ヘンリー・S・ストークス 【目覚めよ日本】慰安婦問題 南京大虐殺 東京裁判 三島由紀夫 安倍首相の実力

2014-04-20 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

【目覚めよ日本】事実と異なる慰安婦問題 理不尽な反日運動は大事な隣人を失う
 ヘンリー・S・ストークス zakzak 2014.04.15 ★(1)
 日韓両国はともに民主主義国であるなど、共通点が多い。友好関係を深めることで、共存共栄を図れる可能性は大きい。
 私の40年来の友人であるサムスングループの李健煕(イ・ゴンヒ)会長も、彼の父でグループ創業者である李秉(イ・ビョンチョル)氏も、早稲田大学で学んだ。日本の知識と技術を積極的に導入し、サムスンを世界的企業に育て上げた。
 ところが現在、韓国側が日韓関係を壊す問題をつくり出している。
 「慰安婦問題」がそれだが、これは完全にナンセンスだ。「慰安婦=性奴隷」「強制連行された」という主張は、事実とまったく異なる。太平洋戦争中、米軍が捉えて尋問した朝鮮人軍属は、こう証言している。
 「朝鮮人慰安婦はすべて売春婦か、両親に売られた者ばかりである。もし、女性たちを強制動員すれば、老人も若者も朝鮮人は激怒して決起し、どんな報復を受けようと日本人を殺すだろう」
 実際、あの強硬な反日政策で知られ、徴用工に対する補償などあらゆる問題を日本に突き付けた李承晩(イ・スンマン)韓国初代大統領ですら、慰安婦問題は取り上げなかった。慰安婦は「問題とする価値もない」と思われていたのだ。
 韓国が慰安婦問題で、反日感情を抱く根拠はない。このような理不尽な「反日」運動が続けば、やがて韓国は「大事な隣人=日本」を失うだろう。そうなれば韓国にとって大きな損失になるが、韓国の政治家はそれを理解していないし、理解しようともしない。
 ただ、この問題については、韓国だけに非があるわけではない。
 日本はこれまで韓国に対し、歴史問題について腰をかがめ過ぎた。正しいことを主張せず、不必要なまでに韓国の言い分をそのまま受け入れてきた。その最悪の事例が、1993年の「河野洋平官房長官談話」だ。
 河野談話はもともと、日韓友好のために作られたものだが、その役には立っていない。事実を確認せずに「厄介だから謝っておこう」と譲歩したため、韓国の全世界における「反日」プロパガンダに利用されている。
 韓国は慰安婦問題を既成事実として固めるため、全米各地に慰安婦の碑や像の設置を進めている。米国がこれを静観しているのは、「この動きが、中東のテロのように米国を脅かすものではない」と思っているからだ。彼らはアジアの歴史に関心がない。
 こうした無知に付け込んで、韓国は慰安婦問題を、ナチス・ドイツによるホロコースト(ユダヤ人大量虐殺)に結び付け、問題を歪曲(わいきょく)し、拡大しようとしている。もはや日本にとって、慰安婦問題は国家の名誉がかかわる重大な問題になっている。
 日本がすべきことは、あらゆる資料を調査し、真実を明らかにして世界に発信することだ。そうでなければ、愚かな偽りが歴史的事実とされてしまう。真実に勝る正義はない。偽りが歴史に刻まれれば、それは日韓両国にとって悲劇である。(構成・安積明子)
 <プロフィール>ヘンリー・S・ストークス
 1938年、英国生まれ。61年、オックスフォード大学修士課程修了後、62年に英紙『フィナンシャル・タイムズ』入社。64年、東京支局初代支局長に着任する。以後、英紙『タイムズ』や、米紙『ニューヨーク・タイムズ』の東京支局長を歴任。

     

 著書に「英国人記者が見た 連合国戦勝史観の虚妄」(祥伝社新書)、共著に「なぜアメリカは、対日戦争を仕掛けたのか」
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【目覚めよ日本】欧米記者を操った中国 「南京大虐殺」以降も変わらぬ情報戦の巧妙さ
 zakzak 2014.04.16 ★(2)
 中国については、韓国と同じように考えてはならない。いずれも地理的に離れることができない隣国だが、その規模がまったく違う。中国は12億人の人口を抱え、GDP(国内総生産)世界第2位の大国である。そして、戦前から、非常に巧妙な情報戦を展開している。「南京大虐殺」は一つの例だ。
 南京大虐殺は、蒋介石率いる中国国民党政府が作り上げた壮大なプロパガンダである。中国の情報機関が背後で暗躍し、欧米のジャーナリストを駆使して、巧みに国際世論を誘導した。
 「南京大虐殺」を最初に報道したのは、南京にいた『ニューヨーク・タイムズ』と『シカゴ・デイリー・ニューズ』の外国特派員だ。彼らの情報源となったのは、米国人宣教師で、国民党政府顧問でもあったBである。Bは国民党中央宣伝部の計画に従って、虚構の報告を書いたとされる。
 また、英紙『マンチェスター・ガーディアン』中国特派員のTが、南京陥落について『戦争とは何か』という本を書き、ロンドンとニューヨークで出版した。内容は中央宣伝部が作り上げたものだが、英国人や米国人は、まさか西洋人がウソを書くとは思わず、内容の残酷さに震撼(しんかん)した。
 Tの素性については、中国社会科学院の『近代来華外国人人名事典』に、こう記されている。
 「盧溝橋事件後に国民党政府により欧米に派遣され宣伝工作に従事、続いて国民党中央宣伝部顧問に就任した」
 つまり、中国が公的に認める「スパイ」だったわけである。
 要するに、中国人が直接関与せず、外国人を利用した情報戦だ。外形的に客観性を持たせることで、抜群の説得力を有することになる。第2次世界大戦後、中国では共産党と国民党が内戦をし、共産党が勝利したが、情報戦の巧妙さは変わっていない。尖閣諸島や歴史問題などで、日本を追い詰めようとしている。
 このような中国に、日本はどう対処すべきか。
 まずは世界に真実を伝えなければならない。日本の立場が理解されないのは、効果的な発信をしていないからだ。中国は日本が反論しないことに、プロパガンダを多用してきた。中国に勝る情報戦略を練り上げ、世界各国で広報活動を展開しなければならない。
 安倍晋三政権になって、国際広報費用が増額されたが、省庁HPへの掲載や国際会議での主張だけでは不十分だ。海外のメディアやオピニオンリーダーを味方につけ、日本の立場を代弁してもらうことだ。専門知識を持つ広告代理店に依頼するのもいい。米国にはそうしたことに長けた会社はいくらでもある。
 日本人はいまだに、連合国がでっち上げた「戦勝国」史観の呪いから抜け出せていない。日本人自ら、この呪縛を断ち切らねばならない。日本人が本気になれば、すべてはうまくいく。私はそう信じている。 (構成・安積明子)
 ■ヘンリー・S・ストークス 
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【目覚めよ日本】公正な判決など期待できなかった東京裁判は復讐劇 根底に白人優位の思想
 zakzak 2014.04.18 ★(3)
 東京裁判(極東国際軍事裁判、1946年5月~48年11月)の実態は「マッカーサーの裁判」と言っていいだろう。本来なら、民主主義の原則の下で、きちんとした裁判が行われるべきだったが、戦勝国による敗戦国への憎悪に満ちた判決になってしまった。
 重要なことは、教育を受けた当時の知識階級の米国人がそれを理解していなかったことだ。彼らはアジア人に関心がなかった。日本人を自分たちと同じ人間とみていなかったわけだ。
 戦争に負けた日本は東京裁判を受け入れたと解されている。しかし、それは間違いだ。
 「戦犯」として裁かれた東條英機らは犯罪者ではない。戦勝国による「判決」を押し付けられたにすぎない。それは、東條の主任弁護人を務めた清瀬一郎が裁判冒頭、ウェッブ裁判長に「裁判の管轄権」を尋ねたことでも明らかだ。清瀬は、東京裁判が正当な裁判ではないと訴えたのだが、ウェッブ裁判長は回答を避けて裁判を続けた。
 ドイツに対してはニュルンべルグ裁判(45年11月~46年10月)が行われたが、日本よりはるかに短期間で終わっている。欧米人同士で妥協を図ったわけだ。
 東京裁判は悲劇だった。裁判を傍聴した人から聞いた話だが、法廷の雰囲気はとても暗かったという。建前の「公正な法により裁かれる」は到底期待できなかった。
 そもそも、正義というのなら、広島や長崎への原爆投下が必要なく、単なる報復だった事実をどう解するのか。日本の主要都市を空爆して、非戦闘員である多数の一般市民の人命を奪ったことは犯罪ではないのか。
 連合国は、ただ日本を辱め、徹底的に打ちのめしたかったのではないか。そこには、正義のかけらもあるはずがなかった。東京裁判はただの復讐劇にすぎない。
 唯一、インドのパール判事だけが、意見書で「日本は国際法に違反していない」「被告人は全員無罪」と述べている。パール判事の顕彰碑が靖国神社に設置されているので、ぜひ見てほしい。たった1人で正義を語ったその顔は、厳粛さと崇高さにあふれている。
 問題は、パール判事の意見書が法廷では公表されなかったことだ。他の判事たちが、パール判事の意見を入れようとしなかった。彼らには都合が悪かったのである。
 東京裁判では、本来裁かれるべき「侵略戦争をしたのはどちらなのか」は取り上げられなかった。根底には、白人が有色人種を侵略するのは「文明化」であり、有色人種が白人を侵略するのは「神への冒涜(ぼうとく)」「犯罪」という白人優位の思想がある。
 日本人はこうした歴史的事実を認識して、東京裁判の意味を見直す必要がある。いつまでも、その呪縛にとらわれたまま、自国の歴史を他者につくられることを許してはならない。 (構成・安積明子)
 ■ヘンリー・S・ストークス
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【目覚めよ日本】三島由紀夫が護ろうとしたもの 他国にない固有の歴史、文化、伝統
 zakzak 2014.04.19 ★(4)
 私が三島由紀夫に初めて会ったのは1966年だった。皇居の馬場先門にあった日本外国特派員協会で、三島が講演することになっていた。当時の私は英紙『フィナンシャル・タイムズ』の東京支局長だったが、経済担当だったため、三島にはあまり関心はなかった。
 2年後、英紙『タイムズ』の東京支局長として三島を取材した。当時の三島は、昭和天皇を除けば世界で最も著名な日本人だった。本音で語る三島は、とても興味深かった。だからテーマを決めずに会うことにした。三島との長い付き合いは、ここから始まる。
 68年は、米国がベトナムに負けた年だった。第2次世界大戦が終わって10年余りで、超大国の圧倒的なパワーに陰りが見え始めたのだ。三島は世界が逆転しつつあることを感じていた。彼は英貴族ジョージ・ゴードン・バイロンについて語った。バイロンは私兵を集めてトルコと闘い、ギリシャを独立させた英雄だ。三島はバイロンのように、日本を独立させたかったのだろう。その思いはやがて「楯の会」結成に繋がっていく。
 三島が「楯の会」を結成したのは、68年秋だった。公になったのは翌69年で、その春、私は富士山麓での訓練を取材した。3月17日付の『タイムズ』に私の署名原稿が掲載された。
 「楯の会」は多くの学生を擁する左翼団体に比べて、数の上では少なかったが、知性と士気の高さでは目を見張るものがあった。私の記事は、東京・市ケ谷の自衛隊駐屯地で起こる事件を予見していたようでもある。
 三島は70年11月25日、市ケ谷駐屯地で割腹自殺を遂げた。世間に衝撃を与えた死は、以前から準備されていたと私は思っている。最後の長編小説『豊醸の海』が、その壮大なストーリーのシナリオだった。第1巻の『春の雪』で自衛隊での訓練を開始し、第2巻『奔馬』で「楯の会」を結成。第3巻『暁の寺』で5人の仲間を選び、第4巻『天人五衰』を書き終えたのは決起当日だった。
 自らの死をもって、三島が世間に何を問おうとしたのか。それを理解することは難しい。
 三島にとって、敗戦自体はさほど重要ではなかった。彼にとって重要なことは「日本の心」「日本人の誇り」をなくしてしまうことだった。三島は日本の政治家には関心を持たなかった。命を捨てる覚悟のない政治家なんぞ、何もできないと斬り捨てていた。
 三島は、日本こそ他国にない固有の歴史、文化、伝統を有する唯一の国と信じていた。これらは稀有(けう)のものであり、外国の侵奪から護(まも)らなければならない。三島にとって「国を護る」とはそういうことだった。そのために命を賭して、「国体」を護ろうとしたのだ。
 市ケ谷駐屯地での自決は、それを行動で示したものだ。命より大事なものを護らなければいけないという真実の意味を、文章が巧みな三島でさえ、文字で表現しきれなかった。あるいは、あのような死に方を選んだがゆえ、三島の表現は完成されたといえるのではないか。
 三島を理解するには2、300年必要だろう。それほど彼が日本人に残したメッセージは奥が深い。 (構成・安積明子)
 ■ヘンリー・S・ストークス
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【目覚めよ日本】ジンクス破った安倍首相の実力 消費税に手をつけた政治家は…
 zakzak 2014.04.20 ★(5)
 今年60歳となる安倍晋三首相は、私(75歳)より随分若い政治家だ。私は、安倍首相と一度も会ったことがない。父の晋太郎元外相や祖父の岸信介元首相には、インタビューしたことがある。私としては、すでに鬼籍に入った2人の政治家よりも、この若き日本の首相の方が好きだ。
 彼はハッピーマンであり、ラッキーマンだ。政治家としての運は抜群にいい。今月から消費税が8%に上がったが、大きな混乱は起きていない。数年前なら、消費税に手を付けた政治家はみなダメになってしまうというのが通説だった。そのジンクスを破った。
 英語に「TIMING IS ALL」というのがある。「タイミングがものを言う」と訳すべきか。すべてが安倍首相に合わせて動いているような気がするくらいだ。
 安倍首相が優れているのは勘どころだ。
 先月末、安倍首相は核安全保障サミットとウクライナ問題をめぐるG7(先進7カ国)首脳会議に出席するためにオランダを訪れた際、博物館「アンネ・フランクの家」に足を伸ばした。ユダヤ人であるアンネ一家が、ナチス・ドイツから逃れて2年間隠れ住んだ家を博物館にしたもので、「アンネの日記」はここで書かれたものだ。
 この訪問は、素晴らしい発想だった。
 安倍首相がアンネの写真の前で「歴史の事実と謙虚に向き合い、事実を次の世代に語り継ぐことで世界平和を実現したい」と語ったことは、世界に良い印象を与え、書籍棄損事件や、自身の歴史認識でのマイナスイメージを払拭した。
 実際、安倍首相は外国メディアにとても好意的に受け入れられている。例えば、今年1月のダボス会議だ。フィナンシャル・タイムズ紙の記者で、会議に参加した私の友人が話していた。
 「参加した首脳の中で、特に目立った人物が2人いた。その1人が安倍首相だった」
 ダボス会議には、世界中から政財界の要人が約2万人参加する。そのなかで頭角を現すのは、並大抵のことではない。
 先の友人は、安倍首相が講演したとき、すぐ近くで聞いていた。親しい関係ではなく、ほとんど初対面だったが、安倍首相に魅了されたらしい。
 私は、安倍首相は世界のリーダーの中で突出した存在だと思っている。
 先のG7で、安倍首相はウクライナに1500億円の経済支援を行うと表明した。より大きな利害関係があるEUでも、支援総額で1000億円くらいだ。中国やロシアは拠出しないだろう。日本が世界に果たす役割が大きいことを示した。
 英国の首相だったトニー・ブレア氏は、安倍首相と同世代の61歳だが、もう現役の政治家ではない。オバマ米大統領は52歳と安倍首相より若いが、すでにレームダックだ。国内経済を復活させ、安定した支持率を維持する政治家は、安倍首相以外に見当たらない。 (構成・安積明子) =おわり
 ■ヘンリー・S・ストークス 
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