小沢一郎氏が消えた。それが今回の選挙の「意味」である。「最後のご奉公です。文字どおり最後です」

2012-12-25 | 政治/検察/裁判/小沢一郎/メディア

〈来栖の独白2012/12/25 Tue. 〉
 [日本未来の党]の皆さん、とりわけ旧『国民の生活が第一』の皆さんは、今般の衆院選挙の結果(民意)が何をメッセージしているか、一度静かにお考えになったほうがよい。
 私はここ3年余り、小沢一郎氏について弊ブログでもカテゴリーを設けて考えてきた。氏については私などには分からない点も多かったし、賛同できない政策もあった。が、秘書逮捕に始まる一連の小沢裁判については目を逸らすことができなかった。それは、この国のあらゆる既得権益(官僚司法・省庁官僚支配)の暗部を露わにしたし、その背後にアメリカの存在(意向)を窺わせて、多くのことを私に教えたからだ。抜け目ないのジャーナリストの影も、露わになった。うまく泳いでトップの座を手にした政治家もいた。ことほど左様に、さまざまな群像の「我欲」を露わにした。
 小沢氏は今般の選挙に際し、卒原発を掲げる[日本未来の党]に合流し、選挙直前には官邸前で行われている脱原発のデモにも参加した。が、無残な結果となった。旧『国民の生活が第一』の皆さんは今般の衆院選挙の結果(民意)が何をメッセージしているか一度静かにお考えになったほうがよい、と私が思うのは、脱原発が果たして民意だったのか、と問いたいからだ。小沢氏は脱原発のデモに参加されたが、このデモが大多数の民意であり「脱原発」を心底信条として居られるなら、なぜ選挙後のデモには参加されないのか。
 高レベル放射性性廃棄物は、地中深く埋めて消滅するのに10万年かかるという。原発はたとえ100%事故を回避できたとしても、この高レベル放射性性廃棄物の処理の問題は、人類の知恵を遥かに超えている。それは、小沢氏に言われるまでもなく、無思慮な私でさえ容易に理解できる。
 しかし、自民党の「脱原発は無責任」との言辞を一笑はできにくい。国民の「生活」は守らなくてはならないし、日本という国はひとりで存在しているわけではない。国際社会のなかに存在している。世界大戦後、戦勝国アメリカによって押し付けられた憲法によってこの国は自衛の手段すら持たずに今日まできた。そんな国が、原発までやめてしまって、国際社会で立ちゆけるだろうか。どの国も「正義」をではなく「力」を見せ合い、国益を守ることが国家の使命である。
 ところで小沢氏は今般の選挙にあたり、岩手の民主議員に2名の刺客を送り、千葉においても2名を送り込んだ。いずれも女性である。岩手の刺客候補は一人は被災地元で旅館を営む女性であり、いま一人は県知事夫人である。いずれも岩手にいてこそ能力を発揮し、家族を支えるべき女性であった。千葉に送り込まれた2名はともに他県に選挙区を持つ女性で、「地盤」がない。正に選挙のための落下傘。「選挙区」の意味が問われる。千葉の選挙民が何を拠り所に彼女たちに1票を投じるだろう。1人は、参議院議員であったから、本来なら来年7月まで議員としての寿命があった。これが「選挙の神さま」などと評された小沢氏の手法か、と私は後味の悪さをごまかせなかった。悪く勘繰れば、千葉に送り込まれた2女性候補は使い捨てにされたのであり、小沢氏にとって、比例票を掘り起こすための投入人員にすぎなかった。大事に抱えておきたい谷亮子・森裕子参院議員は温存している。
 ついこの前まで仲間としてやってきた議員に刺客を送る。刺客候補自身にも多大な犠牲を払わせる・・・、こういった酷薄なやり方が私の胸を冷えさせた。
 [日本未来の党]の共同代表を誰にするか。そのような議論は、現状認識に欠ける。瑣末に過ぎる。小沢氏自身も当選はしたものの、前回選挙より獲得票を半分に減らした。国民の意識からも政治の世界からも、小沢一郎氏が消えた。それが、今回の選挙結果の現実である。
 このように書けば、思い起されるフレーズがある。「最後のご奉公です。文字どおり『最後』です」、小沢氏の言葉である。「あなたにとって2012年は相当過酷な年になる」との問いかけ(週刊ポスト2012年1月1・6日号)に応じている。
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収まるべきところに収まった衆院選挙結果/早期に憲法改正に取り掛かって貰いたい/謝罪外交は断ち切ろう  
 〈来栖の独白2012/12/17 Mon. 〉
 昨日の衆議院選挙結果は、「収まるべきところに収まった」という感じだ。とりわけ外交・防衛の問題は民主党政権には任せられないから、自民党が三分の二以上の議席を確保したのは喜ばしい。
 この上は、早期に憲法改正に取り掛かってもらいたい。厳密に言うなら「改正」ではなく、現憲法破棄、新憲法創設だ。先ず憲法96条を改正してから、という考えもあるのかもしれないが、日本を取り巻く領土・領海の問題は一刻の猶予もならぬほど緊迫している。
 アメリカにおいてもブッシュ政権の後半頃から、日本国憲法改正を望む声は高くなった。現在の自縄自縛憲法では集団的自衛権はあっても行使はできず、アメリカが日本を守るだけ(片務)だからだ。
 戦勝国から宛がわれた憲法は廃棄して、国際社会の通念上からも真っ当と見られる憲法、半国家ではなく、領土・領海を守ろうとする普通の国家を建設しよう。謝罪外交は断ち切ろう。
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日本未来の党、共同代表案で真っ二つ 嘉田氏は阿部氏、小沢系は小沢氏
産経新聞2012.12.25 00:36

     

 日本未来の党は24日夜、結党後初の両院議員総会を都内で開いた。嘉田由紀子代表は阿部知子前社民党政審会長を共同代表にするなどの人事を提案したが、小沢一郎氏に近い議員らが拒否。逆に小沢氏を共同代表とするよう提案されたが、嘉田氏は応じず、結論は持ち越された。
 嘉田氏の人事案はこのほか、衆院選で落選した飯田哲也代表代行の続投と、結党時から空白だった幹事長に鈴木克昌・前国民の生活が第一国対委員長を充て、小沢氏と亀井静香氏を顧問とする内容。総会は約2時間半にわたって行われた。小沢氏は欠席した。
 嘉田氏は総会後、記者団に対し、自身の人事案が承認されなかった理由について「みなさんに聞いてください」とだけ述べた。
 森裕子副代表らによると、出席者からは「嘉田氏が事前にマスコミの前で人事案をしゃべった」「政治力のある人が必要だ」という発言が出た。森氏は記者団に「人事刷新の観点が抜けている」と嘉田氏の人事案を批判した。
 一方、小沢氏を共同代表にする案について、嘉田氏は「小沢氏と党を立ち上げるときからの約束だ」として要職に起用しない方針を堅持する考えを示し、「自分の提案したことに従わないのは認めない」と反発したという。
 嘉田氏は特別国会召集の26日に行われる首相指名選挙で阿部氏を投票することも求めていたが、小沢氏系の激しい抵抗は収まる様子はなく、嘉田、飯田両氏と小沢氏系との溝は決定的なものとなっている。
  【未来】分党 宙に浮いた卒原発 嘉田氏は「選挙用」 森裕子参院議員は満面の笑み 民主党に“接近”
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小沢一郎氏、再起期し本格始動 / 小沢氏に「サイレント・マジョリティ」の声は聴こえていただろうか   
 〈来栖の独白 2013/3/25 Mon.
 安倍内閣の経済政策を「かつての自民党と同じ」と批判し、「夏の参院選で自民党が圧勝すれば、日本の前途は非常に暗い」と、「イメージ」で語る小沢氏。イメージ手法は、大手メディアの十八番である(「政治とカネ」、この戦略により小沢氏は政治生命を断たれた)。
 昨年12月の衆院選挙で小沢氏は「反消費税増税」と「脱原発」を掲げ、敗れた。私の気になったのは、青森など原発関連施設のある選挙区候補者への配慮・対策、また地元岩手の刺客候補擁立の必然性などだった。加えて、選挙日間近になっての[日本未来の党]合流や選挙直後の同党離脱はお世辞にも上手とは言えず、私の中で小沢離れが進んだ。
 憶測だが、小沢氏は先般12月の衆院選を「脱原発」を掲げることで勝てる、と踏んだのではないだろうか。それで、ドイツまで視察にも赴き、官邸前のデモにも参加したのではないか。氏には、原子力発電を過渡的エネルギーと見てきた自民党時代があった。そんな小沢氏の目に、毎週金曜日、官邸周辺で多数を結集して行われる反原発デモは「大勢」(世論)と映ったろう。「国民は多くが脱原発を望んでいる」、そのように映ったのではないか。
 官邸周辺のデモは、私に安保条約反対のデモを思い起こさせた。あのときも多くの人が参集した。
 渡部昇一氏と百田尚樹氏は対談の中で、「マスメディア」について次のように言う。(『Voice』4月号) *強調(太字・着色)は来栖

渡部 2012年から現在にかけては、脱原発運動の旗振り役になり、いかにも国民全体が「脱原発」の意見をもっているかのような記事を掲載した。しかし先の総選挙では、「日本未来の党」をはじめとする、脱原発政党は軒並み議席を減らしています。マスコミのいうことと、「サイレントマジョリティ」の意見は違うということが露呈しました
百田 60年安保のときと状況はよく似ています。当時も日本全国が「安保反対」のような気運でしたが、自然成立とほぼ同時に岸内閣が倒れ、その数か月後に行われた総選挙で自民党が圧勝した。メディアの声はあくまでも「大きい声」にすぎず、それが大多数の声を代表しているとは限らないということです。
百田 岸信介はいみじくも、安保デモを前に「私には国民の声なき声が聞こえる」と発言しました。それは正しかったんです。いくら国会を群集が取り囲んでも、私の両親のような大多数の庶民は、そのような問題に何ら関わりはありませんから。サイレントマジョリティの声を聞くというのは、政治家の大きな資質の1つだと思います。

 「脱原発」を掲げることで衆院選は勝利できる、そのように小沢氏は読んだのではなかったか。「あなたが出てくれれば百人通る」と滋賀県の嘉田知事([日本未来の党]代表=当時)に言っている。
 が、惨敗だった。小沢氏の読み違いだった。小沢氏に「サイレント・マジョリティ」の声が聴こえていただろうか。
 小沢氏の手法として「選挙は川上から」とよく云われ、昨年の衆院選でも、氏はまず愛知県の寒村、豊根村から(『国民の生活が第一』の)応援演説を始めている。そのようにしながら氏の裡には、官邸周辺のデモの光景が強く在ったに違いない(嘉田氏との連携に向けた動きが並行してあった)。
 「サイレント・マジョリティ」もそうだが、小沢氏にマイノリティの声は聴こえていただろうか。沖縄・辺野古の「地元の地元」の住民が実は基地移設を望みながら「反対」の大きな声に圧されて「賛成」の声を発せないでいるように、原発を抱える地元住民が原発の存続を望んでいる、そのような声が聴こえていただろうか。「川上から」というのは、そういった「地元の地元」の声、発せないでいる声なき声に耳を傾けることではないだろうか。
 選挙直前直後の如何にも慌ただしかった[日本未来の党]との顛末(悪手)を思い起こすにつけ、官邸周辺から発せられる「大きな声」のみを小沢氏の耳は受信していたように思えてならない。消費税増税反対も反原発も、選挙のために掲げた看板に過ぎなかったのでは、と思えてくる。これでは支持は得られず、惨敗しても当然だった。
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