わが子を死なせる思い。これまで豚に食わせてもらってきた。処分前に せめて最高の餌を

2010-05-26 | いのち 環境

<口蹄疫>せめて最高の餌を 処分前に「我が子への愛」「感染防止」交錯
5月26日8時23分配信 毎日新聞
 「わが子を死なせる思い」--。宮崎県の口蹄疫(こうていえき)問題で、感染発生地から半径10キロ以内の移動制限区域の牛と豚計約14万5000頭に対するワクチン接種が25日、ほぼ終了した。感染拡大を遅らせ、ウイルスを封じ込めるのが目的だが、全頭殺処分が前提。苦渋のうちに接種を受け入れた畜産農家らには、癒やしがたい喪失感と、まん延阻止への切なる願いが交錯した。
 「感染を食い止めるためには悔しいが、同意せんといかんかった」。宮崎市内の搬出制限区域にある牛舎で約1500頭を飼う尾崎宗春さん(50)は北に約10キロ離れた別の牛舎で飼育する繁殖牛43頭がワクチン接種対象になり、目を赤くしてつらい胸の内を訴えた。
 高校卒業後、米国の牧場などで研修し、24歳で家業の畜産を継いだ。米国の大規模牧場を目の当たりにし「日本では量より質で勝負しなければ」と決意。よい子牛を産む母牛の育成に打ち込み、繁殖から肥育までの一貫経営を展開。26年間かけて作り上げた血統はブランド牛「尾崎牛」として全国に知られるようになった。
 今回の口蹄疫で19日に移動制限区域内の全頭処分が決定。24日、自分の3人の娘と同じ名前「なな」「ゆう」「さいこ」と命名し、手塩にかけて育てた牛たちへのワクチン接種を見守った。獣医師による接種の際、暴れないように涙をこらえて牛の頭を押さえた。
 いつ、殺処分されるのかは知らされていない。だが、毎朝夕、これまで通り値段の高い牧草を与えに牛舎に通う。「苦しい中、もったいない出費かもしれないが、最後まで一番いい餌を食べさせてやりたいのが『牛飼い』の思い」
 一方、川南町の移動制限区域で約900頭を飼育する養豚農家、甲斐利明さん(50)も25日朝、いつも通りバケツいっぱいの飼料を豚舎に運んで食べさせた。「豚が腹をすかせて泣くのがうるさいのではなく、かわいそうでしょうがない」。24日にワクチン接種を受けたが、殺処分の日まで餌をやり続けるという。
 「これまで豚に食わせてもらってきた。元気なうちはなるべく長く生きながらえさせてやりたい。でも先月から無収入で家族の生活も苦しい」
 長男と長女は県外の大学に通い、父親は病気で入院中。月20万円の飼料代を何カ月も負担し続ける余裕はない。「貯金を取り崩して何とかしのいでいるが、6月いっぱいが限界」。疲れ果てた声で話した。【中尾祐児、川上珠実】

〈来栖の独白〉
 映画『おくりびと』のビデオを見た。小林大悟(主人公)が納棺夫の仕事を辞めようと、社長(佐々木)のところへ赴く。社屋の2Fに佐々木の居住区はあり、たまたま食事の始まるところだった。河豚の白子を卓上のコンロで焼いている。
 小林に「食べろよ」と勧め、「これ(河豚の白子)だって、ご遺体だ。生きもの(人類)が、生きものを喰って生きている。そうだろ? あ~、死ぬ気になれなきゃ、喰うしかない。喰うなら、美味いほうがいい」。
 小林も口に入れる。熱いので一瞬慌てるが「美味いっすね」。
 社長「うまいんだよね。困ったことに」。
 「死ぬ気になれなきゃ、喰うしかない」のである。「困ったことに」そのように神さまはこの世を造られた。生きものの命を無尽蔵に奪って命を繋ぐ人類。しかし、その一人ひとりにも、必ず100年前後で終わりはくる。そのようにも、神はこの世を造られた。人為、自然を問わず、すべてのものに死が訪れる。
 この摂理に対して、イエスは激しく動揺し涙を流された。恬淡とやり過ごすことはできなかったのである。99人の義人をおいてでも、ひとりの罪人の悔い改めを喜ぶ(ルカ15:4~)という、極めて不合理な人生観を生きられたイエスらしい。
 “ヨハネ11章30~
 イエスはまだ村に、はいってこられず、マルタがお迎えしたその場所におられた。マリヤと一緒に家にいて彼女を慰めていたユダヤ人たちは、マリヤが急いで立ち上がって出て行くのを見て、彼女は墓に泣きに行くのであろうと思い、そのあとからついて行った。マリヤは、イエスのおられる所に行ってお目にかかり、その足もとにひれ伏して言った、「主よ、もしあなたがここにいて下さったなら、わたしの兄弟は死ななかったでしょう」。イエスは、彼女が泣き、また、彼女と一緒にきたユダヤ人たちも泣いているのをごらんになり、激しく感動し、また心を騒がせ、そして言われた、「彼をどこに置いたのか」。彼らはイエスに言った、「主よ、きて、ごらん下さい」。イエスは涙を流された。するとユダヤ人たちは言った、「ああ、なんと彼を愛しておられたことか」。しかし、彼らのある人たちは言った、「あの盲人の目をあけたこの人でも、ラザロを死なせないようには、できなかったのか」。イエスはまた激しく感動して、墓にはいられた。それは洞穴であって、そこに石がはめてあった。イエスは言われた、「石を取りのけなさい」。死んだラザロの姉妹マルタが言った、「主よ、もう臭くなっております。四日もたっていますから」。”

 生産農家の皆さまのお辛い胸中、お察ししてあまりある。ほんとうに、どんなにか・・・。「命を戴くことへの感謝」「命を奪う悲しみ」、谷川俊太郎さんは、いみじくも次のように言う。
“「うし/しんでくれた ぼくのために/そいではんばーぐになった/ありがとう うし…」。生きものへ、生産者の人たちへ、父母へ、みんなに感謝しつついただきます。” 

「牛は処分を察してか悲しい顔をする。涙を流した牛もいた」担当者ら、悲痛~心のケアを
電気を流した。「豚は一瞬、金縛りのように硬直して、聞いたことのない悲鳴のような鳴き声を上げた」
「子牛もいた。何のために生まれてきたんだろう」処分用薬剤を140頭もの牛に注射し続けた獣医師
牛は古来人間の友だちだった。人も食べる麦を食べに来て、家畜化されたのは新石器時代のころ


1 コメント

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Unknown (さち)
2010-05-26 23:27:37
ゆうこさん。こんばんは。
 エントリー拝見して、思わずコメントしています。
>極めて不合理な人生観
 !そうですね。「99人の義人よりも、1人の罪人」なんて、こんな不合理、ありませんよね。そう言われてみれば、ほかにも不合理なことをおっしゃってますよね。「朝から働いた者にも夕方(だったか)来た者にも、同じ賃金を」でしたっけ。
 しかし、合理性って何でしょう。合理に徹することができないのが人間ではないでしょうか。
 うしやぶた、そして現場の皆さまのために合掌します。「山川草木悉皆成仏」、その命を戴いている我々です。
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