贈賄側が死んでいれば反対尋問はできないけれど、本来は、原則として仮に時効にかかろうが、贈賄側を一度、法廷に呼び出して供述が本当なのか検証するチャンスがある。
 ところが、ロッキードではなし。それで真実が出るのかどうか、疑わしい限りです。しかも、贈賄側は一切処罰されないと保証されて、喋っている。その証言が果たして正しいか。大いに疑問がある。
 それぐらい問題のある特別措置を当時の三木政権がやってくれるわけです。つまり、逮捕されたときの田中角栄は、既に権力の中枢にいなかったということなのでしょう。」
p80~ 第三章 絶対有罪が作られる場所
 ロッキード事件の金銭授受は不自然---田原
 ここからは、ロッキード事件の話をしたい。
 ロッキード事件で田中角栄は、トライスター機を日本が購入するにあたって、ロッキード社から4回にわたって、丸紅を通じて計5億円の賄賂を受けと取ったとして、1983年10月に受託収賄罪で懲役四年、追徴金5億円の判決を受けましたね。
 この4回あったとされる現金の受け渡し場所からしても、常識から考えておかしい。1回目は1973年8月10日午後2時20分頃で、丸紅の伊藤宏専務が松岡克浩の運転する車に乗り、英国大使館裏の道路で、田中の秘書、榎本敏夫に1億円入りの段ボール箱を渡した。2回目は同年10月12日午後2時30分頃、自宅に近い公衆電話ボックス前で、榎本に1億5000万円入りの段ボール箱を。3回目は翌年の1月21日午後4時30分頃、1億2500万円入りの段ボール箱がホテルオークラの駐車場で、伊藤から榎本に渡された。そして、同年3月1日午前8時頃、伊藤の自宅を訪れた榎本が、1億2500万円が入った段ボール箱を受け取ったとされている。
 最後の伊藤の自宅での受け渡しはともかく、他の3回は、誰が見ても大金の受け渡し場所としては不自然です。とくに3回目のホテルオークラは、検察のでっちあげ虚構としか思えない。
 伊藤の運転手だった松岡にインタビューしたところ、検察によって3回も受け渡し場所を変更させられたと言う。もともと松岡は、受け渡しに対して記憶はまったくなかったのですが、検事から伊藤の調書を見せられ、そんなこともあったかもしれないと、曖昧なまま検察の指示に従った。
 検事が、最初、3回目の授受の場所として指定してきたのは、ホテルオークラの正面玄関です。松岡は検事の命令に添って、正面玄関前に止まっている2台の車の図を描いた。
 でも考えてみれば、こんなところで1億2500万円入りの段ボール箱の積み下ろしなどするわけがない。正面玄関には、制服を着たボーイもいれば、客の出入りも激しい。おまけに、車寄せに2台車を止めて段ボール箱を運び込んだら、嫌でも人の目につく。
 検察も実際にホテルオークラに行ってみて、それに気が付いたんでしょう。体調を崩して大蔵病院に入院していた松岡の元に検察事務官が訪ねてきて、「ホテルオークラの玄関前には、右側と左側に駐車場がある。あなたが言っていた場所は左側だ」と訂正を求めた。
 それでも、まだ不自然だと考えたのでしょう。しばらくしたら、また検察事務官がやってきて、今度は5階の正面玄関ではなく、1階の入り口の駐車場に変えさせられたと言います。
 それだけならまだしも、おかしなことに、伊藤が描いた受け渡し場所も変更されていた。最初の検事調書では、伊藤も松岡とほぼ同じ絵を描いている。松岡の調書が5階の正面玄関から1階の宴会場前の駐車場に変更後、伊藤の検事調書も同様に変わっていた。
 打ち合わせもまったくなく、両者が授受の場所を間違え、後で揃って同じ場所に訂正するなんてことが、あり得るわけがない。検事が強引に変えさせたと判断するしかありません。百歩譲って、そのような偶然が起りえたとしても、この日の受け渡し場所の状況を考えると、検事のでっち上げとしか考えられない。
 この日、ホテルオークラの宴会場では、法務大臣や衆議院議長などを歴任した前尾繁三郎を激励する会が開かれていて、調書の授受の時刻には、数多くの政財界人、マスコミの人間がいたと思われる。顔見知りに会いかねない場所に、伊藤や田中の秘書、榎本が出かけていってカネをやり取りするのは、あまりにも不自然です。
 しかも、この日の東京は記録的な大雪。調書が事実だとすれば、伊藤と田中の秘書が雪の降りしきる屋外駐車場で、30分以上立ち話をしていたことになる。しかし、誰の口からも、雪という言葉が一切出ていません。
 万事がこんな調子で、榎本にインタビューしても、4回目の授受は検察がつくりあげたストーリーだと明言していました。
 もっとも、丸紅から5億円受け取ったことに関して彼は否定しなかった。伊藤の自宅で、5億円を受け取ったと。それは、あくまでも丸紅からの政治献金、田中角栄が総理に就任した祝い金だと。だから、伊藤は、せいぜい罪に問われても、政治資金規正法だと踏んだ。そして、検察から責め立てられ、受けとったのは事実だから、場所はどこでも五十歩百歩と考えるようになり、検察のでたらめにも応じたのだと答えた。
 つまり、検察は政治資金規正法ではなく、何があっても罪の重い受託収賄罪で田中角栄を起訴したかった。そのためにも、無理やりにでも授受の場所を仕立てる必要があったというわけでしょう。
p83~ 法務省に事前に送られる筋書き---田中
 ロッキード事件のカネの受け渡し場所は、普通に考えておかしい。またそれを認めた裁判所も裁判所ですよ。ロッキード事件以来、ある意味、検察の正義はいびつになってしまった。
 政界をバックにした大きな事件に発展しそうな場合、最初に、検察によってストーリーがつくられる。被疑者を調べずに周りだけ調べて、後は推測で筋を立てる。この時点では、ほとんど真実は把握できていないので、単なる推測に過ぎない。
 でも、初めに組み立てた推測による筋書きが、検察の正義になってしまうのです。なぜ、そんなおかしなことになるかと言えば、政界や官界に波及する可能性がある事件の捜査については、法務省の刑事課長から刑事局長に、場合によっては、内閣の法務大臣にまであげて了解をもらわなければ着手できない決まりになっているからです。とくに特捜で扱う事件は、そのほとんどが国会の質問事項になるため、事前に法務省にその筋書きを送る。
 いったん上にあげて、了承してもらったストーリー展開が狂ったら、どうなりますか?検察の組織自体が否定されますよ。事件を内偵していた特捜の検事がクビになるだけでなく、検察に対する国民の信頼もなくなる。
 本当は長い目で見たら、途中で間違っていましたと認めるほうが国民の信頼につながる。それは理屈として特捜もわかっているけれど、検察という組織の保身のためには、ごり押しせざるを得ないのが現実です。
 特捜の部長や上層部がなんぼ偉いといっても、一番事件の真相を知っているのは被疑者ですよ。その言い分をぜんぜん聞かず、ストーリーをどんどん組み立てる。確かに外部に秘密がまれたり、いろいろあるから、その方法が一番いいのかもしれないが、だったら途中で修正しなければいけない。
 ところが、大きい事件はまず軌道修正しない。いや大きい事件になるほど修正できない。だから、特捜に捕まった人はみんな、後で検察のストーリー通りになり、冤罪をきせられたと不服を洩らす。僕を筆頭として、リクルート事件の江副浩正、KSD事件の村上正邦、鈴木宗男議員と連座した
外務省の佐藤優、村上ファンドの村上世彰(よしあき)、ライブドア事件の堀江貴文・・・全員、不満たらたらで検察のやり方を非難している。
 これを特捜が謙虚に反省すればいいのですが、特捜はそんなことはまったく頭にない。「あのバカども、何を言っていやがるんだ」という驕りがあり、最初にストーリーありきの捜査法は一向に改善されません。
p85~ 尋問せずに事実関係に勝手に手を入れる---田中
 とくに東京の特捜では、まずストーリーありきの捜査しかしない。被害者を加害者に仕立て上げてしまった平和相銀事件がいい例ですよ。
 東京に来て驚いたのは、調書ひとつをとっても、上が介入する。調書作成段階で、副部長や主任の手が入ることも多く、筋書きと大幅に異なったり、筋書きを否定するような供述があると、ボツにされる。だから、検事たちも、尋問をするときから、検察の上層部が描いた筋書きに添う供述を、テクニックを弄して取っていく。
 僕も手練手管を弄して自分の描いた筋書きに被疑者を誘導することはありましたよ。しかし、それは、あくまでも現場で捜査に携わっている人間だから許されることだと思う。捜査をしている現場の検事は、こりゃあ違うなと感じれば、軌道修正する。被疑者のナマの声を聞いて判断するので、自分の想定したストーリーが明らかに事実と違えば、それ以上はごり押しできない。人間、誰しも良心がありますから。
 しかし東京では、尋問もしていない上役が事実関係に手を入れる。彼らは被疑者と接していないので容赦ない。被疑者が、これは検事の作文だよとよく非難しますが、故のないことではないと思った。恐ろしいと思いましたよ。冤罪をでっち上げることにもなりかねないので。
 だから、僕は東京のやり方には従わなかった。大阪流で押し通した。上がなんぼ「俺の言う通りに直せ」といっても、「実際に尋問もしていない人の言うことなんか聞けるか」で、はねのけた。
p86~ 大物検事も認めた稚拙なつくりごと---田原
 4回目の授受の場所を特定したのは誰か---ロッキード事件に関わった東京地検特捜部のある検事にこの質問をしたところ、彼は匿名を条件に「誰にも話したことはないが」と前置きして、次のように当時の心境を語っていた。
「ストーリーは検事が作ったのではなく、精神的にも肉体的にも追いつめられた被告の誰かが・・・カネを受け取ったことは自供するけれども・・・あとでお前はなぜ喋ったんだといわれたときのエクスキューズとして、日時と場所は嘘を言ったのじゃないか。
 そして、それに検事が乗ってしまったのじゃないか、と思ったことはある。田中、榎本弁護団が、それで攻めてきたら危ないと、ものすごく怖かった」
 この元検事の証言を、事件が発覚したときに渡米し、資料の入手やロッキード社のコーチャン、クラッターの嘱託尋問実現に奔走した堀田力元検事にぶつけると、「受け渡しはもともと不自然で子どもっぽいというか、素人っぽいというか。恐らく大金の授受などしたことがない人たちが考えたとしか思えない」と語っていました。
 堀田さんは取り調べには直接タッチしていない。だからこそ言える、正直な感想なんでしょうけれど、どう考えても、あの受け渡し場所は稚拙なつくりごとだと認めていましたよ。
p88~ 検事は良心を捨てぬと出世せず---田中
 検事なら誰だって田原さんが指摘したことは、わかっている。その通りですよ。田原さんがお書きになったロッキード事件やリクルート事件の不自然さは、担当検事だって捜査の段階から認識している。
 ところが引くに引けない。引いたら検察庁を辞めなければいけなくなるから。だから、たとえ明白なでっち上げだと思われる“事実”についてマスコミが検察に質しても、それは違うと言う。検事ひとりひとりは事実とは異なるかもしれないと思っていても、検察という組織の一員としては、そう言わざるを得ないんですよね。上になればなるほど、本当のことは言えない。そういう意味では、法務省大臣官房長まで務めた堀田さんの発言は非常に重い。
 特捜に来るまでは、検察の正義と検察官の正義の間にある矛盾に遭遇することは、ほとんどありません。地検の場合、扱うのは警察がつくっている事件だからです。警察の事件は、国の威信をかけてやる事件なんてまずない。いわゆる国策捜査は、みんな東京の特捜か大阪の特捜の担当です。
 特捜に入って初めて検察の正義と検察官の正義は違うとひしひしと感じる。僕も東京地検特捜部に配属されて、特捜の怖さをつくづく知りました。
 検察の正義はつくられた正義で、本当の正義ではない。リクルート事件然り、他の事件然り。検察は大義名分を立て、組織として押し通すだけです。
 それは、ややもすれば、検察官の正義と相入れません。現場の検事は、最初は良心があるので事実を曲げてまで検察の筋書きに忠実であろうとする自分に良心の呵責を覚える。
 しかし、波風を立てて検察の批判をする検事はほとんどいない。というのも、特捜に配属される検事はエリート。将来を嘱望されている。しかも、特捜にいるのは、2年、3年という短期間。その間辛抱すれば、次のポストに移って偉くなれる。
 そこの切り替えですよ。良心を捨てて、我慢して出世するか。人としての正義に従い、人生を棒に振るか。たいていの検事は前者を選ぶ。2年、3年のことだから我慢できないことはないので。ただそれができないと僕のように嫌気がさして、辞めていくはめになるのです。
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小沢一郎氏裁判第3回公判石川知裕証人/ 検察・裁判所の発想・手法=ロッキード事件と同根・同質 2011-10-31  
私の面倒を見てくれた政権の座にある人物が1日中、椅子に座らされて、1人でいるのは耐えられなかった 2011-10-04
この国が恐ろしいのは、総ての権力が同じ方向を向いて走り、正義より自分たちの足元ばかり気にしている点だ 2011-10-03 |
 小沢「抹殺裁判」 『誰が小沢一郎を殺すのか?』
『泣かない(あいつ)小沢一郎が憎らしい』世川行介著2010-09-01
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田中元首相の“恋文”発見 「越山会の女王」に宛て(共同通信)
(共同通信) 2011年10月7日(金)20:49
 佐藤昭子さんに宛てられた田中角栄元首相の直筆の文書
 故田中角栄元首相が、自身の秘書を務め、金庫番として後援会「越山会」の“女王”と呼ばれた故佐藤昭子さんに宛てた手紙などが多数見つかったことが7日、分かった。親密な関係にあった佐藤さんへの“恋文”のような内容で、8日発売の月刊誌「文芸春秋」に掲載される。
 文書を解説した評論家の立花隆さんは同誌で「高度成長期日本の最高の牽引役であった男の人間研究をする上で最も貴重な史料」としている。
 同誌によると、文書は佐藤さんの娘あつ子さんが保管。昨年3月に佐藤さんが亡くなった後、自宅の金庫から見つかったという。


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