今年も文楽の講演が開催され 出かけました。
入場すると
夜の部 「二人禿」のお人形がお出迎え
昼の部の演目は
「桂川連理柵かつらがわれんりのしがらみ」です。
● | 「桂川」はお半と長右衛門が心中した川の名前です。 「連理」というのは「比翼連理」(ひよくれんり)という言葉から来ているそうです。 「在天願作^^^^^鳥在地願為^^^^ |
● | 「比翼」というのは伝説上の鳥、雌雄で一体、一目、一翼だから 飛んでいるときも止まっているときも いつも一緒。 「連理の枝」は2本の枝が合わさって1本の枝になったもの、夫婦または男女の深く睦まじい契りのこと。 どこにいても一心同体!ってこと ? |
● | 「柵」は川の中にある「柵」(さく)ですが?「義理の柵(しがらみ)」とか「親子の柵(しがらみ)」というように比喩的に使われることもあるそうです。 |
あらすじ
八方塞がりで途方にくれる四十前の呉服屋の主人と十四そこそこの娘の一途な恋、一言でいえば不倫のお話です。
呉服屋の「長右衛門」は商用で遠州に出かけ、帰り道で「お半」に会います。
お半は隣家、信濃屋の娘で、乳母や「丁稚の長吉」と一緒に伊勢参りに行った帰りでした。
一行はよい道づれができたと同道し、石部の宿屋に泊ります。
その夜、お半は「丁稚の長吉がしつこく言い寄るので眠れない」と言って、長右衛門が泊っている部屋へ逃げてきます。
長右衛門はお半をなだめ、夜明けまでここに居てもよいとお半を布団に入れます。
まだ子供だと思っていたお半は長右衛門に恋心を抱いており、長右衛門は理性を失ったのか2人は結ばれてしまいます。
お半の後を付けてきた長吉は部屋を覗き、驚き、嫉妬し、
腹いせに長右衛門が遠州の大名から研ぎに出すよう預かってきた正宗の脇差と自分の旅差をすり替えます。
お半から自分の子を身ごもっているとを告げられ長右衛門は驚きます。
家庭内はゴタゴタ続き、すり替えられた刀の詮議の当てもなく、お半は身重、と長右衛門は八方ふさがりです。
「いつまでも添うて下さい」とかきくどくお絹に、「為替の100両はお絹の弟の為に使った」と打ち明けますが、
お半のことは言い訳が立つはずもなく、ひたすら謝るのが精一杯でした。
「お半」を背負った「長右衛門」は桂川のほとりに着きます。 |
こ の世に見切りをつけた長右衛門、慕い続けて子まで宿したお半。 二人は石を袂にいれると追っ手の声を背に入水してゆきます。
名台詞
「コレお半、こゝが三条愛宕道、露の命の置き所、草葉の上と思へども、道々も言ふ通り、俺こそ死なねばならぬ身の上。
四十近い身をもつて、十四やそこらの小娘と、一緒に死んだら義理知らずと、世間の人の笑ひの種、
親御の恨みお絹が思惑、とかくそなたはながらへて、亡きわが跡を弔ふてたも。頼む」
「お前の無理ぢやあるまいけれど、わたしや嫌いな、そんなその様な、胴欲な。年もいかいで恥かしい。
この腹帯はどうせうえ。殿御を先へながらへて身二つになり、大胆ないたづら者ぢや悪性な、
不心中なと人さんの笑はんしても大事ないか。そりや可愛ひのぢやない、憎いのぢや。
定まり事とあきらめて、一緒に死んで下さんせ」
恋を立て抜く輪廻の絆、抱きつくづく顔と顔、男もとかう涙の縁、「ともに沈まんこなたへ」と、
手に手を取りの声告げて、もはや桂に月のあし、「アレ、アレアレ後に灯の光、見咎められぬその内に、
いざや最期」と諸共に、石を袂に糸と針、
繻子の帯屋と信濃屋の、娘々と呼ぶ声に、見つけられじと足早に、転けつまろびつうしがせの、水上へとぞ、急ぎ行く。
元々の事件
長右衛門が商売上の交際から、お半の親と親しくなり、お半が大阪へ奉公に行くのに頼まれ、二人は桂川で渡舟を待っていた。悪者に金を盗られて殺され、褄と褄とを結び付けて心中者に見せかけて川に流された。長右衛門38歳、お半14歳。 |
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● | 明福寺というお寺に過去帳があるのだそうです。あまりにも年が離れていたことから、事件は瞬く間に人から人へと語り継がれたのかもしれません |
※ 写真・記事など 文楽ホームぺージより引用
帰りにファイル二種購入しました・。
毎年楽しみにしている公演 来年も楽しみです。