「隔離」判決~社会防衛の名の下に、市民を隔離することが許されるという恐ろしい社会が来ようとしている

2012-08-12 | 後藤昌弘弁護士

中日新聞を読んで 恐ろしい「隔離」判決 後藤昌弘(弁護士)
 2012/08/12 Sun.
 4日付の朝刊に「障害に無理解すぎる」との社説が掲載された。アスペルガー症候群の男性被告の殺人事件で、求刑の16年を上回る懲役20年の判決が下されたことについて、判決が「許される限り長く刑務所に収容し、内省を深めさせる必要がある。それが社会秩序の維持にも資する」と述べた点の問題を提起した内容である。
 前にも書いたが、論告・求刑は検察官の意見であり、裁判所はこれに拘束されるものではない。しかし現実の裁判では、検察官は過去の同種事例の中で重い量刑の前例を基に求刑意見を述べ、弁護側は軽い事例を参酌するように求めることが一般的である。その意味で、求刑を大きく超える判決は比較的珍しい。
 今回の判決の一つの問題点は、「長く刑務所に入れておくことが社会秩序の維持の上でプラスになる」と言い切っている点である。刑期が犯した犯罪に対する償いであるとの観点からみれば、他の事案よりも重くされた部分については、被告人を社会から隔離するために重くしたといえる。しかし、この考え方は、刑務所を強制収容所として理解しているに等しい。
 気になるのは、裁判員裁判においては、市民の意見のみで判決を下すことは制度上許されていない点である。少なくとも1人以上の裁判官が、被告人を社会から隔離すべしとの意見に賛成したのである。刑務所の実態や刑罰の根拠を知らない市民がこうした見解を持つことは、まだ理解できないではない(賛成はできないが)。しかし、知識を備えた裁判官がこの見解に賛成したということは、恐ろしいことである。市民が裁判に加わるのは今回限りだが、この裁判官は今後も刑事裁判に関わり続けるからである。
 ナチスの強制収容所に入れられたのはユダヤ人ばかりではなく、常習的犯罪者や障がい者もいたと聞く。社会防衛の名の下に、犯した罪と無関係に市民を隔離することが許されるという恐ろしい社会が来ようとしている。

 ◎上記事は[中日新聞]からの書き写し(=来栖)
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 大阪の殺人判決 障害に無理解過ぎる 
中日新聞 社説 2012年8月4日
 殺人罪に問われた発達障害の四十代の男に大阪地裁で懲役二十年の判決が出た。再犯の恐れが強いとして求刑を四年上回る厳罰に傾いた。“隔離優先”の発想では立ち直りへの道が閉ざされないか。
 大阪地裁での裁判員裁判で被告はアスペルガー症候群と分かった。生まれつき脳の機能に問題を抱える広汎性発達障害の一種だ。
 言葉や知能に遅れはない。だが相手の気持ちや場の空気を読み取ったり、自分の思いを表現したりするのが難しい。
 裁判官はこうした特性をしっかり理解し、裁判員に分かりやすく説明したのか大いに疑問だ。判決を見ると、障害を理由に刑を重くしたとしか考えられない。
 被告は小学五年生で不登校になり、約三十年間引きこもっていた。それを姉のせいと思い込み、恨みを募らせて包丁で殺害した。
 判決は「許される限り長く刑務所に収容し、内省を深めさせる必要がある。それが社会秩序の維持にも資する」と述べた。再犯の恐れが心配されるからだという。
 根拠としてまず「十分に反省していない」と指摘している。反省心を態度で示すのが苦手といった被告の事情をどれほど酌んだのかはっきりしない。
 さらに家族が同居を拒み、加えて「障害に対応できる受け皿が社会に用意されていない」と断じている。なぜ幼少のころから支援を欠いたまま孤立状態にあったのかを問わず、社会の無策を被告の責任に転嫁するのはおかしい。
 裁判員の市民感覚はなるべく大切にしたい。けれども、再犯をどう防ぐかという観点にとらわれ過ぎて、犯罪に見合った刑罰を越えて保安処分の色彩の濃い判決になったのは深く憂慮される。
 発達障害者の自立を支援する仕組みは一歩ずつだが、着実に整えられてきている。
 二〇〇五年に発達障害者支援法が施行され、障害を早期に見つけたり、福祉や教育、就労につなげたりする支援センターが全国にできた。刑務所を出た障害者らの社会復帰を促す地域生活定着支援センターも裾野を広げている。
 立ち直りには特性に応じて社会性を身につけたり、コミュニケーションの技能を伸ばしたりする専門的な支援が欠かせない。逆に刑務所には発達障害者の矯正の手だてはないに等しいとされる。
 親の愛情不足や悪いしつけが障害の原因という間違った考えも根強くある。判決を他山の石として正しい理解を深めたい。=========================================
  厳罰という名の隔離  発達障害被告に求刑超す判決 
中日新聞 特報 2012/8/10 Fri.
 大阪地裁で先月末、発達障害の被告に対し、異例の判決が出た。「被告の障害に対応できる社会の受け皿がなく、再犯の恐れがある」ことを理由に、求刑を上回る刑が言い渡された。これでは「障害者=犯罪者」として罰するのと同じではないか、という批判が高まっている。社会の受け入れ態勢の不備が、障碍者への厳罰化につながっている。判決から見える問題点をあらためて検証した。(出田阿生)
■他人への再犯「あり得ない」
 昨年7月に姉=当時(46)=を包丁で刺殺したとして、殺人罪に問われた大東一広被告(42)の裁判員裁判で、大阪地裁の河原俊也裁判長は先月30日、被告に懲役20年を言い渡した。
 求刑は懲役16年。4年も上回ったのは、被告が「発達障害」と認定されたためだった。
 大東被告は小学5年で不登校になり、約30年間引きこもり生活を送っていた。本人も家族も障害には気づいていなかった。被告は不登校になった時に「転校や引っ越しをして、やり直したい」と両親に頼んだが、実現しなかった。それを姉のせいだと思い込んだ。
 二十代のころにはインターネットで自殺の方法を調べようと、姉に「パソコンを買って」と頼んだが、新品を買ってもらえず、さらに憎んだ。
 犯行時は母親と二人暮らし。結婚して家を出た姉が被告のために生活用品を届けた際、「食費やお金は自分で出すように」と置き手紙で自立を促したことが、今回の犯行の引き金となった。
 大東被告は逮捕後の検察の精神鑑定で初めて、広汎性発達障害の一つ、アスペルガー症候群と診断された。この障害には、他人の感情や意図を理解することを苦手とする傾向がある。コミュニケーションがうまく図れず、いじめられて不登校になったり、障碍者本人が被害感情を募らせてしまうこともある。
 担当した山根睦弘弁護士は「障害のせいで、自分の苦しみはすべて姉のせいだと思い込んだ。通常なら考えられないような動機だ。家族への甘えが入り混じった複雑な恨みの感情を30年も募らせた末の犯行であり、あかの他人への再犯はあり得ない」と説明する。
 懲役20年は殺人罪の有期刑の上限。限度まで重くした理由は何か。判決は▽母親らが同居を断った▽被告の精神障害に対応できる社会の受け皿がない▽再犯の恐れがあり、許される限り長い期間刑務所で内省を深めさせることが社会秩序のためになる--とした。
■悪循環を生む「受け皿不足」
 この判決について、精神障碍者の当事者団体「全国『精神病』者集団」の山本真理さんは「犯罪行為そのものを罰するのが刑法のはず。障害者だから罪を重くするのは、障害自体を罪として罰しているのと同じ。明らかな差別だ」と憤る。
 母親らが被告を引き取らない以上、社会に受け皿がないから刑務所へ--という判断についても「社会の支援不足を、障碍者個人や家族の責任に転嫁することは本末転倒だ」と厳しく批判した。
 そもそも、統計では精神障碍者の犯罪発生率は低く、件数も一般人に比べて極めて少ない。
 元法務官僚で龍谷大学法科大学院の浜井浩一教授(犯罪学)は「発達障害そのものが重大犯罪の原因ではない。犯罪の多くは突発的。発達障害を理解してもらえないことから生じる『二次障害』が、強い被害念慮(確信はないが、被害を受けていると感じること)などを生み、それが発達障害特有のこだわりと結び付いて起される。適切な対応によって二次障害をケアすることで、重大な結果を防げる」と話す。
 発達障害がある人たちの支援組織「日本発達障害ネットワーク」の市川宏伸理事長は「障害に特徴的な考え方や行動様式を周囲が理解していれば、と悔やまれる。30年も社会的支援がなかったために起きた事件なのに、受け皿がないという理由で刑を重くするとは。障害者を何重にも追いつめている」と語る。
 長期間刑務所に入れれば反省し、再犯が防げるという判決の趣旨だが、刑務所の現行体制では発達障害者も一般受刑者と同じ扱いをされる。神戸学院大法科大学院の内田博文教授(刑法)は「刑務所には発達障害に対応した更生プログラムがなく、長期間収容すれば、かえって症状が悪化するだけだ」と批判する。
「困ったら刑務所」批判強く
 触法障害者はとにかく隔離--という判決の背景に何があるのか。
 精神障碍者の人権問題に詳しい池原毅和弁護士は「地下鉄サリン事件以降の社会や、昨今の刑事司法の流れの影響が如実にある」と分析する。
 池原弁護士によると、2005年に施行された医療観察法が「ある種の出発点」。同法は心神喪失や心神耗弱で刑事責任を問われなかった精神障碍者を入院させ、手厚い治療と社会復帰を目的に掲げて導入された。しかし、「障害者を犯罪予備軍とみなして病院に閉じ込め、隔離しただけ。刑務所に長期間収容するというこの判決も同じ発想だ」。
■社会の偏見が裁判員に影響?
 凶悪犯罪の発生件数は減少傾向なのに治安当局やメディアは「体感治安の悪化」という言葉で危機意識をあおり、厳罰化が進んでいる。あおられた市民の「素朴な正義感」が今回の判決に反映された可能性もある。
 岐阜大学の高岡健准教授(児童青年精神医学)は「障害者の親や家族、隣人など、障害について理解のある人が裁判員に入っていれば、良い意味で市民感覚が反映されるだろうが、そうでない場合、逆に社会で偏見を持たれがちな障害者が『市民感覚』により排除される結果になる」と見る。
 高岡准教授は、障碍者の社会復帰への支援体制について十分な情報提供が、裁判員に対してあったのかも疑問視する。まだ乏しいとはいえ、刑務所を出た高齢者や障害者の社会復帰を支援する「地域生活定着支援センター」などのプログラムが整備され始めているためだ。
 前出の浜井教授は「日本の刑事司法は更生や社会復帰を全く考えていない。家族や病院、福祉施設にも見放された時、断らないのは刑務所だけ。困ったときは刑務所へとなる」と批判する。
 「少年法の手続きのように成育歴や生活環境を調べ、障害と事件との関連性、再犯可能性などを検証する。さらにどんな支援が必要かを考えることこそ、真の更生と社会復帰に直結する。隔離すればいいというのはあまりに非人道的で、社会にとっても無益だ」
 障害者が社会で生きていくための支援体制は決定的に不足している。今回の判決は、その切迫した状況から目を逸らした結果ともいえそうだ。
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