中国、尖閣「棚上げ」迫る…首脳会談の条件に/谷内正太郎内閣官房参与「日本政府として、認められない」

2013-07-02 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉

中国、尖閣「棚上げ」迫る…首脳会談の条件に
読売新聞 7月2日(火)3時12分配信
  沖縄県の尖閣諸島を巡る日中両政府の対立に関連して、中国政府が〈1〉日本政府が領土問題の存在を認める〈2〉日中双方が問題を「棚上げ」する――ことを、日中首脳会談開催の条件としていたことが1日、明らかになった。
  「解決すべき領有権の問題は存在しない」とする日本政府の見解を変更するよう求めたものだが、安倍首相は中国政府に対し、拒否する考えを伝えた。中国が条件にこだわる限り、首脳会談の早期実現は難しそうだ。
  日本政府関係者によると、中国政府は6月中旬、日本側に首脳会談開催の条件を伝え、受け入れを求めた。これに対し、谷内(やち)正太郎内閣官房参与が訪中した際、戴秉国(ダイビングオ)(たい・へいこく)前国務委員との会談で「日本政府として、認められない」と回答した。
最終更新:7月2日(火)3時12分
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尖閣で揺さぶりも…中国首相、鳩山氏と面会
読売新聞2013年07月02日08時29分
 尖閣諸島(沖縄県石垣市)を巡り、中国が日中首脳会談の条件として、領土問題の存在を日本に認めさせたうえで、問題の「棚上げ」を求めたことについて、安倍首相や周辺は、国際社会でも中国の行動への批判が広がっていることを受けて「中国政府が焦りを強めている表れ」と分析している。
 「日本側の一貫した対応が功を奏している」とみて、今後も対話は求めつつ、毅然きぜんとした対応を続ける構えだ。
 中国は「条件」に固執する一方、揺さぶりも繰り返している。
 中国の政府関係者は今年1月、訪中した公明党の山口代表らに、尖閣問題の存在を認めるよう求め、山口氏らは拒否した。6月3日には、野中広務元官房長官が、北京の人民大会堂に招かれて中国共産党序列5位の劉雲山リウユンシャン党政治局常務委員と会談。野中氏はその後、田中角栄元首相から直接聞いた話として「尖閣問題の『棚上げ』について日中双方が確認した」と語った。
 同28日には、李克強リークォーチャン首相が、尖閣について「(日本が中国から)盗んだと思われても仕方ない」などと発言した鳩山元首相とも人民大会堂で面会した。
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関連; 公明党・山口那津男代表の「尖閣 棚上げ論」は国益に反する 2013-01-23 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉 
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「尖閣棚上げ合意なかった」 78年の園田直・小平会談同席の元外務省中国課長 田島高志氏が証言 2013-06-29 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉 
 尖閣棚上げ合意なかった」 78年の園田・小平会談同席の元中国課長
 産経ニュース2013.6.29 08:24
 ■「一方的思い」
 尖閣諸島(沖縄県石垣市)をめぐり、中国政府が主張する領有権問題の「棚上げ合意」について、元外務省中国課長の田島高志氏は28日までに産経新聞の取材に応じ、「中国側の一方的な思いで、合意はなかった」と述べた。田島氏は、中国側が合意があったとする1978(昭和53)年の会談に中国課長として同席した。
 会談は、日中平和友好条約をめぐり同年8月10日、北京で園田直(すなお)外相(当時)と小平副首相(同)の間で、同条約の批准書交換のため来日した小平氏と福田赳夫首相(同)との間で10月23、25の両日にそれぞれ行われた。
 田島氏によると、8月の会談では、氏が「日中間には釣魚島(尖閣諸島の中国名)や大陸棚の問題があるが、それ以上に共通点がある」と発言。これを受け、園田氏が同年4月に起きた中国漁船団による尖閣諸島周辺の領海侵入事件を念頭に「先般のような事件を二度と起こさないでいただきたい」と主張し、氏が「中国政府としてはこの問題で日中間に問題を起こすことはない。数年、数十年、100年でも脇に置いておけばいい」と応じた。園田氏は聞き置いただけで反論しなかった。日本側は尖閣諸島を実効支配しており、中国側に現状変更の意図がないことが確認できたため、反論は不要と判断したという。
 中国側資料には、これに似た氏の発言だけが記録されており、外務省が公開済みの記録には、尖閣関連のやりとり自体が含まれていない。
 また、記録公開済みの10月25日の福田・会談では、氏が終了間際に「次の世代は、われわれよりもっと知恵があり、この問題を解決できるだろう」と「独り言のように」(田島氏)発言。福田首相は応答しなかった。氏は会談後の単独記者会見で「国交正常化の際も、平和友好条約を交渉した際も、この問題に触れないことで一致した」と主張した。
 田島氏は、一連の会談での合意を否定した上で、中国側が、昨年9月の尖閣諸島購入で「日本側が共通認識(合意)を破壊した」(外務省声明)としていることには「事実に反する言いがかりだ」と批判した。
 ■72年も合意なし
 中国側は、国交正常化交渉が行われた72(昭和47)年9月27日の田中角栄・周恩来両首相の会談でも合意があったとしている。交渉に条約課長として同行した栗山尚一氏は「両首脳の間で棚上げの暗黙の了解が成立した」と指摘する。
 ただ、産経新聞の取材に「あったのは暗黙の了解で、中国側が『合意があった』と言うのは言い過ぎだ」とも話した。田島氏も「条約交渉当時、田中・周会談で棚上げの合意があったという認識はなかった」と72年の合意説を否定した。
 *上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します
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関連; 日中関係(1)尖閣【 棚上げ 】合意 中国「擺(バイ)=放っておく」が変質 2013-06-29 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉
 【ニッポンの分岐点】日中関係(1)尖閣「棚上げ合意」 中国「放っておく」が変質
 産経ニュース2013.6.29 13:40
 尖閣諸島(沖縄県石垣市)を日本政府が購入した昨年9月以降、中国は尖閣周辺領海への公船侵入を常態化させている。中国側は行動を正当化する理由として、日本側が尖閣諸島の購入により領有権問題の「棚上げ合意」を一方的に破ったと主張。「合意」の主な根拠としているのが、1978(昭和53)年の日中平和友好条約交渉時の会談だ。
■気の重い会談
 78年8月10日午後4時半すぎ、北京の人民大会堂で、外相、園田直(すなお)と副首相、小平の会談が始まった。
 「愛する中国のために、さらに中国よりももっと愛する日本のために(中略)来訪した」
 園田は冒頭、こう切り出した。園田は自身の積年の政治課題である友好条約交渉を妥結するため、満を持して北京に乗り込んでいた。出発日の78年8月8日は「八」が3つ並んで縁起が良い、と喜んだ。交渉は、ソ連を念頭に置く「反覇権条項」の文言調整が2回の外相会談でほぼ終了。との会談は表敬で終わっても良いはずだったが、園田には気の重い役目があった。
 「(尖閣の)領有権で言質を取ってくれ」
 会談の直前、首相、福田赳夫から電話があったためだ。「(日本の)領有の明確化」は、交渉条件として自民党の総務会決議に含まれていた。2回の外相会談で取り上げていないことに慎重派が反発、9日の臨時総務会で政府側を突き上げていた。福田は交渉団への訓令に加え、園田に念押しした。
 「園田さんは『弱ったなあ、弱ったなあ』と言っていた」
 釣魚台迎賓館の一室での電話の場面に居合わせた園田の政務秘書官、渡部亮次郎(77)はこう振り返る。
■メモに押され?
 中国課長として同席した田島高志(77)によると、会談は条約の意義などをめぐるやりとりの後、が尖閣に触れ、「数年、数十年、100年でも脇に置いておけばいい」と語り始めた。
 すると、外務審議官、高島益郎、駐中国大使、佐藤正二と席次の逆順にメモが回り始めた。椅子は弧を描くように配置されていたため、中身は田島から見えなかったが、メモを見た園田はの発言が途切れた際、「閣下が尖閣の問題に触れられたので、私も一言言わなければ帰れない」と切り出した。
 「尖閣問題についての日本の立場は閣下のご承知の通りであり、先般のような事件(4月の漁船団領海侵入)を二度と起こさないでいただきたい」
 の答えは「中国政府としてはこの問題で日中間に問題を起こすことはない」「次の世代、あるいはその次の世代に委ねればよい」。
 園田は特に反応せず、再び取り上げることもなかった。田島は「こちらは実効支配しているし、その時点で得られる最大限のものは得た、良かった、という雰囲気だった」。渡部も「『棚上げ』で合意したとは受け止めなかった」と振り返る。
 が「棚上げ合意」に明示的に言及したのは10月25日。東京での福田との会談終了間際に尖閣問題に触れた後、日本記者クラブで行った記者会見だ。日本語の記録によると、は、72(昭和47)年の日中国交正常化当時と、平和友好条約交渉時に「この問題に触れないことを約束した」と合意の存在を強調。「10年棚上げしても構いません」と述べた。
 当時の音源を聞き直すと、は四川なまりの中国語で、合意については「双方約定(シュアンファンユエディン)(双方が約束した)」と明言しているものの、「棚上げ」は「擺(バイ)(放っておく)」という動詞を使っている。中国共産党中央文献研究室編「小平思想年譜」によると、園田との会談では「擺在一遍(バイザイイービエン)(脇に放っておく)」と発言しており、の表現は一貫していると考えられる。日本語訳が変わったのは、会談と記者会見で通訳が別人だったためだろう。
 は2度目の失脚前の74(昭和49)年10月にも日本からの訪中団に「棚上げ」(中国語不明)を提案しており、条約締結のための一貫した方針だったとみられる。ただ、これ以降、中国側は、首脳間に「棚上げ」で「合意」ができたと主張し続けることになる。
■否定・反論せず
 の記者会見の後、日本政府が中国側に抗議した形跡はない。田島は「中国側が問題を起こさないと言った以上、論争しても仕方がない。条約を締結し今後協力を進めていこうという時期で、意見の違いが表だっても得にならないという考えがあったのだろう」と解説する。
 日本側にも「棚上げ合意」を“定説”として受け止める向きもあった。83~85(昭和58~60)年に中国課長だった浅井基文(71)は「自分の課長当時、棚上げ合意の存在は省内で共有されていた」と話す。もっとも、文書などで引き継ぎがあったわけではなく、園田・会談の内容などが「皆の頭の中に入っていた」(浅井)だけだという。
 中国が92(平成4)年に領海法を制定、尖閣の領有を明記した際、日本政府は外交ルートを通じて抗議したものの、大使召還や実効支配を強化するなどの対抗措置は取らなかった。
 園田・会談に同席した後の上海総領事、杉本信行(故人)は著書で、会談で双方が「暗黙の了解」に達したことを認めながらも、領海法制定で中国側が「明らかに園田・小平会談での合意を変更してきた」と指摘する。92年の対応が適切だったかを含め、海外勤務中の当時の中国課長に質問状を送ったが、「守秘義務に抵触する」との理由で回答は得られなかった。=敬称略(肩書はすべて当時)(田中靖人)

 *上記事の著作権は[産経新聞]に帰属します
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関連; 野中氏の御注進に中国は大喜び 尖閣を棚上げにすれば、将来の日米中の力関係次第では奪えるという計算 2013-06-05 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉
 【産経抄】野中氏の「ご注進」に中国側は大喜び
 産経新聞2013.6.5 03:23
 日本とロシアが満州(現中国東北部)や朝鮮半島をめぐり丁々発止の交渉をしていた明治36年の話だ。ロシア側は突然、朝鮮半島の北緯39度以北を「中立地帯」とする案を示してきた。一見穏やかで建設的提案に見えるが、日本側は拒否する。▼この時点でロシアは満州への支配を強めていた。鴨緑江などの川を隔てた朝鮮半島北部を「中立地帯」にしておけば、いずれ手中にできる。そんな打算が透けて見えてくる。ロシアが半島を伝って攻め込んでくる恐怖を持つ日本には、とても受け入れられなかったのだ。▼中国が再度言い始めた尖閣諸島の「棚上げ」もこれによく似ている。れっきとした日本領である尖閣を強引に棚上げにすれば、将来の日中、米中の力関係次第では奪えるという計算だろう。尖閣に領土問題は存在しないとする日本が拒否するのは当然である。▼それなのに、その棚上げ論に与(くみ)する日本の政治家が現れた。正確には元政治家だろうが、野中広務元官房長官である。訪問先の北京で中国要人と会談したさい、昭和47年の国交正常化交渉で日中首脳が「尖閣棚上げ」で共通の認識を持ったと、中国側に伝えたという。▼野中氏は当時の田中角栄首相から直接聞いたというが眉唾である。日本側の外交記録には一切ないという。公式でない首脳発言だったとしても、首相ともあろう人が軽々にしゃべるとは考えにくい。ミステリードラマではないが「誰かそのことを証明できますか」と聞きたい。▼百歩譲って田中氏がそう語ったとしても、中国要人に「ご注進」することではない。案の定、中国側は大喜びで国営通信やテレビを通じ、発言を伝えた。官房長官や自民党幹事長として、国益を守るのに腐心した方ではなかったのか。 *リンク、強調(太字・着色)は来栖
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関連; 【尖閣「生き証人」のうさん臭い告白】 阿比留瑠比 2013-06-06 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉
 【阿比留瑠比の極言御免】尖閣「生き証人」のうさん臭い告白
 産経新聞2013.6.6 08:28
 野中広務元官房長官と鳩山由紀夫元首相の姿が、ぴたりと重なってみえる。尖閣諸島(沖縄県石垣市)を「侵略しに来ている」(外務省幹部)中国へと、のこのこ出かけ、相手の意向に沿った発言をするところなど、そっくりである。
 「自民も民主もOB議員によるOB(コース外にそれた打球)には本当に困りもの。OB杭(くい)の向こう側には、巧妙な外交的落とし穴が隠されているのだ」
 民主党の長島昭久氏は4日、自身のツイッターにこう書き込んだ。尖閣諸島をめぐり「領有権問題棚上げの日中合意があった」と発言した野中氏と、「日中間の係争地」と述べた鳩山氏を指すのは明らかである。
 論点はそれぞれ違うが、ともに日本政府の公式見解を否定し、自ら進んで中国のわなに飛び込んだ形だ。
 思えば鳩山氏は今年1月、南京大虐殺記念館を訪ねて改めて謝罪した。これも平成10年5月、自民党幹部(幹事長代理)として初めて公式に同館を訪問した野中氏と軌を一にする。
 「当時のことを知る生き証人として、明らかにしたいという思いがあった」
 野中氏はこう語るが、どうもうさん臭い。野中氏によると、昭和47年9月の日中国交正常化から間もないころ、箱根で開かれた自民党田中派の研修会で田中角栄首相(当時)から直接聞いたことだという。
 だが、現職の首相だった田中氏が、当時は一介の京都府議だった野中氏(衆院初当選は58年)らに重大な「国家機密」を漏らすだろうか。研修会で語られた話が、今回の証言まで一切表に出なかったというのもあまりに不自然ではないか。
 筆者は、野中氏が自分の主義・主張を通すために論点を誇張したり、事実関係を無視したりする場面を何度も見聞きしてきた。
 「君らと違い、戦争を知る世代として言うが…」
 野中氏は現役時代、若手政治家らの外交・安全保障に関する自由な議論を、この一言で封じてきた。
 2001年の米中枢同時テロに際し、海上自衛隊のイージス艦派遣が浮上した際には、講演や派閥(橋本派)会合などで強硬に反対論陣を張った。これについて閣僚経験者は振り返る。
 「野中さんは1隻約1200億円のイージス艦を『5千億円する』と言ったり、『戦前の戦艦大和に当たる』と言ったり、めちゃくちゃだった。イージス艦は対空探知能力、自己防衛能力に優れている以外は他の艦船と変わらない」
 また、その後に自衛隊が首相官邸や原発など重要施設を警備できるようにする自衛隊法改正が検討されたときには、「警察への侮辱だ」「国民に銃を向けるのか」などと非論理的な感情論で、これをつぶした。
 自民党幹部は「野中さんにはあの世代特有の、社会党的、情緒的な平和主義がある」と指摘する。だが、米国の核の傘の下で安穏としていられた冷戦期ならばともかく、現在の厳しい国際情勢では通用しない。
 第一、棚上げするも何も、中国は国交正常化から20年後の1992年に施行された領海法で、尖閣諸島を新たに自国領と明記した経緯がある。この時点ですでに「棚上げ論」は、歴史的にも政治的にも完全に破綻しているではないか。(政治部編集委員)
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関連; 石原慎太郎氏~「野中広務は売国奴。福島瑞穂は『憲法を変えると戦争を始める』と言うバカみたいな女」 2013-06-25 | 石原慎太郎
 「福島氏はバカ、野中氏は売国奴」維新・石原氏
 日本維新の会の石原慎太郎共同代表は21日、社民党の福島瑞穂党首を「バカみたいな社会党の生き残りの女」と酷評。野中広務元官房長官にも「売国奴だ」と矛先を向けるなど、自らと主張が異なるハト派をこき下ろした。川崎市内での維新の参院選立候補予定者の集会で語った。
 石原氏は福島氏を「『憲法を変えると戦争を始める』とキャッキャと言う。まだ生きているのが不思議なくらいの化石みたいな人だ」。今月上旬に訪中し、日中国交正常化の際に尖閣諸島の領有権の「棚上げ」で両国が合意したと発言した野中氏について「このごろ気が狂ってね。わざわざ北京まで行っておうかがいをたて、何を考えているのか」とまくし立てた。
 一時は連携を探った亀井静香元国民新党代表についても「なかなかの男だったんだけど、このごろちょっとおかしくなった」と批判した。
 *上記事の著作権は[朝日新聞]に帰属します 
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関連; 鳩山氏また問題発言~尖閣「棚上げで合意」 / 『動乱のインテリジェンス』~熟練のプロの手に落ちた鳩山 2013-06-27 | 政治〈領土/防衛/安全保障/憲法/歴史認識〉
 鳩山氏がまた問題発言 尖閣めぐり「棚上げで合意」と中国に理解
 産経新聞2013.6.27 19:32
 中国を訪問中の鳩山由紀夫元首相は27日、北京で記者団に対し、尖閣諸島(沖縄県石垣市)の問題に関し「40年前に棚上げすると(日中両国で)決めたのだから、メディアも理解しないといけない」と述べ、棚上げの合意があったとの認識を示した。日本政府は棚上げ合意を否定している。
 鳩山氏はこれに先立ち清華大主催の世界平和フォーラムで講演し「領土問題に関してはそれぞれの国の言い分がある。中国側としては当然、カイロ宣言(の中の日本が盗んだ島)に入ると考えることはあるだろう」と述べ、中国政府にあらためて理解を示した。
 安倍政権に関しては「国会議員が大挙して靖国神社に参拝したり、安倍晋三首相自らが(先の大戦での)侵略を認めることを拒否したりした。価値観外交で中国を包囲しようとしているが、中国を孤立化させることはできない」と述べた。(共同)
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「尖閣問題は、国際法と国連に期待せず、棚上げせず、強い姿勢で臨むことが中国に有効」ペマ・ギャルポ氏 2013-01-23 | 国際/中国/アジア
 Professor PEMA News and Views ペマ・ギャルポ この国、日本に生き、一握の土となることを願う者のひとりとして 
 尖閣問題とチベット問題の共通点
2013年1月23日 (水)
 近年中国は度重ねて尖閣諸島問題で日本に対して挑発的行為を続けている。
 これに対してごく一部の良識ある人々以外のマスコミなどは冷静に対応しろ、とか、国際法と国連に頼るような発言も目立っている。中には叡智を結集して両国間で当分この問題を棚上げにすべきだと、いう極論を言う人もいる。
 この人たちの言い分だと、大人であった小平と田中角栄は、この領土問題を棚上げすることで日中の友好関係を築いてきた、とのことである。
 私がチベットの体験からはっきり申し上げたいのは、棚上げなどとは中国にとって、時間稼ぎ以外の何ものでもなく、中国が一九五〇年軍事力でチベットを侵略し五一年に十七条協定なるものを押し付けたことに対し、東チベットを中心にして猛烈な反発が出始めた頃、一九五四年毛沢東はダライ・ラマ法王に、
「我が祖国の他の領土と違ってチベットには特有性があるので、革命的改革を当分押し付けない」
 という約束をして法王を安心させた裏で、着々とチベットへの道路をつくり、多量の工作員を「チベットに奉仕する」という名目で送り込み、彼らがチベットを軍事的支配しやすいような環境を整え、最後にダライ・ラマ法王を捕まえようとした。
 その時チベット国民は決起し、ダライ・ラマ法王はインドに亡命した。一九五九年のことであった。
 もしチベットが一九五〇年代初期に一致団結して戦っていれば、中国の侵略を阻止できたかもしれない。当時の中国はチベットに簡単に入れるような道路もなかったし、兵士を養っていくだけの食料も不足していた。国民党との内戦で兵力も弱まっていた。
 その上毛沢東と人民解放軍の軍部、そして劉少奇との対立が始まっており、内部の団結力をはかる必要があったので、時間稼ぎにチベットへの改革を押し付けない、という姿勢を取っただけで、それは小平の棚上げ論と同質のものだった。
 やむを得ずインドに亡命したダライ・ラマ法王のチベット政府は国連に訴え、国際法と正義に期待した。アイルランドとマラヤ(現在のマレーシア、シンガポール)が提唱者となって国連で三度にわたって中国を批判し、非人道的行為をやめ、即時チベットから軍を撤退することを促す決議が採択された。
 また、ICJ 国際司法委員会(国際法律家委員会ともいう)はチベットにおいて中国軍による計画的組織的大虐殺があったこと、そして中国がチベットに侵略したとき、チベットが事実上の独立国家であったことを認める結論を出した。
 しかし中国は国連の決議を無視し、国際法に基づく正義も無視した。こうしたことからわかるように、中国にとって歴史的正当性、国際法の正当性、そして国連の存在は、自国の利益に合致しない限り、無視するのが当たり前のことである。
 一九四九年中華人民共和国誕生のとき、中国が有効に支配していたのは現在の中華人民共和国の三七%に過ぎない。それ以外の領土はすべて軍事力を背景に獲得し、ある時期においては友好関係にあったロシア、インド、ベトナムなどとも一戦交えているように、中国の本質は領土拡張主義以外の何ものでもない。
 日本はこうした事実から学び国際法と国連に甘い期待を抱くのをやめ、棚上げの畏にも採らず、自国の領土を守る強い姿勢を持って臨むことのみが中国に有効な対策である。
 ※ 『われわれ日本人が尖閣を守る』(高木書房)所収。
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