【消えない戦慄 地下鉄サリン事件20年(1)】麻原彰晃死刑囚の四女、明かす「父、獄中から教団に指示」

2015-03-17 | オウム真理教事件

産経ニュース 2015.3.16 13:00更新
【消えない戦慄 地下鉄サリン事件20年(1)前半】地下鉄サリン当日、麻原死刑囚「今日、いいこと起きている」 本紙単独取材に四女明かす
 オウム真理教による一連の事件を首謀した教祖、麻原彰晃(60)=本名・松本智津夫。その四女(25)が地下鉄サリン事件の発生から20年を控え、産経新聞の取材に応じた。
 平成7年3月20日、教団最大の拠点があった山梨県旧上九一色村。その建物群の一つ、麻原ファミリーが暮らす重要施設「第6サティアン」の麻原の部屋の前で、四女は父と立ち話をしていた。
 「今日はいいことが起きているんだよ
 麻原はこう言い、冷たく笑った。その直後、教団幹部らが緊張した面持ちで現れた。「向こうに行っていろ」。四女は父に追い払われ、父と幹部らは部屋の中に消えていった。
 この日朝、東京都心で地下鉄サリン事件が起きた。このとき、四女は5歳。父との立ち話は、幼少期の鮮烈な記憶となっている。
“最後の別れ”はせず
 その2日後、警視庁などによる強制捜査が始まる。「麻原、どこだ!」。連日のように捜査員の声がこだました。約2カ月後の5月16日、第6サティアンにあった隠し部屋で、現金を抱えた麻原が発見された。「尊師(麻原)が捕まる」。近くにいた信者に“最後の別れ”をしに行くよう促されたが、なぜか足が動かなかった。
 「逮捕される父の姿を見たくなかったのか、立ち話のときの父に嫌悪感を抱いていたのか」。今も四女は父に会いに行かなかった理由を整理できていない。
 事件については「父にとって自己保身。自分に迫る強制捜査を攪乱(かくらん)したかった。一般人や信者がどうなっても構わなかった。自分と自分を神聖化する教団を守りたかったに違いない」と理解している。
*「子供は親選べない」
 四女は元年に静岡県富士宮市の教団施設で生まれた。2歳ごろに旧上九一色村に移り、3歳で立位礼拝(りついらいはい)=立ち上がったり体を床にはわせたりする修行=を2時間こなすなど、幼少期は修行三昧の日々だった。
 「子供は親を選べない。私がオウムを選んだこともない。ただ、昨日生きていた人が今日死んでいる状況はつらかった。洗脳される以外に生き残る道はなかった。『ここはおかしい。いつか脱出しよう』と思っていた」
 麻原逮捕後、家族は関東の教団施設などを転々とする。行く先々で就学拒否など住民の反対にあった。
 「宗教弾圧だ」。信者らからそう聞かされてきた四女は、15歳になるまで地下鉄サリン事件をはじめ教団の犯罪をまったく知らなかった。テレビや新聞、雑誌を見ていなかったからだ。
 1審で麻原に死刑判決が出た後のことだ。中学校で法律について学んだ際に「宗教弾圧で死刑になるのだろうか」と疑問に思い、インターネットなどで調べて初めて事実を知った。
 教団関係者から生活費が出ていた一家。「父の娘であることで生きていくのが、いやになった。被害者の賠償に充てられるべきお金で生活したくない」。固く決意し、16歳で家出した。その後、職を転々としながら自活している。(呼称略)
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 地下鉄サリン事件から20日で20年。化学兵器を使ったテロの「戦慄」はいまだ消えない。元信者、捜査経験者、被害者…。関係者は事件とどう向き合ってきたのか。

2015.3.16 13:00更新
【消えない戦慄 地下鉄サリン事件20年(1)後半】後継指名、名称はアレフ、黙秘“命令”…「父、獄中から教団に指示」
 麻原の四女は家出した際、幹部信者から父の「獄中メッセージ」と呼ばれる文書を手渡された。弁護士が接見で聞き取り、教団へ伝言したもので、必要に応じて信者に伝えられた。一定のステージ(位)以上の者はその全文を見ることができる。
 「父は逮捕後も教団に指示を出していた」。麻原が平成7年5月から約2年の間に発したメッセージに、教団は従ったという。
 産経新聞が四女から入手した文書によると、7年11月には、教団が任意団体に移行するとした上で「尊師は新しい任意団体の名称を下記の通り指示」とし、続いて「『アレフ』とする」という文字が記されている。教団がアレフに名称を変える4年以上前のことだ。
 8年2月には「取調官の言葉の意味そのものを全く理解しない(中略)、音としてすら認識しなかったとしたら(中略)、一切の苦しみから解放されることになる。これが解脱です」とのメッセージを発し、逮捕された幹部を黙秘に転じさせた。
 8年6月には「教祖-長男、次男」の記載がある。教団は同月、当時3歳の長男(22)と同2歳の次男(21)を「教祖」とする新体制を発表した。ただ、アレフに名称を変更したと同時に「教祖を置かない」と規定しており、表向きには「教祖」と位置づけていない。
 アレフは昨年3月、麻原の生誕祭を過去最大規模となる700人以上で行った。麻原への帰依心が強まる一方、教祖の世代交代を模索する動きも出ている。
 公安調査庁によると、アレフ内では昨年、成人した次男を正式に教祖に迎えようとする動きがあったが、三女(31)が反対した。これを機に、三女に同調した幹部が除名されるなど、教団運営が混乱しているという。
 後継者待望論には、理由がある。麻原が拘置所にいるため高位の信者をステージアップできず、出家信者の教団離れにつながっている。元アレフ幹部は「代わりを務められるのは後継指名を受けた長男か次男しかいない」と言い切る。
*小学生向けに教材
 アレフは「教祖」の世代交代を意図する一方、信者の若返り、若年層への教育に力を入れているようだ。
 「こんにちは。小学生の皆さん。麻原彰晃です」。アレフの小学生向け音声教材「小学生の真理」は、麻原の肉声によるこんなフレーズで始まる。「君たちは『カルマ』という言葉を知っているかな」「1日1円でもいいからお布施をすると、半年後にはきっといいことが返ってくる」。麻原がやさしい言葉遣いで教義や修行について語りかける。
 公安庁によると、主流派アレフと分派したひかりの輪の昨年11月末時点の国内の信者数は3年前より150人増え、計1650人。このうちアレフだけで1450人を占める。増加した信者の6割以上が35歳未満の若い世代だった。
 公安庁は、信者となった親に連れられ、アレフの施設を訪れた子供たちが修行している姿を確認している。年端もいかない子供たちの口から「教祖に帰依する」「出家するしかない」といった言葉が出るという。
 さらに低年齢向けの「よい子の真理」もあり、オウムの次世代は着実に育っている。公安庁幹部は「過去の事件を知らず、純粋培養された世代が育てば、同じ惨事を繰り返す可能性がある」と懸念する。
 一方、ひかりの輪は代表の上祐史浩(52)がテレビ番組に出演したり、書籍を出版したりするなどして、麻原からの脱却をアピールしている。しかし、公安庁は、麻原の影響力を払拭したかのように装う「麻原隠し」であることは明らかだとしている。
*四女「父は詐病だ」
 麻原が1審で死刑判決を言い渡された半年後の16年夏、四女は初めて東京・小菅の東京拘置所で父と面会した。面会は6回ほど重ね、19年3月には自分の名前を呼ばれた。最後の20年6月には「きょうは寒いですけど、体は大丈夫ですか」との問いに、麻原は「きょう、けっこう寒いね」と答えたという。
 弁護側は麻原が精神的に病み、訴訟能力がないと主張していたが、四女は今でも「父は詐病(さびょう)だ」と信じている。
 「父は人間そのものを憎悪していたのではないか。誰も愛することができなかった。一方で、自己愛が強く、詐病で自分を守っているのだろう」。四女は今後も教団から離れ、「贖罪(しょくざい)」の気持ちを抱きながら生きていくという。(敬称・呼称略)

   

 オウム真理教主流派「アレフ」の施設内。麻原彰晃死刑囚の写真も飾られている=平成26年(公安調査庁「内外情勢の回顧と展望」より)

 ◎上記事は[産経新聞]からの転載・引用です *強調(太字・着色)は来栖
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2015.3.20 05:05更新
【産経抄】「収拾」と「ポア」 3月20日
 中国の長い歴史は、多くの奇人・変人に彩られている。その一人、明末の反乱軍のリーダー、張献忠(ちょう・けんちゅう)は、現在の四川省の住民の皆殺しを図り、親しい友人さえ気分次第で部下に殺害を命じた。「あいつを『収拾(ショーシ)』してくれ」。「収拾」とは、一家眷属皆殺しを指す隠語である(『中国人物伝IV』井波律子著)。
 ▼20年前のきょう、オウム真理教の信者が東京都心の地下鉄車両に猛毒のサリンを散布し、13人が死亡した。今も多くの被害者が深刻な後遺症に苦しんでいる。首謀者の教祖、麻原彰晃死刑囚は事件の報告を受けると、「ポアしてよかったね」と喜んだという。
 ▼「首謀者の命は 宗教より重く 他者の命は …砂漠の風よりも軽い」。数日前の「朝の詩」に掲載された、過激組織「イスラム国」をテーマにした作品は、麻原死刑囚にも当てはまる。殺人を「魂を奪う」という意味の言葉「ポア」で正当化した麻原死刑囚にとって、他者の命は限りなく軽い。
 ▼自らの命の重さは、どうだろうか。裁判で弁護側は、精神的に病み、訴訟能力がないと主張した。麻原死刑囚の四女は、小紙の取材に対して「詐病で自分を守っているのだろう」と突き放す。弁護団が繰り返してきた再審請求も、死刑の執行逃れとの見方がある。
 ▼昨年、「イスラム国」に日本から参加を企てる、学生の存在が明らかになった。オウムに入信する若者も、後を絶たない。地下鉄サリン事件をはじめ、多くの人の命を奪った凶悪事件に抵抗感が薄れる事態は、きわめて深刻である。
 ▼張献忠にしばしば言及していた作家の魯迅(ろじん)は、当時の人々が彼の暴虐をやすやすと許したのが奇怪だ、と指摘したそうだ。オウムに侵食され続ける日本社会もまた、奇怪である。
 ◎上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します *強調(太字・着色)は来栖
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「父の死刑は執行すべき」苦悩する松本智津夫(麻原彰晃)死刑囚の四女 
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